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蒼征記  作者: moe
1/4

砂の村

異能力を持った二人の少年の友情物語。

固定キーワードに「バトル」と表示されてますが、バトルよりもヒューマンドラマ寄りの作品です。


表現はマイルドにしてますが、残酷なストーリーが苦手な方は読まないでください。


この作品はpixivにも掲載しています。



赤。

それは鮮烈な赤のイメージ。



「おい!こら!待て!!」


もともとさほど気配を隠していたつもりもなかったが、目ざとく自分の商品を掠め取られたことに気づいた男がしゃがれた声を荒げて振り向いた。


「っ!…ちっ」


しかし、少年と目を合わせるや否や、男は悪態の言葉を吐き捨てると、赤い実を投げつけた。


「悪魔の子供め!あっちへ行け!」   


少年が「赤」を忌避する習性を知っていて、罵倒の言葉と共に投げつけられた赤い実は、しかし少年の目の前で砕け散る。

それがまた赤い実の汁を飛散させる結果となり、少年の心を深く抉った。


少年は内心の動揺を悟られる前に、素早く身を翻してその場を走り去る。


何度経験しても慣れることはない。今も少年の心を苛む赤のイメージ。

商人から奪ったパサついたパンは、ますます砂を噛んだように味気なく、心を乾かしていった。


「あつい」


口に出したところで、体感も変わりはしないと知りつつ、少年はフードを深く引き下げた。


少年の住む村は、少年が産まれた時には砂漠に覆われ、何時尽きるかも分からないオアシスを拠点に住む小さな集落だった。

常に魔物の襲撃に脅かされて、村人の心は諦観に染められていた。

それでも、大きな街を目指すほどの気概もなく、時折訪れる旅人が齎す品々で辛うじて保たれていた。


少年には親はなく。自活できる術もない。

生まれ持った特殊な「力」故に、小さな集落からすら孤立していた。

孤立とは言っても、彼の「力」を恐れて、排斥することもできない弱い群れの中では、生命が脅かされることはなかったが。


この砂しかない村で、乾いて朽ちる、その時まで「ただ生きる」だけ。


それが少年の「生きる」全てだった。






村の外れの棲家に戻り、裏手に仕掛けた罠を確認する。


「今日もダメ、か」


あらかじめ期待はしていなかった分、少年の声にそれほどの落胆はない。

それでも当面の食料が得られないとなれば、また村から奪ってくるしかない。

それが酷く憂鬱な気持ちにさせた。


最近は砂嵐が酷く、食料の獲物もなりを潜めて出てこない。

村人があてにしている旅人の訪れも絶えて久しい。


元から希望の少ない集落で、絶望がピークに差しかかる。


そんな時だった。


一陣の風が背中を焼いて、また砂嵐の予兆か?と砂の丘を駆け上った。


「カーラ!やっぱり、こっちに村があるよ!!」


荒んだ環境の村では久しく聴いたことがない張りのある声が、風に乗って届いた。


旅人の斥候だろうか?


小柄な影が、少年に気づいて近づいてくる。

旅人特有の厚いフード付きのコートをまとった姿が、少年の少し前で止まった瞬間に、また突風がふく。


巻き上げられた砂を被ったのか、旅人はフードを払い除け、少年へと手を差し出した。


「やぁ、初めまして。君はここの村の人かい?」


長い黒髪の子供。少年と大差ないくらいの年頃に見えた。

黒髪自体は珍しくもなかったが、少年の目を惹いたのは、深い紫の瞳だった。

黒い瞳よりも尚、暗い闇を想い起こさせる。不安を掻き立てられる色だ。


「あー、長居をするつもりはないので安心してください」


瞳の色を長く見つめすぎたせいか、子供は差し出した手を引っ込め、フードを深く被りなおす。


「連れの女性が長旅で弱っているので、彼女だけでも村に滞在させてもらえませんか?僕はこれでも薬の知識があるので、怪我や病気を看ることもできますよ?」


少年と大差ない歳にしては不釣り合いなほど流暢な言葉で、子供は尚も少年に言い募る。


「そうだ。まだ名前も名乗っていなかったね。僕の名前はリュウ。君は?」


またもやそう言って子供が手を差し出そうとしたところで、少年の背後から大きな怒声が響いた。


「おい、あんた!そいつに近づいちゃいけない!!」


長らく待ち望んだ旅人だ。村の厄介者と関わらせたくないとでも思ったのだろう。

数人の村人が血相を変えて、二人に近づいてくる。


どの道、この旅人を村に案内することなど少年にはできないのだ。

村人に追いつかれる前に、棲家へと踵を返す。


その時、何故振り返ってしまったのか?


久しぶりにマトモに会話をした相手が気になっただけかもしれない。

不意に見返した子供の顔は、全ての感情が消え、まるで硬く凍ったように見えた。

少年に見せていた屈託のない笑みが嘘のようだ。


しかし、村人が子供に近づき、会話を交わした途端に、また人懐っこい笑顔に戻っていた。


どちらが幻なのか?


少年が初めて『他人』に興味を抱いた瞬間だった。






こんな砂漠を旅する人間自体が、そもそも訳ありの事情を抱えているものだ。

少し変わった瞳の色をしているだけの、ごく普通の子供だった。

去り際に見た豹変した顔も、人間の2面性など見知っている少年には、特別珍しいことではなかった。


それでも、ナニかが少年の気を惹いた。

それが、『何であるか?』も自覚できないまま、少年はリュウと名乗った子供のことを思い出していた。


「薬の知識があるって言っていたな」


そうだ。それが少年の気を引いたのだ。

一人で生きていく上で、怪我や病気の薬の知識は、必要不可欠だ。

どれくらい滞在するつもりかは分からないが、機会を窺って教えて貰おう。


少しだけ明るい感情が湧いたが、直ぐに淡い期待を捻じ伏せた。

村人に連れられて行ったのだから、少年の危険性を彼らが伝えないわけがない。

屈託のない笑みを見せていたのは、少年の『力』のことを、リュウは知らなかったからなのだから。


「バカバカしい!」


自分の浅はかな思考に苛立って悪態を吐き出すのと同時に、バキッと近くの枯れ枝がへし折れる。

感情が波立つと勝手に具現化する『力』の仕業だった。

制御できない力は、少年の荒んだ心のままに荒れ狂う。

苛立てば、また無用にモノを破壊してしまうので、少年は努めてゆっくり息を吐いて、波立つ心を鎮めた。


感情を殺してしまえば、力も暴走しないのだろうか?

何度も繰り返した自問自答をまた浮かべる。


一切の感情を殺して、ただ乾いて朽ちるのを待つだけの生は、それは死んでいることと何が違うのか?

幾度も繰り返した結論の出ない問いを、少年は赤く燃える薪火へと視線を転じて考える。


赤い炎。


あの時の赤とは違う。


村人は少年を『悪魔の子供』と呼び。

自分を生んだ母を『魔女』と呼んで蔑んだ。


自身が裂いた母の身体には赤い血が流れていた。

村を襲う魔物は、倒しても一滴の血も流すことなく霧散する。

魔物は赤い血を流さない。

だから、母は魔物ではなかったのだ。

試しに少年は自分の腕を裂いて見た。

やはり、赤い血が流れた。


自分は『魔物』ではないのだ。

では、自分は何なのだろう?

何故、村人から忌避されるのだろう?


同じ人間の『赤い血』を持つ種族であるはずなのに_______。


コンコン。


少年の深く沈んだ思考を、予期せぬ音が遮った。


「ハヤテ、昼間に会ったリュウだけど、開けてくれる?」


声がした方を見れば、鍵すらない薄いドアの前で声がした。


「ありがとう。君のお陰で無事に村に滞在を赦して貰えたよ」


扉を開ければ、物怖じしない様子でリュウがハヤテの家の中に入ってきた。


何をどうなれば『少年のお陰』で滞在を赦された、と思えるのか?ハヤテには理解できない。

名前まで知っているということは、コントロールのできない彼の『力』のことも聞かされているに違いないのに。


「何をしにきた?」


返す言葉が硬いものになったとしても仕方がないだろう。


「魔物避けの香を持ってきたんだ。昼間のお礼に」


リュウはハヤテの無愛想な対応にも、何一つ頓着することなく、手に持った香をハヤテに差し出す。


「そんなモノは要らない。それに、俺は何もしていない」


魔物が嫌う香があることは知っていた。

しかし、魔物に襲われようと、返り討ちにできほどの『力』を有しているハヤテにとっては、無用の長物だった。

それに、村人から忌避されているハヤテの家を訪れたことによって、リュウへの心証を悪くするだろう。

事実、村の滞在になんの助力もしていないのだから。


「…そう。ハヤテは優しいんだね」


ハヤテの言葉をどう捉えたら、そんな結論が出るのか理解できなかったが、リュウはフワリと微笑むと、リュックから寝袋を取り出した。


「今日はハヤテの家に泊めてね?」

「は!?何を考えてる!?」


彼の言動はハヤテの思考の範疇を超えるものばかりで、動揺のあまりまたもや部屋の花瓶が割れる。


その花瓶は母が正気だった頃に、市場で気に入ったモノだった。

勿論、ハヤテ親子が買える品物ではなかったから、後でコッソリ盗んできた花瓶だ。

母に喜んで欲しくて差し出した花瓶を見せた時、しかし母は悲しい顔で「花瓶ではなくて、花が欲しかったのよ?」と言った。

砂漠の村で花など手に入るはずもなく、喜んで貰える術を失ってハヤテも悲しかったが、いまだに捨てることもできずにいた品物だ。


どれ程、心が波立ってもソレだけは壊さなかったのに。


理不尽な怒りがリュウに向かう。


「村の奴らから聞いているんだろう!?こんな風になりたくなければ出て行け!!」


壊れた花瓶を指で示しながら、あらん限りの声で叫ぶ。

それと一緒にまた枯れ枝が数本バキバキとへし折れたが、どうでも良かった。

ハヤテの力を過小して考えているなら、今の破壊力に怖気づいて出て行くだろう。


元よりハヤテは、この子供が赤く染まる姿を見たくはない。

その為に喪われた花瓶に、ほんの僅かに名残惜しい気持ちもあったが、それと引き換えにしても良いと思える程には、子供の気まぐれの言葉が嬉しかった。


「内在された力の発露は、その人の本質を顕す」


しかし、ハヤテの忠告を聞いても、リュウは壊れた花瓶にも、一切の動揺を見せることなく、意味不明な言葉を呟く。


「は?」

「って、じーちゃんが言ってた」


ハヤテの素直な反応に、リュウはまた屈託のない笑顔で続ける。

そして、割れた花瓶の元へ近づき、破片を手に取る。

何をするつもりなのか分からず、黙って見守っていれば、破片を手にしたリュウの指から赤い血が流れた。


「何をやっているんだ!?」

「え?片付けようと思って」


それで怪我をしていたら世話がない。

コイツはただの馬鹿なのかもしれない。


先程の意味不明な言葉も相まって、ハヤテの中で、無知な子供の無邪気さなのだ、と納得した。


「花瓶なんてどうでも良いから、早く出て行け」


今度は諭すように穏やかに伝えたが、リュウは逆に笑顔を消して答える。


「でも、大切な『モノ』だったんでしょ?」

「っ!?」


心を見透かすようなリュウの言葉に、ハヤテは目を瞠る。


「ハヤテは、優しいね」


しかし、直ぐにまた笑顔に戻ると、先程と同じ言葉を繰り返した。


「っ!勝手にしろ!」


ただただ脳天気なだけなのか、子供の意図を計りきれず、ハヤテはぶっきらぼうに返すしかできなかった。


少なくとも、もうこの子供を赤く染めるイメージは湧いては来なかった。



結局、リュウはその後もずっとハヤテの家に居座り続け、昼間に村へと出かけて行った。


「僕らは目ぼしい品々は持っていないから、水を分けて貰う代わりに病人を看ることになったんだ」


村人が旅人を歓迎するのは、彼らが「外」から齎すモノが目当てだからだ。

分け与えられるのは、今のところ尽きる心配のない水だけで、食料を分け与えるほどの余裕は、ハヤテたちの村にはない。

ハヤテとて、砂嵐が続いたせいで、食料となる獲物の備蓄がない状況だ。

食料はどうするのか心配していたハヤテだったが、意外にもリュウは狩りが得意のようで、小型のナイフで器用に獲物を捕って来る。

獲物を捌いて調理するのも得意なようで、長く旅を続けてきたのであろう事が窺えた。


ハヤテとて、この「力」を自在にコントロールできれば、獲物を捕ることはもっと容易になるのに。

そんな風にぼんやり考えていると、砂の中から小さな獣が這い出てくる。

ハヤテたちが主食としている獣だった。


何時もなら罠に追い込んで捕えるハヤテだったが、リュウの巧みなナイフ捌きを思い出して、自分の「力」で捕らえてみようと考えた。

あの刃の流れを「力」で具現化させられれば、これからの生活にも役立つ。

今まで暴走を恐れて「力」を自発的に発現させたことはなかったが、周りに誰も居ない今なら仮に暴走しても被害は出ない。


小さな獣が砂に潜る前に、ハヤテは初めて意図的に力を使った。


「っ!!」


しかし、「力」はやはりハヤテの思い通りには動かず、獣の脇の砂を裂く。

幾度か試したが、殺気に気づいた獣の動きは素早く、全て空振りに終わった。


「やっぱり、凄い力だね」


失敗に落胆しているハヤテの背後から、リュウの明るい声がする。

丁度村から戻ってきたところなのだろう。

腕にたくさんの手土産を抱えて、ハヤテの元へとやってくる。


ハヤテの村には医者など居ないから、リュウの薬の知識は大いに歓迎された。

リュウの気さくな性格も相まって、村に忌避されているハヤテの家に居座る変わり者であるにも関わらず、すっかり村人たちからの信頼を得ていた。


それもそのはずだ。

リュウをただの無邪気な子供と侮っていた自分が情けなかくなるほどに、彼はハヤテなどよりずっと有能だった。

少しばかり変わった言動を取るが、村人の誰よりも知識が豊富で、大人顔負けの剣の技術を持っている。


そんな相手に失敗したところを見られたうえに、お世辞まで言われたのでは立つ瀬がない。


「嫌味か?」


恨みがましく睨むように見れば、リュウは「何が?」と惚けた答えを返す。


「じーちゃんから聞いてはいたけど、僕もハヤテほどの『力』の持ち主に出会ったのは初めてだ」

「っ!?俺みたいな『人間』が他にも居るのか!?」


砂漠に孤立した小さな村しか知らないハヤテにとって、リュウの言葉は驚きだった。

村ではこの力のせいで「悪魔の子供」と呼ばれてきたから、自分のような人間が他にも存在するなどとは考えたこともなかったからだ。


「うーん、顕在化する能力の性質は人それぞれ違うらしいけどね。例えばとある村には、未来を視る力を持つ先読みの巫女が居るって聞いたよ」


リュウの話では、人間には元からハヤテのような『力』が備わっていて、それを発現させられないだけなのだとか。


「発現させるために一生を修行に費やす人も居るんだって」


リュウの言葉は驚きの連続で、茫然と聞き入っていたハヤテだったが、その後に続けられた言葉に激しい怒りが暴発する。


「だから、それだけの『力』を生まれ待つハヤテは凄いんだよ?」


その言葉に触発されるように、目の前に『鮮烈な赤』のイメージがフラッシュバックする。


「何が凄いものか!?お前に何が分かる!?」


ハヤテの心が荒ぶるままに『力』が暴走する。砂を切り裂き、近くにあった大岩が粉々に砕け散った。


「こんな『力』なんて要らなかった!!こんな『力』さえなければ…っ!」


最後の言葉は声にならず、グッと奥歯を噛みしめる。


「でも、その『力』を含めて『ハヤテ』でしょ?」


また、ハヤテの暴走する力に直面しても尚、リュウは不思議そうな顔で問いかけてくる。

やはり、言っている意味は理解できなかった。


「お前は俺が怖くないのか?」


今更な疑問をぶつける。

『力』自体は兎も角、感情が荒ぶると制御が効かない事こそが、村人にもっとも恐れられている原因であるのに。


「内在された力の発露は、その人の本質を顕す」


初めてハヤテの家に訪れた時に聞いた言葉を、リュウは再び繰り返した。

やはり意味は理解できない。

握りしめられた拳を緩めることなく、ハヤテの心は荒ぶったままだった。

そんなハヤテの前で、リュウは更に続けた。


「ハヤテはこれまで一度も僕を傷つけなかった。制御できない力にも関わらず、ね」

「っ!そんなのはたまたまだ!」


吐き捨てるように返せば、リュウはゆっくりとハヤテに近づいてくる。

本気でハヤテを恐れていないのだ。


「今だって、怒りの矛先は『僕』だったのに、君は髪一筋の傷もつけなかった」

「…だから、そんなのは、たまたまだ」


また一歩一歩ゆっくりと近づきながら紡がれるリュウの言葉を、しかしハヤテはどうしても信じられない。

何故なら、ハヤテは「誰よりも大切だった人」を_____。


「世の中には、人を傷つけることを躊躇わない人間もいる。理由もなく、ね」


目の前まできたリュウの顔から笑顔が消えている。

出逢った日に垣間見た硬く凍った表情とはまた違う、哀しみを湛えた笑みだった。


「ハヤテは人を傷つけることを、恐れることができる『優しい人間』なんだよ?」


リュウはそう続けながら、硬く握りしめられたハヤテの拳に手を添える。

少しヒヤリとした冷たい手だったが、厭う気持ちは起きなかった。


「僕と一緒に来る?」

「っ!?」


思いがけない誘いに、ハヤテは驚いて、思わずその手を振り払ってしまった。


村を出るなど考えたこともなかったからだ。

制御できないこの「力」は、何処の村でも忌避されるだけだとも思っていた。


それに、此処ここには大切な_____。


「ハヤテが来てくれたら、僕も旅が楽になるんだけどなぁ」


手を振り払われたことで、拒絶と取ったリュウが、しかし言葉の内容ほど残念そうにも感じない、おどけた口調で笑って返す。


「……」


それにもハヤテは、何も応えられなかった。






迷いがないわけではない。

この村に居ても希望はないからだ。

それでも、此処を離れ難いと思うのは_____。


「…母さん…」


赤く染まった母が眠る、墓と呼ぶにはあまりにも寂しい石だけの墓標。

母が望んだ添える花もない。


母の人生は何だったのだろう?

こんな『力』を持った自分を産まなければ、なんの罪もない優しい人だった。

最期は自分の子供に裂かれて死んだ。


赤く染まった母を見てから、涙も出ない。

心まで乾いて、自分ですら「魔物」なのか「人」なのか、判らなくなっていた。


そんな自分を「優しい」なんて言う愚かな子供。

彼はハヤテの「罪」を知らないからだ。

ここにはハヤテの「罪」を裁いてくれる人もいない。

だからこそ、一生「許されない罪」だ。




「ハヤテっ!!」


深く沈むハヤテの思考を、鋭い悲鳴のような声が、現実へと引き戻す。


一度たりとも村人からは呼ばれたことなどない、自分の名を、自分と同じくらいの少女の声が呼ぶ。

驚いて振り向けば、そこには見知った村の娘が、必死の形相でハヤテの元に駈けてくる姿が映った。


「ハヤテ!たいへんなの!」


ハヤテの前まで来ると、少女は涙ぐんだ声で、必死に訴えた。


「村に魔物が現れてっ」


その言葉を聞いて、ハヤテは直ぐに事態を呑み込む。

村の危機をハヤテの「力」で救って欲しい、と言うのだろう。

以前、ハヤテからその条件を提示して食料を求めた時に、「力」の暴走を恐れた村人から拒絶されたのは最近のことだった。


「リュウが自分が囮になると言って、村の外に出て行ってしまったの!」

「っ!?」

「お願いよ!あの子を助けてあげて!」


ハヤテを恐れて、一度もマトモに会話を交わしたことのない少女が、涙を浮かべて取りすがる。


「あの、バカっ!」


自分の腕に縋ってくる少女の手を振り払い、ハヤテは村へと駆けた。


砂嵐が続いたせいで、魔物の襲撃も暫くの間なく、リュウが齎した魔物避けの香のお陰で家畜を狙う小物の魔物からも護られていた為か、油断して哨戒を疎かにしてしまったのだろう。

大型の魔物が村に近づく前に、囮となる贄を使って軌道を逸らす以外に、村人には抗う術はない。

村に近づかれた時点で、軌道を逸らすために囮になるならば、大人の男であっても死を覚悟しなければならない。


それを、たかが数日過ごしただけの村のために、リュウが犠牲を覚悟で囮になるなんて、ハヤテには信じられない愚行としか思えなかった。


そう。たかが数日過ごしただけの。

そんな相手のために、けれどハヤテもまた、駆けた。


「西の砦に村で一番の脚を持つラクダを用意してるわ!」


背後から少女の声がする。

それはつまり大人は誰も動いていないということだ。


「…っ!」


グッと唇を噛みしめる。

分かっていたことだ。

ハヤテとて、この「力」がなければ助けに行けただろうか?


だからこそ、リュウの行動は愚かだとハヤテ自身も思ってしまう。

それでも、と。ハヤテが思うのは、やはり愚かな事なのだろうか?


村に辿り着き、西の砦で待っていたのは、狼狽えるばかりの村の大人ではなく、やはりハヤテと同じ年頃の村の少年の一人が、ラクダの手綱を持って佇んでいた。

無言で差し出される手綱を、ハヤテもやはり無言で受け取りラクダへと乗り上げる。


「…すまない…」


背後から掠れた声が聞こえた気がしたが、それに返す言葉をハヤテは持ってはいなかった。




砂漠へと駆け出して直ぐに、砂を巻き上げながら荒れ狂う魔物の姿と、その僅か先をラクダで走るリュウの姿を見つけた。

リュウの腕から赤い血が流れているのが見える。

贄を用意する暇がなかったからか、自らの血の匂いで、魔物を誘き寄せているのだろうか?


何故、なんの縁もない村のためにそこまでするのか?


僅かな苛立ちが焦燥と綯い交ぜになってハヤテを混乱させる。


「バカ!」


誰に対する罵倒なのかも分からないままハヤテは吐き捨てる。


殆どの魔物に知性はない。

眼の前の獲物を求めて、ただただ荒れ狂う。

その度に砂塵が舞い上がって視界を隠してしまう。

ただでさえ力の制御に自信がハヤテは、目を細めて狙いを定める。

迷っている暇はない。

幸いにも図体だけは大きな魔物だ。

前のように外す心配はない。


そこへ、砂塵の向こうから小さな光が弾けるのが見えた。

その後に続く破裂音に釣られるように「力」を具現化させる。


鋭い風の刃が砂塵ごと魔物を切り裂き、一気に視界が拓けた。

魔物は何時ものように霧散し、砂塵と共に消えていく。


「ハヤテ」


全てが幻のように消え去り、静けさが戻った頃、先行していたリュウが、のんびりとハヤテの元に戻ってくる。


「やっぱり、ハヤテの力は凄いねー」


命を賭けて飛び出した人物とは思えないほど脳天気な声音に、無茶な行動を取ったことへの怒りが沸騰しかけるが、直ぐに赤く染まったリュウの袖を見て我に返る。


「おい!それより怪我は…っ!」


傷口を見ようとリュウの袖を捲くって看るが、傷口からは既に血は流れておらず、赤い筋が残っているだけだった。


「大丈夫だよ。僕は普通の人よりも丈夫なんだ」


何でもない事のようにリュウは笑う。


『顕在化される能力は人それぞれ』


以前、リュウが言った言葉を思い出し、それがリュウの能力なのか、とハヤテも納得する。

だから、あんな無茶もできたのだろうか?


「だからって、死んだら同じだろ!?」


幾ら傷の治りが早いとは言っても、「人」であるならば、死は免れない状況だった。

無茶な行動であることにかわりはない。

怪我の心配が薄れたことで、再びハヤテの中で怒りが湧き上がる。


「ハヤテは…優しいね」


しかし、ハヤテの叱責を受けても、リュウは尚も同じ言葉を繰り返す。


「一応、閃光弾で魔物の軌道を逸らす予定だったんだ」


そして、今度は村に戻るためにハヤテに背を向けてから言葉を続けた。


あの光と破裂音の正体はソレだったのか、とハヤテは気づく。

一応は何も考えない無茶なだけの行動ではなかったのか、とハヤテの怒りは少し鎮まった。

しかし、それでもたかが数日過ごしただけの村のために命を賭けた行動は理解し難く、ハヤテの怒りはなかなか鎮まってはくれなかった。




ハヤテたちが村に戻って、数日が過ぎた頃、リュウたちは村から去る日がやってきた。


ハヤテは母の墓前に別れを告げる。

母の墓には、恐らくはあの時の少女が残していったであろう、花を象った櫛が添えてあった。


あの事件から、村人の態度が変わったかと言えば、ほぼ何も変わらず、寧ろハヤテを畏怖する視線は強まった。

それでも、あの時動いた少年少女をハヤテは忘れることはないだろう。


母の墓に花の櫛を添えてくれた。


ただそれだけで、ハヤテは嬉しかった。






「ハヤテ!さぁ、行こう」


リュウが再び手を差し出す。


その手を取ったことを______。

後悔する時が来るとしても、今のハヤテに迷いはなかった。






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