杉本さんの過去
あの大雨の中、駅構内で行き交う人の隙間からそれが見えた、杉本さんを幼くしたような顔の子供が。それは誠側でだったけれど。発車時刻ギリギリで改札へ急ごうとした時の数秒間、幻ではないかと最後は注視していたので、単なる見間違いだったとは思えない。
杉本さんの『もう一人の自分』は現実に存在する――。それも杉本さんの手の届くところに。
「それは、もしかして4時ぐらいのこと?」
――合っている。
「そのはずです」
「駅の北口?」
「杉本さんも、見たんですか?」
驚いた。確かに同じ時間帯にあそこにいたのならば目撃していてもおかしくはないはず。同じ人間を、誠側と、美久側の人間が見ていた。杉本さんとその兄弟を通じて、間接的にだけどまた一つ自分達の繋がりができたような気がした。そうすると、杉本さんの視界に誠の姿が入っていた可能性だってある。
「少し距離があったからそこまではっきりとではなかったけど、そっか……。前と違ってお酒も入っていない状態で認識してるし、第三者の証言もある……」
杉本さんは考えをまとめようとしているのかブツブツと呟きだした。
「そこから考えますと、今回見れたのは夢や幻覚でなくて、現実にそこに現れた杉本さんの兄弟ということではないですか?」
「多分、その可能性は高いかな」
杉本さんはうなずく。
「それに最初に杉本さんが見たのが同じ駅周辺ということなら、少なくともその二回はまぼろしではなくて、実際に杉本さんの兄弟を目撃した可能性は高そうですね」
「まあ、そうなるだろうね」
「だとすると重要なのは、二回同じ場所に現れたのであれば、生活圏もこの近くだという推測が成り立つのでは? 自宅か、学校か、病院や親の職場といった可能性もありますし、公共交通機関が多いので範囲は絞りにくいでしょうけど」
それから少し沈黙が続いた。携帯の冷たい質感が、手に伝わってくるのが分かる。当事者の杉本さんとしては考えることが多くて混乱しているのかもしれない。
「近くにいるかもしれないのに、会いに行きたいとか、会いに行こうとは思わないですか?」
「……思わない。もう過去の話だよ。向こうにも家庭があるだろうしさ」
冷めたような言い方だ。初めて会った時もそういった感じはあった。かつての家族にあまり関わり合いを持とうとしてないみたいに思える。そうであるならなおの事、人の家庭環境に対して強引に踏み込むのは好ましいことではないはず。
しかしそれとは別に、『会えるのなら会うべきだ』、という気持ちが膨れ上がっていく。離れてしまった母や弟、家族という自分を構成する一部に、機会があるのに向き合わないのは、きっと後悔する。無かったものとして振る舞うなんて。
「そうですよね、家族が離れ離れになるには色々と事情がありますし、うまくいかない部分もありますよね」
「……いや、なんて言えばいいんだろう」
「でも、これまで何度も幻を見ていたのはそれが強く心に残っていたからじゃないでしょうか? それを本当にそのままにしていたら、後悔することになりませんか?」
「それは分かってる!」
杉本さんの語気が強くなる。怒らせてしまったかもしれない。
「過去の事だから……、もう意識しなくてもいいぐらいになっていたはずの事なんだ。だけど幻覚を見るようになってから、改めて考えるようになったのも事実だよ……。
だから……、正直な事言うと、迷っている」
それから杉本さんはその家庭の事情を話してくれた。
「うちの親父は無気力で酒にだらしない人間でさ、母さんともしょっちゅう喧嘩していたし、母さんが出て行くのも当然だったんだ。自分も親父とは口を聞くことはほとんどなくて。――もともと俺は鳥取の出身でこっちでは一人暮らししてるんだけど、母さんたちが姫路の辺りに住んでいるということは実は中学に上がる頃に聞いたことはあるんだ。俺がこっちの大学に進んだのは単なる偶然だし、そんなに意識することもなかったけど、幻覚を見るようになってから思い出すようになってた。
子供の頃の自分なら何としても会いに行ったかもしれないよ。でも今はさ、冷静に考えて歓迎されないだろうってことは予想できる。家を出て以来母さんは一度も会いに来ることはなかった。親父の顔も見たくない、関わりたくもないということは分かるんだ。けど――。
離れ離れになってもう十年以上たっている。さっきも言ったようにもう過去の事なんだ。自分にとっても向こうにとっても」
一旦完全に別の人生を歩んでしまったら気持ちが離れるのは普通なのかもしれない。ただ、突き放したような、一歩引いたような言葉を発していた杉本さんの声は辛そうに聞こえた。




