救えぬ魂
「もう一つ先の街で、じーちゃんが待ってるんだ。そこは国境に近い街だから、比較的に他所の人間も紛れ易い。もし、僕たちと離れるなら、その街が暮らしやすいと思うよ?」
相変わらずリュウは掛け値なしの笑顔で「考えておいて」と言う。
ハヤテは迷っていた。
まだ自身の身の振り方すら決まっていないのに、独りで生きる、などできるのだろうか、と。
リュウに対する加害心は消えている。
しかしだからと言って、先読みの巫女に告げられたように、心が捉われるているとは思っていない。
一歩先の未来さえ見えないハヤテには、リュウについて征った先の至福や破滅など、見当もつかない。
リュウの養い親に会えば、もっと指標となる助言をくれるだろうか?
そこまで考えてから、先読みの巫女の言葉が再び脳裏をよぎる。
『他人に聴けば利用されるだけじゃぞ?』
ただただ忌避されるだけだったこれまでの自分には、どのように利用されるのかも分からない。
魔物の襲撃から街の人を護る以外に使い道などあるのだろうか?
あまりにも経験が足りなくて、ハヤテは途方に暮れるばかりだった。
「そろそろ日が暮れる。丁度、この近くに村があったはず。今日はそこに泊めてもらおう」
無言で考えに沈むハヤテの肩を、リュウが軽く叩いて声をかけてきた。
言われて周りを見渡せば、リュウの言う通り、日が地面に落ちかけている。
夜の気配を携えた冷たい風がハヤテの頬を掠めていった。
「あれ?」
村の入口まで先陣で入ったリュウが、彼にしては珍しい戸惑った声をあげる。
「どうした?」
何か不測の事態を懸念して、ハヤテも素早くリュウの元へ駆けた。
しかし、リュウは暫く思案げな表情で、村の様子を探るように見渡した後、何時もの笑顔でハヤテに振り向く。
「いや、なんでもないよ。前に訪れた時と、少しだけ様子が違った気がしただけさ」
リュウはそう言うと、カーラが乗るラクダの元に駆け寄って、彼女に何かを耳打ちした。
それに、カーラも頷くと、ラクダから降りてリュウを抱きしめる。
その一連の動作を意味が分からないまま眺めているハヤテの元に戻ってきたリュウが、また笑顔でこう告げた。
「ハヤテはカーラと一緒に宿屋に泊まって」
「は?お前はどうするんだ?」
今までも村に滞在した事はあったが、リュウがカーラの元から離れることはなかった。
リュウが独りで動くときは何時でも_____。
「やっぱりこの村には何かあるのか!?」
また一人で危険を引き受けるつもりなのかと察して詰め寄るハヤテに、リュウは珍しく諭すような厳しい表情で答える。
「ハヤテは来ないほうがいい。世の中には、知らないままの方が良いこともあるんだよ?」
リュウの無邪気な言動が、ただの擬態であることはハヤテも気づいている。
それでも、同じ歳とは思えないほど、今のリュウは大人びた表情でそう告げた。
リュウの判断が正しいのかどうかさえ、今のハヤテには理解できない。
それでも、彼が間違った判断をくだした姿を見たことがないハヤテとしては、一先ずリュウの言葉に従うことにする。
また無茶をするのではないかという不安はあったが、何も分からない自分が役に立つとも思えなかった。
カラン。
涼やかな音と共に訪れたハヤテたちを、宿屋の主人は快くもてなしてくれた。
久しぶりの手の込んだ料理や、安心して休める寝床に、旅の疲れを癒やすハヤテの傍らで、カーラはずっと愁いの表情で心あらずな様子だった。
やはり、リュウのことが心配なのだ。
ハヤテには聴こえなかったカーラに耳打ちされたリュウの言葉が気になる。
彼は何時だって自らを犠牲にする。
また何か厄介事を買って出ているのだろう。
探りを入れてもよいか思案するハヤテが動く前に、珍しくカーラから口を開いた。
「あの、バカっ!」
カーラから聞かされた話から推測できる危険は、寧ろ自分の「力」が有効だろう。
またもや自分を頼ってもらえなかった事に、ハヤテは理不尽な怒りを吐き出す。
今度こそ、自分の「力」が、誰かの助けになるのだと思い知らせたかった。
「リュウ!!」
離れてからの時間の経過を考えて、焦る心のまま、カーラに告げられた家の扉を力任せに押し開く。
しかし、扉の向こうから注がれる視線は、ハヤテの想像していた光景とは真逆で、驚いた顔が2つハヤテに向けられていた。
「あら?どなたかしら?」
細身の女性が、リュウの手に支えられるように立ち上がり、ハヤテを出迎えた。
「貴方のお友達?」
あまりにも呑気な声で、女性はリュウに問いかける。
息を切らせて駆けつけたハヤテにも、リュウは少しも動揺を見せることなく、ふわりと女性に笑いかけた。
「『うん、母さん。僕の友達だよ。約束を忘れてしまったみたいだ』」
「あらまぁ、駄目じゃない」
「『うん、ごめんなさい。友達に謝ってくるね、母さん』」
奇妙な二人の会話を茫然と聞いているハヤテの元に、リュウはやってくるなり、彼にしては珍しく強引に肩を掴んで家の外へと追いやった。
そのまま無言で路地裏へと入っていく。
訳がわからないままハヤテもリュウに着いていった。
「ハヤテ、何故来たんだ?」
怒っているというよりは、困ったようにリュウは問いただしてくる。
カーラから頼まれたとは言いにくい。
しかし、「危険」な力を持った人物と聞いて来たのに、対する相手はとても危険人物とは思えなくて、ハヤテは言葉に詰まった。
「それは…。いや、でも今の女性は何なんだ?お前は家族は居ないって…」
言っていたじゃないか。と、続けるようとするハヤテの口を、リュウはの手が塞ぐ。
「シッ!」
リュウが鋭い声で言うのと同時に、路地裏の入口に、先程の女性が顔を覗かせてきた。
「坊や、どうしたの?外はもう寒いわ。話なら中でしなさい」
「『分かったよ、母さん』」
リュウはハヤテの口から手を離すと、今度はソっと耳打ちしてくる。
「いいかい、ハヤテ。君は決して喋ってはいけない」
「っ!?」
初めから本物の母子などと思ってはいなかったものの、リュウの様子から厄介事なのは伝わってきた。
そして、落ち着いて彼女の家の周りを窺えば、そこだけ人の気配が途絶えたように荒廃している。
ハヤテのように村の外れに追いやられてこそいないが、やはりどこか群れから隔絶された異空間のようであった。
「さぁ、貴方もお入り。今夜は冷えますからね。温かいお茶を持ってくるわね」
女性は穏やかな笑顔で二人を迎え入れる。
彼女からは特に危険な気配は感じなかった。
「『ありがとう、母さん』」
それなのに、リュウは何時もよりも張り詰めた笑顔で、彼女に接している。
事情が分からないハヤテはリュウに言われるまま黙って二人の様子を観察しつづけた。
「あぁ、坊や。どうかもう、私を置いて何処へもいかないでおくれね」
女性は切実な声で呟きながら、リュウを抱きしめる。
それに対して、リュウもまた安心させるように頷きながら答える。
「『大丈夫だよ、母さん。もう、何処にも行かない』」
「おい!?」
そのリュウの言葉に、ハヤテは思わず声を上げてしまった。
「まさか、ずっとここにいるつもりなのか!?」
彼女への警戒心がなかったハヤテが、リュウの本心なのか芝居なのか分からず焦って問いかけた瞬間、鋭い氷の刃がハヤテの頬を掠めるように切り裂いた。
痛みを感じる余裕もないまま、次々と氷の刃が飛んでくる。
ハヤテは意味が分からないままその刃を粉砕して防いだ。
パラパラと砕けた氷の粉塵が部屋を凍てつかせる。
その氷の粉塵の先には、女性の穏やかな笑顔がハヤテへと向けられていた。
「ハヤテ!逃げろ!」
リュウの鋭い声が聴こえたが、ここで引き返せば彼を見捨てることになる。
再びの攻撃に備えて、ハヤテは女性を睨んだ。
「お前は私の坊やを『また』奪いに来たのね」
彼女の「また」という言葉に引っかかりを覚え、ハヤテは今度こそ警戒しながら部屋の中を探る。
そこで部屋の片隅の人影を見つけて、ギクリと身体が強ばる。
「っ!?」
しかし、それはよく見れば氷の彫像のような子供の姿だった。
「まさか、あんた自分の子供を…っ?」
「ハヤテ!駄目だ!!」
リュウの制止の声が聴こえたが、彼女がどれ程の「力」を有していようとも、ハヤテの「力」ならば迎撃できる。
彼女を傷つけずに防戦に徹してリュウを逃がせばいい。
そこまで考えて、ハヤテは彼女の動揺を誘おうと言葉を繋いだ。
「じゃあ、そこにいる子供は誰なんだ!?」
氷の彫像となって佇む子供を指差し、ハヤテは厳しい口調で問い詰めた。
そこで漸く彼女の視線が氷の彫像へと移る。
するとそれまでどこまでも穏やかな笑みを湛えていた彼女の表情が固まった。
それに、呼応するように凍てつくほどの冷気が彼女を中心にして渦巻く。
「違う!違うわっ!」
氷の彫像から目を逸らして、彼女は崩折れるように膝をつくと、両手で顔を覆った。
その手はガタガタと震えて、爪が彼女の頬に赤い筋を幾つも走らせた。
「ハヤテ!止めて!!」
リュウが悲鳴のような声をあげてハヤテに駆け寄ってくる。
「何故だ!?お前もあの人の『力』を見ただろう!?」
「違う!そう言うことじゃない!彼女の心は…」
リュウが言い切る前に、再び彼女から氷の刃が二人を目がけて跳んでくる。
ハヤテはその氷の刃を破砕しながら、有無を言わさずリュウの手を取って、家から逃げ出した。
二人が逃げ出しても尚、氷の刃は闇雲に家を破壊して、周りの全てを切り裂いていった。
リュウは最早それ以上は何も語らず、二人で崩れていく家を黙って見守る。
暫くすると破壊の音は次第に収まり、瓦礫とかした家の残骸から、彼女の姿は見えなかった。
「おい!?」
リュウは迷わない足取りで、瓦礫を踏み越えていく。
また、彼女が襲ってくる可能性だってあるのに。
ハヤテは慌ててリュウを止めようと駆け寄った。
「大丈夫。彼女の気配を感じない。ただ、弔ってあげたいだけだよ」
相変わらず意味の分からないセリフを呟いて、リュウは真っ直ぐに歩んでゆく。
襲ってくるつもりならば、この瞬間でも冷気を感じるはず。
ハヤテも無言でついて行く。
瓦礫を掻き分けた先には、女性が蹲ったままの姿で氷の彫像と化していた。
「自分で自分自身を…?」
ハヤテには彼女の身に何が起きたのかまるで解らなかった。
「彼女の心は既に壊れてしまっていたんだ。自分の子供を手にかけてしまった時に」
「俺はまた…余計なことをしてしまったのか…?」
目を見開いたまま、絶望した姿で氷に覆われる彼女の姿に、ハヤテはまた自らの「力」で救えなかった現実を目の当たりにした気持ちになった。
しかし、俯くハヤテにリュウは責めるでもなく、ユックリと首を横に振ってみせた。
「僕も彼女の望む言葉しか、かけられなかった…」
薄氷を踏むような、ぎこちない笑顔で彼女に接していたリュウの姿を思い出す。
彼もまた、彼女を救う術を持っていたわけではないのだ。
「僕がもっと大人ならば、救うことができたのかな…?」
リュウが独り言のようにポツリと呟く。
ハヤテには返す言葉は見つからなかった。