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象牙の塔より

作者: 藤井 硫

某月某日 曇、そして老婆


象牙の塔と化した屋根裏部屋から外界を眺めるのに飽きた頃(それまでは二軒隣の主婦の指先など眺めたり、野鳩が野良犬に喰われたりとそれなりの出来事はあった)、書卓に箱庭でも拵えてやろうかという気になり、僕の心臓は俄かに鼓動回数が増えた。

一軒隣で柿の木を育てながら、野良猫と人生を共に過ごす老婆(僕が子供の頃から老婆だった。きっと産まれた時から老婆なのだろう)に幾枚かの木材等を頂戴し、一番大きな板で基礎となる土地を見立てた。

幅は一尺奥行きが五寸。この中で家を建て更に自由の効く庭を、と考えると幾分質素になってしまうがそれもまた乙となるだろう。

とにかくこの日から僕は創造の神となった。


某月某日 雨と雹


天候の悪さも手伝い、建築作業が捗って仕方がない。日の上がる前よりも早く起床したのはいつぶりだろうかしらん。この屋根裏を選んだのも周囲の人間との余計な接触を断てるからであり、日中は夏の厳しい温度帯に窓を開けるぐらいで、それ以外は部屋中を自然運動の目的で散歩する程度で意識を持って活動する事などとてもとても。

それがこの箱庭というものは何と夢中になってしまうものだろう。結局一日で一軒家に近い物を建築してしまった。細部まで指先が入れば小物に凝りたいものだ。そうか、しまった慌てておった。小物に凝ってから建築すれば良かったのだ。その後解体するのに半日を要し、箱庭は更地に戻った。


某月某日 昼頃より継続的な地震そして晴れ


人の心理は伝播するという事を思い知らされた発見の一日だ。そしてそれは同時に僕を憂鬱にもさせた。順調な建築作業は僕の身体的な体力を如実にしかし遅鈍な速度で拉致していたらしく、朝ぼらけに起床する生活を諦め、建築の為に快眠を得ようと必死になっていところにあの振動が来たのだ。

三軒隣の空き地が買い手が見つかったらしく、今日から基礎工事を始めたのだ。僕の屋根裏部屋は正確に時間差なく基礎工事の振動を僕の寝床に伝えるものだから、一尺、いや二尺半程飛び起きてしまった(寝床から天井の梁まで三尺ほどあるが、目の前に梁があったのを覚えているので概ね間違いはない)。

これは僕が書卓に箱庭を拵えようとする頃から周囲は計画していたに違いなく、これによって潜在心理は伝播するものだと判断しても良いだろう。


追記

この日は振動対策に追われたが何一つ良い対策が浮かばなかったので仕方なしに箱庭を書卓から天鵞絨の椅子(背凭れは建築材料として切り出したので無い)に置き、寝床から振動観察をして一日が終わった。


某月某日 曇り空と継続振動、後に晴天


天鵞絨の椅子を眺めていたのは有益な時間となった。象牙の塔である僕の屋根裏部屋はギシギシユラユラと日中揺れていたが、天鵞絨の椅子だけは振動の具合が緩やかであった。部屋を見渡すと寝床の他には書卓と書棚のみで、それらは壁や床との接点が多く、即座に振動の影響が出るものであった。しかし天鵞絨の椅子は四本の脚のみしか振動との接点がなく、僅かに多接点の他とは揺れ方が違うのだ。であれば箱庭を拵える書卓の接点を極限まで減らせば良いだけであり、その発想は一軒隣の柿の木の家まで僕を動かすに充分な理屈だった。

僕は老婆から(左目に目ヤニが固まっていた。先日の酷い振動のせいだろうか。振動め)瓢箪の蔓を頂くと必要な限り乾燥をさせ、頼り甲斐のある強度が満ちるまで蔓を編み込み、二尺程の紐を四本作成した。その後書卓を部屋の中央に移動させ(この時の埃は僕の喉を攻撃してきた)四隅に錐で穴を開け、梁に交差させた四本の乾燥蔓紐を結び付け、二寸程宙にうかせてみた。念には念を入れ、その状態で書卓に肘をついてみたが申し分ない程頼り甲斐があったので、僕は安心して書卓の四本の脚を切断した。結果建築材料も手に入り、振動対策も万全な状態になる。脚を失った書卓を眺め、母胎に回帰したような満足感を抱えたまま寝床に付いた。


某月某日 満月が眩しい闇夜


黴の季節がやってくる。本格的に到来する前に箱庭のどの場所に垣根を作るか見立てなければ。苔がむすのが最適ではあるが、黴の青さは捨てきれない。この日は月明かりに照らされた箱庭を見ながら二軒隣の主婦の指先を見ていない事を思い出した。



上記の内容が君と抱擁せずに二つの季節を跨いだ僕の事柄で、象牙の塔から出るまでに後どれ程の時間が掛かるか僕自身にも不明で、それが多幸感ある日々か理解してもらいたい。

箱庭は幾分形になって来たが、幾ら細部に手を掛けても、凝れば凝る程に終わりが見えなくなってきた。

三軒隣の振動原因の一軒家を我慢強く観察した事で、僕の建設技術は格段に良くなったが住まう人間、箱庭の住人が居なければ完成を迎える事は無いと気がついてしまった。

金の無心で君に葉書を送ったのではない事を前もって書いておく。だがここ最近酒の類を断ったかわりに糖分を欲している。砂糖を幾らか送っては貰えないだろうか。それと、君が良ければだが着物の切れ端なんか入れてくれるとありがたい。事前にある程度準備をしておかないと格好がつかないからね。僕が想像しているのは二軒隣の主婦なんかとても良い。そして彼女がもう少し小さくなってこの部屋に来ないかなんて想像しているんだ。

箱庭の住人としてね。


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