まさか
その日の放課後たまたま帰り道で千夏に会い、意外と家が近いということで途中まで一緒に帰ることになった。最初は関係のない雑談を少ししたけれど、教科書の件が頭をよぎったせいか、特に話が弾むことはなかった。
途中で歩道橋を登った時、千夏が小学校の頃のことを話し始めた。
「四年生の時にいじめられていた子がいて、怖かったけど注意したら今みたいにいじめられてしまったの」
それを聞いて思い出した。それぐらいの頃から、まだ時々は続いていた文通が、千夏からの手紙が減っていき自然消滅したことを。
「私は転校したばかりで、その時は学校で助けてくれるような友達もいなくて」
「大変だったんだね」
「だから自分で何とかしようとがんばったら、相手を思い切り引っ叩いちゃったの」
「ええっ?」
思わず大きな声をあげてしまった。
「こうやって、振りかぶって」
さらにその時の状況をジェスチャーで表現しようとした千夏を制する。
「えっと、その、そんな事して大丈夫だった?」
「大丈夫じゃなかった」
千夏は首を振る。
「筆箱を持ったままで叩いたから、相手の頭から血が出ちゃって……。あとで一生懸命謝ったけど、先生やお母さんにもすっごく怒られちゃった。でもそれからいじめは無くなったの」
学校で「いろいろあった」と聞いた時にイメージした話とは違っていた。あのおとなしかった『ちなっちゃん』からは想像できないことだった。
「相手の子には悪かったし、もっと他の方法もあったと思うの」
バツが悪そうに千夏は下を向いた。
「私ね、小さい頃にからかわれてたらよく助けてくれた友達がいて。その子はすっごく頭がよくて強くって、私もそんな人になれたらって勇気を出して行動したの。やり方は失敗しちゃったけど」
「そう、かもね」
「それによく考えたら、その子あんまり暴力振るってるイメージもなかった」
自分の名誉のためにも、そこはちゃんと思い出してくれたのはありがたいな。
「でもそれからは自分でがんばって、どうすればいいかちゃんと考えて行動すれば何とかなるって思えるようになったの」
「やっぱり、強くなったんだよ北原さんは」
こちらを向いた千夏は笑っていた。そして大きな目をじっとこちらに向けてこう言った。
「何となくだけど、村山君は私の友達に似ている気がする」
その言葉に、胸が高鳴った。
それから一週間後、千夏の予想通り主犯格の荒垣は転校した。いじめも収束し、程なくして千夏には同じクラスの友達ができたらしい。
*
目の前の問題が片付いたことで、先送りになっていた事に取り組めそうだ。
現状、いじめ問題がひと段落しても千夏と誠の交流は続いている。少しずつ、誠としても千夏と仲を深められていると思う。ここで誠から聞いたとしてこのいじめの話を文通で出すべきか。千夏に会うためという口実でこちらから誠に会いに行くという方法もある。
状況を進展させる手段としてはそれ以外に、千夏に理解者になってもらうというものも考えられる。幼少期に自分が理解不可能なSFのような話をしていた時に、心配してくれた人はいるけれど、それを信じようとした人は他にいなかった。千夏は判断力のあまりない子供だったとはいえ、信じようとしてくれた。
千夏なら気づいてくれるかもしれない。できることなら千夏にもう一度打ち明けてみたい。だけど……。自分の為だけにこの訳の分からない、空想と区別のつかない話に巻き込むことにためらいはある。何より、受け入れられない恐れがあることを考えると、勇気が未だに持てない。
杉本さんに、あれは小説の話ではないということもできない。
失礼な話だけど、杉本さんなら失うものは少なく、逆にハードルは低いという考えもできる。相手からもそれほど信頼されてないはず。だけど杉本さんが直面している問題があるのに――その後の進展があったかは分からない――、余計な心労を増やすのはしたくない。
そうやって迷い続けている時、突然美久の父の会社都合により引っ越しすることが決まった。
しかも場所は埼玉県の、誠の住む町の隣だ。




