第2話 雨木要【2】2018/12/8
「それで、どうしてもログインする気はないっていうの?」
「そうだ、何度も言わせないでほしい」
「アゲハが何度も聞くのはね、その理由をアマギンが一向に教えてくれないからだよ」
「前にも話した通り、ただ黙って引退を受け入れてくれるわけにはいかないのか」
「ねぇ、それってすごく冷たいと思わない? アゲハだって、結構昔から一緒に頑張ってきた仲じゃない」
「確かに一方的な話にも思えるかもしれない。でも理不尽さで言ったら君らの方が酷くないか」
「どういうこと?」
「この状況がだよ」
アパートの一室、もとい俺の部屋で、彼女は扇に付いた刃先をこちらに向けながら迫ってきていた。
部屋の主である俺は、情けないことに尻もちをついてじりじり後退している。
「主張を押し通すために暴力を使うのはどうかと思うんだ」
「安心して、傷付けるつもりはないから。ただこれで大人しく従って貰えたらなぁって考えただけ」
目の前にいるアゲハチョウは、ソシャゲキャラよろしく際どいコスプレ衣装を身にまとい、俺を見下ろしている。もっとも彼女達曰く、コスプレではなく本物の武具だそうだが。
「とにかく答えはnoだ。データを残したのも課金分が勿体無かっただけで、情で消さなかったわけじゃあない」
「それって本心じゃないと思うな。何か事情があって嘘付いてるんじゃない。」
「別にいいだろう。ソシャゲなんて勝手にハマって勝手にやめていくもの。とやかく言われる筋合いはないさ」
「アゲハにはその権利があると思うの。だってアマギンの部下として、今まで頑張って来たんだもん。」
「こうなっては平行線だな。一旦この話はやめにしないか」
「そうしたいけど、本当は昔の思い出とか語りたいけどさ、皆一日でも早く復帰してくれるのを待ってるの。アゲハだけ楽しくおしゃべりはできない」
彼女は次第に息を切らせ、扇は今にも持ち手がつぶれそうになっていた。
アゲハチョウを含む、俺のアカウントの持ちキャラが現実世界に押し寄せてから一週間ほど、今日も終わりの見えない押し問答が繰り返されている。
「なあアゲハ、俺の望みはたった一つだ。全部諦めて帰ってくれないか、向こう側に」
「アゲハのことは、皆のことはどうだっていいっていうの? どうしてそんなこと言えるの?」
「それが引退ってものなんだよ。育てた子を忘れて別の趣味に走る。そこに罪悪感は人によってあるのかもしれない。ただこの世界で、それを悪と論じることはできないんだ」
「わかんないよ、なんでそう簡単に忘れられるのか」
「……人じゃないからだろ」
「……もうやめてよ」
「所詮データなんだ。愛着があっても限度がある。現実の友達、家族のようにはなれない。」
「なれるよ、だってこうして生身の肉体を得たんだから!」
「そもそもそれがイレギュラーなんだ。本来起こりえないことで、別に望んでいたことでもない。なら、全部なかったことにしたいと思ったっていいだろう!」
「ねぇ、今までの2年間は何だったの? アゲハはずっと、アマギンが皆を好いてくれてると思ってた。全部嘘だったの? ただゲームシステムが好きでやってただけなの?」
「さあ、な」
自分がどれだけ彼女を傷つけているかはわかっている。それでも、起こるはずのない出来事で攻め立てられるのは納得がいかなかった。本当なら今頃は、別の何かに興じていたはずだ。
「ね、アゲハさ、何だってするよ。だから戻ってきてよ、そうじゃないと、壊れちゃいそうで」
彼女の顔は見たくなかった。ゲーム内では愛想もよく誰にでも明るい子で、だけど人一倍傷つきやすくて。だから雫が一滴床に落ちたのを視界に入れた時も、今までの仕打ちを考えれば予想できたことだった。
「俺は、」
もうこれ以上は御免だった。
「俺は、な」
どちらにせよ傷付けてしまうなら
「俺は、お前たちが嫌いになったんだ」
顔を上げて彼女の目を見つめた時、アゲハチョウのそれは、ただどこまでも真っ黒で、今までに見えていた微かな光は消え去っていた。