先読みの巫女
リュウに投げた「嫌い」の言葉は、無知な自分への苛立ちからくるただの八つ当たりだと、ハヤテ自身も分かっていた。
宛のない旅を、リュウと別れて続けるなど、無謀で愚かな選択でしかない。
無鉄砲なお人好しなのが玉に瑕だが、リュウはハヤテなどより遥かにこの世界について知っている。
仮にこの先リュウと別れるにしても、今はつまらない意地など張らずに、できる限り彼に教えを請うたほうが得策だと思った。
「なぁ、俺みたいな『力』を持った人間が、他にも居るって言ったよな?」
「先読みの巫女のこと?」
「この近くに居るなら会ってみたい」
この「力」が何時でもハヤテの足枷となって縛ってきた。
漸く少しは制御できるようになってきたところだが、それでも暴走を恐れる心は「赤のイメージ」となってハヤテを苛む。
この「力」の在り方を、先を見通せる人間なら、教えてくれるのではないか?
そんなハヤテの期待を見透かすように、リュウは快く引き受けてくれた。
しかし、ほんの僅かだけリュウの瞳が翳ったように見えた気がして、ハヤテは慌てて付け加える。
「お前にも予定があるだろう?そっちを優先してくれて構わないからな!」
「…大丈夫だよ。ちょうど僕らの目的地の途中の村に居る」
人の好い彼にまた無茶をさせるのではないか、と懸念して言ったハヤテの言葉を、リュウは静かな笑みで否定する。
先程リュウの瞳が翳ったように見えたのは気の所為だったのかもしれない。
その時のリュウの様子など忘れた頃に、わりと直ぐに先読みの巫女がいる村へと着いた。
先の街で歓迎され、充分な休息を取ったおかげか、カーラの体調が以前より良くなっていたからでもあったが。
「この先は、ハヤテとカーラで行くほうがいい」
村の門が見えてくる頃、リュウが唐突にそう切り出した。
「なんでだ?」
ハヤテがそんなリュウを振り返ったとほぼ同時に、硬い何かが背中に当たる。
さほど痛みなど感じなかったが、突然の衝撃にハヤテは再び村へと振り返った。
すると、また小さな礫のようなものが数個飛んでくる。
ハヤテたちに当たる前に力で破砕すると、何処からともなくどよめきが起こった。
「なんだ!?何故こんな事をする!!?」
ハヤテの村では旅人は歓迎される。
まして、なんの武装もしていない女子供しかいない旅人に対して、礫を投げつけるなど考えられなかった。
「お前たちは『災い』を齎す者だ。先読みの巫女さまが、そう告げられた」
村人の一人が姿を現し、ハヤテたちにそう告げる。
身なりから見て、高い地位に在る人物のようだった。
華美な装飾こそ身につけてはいないものの、ハヤテたちが着ている物より上質な服であるのは、遠目でも判った。
「俺のこの『力』のことか?」
確かに暴走すれば「災い」と言えるだろう。
産まれた村からでさえも忌避されてきたのだから、他の村でも疎まれるのは想定内だ。
簡単に受け入れられるとは端から思っていない。
「先程の『力』は君の能力か?」
しかし、村人は肯定も否定もせずに、逆に問いかけてくる。
「そうだ。この『力』の在り方を、先読みの巫女に聞きたかっただけだ。未来が見通せるなら、俺のこの『力』をどう使うべきかの助言が欲しかったんだ。元より長居するつもりもない」
災いとなる前に去るから大丈夫だ、とハヤテは伝える。
それに対して、村人は静かに頷いた。
「分かった。では、君とそこの女性は村に招こう」
「っ!?」
村人の意外な言葉に、ハヤテは一瞬混乱する。
「何故だ!?『災い』は俺のこの『力』だろう!?」
何故、ハヤテが招かれて、リュウが赦されないのか理解できず、またもやハヤテは激しく詰問する。
「そこの『紫』の瞳の少年は、存在そのものが『災い』なのだ」
返された答えはあまりにもハヤテの予想を超えていて、言葉に詰まる。
何をどう捉えて良いのかすら分からなかった。
混乱するハヤテの耳に、相対する村人の背後からさざめきのような声が聴こえてくる。
「『紫瞳』は『魔性』の証」
「黒髪であればなお…」
「!?リュウには赤い血が流れている!『魔物』であるはずがない!!」
村人たちの不当な発言に、ハヤテは怒りの声をあげる。
しかし、それでもさざめきは収まらなかった。
「高位の『魔性』は人に化けることもできる。甘い言葉で人々を惑わし、破滅へと誘う」
相対する村人は、尚もそう続けた。
ハヤテには村人のその言葉を信じることができなかった。
そもそもハヤテは「魔物」がどんな存在なのかも知らないのだから。
もし仮に、リュウが「魔物」だとしても、自らを犠牲にして人々を護るリュウのほうが、目の前の村人よりも信じられる。
「どうする?君と女性だけなら受け入れよう」
強固な村人の言葉に、カーラはゆっくりと首を横に振ると、ソッとリュウに寄り添った。
リュウは一部始終を、ただ黙って受け入れるように立っている。
その顔には、やはり何の感情も浮かんではいなかった。
「少し考えさせてくれ」
ハヤテはそう告げて、村人に背を向けた。
「何故、何も言い返さなかった!?」
何の言い訳もしないリュウを、ハヤテは思わず詰ってしまう。
言い返さないということは、魔物であると認めているのだろうか?
「お前は本当に『魔物』なのか?」
最初に抱いた本能的な畏怖を思い出す。
それでも、今のハヤテにはリュウを厭う気持ちは湧いてはこなかったが。
「僕にも…分からない」
リュウはポツリと呟く。
「分からないだって?」
そんなことがあるだろうか?
尚も問い詰めるハヤテに、リュウは今度は真顔で答える。
「じゃあ、ハヤテは自分が『何者』であるのか、証明できるの?」
「っ!」
リュウの言葉に触発されて、「魔物」なのか「人間」なのか判らなくなっていた、嘗ての自分が脳裏に蘇る。
確かに人は、自らが「何者」なのかを証明する術を持っていないのかもしれない。
「僕には記憶がない。縁もない。僕が持っているモノは、この『魔性の証』と呼ばれる瞳を持つ身体だけなんだ」
そう告げるリュウの声音には、やはりなんの感情も感じられない。
淡々と現実を教えるように話すリュウに、ハヤテは最早何も言えなくなった。
ただ、今更な疑問が浮かんでくる。
「そもそも『魔物』って何なんだ?」
今まで遭遇してきた魔物は、無闇に暴れまわる外敵という認識でしかなかった。
それが、下位の魔物であり、高位の魔物は人に紛れることができる、なんて考えたこともなかった。
それならば、なにを以って『見分け』ることができるのだろう?
リュウのような『魔性の証』の瞳の色?
そんな外見の特徴だけで判断するならば、幾らでも偽りの『証』を創ることができてしまう。
「じーちゃんは、『人』が存在する限り、『魔物』もまた消えることのない存在だ。って言ってた」
博識であるリュウもまた、「魔物」の正体は分からないということか。
知っているならば違うことも立証できるのだから、当たり前なのだが。
今のハヤテもまた、リュウの言葉を理解することはできない。
リュウの存在を「災い」と断言する「先読みの巫女」ならば、魔物の正体を知っているのだろうか?
「ハヤテ。兎に角、君の目的は先読みの巫女に会うことでしょ?君は赦されたのだから、会ってくればいい。僕たちは此処で待っているよ」
考えに沈むハヤテに、リュウは笑顔で声をかけた。
そのリュウの笑みには憂いが滲んでいた。
夜明けと共に、ハヤテは一人で先読みの巫女の村へと訪れた。
村人たちの言葉を鵜呑みにしたわけではないが、最初の予定通りにリュウと別れるにしても、今は情報が欲しい。
門には昨日相対した村人が待ち構えていたかのように佇んでいた。
「やはり先読みの巫女さまのお告げは正しい」
村人は満足そうな笑みを浮かべて、ハヤテを村の中へと招く。
確かに巫女の「力」は本物なのだろう。
しかし、ハヤテはやはりこの村人を信頼する気にはなれなかった。
村へと入ると、ハヤテはハッとして村を見渡した。
路端に花が咲いている。
「ここは砂漠の果てであり、緑草地帯の最果ての地」
村人が慣れた様子で語りかけてくる。
何処か自慢げな声音が鼻につくが、ハヤテは黙って耳を傾けた。
「ここは都とも遠く離れた辺境の地であるが故に、世俗の諍いとも無縁な土地なのだよ」
先を歩く村人は誇らしげに、広がる農地を腕を持ち上げてハヤテに示す。
確かに砂と水しかなかったハヤテの村より遥かに恵まれた土地だった。
だが、この村人の言い方はいちいちハヤテの癇に障る。
それが何故なのかまでは、今のハヤテには自覚できなかったが。
「さぁ、ここで『巫女』さまがお待ちだ」
案内された建物は質素な造りの家だった。
周りの建物に比べても、特別な装飾もない。
案内されなければ、巫女が住まう家だとは気づかなかっただろう。
ハヤテは無言で軽く頭を下げて村人に感謝の意を伝えると、巫女が待つ家の中へと入った。
村人も何も言わず、付いてくる様子もない。
さして広くもない家の中で案内も不要だと判断したのだろう。
「待っていたよ。ハヤテ殿」
仕切り戸の前に立つと同時に、嗄れた声がかけられる。
明かした覚えのない名前を呼ばれて、ハヤテは一瞬身体が強ばった。
解ってはいても、何もかもを見通されていると思うのは気分が良いものではなかった。
それでも引き返す気はない。
ハヤテの「力」も、他者から見れば、同じような感情を抱かせるものだろう。
「異質の力」を持つということは、こういうことなのだ、とハヤテは実感しただけだった。
「失礼する」
臆することなくハヤテは仕切り戸を開いて、部屋の中へ入る。
そこで待っていたのは、部屋の奥に座る老婆だった。
声で歳はおおよそ想像がついたが、予想以上に深い皺が目立つ高齢の老婆だ。
環境の厳しい村で育ったハヤテは、この老婆ほど長く生きられる者は少なく、ハヤテはこれもまた巫女の持つ「力」の偉大さを感じずにはいられなかった。
「さて、旅人よ。ワシに用とはなんじゃ?」
「未来を見通す巫女ならば、俺の目的も知っておいでだろう?」
明かした覚えのない名前まで言い当てた巫女に皮肉を言えば、巫女は嗤う。
「ワシの『力』など、ほんの先を少し読めるだけじゃ。災いは払っても、また次の災いがやってくる。さて、どちらの災いの方がマシであった、か?全てを見通すことができぬワシには分からぬ。その程度の力じゃ。お主が持つ『力』の方が、よほど神の御業であろうよ」
「俺の『力』はただ破壊するだけの『力』だ。何も生みだせない」
母が欲した花を咲かせる力もない。
リュウのように、人々を救う知恵もない。
彼らの方が、人を救う能力である分、何も役に立たない自分の力よりも、少なくとも善い力のように思えた。
自嘲混じりに呟くハヤテに、先読みの巫女は目を細める。
そして、何を思ったか、スッと腕を持ち上げ、開かれた窓の外を指で示した。
「アレをごらん」
先読みの巫女の指を視線で辿り視るが、そこはただ田畑が広がる長閑な景色が広がっているだけだった。
丁度、種を蒔く時期なのだろう。
村人たちが鍬を手に持ち、田畑を耕している。
「あの者が持つ鍬は、田畑を耕すために作られた道具じゃ。しかし、その先に在る鉄の刃は、人を殺めることもできるの?」
「?」
何を言い出すのか、とハヤテは先読みの巫女に怪訝な顔で視線を戻した。
「お主の『力』もアレと同じことよ。その『力』をどのように使うかじゃ。ただ破壊するだけの力とするか、また何かを生み出すための力とするか。それはお主次第じゃ」
「じゃあ、どんな風に使えば何かを生み出す力になるって言うんだ!?」
ハヤテには見当もつかない。
知恵者なら善い力とすることができると言うならば、その道を教えて欲しい。
縋る気持ちで問えば、先読みの巫女は黙して首を横にふる。
「他人にソレを聞けば、ただ利用されるだけじゃぞ?仮に婆が力の使い道を示したとして、それをワシ以外に使えば、別の結果となろう。ワシはお主を導くには時間が足りぬ。ただ、これだけは授けよう。ワシがこれまで払ってきた災いの殆どは、人が起こす災いじゃ。それだけは、ゆめゆめ忘れるで無いぞ?」
結局、何の答えも与えてくれない巫女に、ハヤテは落胆する。
老婆の言葉の半分も理解できなかった。
「貴女が言う『災い』ってなんなんだ?リュウは『魔物』だから『災い』なんだろう?」
少なくとも、村人は巫女からそう告げられたと言っていた。
先程の巫女の言葉と矛盾している。
「『アレ』が魔物であるかどうかなど、ワシにも分からん。ただ、大いなる変化を齎す『力』を持った存在じゃ。『此処』では災いにしかならぬ」
「変化の何が災いなんだ?リュウは魔物を封じて見せたぞ?」
「人は弱い。大きな変化を望まぬ者もおる。そして、ここの村人はワシが災いを払ってきたが故に、大きな変化に精神が耐えらぬのだ…」
「じゃあ、リュウは『魔物』ではないってことなんだな?」
巫女の言葉は今のハヤテには理解できなかったが、少なくともリュウの嫌疑だけは晴らして欲しいという気持ちで問えば、巫女はまた静かに首を横にふった。
「ワシにも分からぬと言ったはずじゃ。そもそも『魔性』とは人の心と表裏一体。魔物に実体はなかろう?」
確かに下位の魔物は倒すと幻のように霧散する。
そして、リュウの養い親が言っていた「人が存在する限り、魔物も消えることはない」という言葉とも通じるものがあった。
「つまり…魔物は人が生み出しているってことなのか?」
「あくまで仮説じゃがな。ワシとて高位の魔性になど出逢ったことはない。しかし、魔性は人の負の感情を糧に力を増すという。故に甘言を弄し、人の欲を煽る者を『魔性』と呼ぶ者もおるの」
「リュウは確かにお人好しだが、欲を煽ってなどいない」
寧ろ、人々の心までも救おうとしている。
そんな彼が「魔性」であるはずがない。
ハヤテが尚も言い募れば、巫女はまた嗄れた声で嗤う。
「お主のその『心』の在り方こそが、ワシが『アレ』を災いと呼ぶ所以なのじゃ」
「どういう意味だ?」
「『アレ』自体に善も悪もない。善悪は人が定めるもの。しかし、人の心に波紋を投げる存在じゃ。現にお主の『心』は『アレ』に囚われておるであろう?それは諍いの元となるのじゃ。『アレ』を善と取る者と悪と取る者。どちらも相争う。婆にはその災いを払う力はない。じゃが、お主はまだ引き返せる。『アレ』について征くならば、至福の先に破滅が待つであろう。ただ平穏に生きたいのであれば、離れるが良かろう」
先読みの巫女の言葉に触発されるように、ハヤテは生まれ育った砂の村を思い出した。
乾いて朽ちるまで、ただ「生きる」だけ。
そう思っていた。
ただその人生に戻りたいとは、どうしても思えなかった。
村の外で待っていたリュウが、意外そうな表情でハヤテを見た。
忌避されることに慣れすぎたせいなのだろう。戻ってくるとは思っていなかったという顔だった。
「僕は神に愛されない子供だから」
ポツリと零された言の葉には、哀も憎しみも滲んではいなかった。