鍵の大魔術師と上位世界
登場人物
鍵の大魔術師(あたし、女)
仰空の研究員(自分、男)
魔録の見聞録員(おれ、男)
魔導研究所。中央起点都市の中心から少し外れたところにあるやたらと目立つ白塗りの建物は、魔力研究の中心地である。そんなこの場所では日夜学者たちがあーでもないこーでもないと魔力、ひいては魔導の仕組みについて議論している。あたしが呼び出された研究室もそういった類の場所で、魔力はこの世界よりも上位にある世界から供給されているのではないかというみょうちきりんな説を至極真面目に研究してるらしい。まあ、一介の魔術師にはよくわからん話だ。
「こちら鍵の魔術師。呼び出しに応じて参りましたぁ。失礼しまーす」
「正式に名乗れ鍵の大魔術師。さも一介の魔術師かのようなの面をして入ってくるんじゃない。ともあれ、よく来てくれた」
「相変わらず偉そうだねえ仰空の研究員。で、今日は何のためにあたしは呼ばれたの」
魔導研究所には大小さまざまな研究室が存在している。それこそ魔法開発の花形研究室から実地研究が主だった泥臭い研究室、この研究室みたいな仮説と観測情報をもとに理論をこねくり回す研究室までいろいろだ。もちろんすべての研究室が同じ待遇なわけもなく、功績の大きさや研究の実用性の高さなどによっても決まっている。院長の緋珠の魔法使いとか主席研究員の簡便の魔法使いなら屋敷丸ごと一つ分ほどの専用の研究室を与えられるって話だけど、詳しくはあたしにはわからん。呼び出されもしなければこんな頭でっかちどもの巣窟には近寄らないし、わざわざあたしを呼び出す研究室もこのちんけないかにも弱小ですって感じの研究室くらいだからな。
「そういやまろくんまだ来てないの?大体いつもいるよね、彼」
「まろくん……魔録の見聞録員くんのことか?彼なら今はお手洗いに行ってるところだぞ。ほら、もうそろそろ帰ってくる」
そういって仰空が研究室の入り口に目をやった途端、
「先生、ただいま戻りましたー。相変わらずここの通路狭いですよねー……って鍵の大魔術師様!?」
と、魔録の見聞録員くんが入ってきたのだった。こうして、こんな辺鄙な研究室にいつもの面子がそろったのである。
「さて、では本日も研究を始めよう。今日は鍵の大魔術師も来てくれているからな、できれば実験情報を集めたいところだ」
「まあ、来た以上は今日は付き合うけど、何させられるのさ。命に係わるような実験は勘弁してよね?」
「自分で言うのは何だがこの小さい実験室で危険な実験が行えると思うか?お前だけならともかく自分や魔録くんを危険にさらすような真似はできんよ」
「先生、昔ちょっと危険な薬品合成したら数日間この部屋立ち入り禁止になったとか言ってましたよね。曰く普通の研究室ならともかくこの部屋だと空気中の濃度が高くなりすぎるとかなんとかで」
「まさかこの部屋があの程度で充満してしまうくらい小さいとは思わなかったからな。ともかく、少しの危険がすぐに重篤な危険になるくらいの部屋だ、危険な実験なんてできないことはわかってくれたか」
「あいよ。それなら安心……いやある意味安心できなくないか?」
今までもさんざん小さい小さいとは思ってたが、普通は問題ない実験が危険になるほどの小ささの研究室は本当に研究室なのか?
「というか、この会話、前に大魔術師様が訪れた時にもしませんでしたっけ」
「あの時の会話の内容は計算機を導入したら部屋の半分近くが埋まった話だ。そろそろ話を戻すぞ」
「話の腰を折って悪かったね。で、今日はどんな実験をするの。こないだ来たときは血を抜かれたりなんかよくわからない物体に魔力注がされたりしたけど、あれどうなったの?」
「その結果も受けて今日の実験を行う。とはいえあくまですでに分かっていることの再確認程度の実験だ。さほど時間もかからずに終わるだろう。魔録くん、記録をお願いするよ」
そういうと仰空の研究員は"右手を前にかざし"魔術の詠唱を始める。
「"手のひらを太陽に"」
そして、仰空の掌は真っ赤に燃え上がりまるで中天に浮かぶ星のように輝きだした。
「あのー、先生?それ実際に燃えてるわけではないですよね?書類に着火したりとかしませんよね?」
「普通に燃えるぞ」
「どこが危険な実験はしないんですか?!普通に危険にもほどがありますよ?!」
「……なるほどねえ、確かに危険な実験ではないね」
「どこがですか?!こんな書類まみれの部屋、火が付いたら一瞬で燃え広がりますよ!」
「まあまろくん、見てなって」
仰空の燃える手を見つめ、あたしも魔術を詠唱する。
「"鍵はどこいった?"」
すると、仰空の右手の炎は消え去り、ぼやも起こさずに実験は終了した。
「これでいいんだろ、仰空先生。まろくんになにするか教えてやればよかったのに」
「教える必要はないからな。魔録くんならこの程度の動揺で記録を取り違えることもない」
「本当に心臓に悪いんで勘弁してくださいよ……」
そういいながらも魔録の見聞録員くんは魔力の流れの推移図を魔術によって書きだした。
「とりあえず先生の魔力の時間経過図です。魔術の起動から安定までは時間に比例して高まっていってますけど、唐突に雲散霧消してますね。魔術を強制的に止めた時の挙動によく似てます。普通なら先生が魔術を停止させたと考えるべきですけど……。もしかしなくても、大魔術師様ですよね」
「そうだな。消えたとき、自分は一切魔術を止めるつもりはなかった。しかし、彼女が魔術を行使した途端、魔術が使えなくなった。このことから考察するに、彼女が例の魔術を使ったのだろう。ただ、重要なのはそこではない。魔録くん、彼女の魔力の推移図を作ってくれるかな」
「はい、わかりました」
そうして魔録くんは先ほどと同様に魔力の流れの推移図を描きだしたのだが、
「……おかしい。絶対におかしい。なんでおれの魔術で魔力の流れがとらえ切れないんだ?」
「おかしいがおかしくはないぞ、魔録くん。理論的にはそれで正しい」
「正しいって、それじゃあまるで」
魔録くんは信じられないものを見るかのようにこちらを見る。今までとあからさまに異なった視線が少し寂しい。
「魔録くんの想像してる通りだ。驚くべきことに、彼女は、鍵の大魔術師は、世界魔力と同様の魔力をしているらしい」
なるほど、だからあたしなのか。なんとなく感じていたとはいえ、こうしてはっきりと理由を出されるとすがすがしい。
「さて。では鍵の大魔術師、お前は一体どういう出自なんだ?」
仰空の瞳が、爛々と輝いたように見えた。
「しかし、あたしの出自ったってそう大層なもんじゃないよ。それこそ一介の町人の娘だったわけだし」
「正直言って実際のお前の出自そのものに興味があるわけではない。お前の存在の源流が気になるだけだ」
「というか大魔術師様って町人の出身だったんですね。なんだか意外です」
「自分だってもとは農村の出だ。だからどうということもないだろう。では、本題に移ろうか」
え、という顔をした魔録くんを無視して仰空は言葉を繋いでいく。
「そもそも自分の研究している世界魔力の発生の理屈というものをお前はどう理解している?」
「たしかこの世界の魔力はこの世界よりも上位の世界からもたらされてるとかって昔あんたから聞いたな」
「大まかにはその認識であっている。前提として、世界魔力の総量はおおよそ保たれているとする。まあこれは経験則的なものであるからここでは説明を割愛する。ともあれ、世界中で魔力は発散され、消費されているにもかかわらず現状まで維持されているというのが重点だ」
「見聞録院のほうでも長期間の定点観測による世界魔力の計測の記録を行ってますがおおむね同じ結論ですね。未解明の謎の一つだからといって魔導研究所への積極的な協力もお願いされてます。というか、ここに派遣されている理由の一つがこれですね」
先ほど叩き込まれた情報の処理から立ち直ったのか、魔録くんが補足してくる。そういえば先ほどの異物を見るような目から元に戻っているのが喜ばしい。
「そして、その謎を解明するための仮説にはいくつかある。代表的なものに『魔力循環説』や『地底魔力炉説』、突飛なものだと『思いが魔力に仮説』や『世界生命体仮説』、『魔力勘違い説』なんていう元も子もないものもある。そして、その中でも極めて少数派で現実味がないと言われている説が自分の研究する『上位世界授受説』だ。名前から想像できるだろうが、この説はこの世界より上位の世界を想定したうえで、そこと魔力のやり取りを行っているという推論に推論を重ねた説だ。現実味がないというのも頷ける」
「なんというか、言っててむなしくならない?」
「現実を認め次の一歩を踏み出すのが研究者というものだ。そんな段階はとうに通り過ぎた」
仰空の顔は、そうは言いつつも悲しみの色が含まれている気がする。しかし、安っぽい同情なんてこいつも望んでいないだろうし、特に触れないでおこう。
「時に鍵の大魔術師、お前は理想郷や神界、魔境などのこの世ならざる世界についてどう考えている?」
「どうっつったって、宗教上の空想物だと思ってたけど。まあ、あんたが今聞くってことはあんたは存在を信じてるんでしょ?」
「お察しのとおり。とはいえ、それらすべてを妄信しているわけでもなく、それらすべてが真実であるとも考えてはいない。遠く人智の及ばぬまた別の世界、上位世界なるものが存在しているというある種の確信があるだけだ。それは実際に空高く天に位置するのか、それとも地の深く底の底に存在するのか、はたまた本当にこの世界とは別の位相にこそ存在し決して認知できない場所にあるのかは不明だがね」
僅かに日の光の差し込む窓から空を見つめ、仰空はそう語る。正直、それを聞いてもふーん、としか思えない。だからどうしたという感想まで出てくるほどだ。とはいえ、わざわざ言うほど野暮なことはしないし、そもそもこいつが何を信じていようがこいつの自由だ。ただ、思ったのは、
(なんともまっすぐな目をしてんなあ)
青さを駆け抜け赤きを通りすぎ枯れ始めのころとなったとしても、人というものはこうも輝きを保てるのかとは思いはした。遥かな空を仰ぎ、見果てぬ夢を抱いて邁進する故にこそ人は彼を仰空の研究員と呼ぶのだろう。
「そして、鍵の大魔術師、人智の及ばぬその世界へのの鍵が君であると考えている。自身の特異性は理解しているだろう。最近の研究で魔力は人、いや存在によって僅かずつ違いがあると統計が取れてきた。同質の魔力を持つものは極めて小さな確率であるだろうということも。ならば、世界魔力と同質である君は何者なんだ。きっと、それを突き止めることで自分は、自分たちは世界の真実にたどり着けるのだとそう確信している」
そして、その目はあたしに向けられた。
「改めて協力を願いたい。我が研究の鍵となる人よ。世界の真実を知るために」
これは、反則じゃないかなあ。さすがにこれを無碍にできるほどあたしは落ちぶれてはいない。
「わかったよ、仰空の研究員。大魔術師の一人、鍵の大魔術師が協力してやろうじゃないか」
でも、癪だから、余計なことを一言言っておこう。
「ところであんた、言ってること的には見聞録院のほうが近いんじゃない?」
「魔導研究所で数十年研究してる人に向かってなんてことを言うんだお前」
「一応おれもいることを忘れないで欲しいですけどね」
「忘れてなんかいないさ。君の協力なしでは実験は立ち行かないだろう。これからもよろしくお願いするよ」
「あたしともね」
「なんか妙に照れますね。ともあれ、これからもよろしくお願いします!」
こうしてあたし、鍵の大魔術師と仰空の研究員、魔録の見聞録員の研究が本格的に始動した。研究成果はまだまだ先の話である。
用語集
大魔術師:
総じて自らの魔術を生活の糧として生活する人々を魔術師と呼び、その中でもある条件を満たすと認められた者に贈られる称号。世間一般的には魔術師の中でもすごい人たちという認識。名誉だけの称号ではないが、詳細は省く。現在10人ほど称号が与えられており、今回名前だけ出てきた緋珠の魔法使いもその一人。
上位世界:
この世界よりも上位にもっと優れた世界があると仮定したときのその世界の総称。宗教や哲学的側面が大きい概念である。
中央起点都市:
世界地図の中心として定義された都市。世界におけるさまざまな活動の中心地でもある。
魔術:
発動方法はさまざま。身振り手振りや発声による条件付けでの発動が一般的。小説としては""で囲われた部分が発動方法となる。なお発声等は意味の通る言葉ではなく、本人さえわかれば意味のない言葉でも問題ない。
見聞録院:
小説内で情報関係の仕事を一手に担う組織。現実でいう新聞社+図書館+学校+研究機関みたいな。基本的には情報収集・開示が主な仕事。専門分野に応じて様々な称号が割り振られ、魔録は特に魔力探知等に適性のある人材に贈られる称号。ちなみに今回登場した彼はその魔録の見聞録員の中でも特に優秀である。
世界魔力:
世界に満ちている魔力。あるいは世界という存在の持つ魔力とも。魔力のあふれる土地なら豊かな大地となるし、魔力の少ない土地だと枯れた大地になる。わかりやすく言えば土地の資源の源といえる。