贄
リュウと共に旅立ったハヤテだったが、早速後悔していた。
何故ならば_____。
「おい!何時になったら出発するんだ!?」
苛立ちを抑えきれなくなったハヤテは、何度めかも忘れたテントの準備に入ったリュウに怒声をあげる。
「カーラの体調が優れないんだ。仕方がないよ」
苛立つハヤテに対して、リュウは相変わらず呑気な声で、これもまた何度めかも忘れた答えを返す。
「……」
ラクダの上に乗る妙齢の女性を見れば、リュウの言う通り、青ざめた顔で俯いている。
もともと身体が弱いのか、彼女の体調が良かったためしはないのだが。
しかし、考えてみれば奇妙な二人だった。
女性はリュウと同じ黒髪なので、最初は母子かと思っていたが、リュウの歳を考えると彼女は若すぎる。
親族なのかなんなのか?ひ弱な彼女をリュウが献身的に面倒を見ていた。
そう。リュウは誰にでも優しい。
それはハヤテの村の人々に対しても同じだった。
別け隔てなく。誰に対しても笑顔で親身に面倒を見る。
ハヤテに対して『優しい人間』などと言っていたが、彼から見れば『誰でも』優しい人間なのではないか?
最初は小さな疑念だったが、彼の『優しさ』を見ている内に、次第にハヤテの中で、理不尽な怒りへと変わっていった。
何故?彼のような『人間』が存在できるのか?
歳がもっと離れていれば、少なくともリュウが大人であれば。
経験の差だ、と。そう思うこともできただろう。
だが、同じ年頃でありながら、どうしてこうも、自分とは違うのだろう?
彼の『優しさ』に触れる度に、次第に苛立ちが募っていく。
そして、そんな自分に対しても、嫌悪を抱くようになってっいった。
旅の途中で彼は言った。
「僕は弱いから、守りたい人しか護れない」
少年が呟く言葉に、ハヤテは強い衝撃を覚えた。
「守りたい人」だと?
その瞬間に、彼を苛む赤い映像が鮮やかに蘇る。
彼が誰より「護りたい」と願った人が、赤く染まる映像。
白刃が月夜に閃き、目前に迫る。
殺意を自覚する暇もなく、目の前が赤く染まった。
彼が誰より「護りたい」と願った母親(人)の肉を裂いたのだ、と。気づいたのは次に目覚めた時だった。
どれ程、強い力を持っていても、護れるのは自分だけだ。
「だから、強くなってみんなを守れる力が欲しい」
そう続ける少年を、ハヤテは胡乱げな眼差しで見た。
少年は余裕があるから他者を護れると思えるのだ。
それだけ恵まれた環境で育ってきたのだろう。
「ふーん」
鼻を鳴らして答えて、ハヤテは彼から目を逸らした。
「ハヤテ。火の番をありがとう。そろそろ代わるね」
爆ぜる炎の赤を見つめているハヤテの元に、カーラの看病を終えたリュウがやってくる。
「お前はあの人の看病で疲れているだろう?俺は平気だから、少し安め」
本当は気が昂ぶって眠れそうになかったからだったが、リュウが疲れているのも本当だろう。
爆ぜる炎に視線を向けたままそう言えば、何を思ったのかリュウはハヤテの隣へと腰を下ろす。
「ハヤテは、優しいね」
そして、再び同じ言葉を繰り返す。
しかし、ハヤテの心は逆に波立って、焚火の焔がバチッと大きく爆ぜた。
だが、ハヤテの力は昔ほどは暴走しなくなった。
これもまた、リュウから教わったことだが、力を恐れて抑制するほど、暴走した時の反動が激しくなるのだとか。
先ずは意志を持って、ある程度発散させることが、制御のコツだと言う。
リュウは驚くほどたくさんの知識を持つ。
それもまた、ハヤテにとっては焦燥を掻き立てられる原因の一つだった。
「俺は…優しい人間なんかじゃない。お前は俺を知らないから、そう言えるんだ」
例えば、ハヤテの『罪』を知ったならば、リュウも考えを改めるだろう。
月夜に閃く刃の残像がハヤテの脳裏を過る。
それに触発されて、またもや赤のイメージが蘇った。
この子供を赤く染める。
そうなる前に離れるべきなのかもしれない。
「カーラは…」
ハヤテの内心など知りもしないリュウが、空を眺めながらポツリと呟いた。
何か訳ありのこの二人連れが、どんな素性なのかをハヤテが問うたことはなかった。
こんな砂漠を旅する以上、何かしら事情を抱えているのは聞かなくても解かる。
「国同士の争いに巻き込まれて、村を焼かれたんだって。その時に目の前で子供を喪って、心が彷徨ってしまったんだ」
リュウの言葉はハヤテが考えていた以上に重く、そして母と子という立場が逆転してはいるが、ハヤテと似たような境遇であるカーラに、少しだけシンパシーを覚える。
子供が、目の前で刃に裂かれる。
何よりも護りたかった大切な_____。
「『お母さん』って凄いんだね」
リュウの不可解な言葉に、ハヤテはギョッとして横に座る子供を見た。
「だって、心を彷徨わせてしまうほど、『子供』が大切だったってことでしょ?」
「お前にだって母親は居ただろう?」
どこか他人事のようなリュウの言葉に、ハヤテは苛立つ心を止められなくなる。
これまでのリュウの言動から、彼が愛されて育ってきたとしか思えなかったからだ。
「僕は両親の記憶がないんだ」
だからこそ、彼の言葉は意外であり、ハヤテは言葉を失った。
「じーちゃんに拾われる前の記憶は思い出せないから、『お母さん』がどんなものかも分からない。ただ、みんなカーラみたいに『優しい』のかな、って思って___」
『母』を知らないからこその憧憬が滲むリュウの言葉を、しかしハヤテは耐えきれずに途中で立ち上がって遮った。
「お前は、やっぱり分かってない!!」
それがどれほど理不尽な怒りなのかを、ハヤテは自覚しながらも、荒れ狂う感情のままに吐き出す。
「村の奴らから聞いているんだろ!?俺は『母さん』をこの力で…っ!でも!その『優しかった』母さんは、俺を…っ!!」
そうだ。『母』は優しかった。
とても優しくて。そして弱かった。
それでも、子供に殺されて当然の人ではなかった。
だから憎むべきなのは自分なのだ。
なんの『罪』を持たない子供を憎む自分を『優しい』なんて言う愚かな子供。
「ハヤテやカーラの『罪』が、大切な人を護れなかったことだと言うならば、自らを責める『その心』が贖いなんじゃないの?」
リュウも静かに立ち上がると、また笑顔が消えた表情で言葉を紡ぐ。
「自らを罰する『強い心』を持ったハヤテとカーラは、やっぱり僕は『優しい人間』だと思うよ」
ハヤテの激情を受け止めて尚、リュウは同じ言葉を繰り返す。
しかし、ハヤテにはどうしても受け入れられなかった。
カーラは自らの手で子供を殺したわけではない。
自分とは違う。
それに、『大切な人』を持たない子供の言葉を、信じることなどできるはずもなかった。
「俺は…っ!お前が嫌いだ!」
決して相容れない存在だ。
対極に居る存在だからこそ、悠然と語られるのだ。
「そっか。でも、僕はハヤテが好きだよ」
ハヤテの拒絶さえも軽く受け流して、リュウは笑う。
その泰然としたリュウの反応に、ハヤテは今度こそ最初に出逢った印象を思い出す。
その黒よりも尚、深い闇を想起させる紫の瞳。
本能的な畏怖が背筋を凍らせ、ハヤテはリュウに背を向けて駆け出した。
「リュウ?どうしたの?」
爆ぜる火を硬く凍った表情で見つめるリュウの元に、カーラがやってくる。
先程の諍いの声を心配して、様子を見にきてくれたのだろう。
「何でもないよ。少しハヤテとケンカをしただけだ」
リュウはそれに何時もの笑顔で返す。
「……」
それに、カーラは何も応えず、ただ静かにリュウの隣へと腰かけた。
カーラは去るでもなく何かを話しかけるでもなく、暫く二人の間に沈黙が流れた。
「ハヤテに、嫌いだって言われた」
観念したようにリュウがポツリと呟く。
その声色にはハヤテを責める響きはなく、自嘲の笑みが浮かんでいる。
カーラはそれにも応えず、黙ってリュウの言葉に耳を傾けた。
「仕方がない。僕はハヤテみたいな人間には嫌われるんだ。彼みたいな人には僕の『本質』が見えるんだろう」
そう呟くリュウの瞳には、怒りも哀しみもなく、ただ諦念の色しか浮かんではいなかった。
カーラはやはりそれにも答えず、ただそっとリュウの肩を抱き寄せる。
「リュウ。悲しい時は、泣いてもいいのよ?泣きたい時に泣けない子供は、哀しいわ」
耳元で囁かれるカーラの言葉は、どこまでも優しく、リュウの心を満たしてくれる。
「ありがとう、カーラ」
リュウはそう言うと、ソッとカーラの腕から距離を取る。
「大丈夫だよ。僕にはカーラや『みんな』が居るから。僕は強くいられる」
そう答えるリュウの顔は、何時もの笑顔だった。
あの気不味い夜から数日が過ぎた頃、漸く次の街が見えてきた。
そこは西の国に渡る要所の場所に位置していて、商人が必ず通る大きな街だ。
旅人から噂で聴いてはいたが、ハヤテが想像していたよりも遥かに大きい。
正直、ハヤテはホッとしていた。
あの夜から、リュウの態度は全く変わらず、ハヤテの拒絶などお構いなしに話しかけてくる。
ハヤテの一方的な拒絶であるにも関わらず、リュウは一切あの夜の出来事を責めなかった。
謝るキッカケも掴めないまま、ハヤテはただ黙ってやり過ごすことしかできなかった。
何一つ落ち度のない彼を、これ以上傷つけない為にも、やはり次の街で別れよう。
ハヤテはそう決心して、それを告げるべく二人を振り返った。
「!?おい、何をやってる!?」
もう目の前に街があるというのに、リュウはテントの準備を始めている。
「あそこの街には…」
テントの準備の手を止める事なく、リュウはポツリと呟く。
リュウにしては珍しく歯切れ悪く、言葉を濁した。
「あぁ、関税か?」
小さな村しか知らないハヤテは、貨幣のことまでは気が回らなかった。
勿論、ほとんどが物々交換で成り立っていた村で育ったハヤテに手持ちの貨幣などない。
目の前に街があるのに、入ることさえできないのか、とハヤテがあからさまな落胆の声で聞けば、リュウはしかし首を横にふる。
「お金なら薬を売れば手に入るよ。でも…」
ハヤテの杞憂を打ち消して尚、リュウは言葉を濁す。
では、何が問題なのか?
なかなか核心を喋らないリュウを、ハヤテは辛抱強く待った。
なんだかんだと言っても、旅慣れたリュウをあてにしているのだ。
それがまたハヤテを憂鬱にさせたが、ここで我を張っても意味がない。
「いや、今の時期なら恐らくは大丈夫」
リュウはやっと何かを吹っ切るように今度はハッキリと答えて立ち上がった。
「でも、関税は人数分取られるから、カーラにはここで待っていて貰うね」
何時もの笑顔でリュウはカーラに伝える。
大きな街に反して、関所の門は小さく、荷馬車が漸く通れる程度の広さだった。
それに対して塀は高く街を覆い隠し、街の中は外からでは全く見ることができない。
まるで外敵を恐れているかのような造りだった。
ハヤテにとっては初めての大きな街なだけに、比較しようもないが、それでも過剰なまでの防衛のように感じた。
しかし、「魔物」という外敵を持つ人間にとって、過剰なくらいが丁度良いのかもしれない。
ハヤテがそんな事を考えながら、関所の長い列を待っていると、隣のリュウが短く嘆息する。
「やっぱり、カーラを連れて来なくて正解だった、かな?」
もう直ぐハヤテ達の番がくるという間際で、リュウが小さな声で呟いた。
それとほぼ同時に、ハヤテ達二人の前に突然槍が交差する。
「お前たちは二人だけか?」
役人らしき人物が、謎の言葉を投げかけてきた。
「いいえ、先に入った商隊が待っています」
それに慣れた様子でリュウが答える。
そんな話は聞いていなかったので、ハヤテはまたもやギョッとしてリュウを見てしまった。
「そうか。では、その商隊の名を言え!」
「やっぱり、ダメ、か」
訳が分からないままハヤテ達は囚われ、鉄の檻の中へと入れられる。
リュウはそれでも取り乱す素振りを見せず、それ故にハヤテも無抵抗で捕まってしまった。
「おい!俺たちが何をしたって言うんだ!?」
理解できないハヤテがそう叫ぶと、見張りの役人の肩がビクッと震えたのが分かった。
見張りの役人はハヤテたちに振り返ると、オドオドと語りかけてくる。
「あんた達には本当に申し訳ない」
子供二人への見張りだからか、如何にも気弱そうな男だった。
「何時もなら、今の時期に『アイツ』が目醒めることはないんだ。でも、何故か今年は再び贄を求めてきて…」
すまない、すまない。と、男はハヤテたちの前で涙を浮かべながら謝り、すごすごと持ち場へと戻って行った。
役人が言った言葉を反芻しても、ハヤテには全く事態が呑み込めなかった。
去っていく役人の後ろ姿を混乱したまま眺めるハヤテに、リュウが応える。
「この街では、定期的に魔物に生贄を捧げているって噂は本当だったみたいだね」
緊迫感のない声色で告げられた言葉に、ハヤテは今度こそ怒りが沸騰した。
「知っていたのか!?」
「うん。でも、今はその時期ではないはずなんだ」
だから、この街に来ることを躊躇っていたのか、とハヤテは納得する。
しかし、何故ハヤテたちが生贄に選ばれなければならないのか。
定期的であるならば、街の人間から選定されるべきだろう。
「だからって、なんで俺たちなんだ!?」
納得がいかないハヤテがそう吐き捨てれば、リュウの顔がまた、硬く氷のように冷たい表情に変わる。
「本来なら出すはずのなかった犠牲。そこへ何の縁も持たない無力な子供がやってきた」
理不尽な扱いに対する怒りも哀しみもない平坦な声で、淡々とリュウは告げる。
「『大切な人』を守るためなら、その子供を犠牲にしても仕方がない。そう思っても、不思議じゃないよね?」
そう言いながら、リュウは笑う。
それはしかし、何時もの無邪気な笑顔ではない、氷のように冷たい笑みだった。
「『大切な人』を持たない子供って、こういう事なんだよ?」
あの夜、リュウに投げたつけた言葉が、ハヤテの心に跳ね返ってくる。
分かっていないのは自分の方なのだ、と。
リュウは全てを理解した上で動いている。
「だかってあいつらの為に犠牲になってやる筋合いはない!」
ハヤテの力を以ってすれば、こんな鉄の牢など、簡単に抜け出せる。
分かっていながら、何もしようとしないリュウに向かって、ハヤテは叫んだ。
ハヤテの村のときのように、自らを犠牲にするリュウの行動は、やはりハヤテには理解できない。
分かっているなら避けるべきだ。
此処には『大切な人』など居ないのだから______。
「大丈夫だよ。一応、考えはあるんだ」
リュウはまた何時もの呑気な笑みを浮かべると、そのまま床に寝転んだ。
ハヤテには本当にリュウの全てが理解できなかった。
全てを理解しながら、自らの身を犠牲にしてまで、何故危険な賭けにでるのか。
彼なりの考えがあったとしても、今はハヤテの「力」で簡単に逃げられる状況であるのに、リュウは利用しようとすら考えないのだろうか?
「付き合いきれない!」
ハヤテがそう告げても、リュウは責めるでもなく、寝転んだまま動こうとはしなかった。
「クソっ!」
リュウは「愚かな子供」ではない。
だから、彼なりの考えがあるのだろう。
逃げ出すタイミングを図っているのかもしれない。
実際、この場で逃げ出したとしても、街の人間は必死でハヤテたちを捕らえようとするだろう。
その人々を、マトモに制御できないこの「力」で退かせるのは至難の業だ。
全てを赤く染めてまで、逃げ出す覚悟は、今のハヤテには持てなかった。
「出ろ」
結局、リュウはハヤテに何も語らず、いよいよ役人たちがやってきた。
それでも、リュウは大人しくそれに従う。
「逃げればその場で殺す。贄は生きている必要はないからな」
役人の一人が背後から脅し文句を吐く。
ハヤテたちが子供だと侮っているせいか、拘束まではされなかった。
隙を見て逃げようと思えば逃げられる。
だが、問題は逃げるためには「彼ら」を殺してしまう可能性が高い、ということだった。
いざとなれば、仕方がない。
ハヤテは隣を無言で歩くリュウを盗み見る。
相変わらず彼が何を考えているのか分からない。
呑気な笑顔ではないが、恐怖も怒りもない、無の表情で黙々となすがままに歩いている。
本気で犠牲になるつもりなのか。
ハヤテの焦燥が極限に達する頃、リュウがボソッと呟いた。
「ハヤテ、逃げるなら、今だ」
建物から出るタイミングで、漸くリュウが合図を送ってきた。
「うわっ!コイツ!!」
ハヤテたちが完全に諦めている素振りを見せていた為か、役人たちは油断していたのだろう。
ハヤテは容易く逃げることができた。
追いかけてくる役人たちの持つ槍を力で砕こうと振り向いたハヤテだったが、驚くことにリュウはそれでも微動だにせず俯いている。
「クソっ!」
何を考えているのかまるで分からなかったが、役人たちの槍を砕いて逃げる隙を与えても尚、リュウは動かなかった。
訳がわからないままハヤテは一人で逃げる。
「チッ!アイツは変な『力』を待っている。危険だ」
「しかし、贄は一人で充分だ。問題ない」
去り際に、役人たちの声が耳に届く。
ハヤテを追ってくるつもりはないのだと分かった。
それでもハヤテの胸はドクドクと激しく脈打つ。
「何でだ!?何で逃げない!?」
物陰に隠れて、去っていく隊列を見るが、相変わらずリュウはなすがままに連れて行かれようとしている。
まさか、初めからハヤテ一人を逃がすつもりだったのだろうか。
彼が何故そこまで身を犠牲にするのか、ハヤテには心底理解できない。
「馬鹿だ!大馬鹿だ!!」
激しい苛立ちにハヤテは吐き捨てた。
ハヤテの村でも見せた彼の愚行。あの時に感じた怒りと焦燥が、またもやハヤテを苛む。
「付き合いきれない!」
そうだ。
ハヤテには何の縁もない彼を見捨てても、咎める人間などいない。
大体、ここで助けたところで、彼は何度でも同じ愚行を繰り返すだろう。
「付き合いきれない!」
ハヤテは何度も繰り返し吐き捨て、このままこの街を去ることが「正しい」のだ、と自身に言い聞かせた。
しかし。
しかし、それでも、と。
もう一人の自分が囁く。
激しく頭を振りかぶって、その囁きを振り払おうとしても、身体は勝手に彼の後を追うために動いていた。
リュウを連れた隊列は、街の真ん中にある、一際高い塔で止まった。
ただ長い螺旋階段があるだけの、高い尖塔。
生贄を捧げるためだけに作られた建物なのだろう。
建物には不可思議な絵が描かれてあるが、それが何を意味するのかは分からなかった。
リュウは役人に促されるまま、一人で塔の階段を登っていく。
本当に犠牲になるつもりなのか。
ハヤテは混乱したままリュウの姿を見つめた。
ハヤテの村では、彼なりに考えて動いていた。
今回も何か彼なりの考えがあるのだろうか?
それともハヤテが助けに来ることを期待しての行動なのだろうか?
様々な疑問がハヤテの脳裏を駆け巡っているうちに、いよいよリュウが尖塔の頂上に辿りつく。
しかし、彼は無の表情のまま、ただ遠くを見つめるばかりだった。
やはり、ハヤテの助けを待っているのかもしれない。
ハヤテが覚悟を決めて、魔物が現れる瞬間を、拳を握りしめて待つ。
どれだけの時間が経ったのか、逸るハヤテには分からなかったが、尖塔の不可思議な絵の中から、巨大な細長い魔物が姿を顕する。
それと同時に、リュウは掌をその魔物へとかざすように片腕を持ち上げた。
そして、何かを呟くように口が動く。
ハヤテが力を使うタイミングを図っている内に、しかし、その魔物は塔から発せられた光に包まれ、か細い断末魔のような悲鳴を上げて霧散した。
何が起こったのか。
恐らく街の人々さえも判っていないようだった。
人の気配などなかった街から、ざわめきと共に、少しずつ人々が姿をあらわす。
最初は動揺が勝って怖怖と、しかし魔物が消えたことを理解すると、人々から次第に歓喜の声が広がっていった。
ハヤテは豹変する街の人々の姿を、ただ呆然と見つめることしかできなかった。
「仕方がないよ。『人』の心は移ろいやすいものだからね」
何時もの呑気な笑顔で、リュウが笑う。
その腕には、街の人々から献上された感謝の品々が溢れている。
あの時、何が起こったのか。
彼が後から説明してくれた。
「あの街は一度、あの魔物を封じていたんだ。それが何時しか魔物の力が強まり、封じきれなくなった」
あの不可思議な絵は魔法陣なのだとリュウは言う。
そして、今回はそれを利用して封じただけなのだとか。
「それなら、なんで今回は封じられたんだ?」
「寿命だよ。本来なら目醒める時ではないこの時期に、贄を欲するほどに、力が弱まっていたのさ」
だから、またこんな危険な賭けに出られたのか。
ハヤテは納得する_____、わけがなかった。
「たまたまだろ!?もし、魔法陣の力の方が弱まっていたら、どうするつもりだったんだ!?」
またもやハヤテの中で、理不尽な怒りが沸騰する。
ハヤテの「力」をあてにしていなかった彼の態度も気に食わなかった。
最早、誰に対する怒りなのかも分からないまま、ハヤテは怒鳴った。
「ハヤテは、優しいね」
しかし、それでもリュウはフワリと笑いながら、また同じ言葉を繰り返す。
やはり、意味は理解できなかった。
「『嫌い』な僕のために、戻ってくるなんて思わなかった」