墓守と聖人の亡骸
登場人物
流れの墓守(僕、男)
真聖王国聖都王立墓所の墓守(私、女)
「こちらが、聖人の亡骸か」
「はい。こちらは第三次覇真戦争の折、傷つく者たちをいやすために儀式を行った救難の聖女様の亡骸になります」
「へえ……。話には聞いていたが、本当に生前の姿そのものなんだね」
真聖王国は聖都の王立墓所のさらに奥深く、静謐でどことなく神聖さを感じるその部屋に彼女の遺体はあった。数百年の時を経てなお祈りを捧げている姿のままであり、今にも動き出しそうですらあった。
「防腐とか虫よけとかはされていないんだよね」
「魔術での対策はどれも弾かれたと聞いております。現在はこのように部屋を冷たく保ち、日に一度煙を焚き虫よけとしています」
「僕の知る限り遺体の維持のためには相当な手間がかかる。それも数百年も姿を維持し続けるためにはなんらかの魔術的な措置が必要なはずだ。少し調べたいのだけど、いいかな」
「話は聞いております。聖人の亡骸の謎を解くために、どうぞお調べください。ただし、くれぐれも亡骸を損壊させないようにしてください。彼女はこの国の英雄の一人ですから」
「同じ墓守として死者を冒涜するような真似は、決して」
この墓所を管理する女性から許可を取り、聖人の亡骸の調査を始める。物事のあるがままの振る舞いを自然と称すなら、この聖人の亡骸はあまりにも不自然だ。己が信条において、生と死に関わる不自然な姿は看過出来ない。ともすれば大罪人になる覚悟をもっておくべきだろう。
そも、聖人の亡骸とはなんぞや、という話でもある。伝承によると、儀式により術者の命を対価に術者の体を治療魔術の発動体にしたものであり、その効力といったら亡骸に触れた致命傷を負い今にも命を失いそうな兵士を回復させただの余命いくばくもない病人が健康体になっただのの逸話が残っている。もちろんそんな究極の回復道具が奪い合いにならないはずもなく、覇国との血を血で洗う争奪戦により結果として第三次覇真戦争はこの世界における最大の戦死者を出した最悪の戦争となった。また、その影響を受け聖人の亡骸となった彼女は歴史書から抹消されており、聖人の亡骸を作り出す儀式の方法も封印された。聖人の亡骸そのものもこうして限られた人しか立ち入れない王立墓所の奥底に秘密裏に安置されている。そのため世間では全く知られておらず、かくいう自分もここより遥か遠方の霧の島で焚書を免れていた医療書に書かれているだけの情報しか知らなかった。しかし、墓守としてどうしても気になった自分は様々な伝手を駆使し真聖王国に打診、どうにか調査の許可を得たのだった。
そして肝心の調査の内容はというと、かなり不可解なものだった。魔力探知で陽性が出るのは想定通りだった。伝承でも治療魔術の発動体と述べられているし、そこは問題ない。続く魔術形質検査も陰性、すなわち既存の禁術に類する生命を歪めるような魔術でもないとわかり、内心で安堵する。さすがに歴史から抹消されているとはいえ人のために身を捧げた聖人が滅すべき禁術使いであるとは言いたくなかったし、真聖王国から追われる身になることも避けたかったのでよかったといえる。ここまでは良かったのだが、次の構築限界計測での結果が不審なものだった。この調査は対象の内在魔力を測定し、そのおおよその寿命を推定するものなのだが、流動する魔力にと簡単に結果が影響される都合上、生命体には基本的に結果が不明になる。そしてこの聖人の亡骸の測定結果は不明だったのだ。
「墓守さん、この聖人の亡骸は最後に使われたのはいつになるかわかるかい」
「ここ三〇年間この墓所を任されておりますが、利用目的で聖人の亡骸に触れたものは現在の皇太子さまの生誕のときが最後と記憶しております」
「ありがとう」
皇太子さまの生誕のときに何のためにこの聖人の亡骸が利用されたのかは少し気になるところだが、国の長のあれこれについて聞いたとしても一墓守の理解できる話ではないのだろうし、目をつけられても困るので特に触れないでおく。ともあれ、この計測は使用中や使用直後の魔道具なども計測結果が不明になるのだが、その可能性はなくなった。そうなると、導かれる事実は一つである。すなわち。
「彼女は亡骸なんかではなく、まだ生きている」
信じがたいことになるが、そういうほかない。
「それが調査の結論ですか」
「そうだね。彼女は魔術の発動体ではなく、単純に彼女がその強力な治癒魔術を発動しているというわけだ。いや、魔術という言い方は正しくないかもしれない」
「というと……儀式による魔法の会得と考えられているのですか」
「うん。もともとこれほどの治癒魔術を使えるなら自らの意思で動けるほうがいいはずだ。力を悪用されることもなかっただろうし、必要な場所に自分から動けるのだから。そうではなく聖人の亡骸となったのであれば、これは個人の才能によらない何らかの技術の上にあるものだと考えられる」
「生きているのであれば、寿命の問題もあるように思えます。確かに生きていれば魔力が流れている以上腐りはしないでしょうし、虫も食おうとは寄り付かないとは思いますが、そこの問題だけは避けられないかと」
「そこはその通り、生きているものである以上避けられない問題だ。正直、正しいと言えるだけの答えは僕には分からない。それでも、いくつか仮説は立てられる」
これでもそれなりに魔術についての経験は多いつもりだ。専門の魔導士ほどではないにせよ、見解くらいは示せる。
「まず一つは、禁術に類さないような、すなわち生命を歪めずに寿命を延ばす効果がこの魔術に含まれている場合。この場合、寿命の問題は極めて単純に解決される。その代わり別の問題が発生するけどね」
「現在、魔導研究所からの発表では犠牲の無い長寿の魔術・魔法は発見されておりません」
「その通り。犠牲ありきの方法ならないわけでもないけど、それなら調査によってわかるはず。吸命法を代表としてそういう禁術に類する魔術・魔法には多かれ少なかれ生命に歪みを生じさせるからね。仮に彼女が使った魔法が完全な長寿魔術なら、これを研究することによって人の寿命は大きく伸びることだろう。動けなくなる短所や強力な治癒魔法が発動できる利点を失わせることによってね」
個人的には、自然の摂理によって定められた寿命を人為的に伸ばす行為は歓迎しがたいので、この仮説ではないことを祈りたい。
「まず一つということは、他にも仮説があるということですよね。聞かせていただきたいです」
「うん。次の仮説は、可能性は限りなく低いはずだけど、彼女の使った魔法が生命または世界に歪める禁術の類だった場合。この場合も長寿である理屈は簡単だ。長寿を実現する禁術なんていくらでもある。この場合の問題点は、生命に歪める禁術ならば僕が類型をかけらも知らない独立した魔術であること、世界を歪める禁術ならばこうしてこの墓所に安置できているのが不思議になることだ」
「失礼になるとは思いますが、それほどまでに禁術について詳しいのですか?」
「死者の安寧のために必要な知識だからね。魔導研究所に指定されている禁術は全部判別できるようにしてあるし、世に知られていない禁術を類似性から判断できるような検査機も自作した。多分自分以上に禁術に詳しい人は数えるほどしかいないんじゃないかな」
例えば魔力そのものを認識しその形質や特徴を文字通り見て取れる師匠なんかは自分より禁術に詳しいと言えるだろう。そのほか禁術研究の専門家である発禁の魔導士さんも僕より詳しい人の一人だ。
「なるほど。世界を歪める禁術については私にも知識があります。使うことそのものが世界に悪影響を及ぼす禁中の禁。とはいえ、この数十年間で使われた記録はないようですが」
「まあ、使われないに越したことはないよ。僕の知ってる被害例だと七〇年前の禁術の影響がこの間まで残存していて、そこら一帯が禁足地になっていた、なんて話もあるし。しかも、その例で禁術を使用したのは一回だけって話だから、仮に聖人の亡骸の効果全てが世界を歪める禁術に属するとすれば、皇太子さまの生誕のときの使用から今まで安置できていたのは到底信じられないことだ。それに、世界を歪める形での長寿の実現は、常に世界を歪め続けるはずだ。だから、あり得るとするならば世界を歪めてるにも関わらず世界への影響が無いか限りなくわかりづらいかだろう」
つまり。
「世界でも有数の禁術に対する知識をもつあなたが類型も知らない禁術で、なおかつ世界を歪める禁術の場合は世界への悪影響がほぼないものである必要があると。なるほどこれは……」
「限りなく可能性は薄いけど、否定できる材料はない程度の仮説だね。仮にこれが真実だとすると、魔導研究所がひっくり返る」
ついでに僕の夢も遠のく。本当にこれだけは勘弁してほしい。
「じゃあ、最後の仮説だ。生命の維持に使う生命力を限りなく少なくして生命力の消耗を抑え寿命を延ばした場合。これなら不明な魔法による延命を想定したり、禁術による延命に手を染めたなんて考えずとも生命の維持は実現できる」
「なるほど。確かにそれならば可能性の低い完全な長寿を実現する魔法や禁術の類を想定する必要はないですね。しかし、生命の維持に必要な生命力を減らすなんて実現可能なのでしょうか」
「まあ、そこの部分は気になるよね。一応類例として一日一杯の水を飲むだけで残りの時間を瞑想に費やしているご老人と会ったことはあるけど、流石に飲み食い無しで数百年間生き続ける証拠とはいいがたい。三つの仮説の中でも相当無理筋なのは理解してるつもりだ」
でも、僕の目的は聖人の亡骸がどういう性質を持つ死体なのかの調査であって、生者である以上、真相究明は僕の専門外だ。だから、別にこれらの仮説が正しいのか間違っているのかなんてわからなくてもかまわない。故にこそ、僕は自分の好ましい仮説を掲げよう。
「それでも、魔法で寿命を延ばしたり禁術に手を染めているなんて想像するよりは自前の生命力だけでこの奇跡を成し遂げたと考えたほうがよっぽど好ましい。生命は自分の生命力の中で生存していくのが最も自然だと思うからね」
「そうですね。墓守は死者と生者の境界を保つものと先代から教わりました。死者とは自分の生命力を失ったものであるとも。聖女様が今も命を繋いでいるというのなら、生命力を誤魔化さずに自分の力で生きていてほしいとは私も思います」
「共感してくれてうれしいよ。で、だ。僕はあくまで流れの墓守であり、純然たる自分の知的好奇心のために聖人の亡骸の調査を行った。しかし、君はここの墓所の墓守であり、国家に属している身だ。今回の調査結果は国に報告する義務があるんじゃないか?」
聖人の亡骸の調査結果はともすれば魔導学をひっくり返すようなものになる。救難の聖女は過去には争いのもととなってしまったが、現在はこうして安置されている。しかし、魔導学の研究のための資料となってしまえば、きっと大勢の学者がここに詰めかけ、喧騒の中、新たな争いの火種となってしまうかもしれない。それが少し気がかりだった。
「ご安心ください。墓守さんの調査によって私が知り得た情報はすべて秘匿して隠匿せよとのお達しが私に命じられています。なにせこの国は宗教国家ですから、信仰の種になるものには余計な真実など不要なのでしょう。彼女は表の歴史からは葬られていますが、この国の王家とこの墓所の歴代の墓守たちからは厚く信仰されています。神秘的であればあるほど信仰は高まり、信仰の高まりは王家の力となります。つまりは、知るだけ損というわけです。当然、国に属するものとして、我らが王の力の損失は認められるものではなく、ゆえに私も口外しません。これからも変わらず、聖人の亡骸は聖人の亡骸のままです」
「なるほどね。それはまあ、この国らしい情報の在り方だね」
ともあれ、聖人には安寧が維持されるらしい。それが救難の聖女の真に望むことかは僕にはわからないが、僕の心情としてはこれが一番であると思う。
こうして、聖人の亡骸の調査は終わり、また一つ生者と死者の境界についての理解が深まった。生者と死者の境界を確立するまで、僕の旅は終わらない。
用語
真聖王国:
国の創始者を神と崇め、その子孫たる王族は神の子であり偉大なるものという国教をもつ宗教国家。かつては覇国とは犬猿の仲であり、大きな戦争を間を置かず繰り返していたが、ここ百年は大きな戦いが起こらず、両国ともに平穏を維持している。
覇国:
平原の狩猟民族をルーツに持ち、代々実力主義によって国の首長を決めてきた国家。真聖王国と異なり王族という概念を一切持たず長い歴史を維持してきた国であり、また実力行使による侵略を繰り返した歴史もあり軍事力はこの世界において一二を争う。
魔術:
その人の先天的な才能による魔力行使。基本的に固有であり、唯一無二である。
魔法:
理論建てられた魔力行使。曰く、人に教えられる魔術。感覚で行使できる魔術と違い、使うにあたっての作法や注意が多く、面倒。
魔導:
正しくは魔導学。魔術、魔法についての学問。これの専門研究機関が魔導研究所。