1951
京都府丹後舞鶴市・・・。
逆Y字形の天然の良港のあるこの町では、昔から港と共に発展してきた。
東は軍港。
西は商業港。
違いに性格の違う港が補いあって、成長してきた町である。
西舞鶴の湾口付近にある、加護村という村がある。
その村には、古代から人々に親しまれてきたお地蔵さんがある。
六体の地蔵菩薩が皆、日本海に向けて鎮座しているのだ。
江戸時代半ば頃に、作られた物らしい。
このお地蔵さんは昔から、村の守り神として崇め奉られてきたのだ。
お地蔵さんのご加護を受けている村、という事で村の名前は加護村になった。
舞鶴市にとっても、京都府の重要文化財に指定されている大切な物だった。
言い伝えによると、このお地蔵さんに祈れば、願い事が叶えられるという。
そんな噂が舞鶴市にも伝わって、わざわざ遠方からお祈りに参る人もいるのだ。
地元の村の住民に愛され続けてきたお地蔵さんだったが、近年は
あまり人が近づかなくなっている。
しかしお地蔵さんの周辺は草ぼうぼうになる分けでもなく、きちんと整理されている。
それはある一人の男がお供え物をしたり、掃除をしたりして、お地蔵さんの近辺を綺麗にしていたからだ。
その男の名は、新居吉三郎。
生まれも育ちも、加護村である。
こうしてお地蔵さんを熱心に世話する吉三郎には、理由があった。
子供の頃に難病にかかり、寝たきりの虚弱体質だったが父母が毎日このお地蔵さんにお祈りしてくれた甲斐あって、吉三郎の難病は見事治ったのだ。
村の人々はお地蔵さんのご加護によるものだと、盛大に祝ってくれた。
それから吉三郎はお地蔵さんを崇拝し、絶えず奉公してきたのだ。
吉三郎が青年になると、太平洋戦争が始まった。
村からも大勢の若者が戦場へ、かり出されて行った。
吉三郎はまだ喘息までは治ってなかったので、兵役は免除された。
1942年、吉三郎は隣村の喜代という女性と結婚し、娘が生まれた。
娘の名は、小百合。
小百合が生まれて二年後には、息子が生まれた。
息子の名は、浩一と名づけた。
こうして吉三郎には、娘と息子が授かったのである。
戦時中は吉三郎は、舞鶴市の海軍の工廠へ、駆逐艦製造のためにかり出されてた。
7月29,30日と立て続けに空襲があったが、吉三郎は幸いにも無傷で助かった。
8月には日本は降伏し、舞鶴には平和が訪れた。
舞鶴付近の海は、米軍の投下した機雷で、船が出せない状況だ。
海軍工廠のあった場所は空襲で瓦礫の山になってしまったが、舞鶴の町も徐々に復旧が進んでいった。
舞鶴は海外在留邦人の引き揚げ港に指定され、出迎えの人々で多いににぎわった。
活況する舞鶴と共に、吉三郎も村に戻り、農作業にいそしむ日々に戻った。
戦争終結から五年後。舞鶴にはまた新たなる試練が巻き起ころうとしていた。
― ― ― ― ― ― ― ― ―
1951年、2月。
その日の事は、今でも鮮明に覚えている。
今にも雨が降ってきてもおかしくないぐらい、どんよりとした天気だった。
六歳になる浩一は、村の外れにある大岩に腰かけていた。
ゴゴゴゴという音と共に、足元の砂が揺れているではないか。
六歳の浩一には、まだ地震なるものを知らなかった。
吉三郎はちゃぶ台の上で、手紙を書いていた。
突如、地面が縦に揺れ、吉三郎は宙を舞った。
家屋が真っ二つになり、倒壊してしまった。
吉三郎、娘の小百合、母の喜代はどうにかして、倒壊した家屋から這い出た。
「小百合!喜代!」
吉三郎は妻と娘が無事なのを知り、抱きしめた。
「浩一はどこにおるんじゃ?!」
吉三郎は息子の浩一を探した。
「父ちゃん!」
浩一は走って、家族の元へ戻った。
「良かった~、家族は全員無事じゃ~!」
息子を抱いて喜ぶ吉三郎。
吉三郎一家は家族が無傷で助かったが、村の他の家族はそうではない。
村で一番親しい大倉良雄の家族は、母親と五人兄弟のうち四人が亡くなった。
残ったのは、末息子の孝治だけだ。
浩一と同い年の子供である。
小百合は走って、高台に上がって村全体を見た。
村の被害状況を確認するためだ。
どの家屋も、全壊している。
砂ぼこりがひどく、道もガレキが散乱し、まともに歩けない状況だ。
村は地震の被害にあい、壊滅的な打撃を受けた。
加護村はまだ山間地にあったが、海辺の村は津波にさらわれて更地になってしまっている。
吉三郎は家族を連れて、村から出ようと考えた。
余震が続いている村を捨てて、安全な場所に避難した方がいいと考えたのだ。
吉三郎の家族だけではない。
吉三郎以外の家族も、村から出ようと賛成した。
村の生き残った連中も津波を警戒し、高台に逃げた方がいいとの結論になったのだ。
生活道具一切を大八車に載せ、吉三郎一家を初め、地震の被害の少ない内陸側へ向かった。
吉三郎一家の後に続き、大倉良雄も生き残った息子の孝治を連れて歩いている。
山に沿って手に持てるだけの生活用品を持ち、村の皆が絶望状態のまま、歩いた。
追い討ちをかけるように、雪が降ってきだした。
雪が道に積もり、余計進みにくくなった。
吉三郎は大八車を引き、雪道を慎重に進んで行ってる。
吉三郎だけではしんどいので、後ろには母の喜代と小百合が押している。
その後ろを、幼い浩一が歩いているのだ。
「父さん、あの峠を越えれば着くよ、頑張って!」
小百合が父親を、励ました。
雪が吹雪になり、皆の足取りは重くなった。
誰しもが、顔を下に向けたままだ。
高台へ向かう山道も地震で亀裂が入り、木が倒れていたりで、通りにくい。
列の先頭にいる者たちが、山道上の障害物を除去して、通り安くしている。
道からせりだした岩が大八車の車輪に当たり、動かなくなった。
「ん?」
急に大八車が動かなくなったので、吉三郎は足を止めた。
下を見ると、大八車の車輪が岩に当たっているではないか。
喜代と小百合が押しても、せりだした岩を越えられそうにない。
「どうした?」
吉三郎一家の後ろを歩いていた大倉良雄が、難儀しているのを見つけた。
「あの・・・、岩が車輪に当たって動かないんです」
喜代が説明した。
大倉良雄は後ろから大八車を押して、見事岩を越えられた。
「いやあ、助かったよ」
吉三郎が大倉良雄に礼を言ったのも束の間、いきなり地面が揺れだした。
まともに立っていられない震度の地震だ。
山道に多くの悲鳴が、轟いた。
吉三郎、喜代、小百合、浩一の家族四人ほ皆、地面にこけてしまった。
地面に倒れると、今まで歩いていた背後の道に亀裂が入り、陥没したのだ。
それは、一瞬の出来事だった。
山道にポッカリと、まるで月のクレーターのような穴大が開き、20人ぐらいの村人がその中へ落ちた。
「ぎゃあ~!?」
叫びながら、奈落の底へと村人が落ちる。
吉三郎一家は無事だったが、大八車が大穴へ落ちそうになった。
何とか大八車を戻そうと、踏ん張る吉三郎。
しかしどう踏ん張ろうとも、吉三郎の体重よりも大八車の方が重い。
吉三郎は大八車ごと、谷底に落とそうになった。
何とか大八車を戻そうと、踏ん張る吉三郎。
しかしどう踏ん張ろうとも、吉三郎の体重よりも大八車の方が重い。
吉三郎は大八車ごと、大穴に落ちそうになった。
「やめて、父さん!命の方が大事でしょ!」
小百合が父親に抱きつき、大八車を戻そうとする無謀な行為を止めさせた。
吉三郎は娘の言う通りだと思い、手を放した。
このままでは自分も大八車と共に、奈落の底に落ちてしまうからだ。
すると、大八車は大穴の底へ真っ逆さまに落ちて行った。
吉三郎の家族全員が地面に座り込んで放心状態になっていると、
どこからともなく「助けてくれ~」という声が聞こえてきた。
あの声は、後ろにいた大倉良雄の声だ。
吉三郎は、あたりを見回した。
「どこにおるんじゃ~?!」
「ここじゃ~、穴ん中じゃ~!」
大倉良雄はたった一人になってしまった息子と一緒に、大穴の側面の崖にぶら下がっていたのだ。
岩をつかんで、かろうじて落ちていない状況だ。
「待ってろ、今すぐ引っ張り上げてやるからな!」
吉三郎は地面に寝ると、腕を伸ばして大倉良雄の手をつかもうとした。
後ろでは父を穴に落とすまいと、小百合と喜代が必死に足をつかんでいる。
「せがれの方が先だ!」
いつ落ちてもおかしくない不安定な状態に関わらず、大倉良雄は息子の命を優先した。
息子の体重は軽いので、吉三郎はすぐに引っ張り上げる事が出来た。
「さあ、手をつかめ!」
吉三郎が手を差し出した時、またゴゴゴゴという地鳴りが聞こえた。
さっきよりも、強烈な地震が襲ってきたのだ。
「早く!」
揺れがひどく、崖にぶら下がっている大倉良雄の手をつかむことが出来ない。
その内、大倉良雄がつかんでいる側面の岩が側面から剥がれ落ちた。
大倉良雄は真っ逆さまに落ちていき、暗闇に消えてしまった。
「大倉~!」
吉三郎は幼馴染みの大倉の名を呼んだ。
「父さん、危ない!」
喜代と小百合は足を引っ張り、吉三郎を穴から遠く引き離した。
その途端、吉三郎が寄りかかっていた穴へ続く崖が、轟音と共に崩れていった。
喜代と小百合が引っ張らなければ、今度は吉三郎が穴へ落ちて行っただろう。
親友を失ってしまった吉三郎には、悲しんでいる余裕はなかった。
何故なら立ち上がった吉三郎は、日本海にとんでもないものを見たからだ。
物凄い高さの津波が舞鶴めがけ、やってきているではないか。
今から内陸の高台に逃げても、間に合わない規模の津波だ。
その場にいた村人たちが、悲鳴を上げた。
間に合うはずもないのに、我先にと高台へ走る。
そんな中、吉三郎は妻の手を取り、抱きしめ合った。
逃げても間に合うはずのない大津波に呑まれる前に、妻を抱きたかったのだ。
小百合はこれで最期なのかと思うと、涙が出てきた。
弟の浩一を持ち上げ、抱いてやった。
死ぬ覚悟を決めている両親を前に、小百合は崖下に何か妙な物を見た。
あれは誰だ?
最初は子供なのかと思った。
目を凝らしてよく見てみると、崖下を歩いているのは子供ではなく、お地蔵さんだったのだ。
そんなバカな!
小百合は目の錯覚なのかと思い、再度注視した。
それでも間違いなく、お地蔵さんたちだったのである。
六体のお地蔵さんたちは、崖スレスレに立ち、何かのお経を唱えているように見えた。
その光景を見て、鳥肌が立ち、小百合はガタガタ震えた。
巨大津波は日本海から、舞鶴直前に迫ってきている。
このままでは、お地蔵さんたちは巨大津波に飲み込まれる、と小百合は思った。
しかし巨大津波はお地蔵さんたちが立っている崖に到達する手前で、ピタッと停止した。
津波が崖の手前で、止まっているのだ。
こんな事があり得る分けがない。
津波が高さを保ったままで、空中に停止してるなんて!
またお地蔵さんたちが何かを唱えると、今度は津波はフィルムを逆回転させるかの様に、日本海の方へと戻って行った。
小百合は恐怖の一部始終を、目撃してしまった。
お地蔵さんたちが津波から、我々を救ってくれたのだ!
喜ぶ小百合は弟を地面に降ろすと、叫んだ。
「見て、父さん母さん!津波は日本海に戻ったんだよ!」
娘に言われて吉三郎も喜代も、津波がここを飲み込むのに時間がかかり過ぎると感じた。
日本海を見ると不思議な事に、あれ程の大津波が消えてしまっているではないか。
「どうなったんじゃ・・・?」
吉三郎には、奇跡としか言いようが無かった。
「お地蔵さんが津波を止めてくれたんだよ、ほらそこに!」
小百合はさっきまでお地蔵さんたちがいた崖を、指差した。
だがそこにはもう、お地蔵さんはいなかったのである。
「え、どうして?」
小百合は目を見開いた。
「どこにもお地蔵さんの姿は見えんけど・・・?」
母の喜代は娘の妄言を信じていない。
「そんな、ちゃんとあそこにいたのに・・・」
親に否定されようとも、小百合には分かっていた。
お地蔵さんが動いたのは紛れもない事実であり、妄想ではない事が。
― ― ― ― ― ― ― ― ― ―
数日後。
地震の救援がきて、加護村の人々は助かった。
生活に必要な物資を、調達してくれたのだ。
落ち着いて生活出来るようになると、皆が住み慣れた村へと戻った。
家屋は倒壊したが、一からつくり直せばいい。
死んだ親友の息子、大倉孝治は吉三郎が育てる事にした。
地震で生き残っている家族はいないのだ。
村人が家屋を建て直している間、小百合はお地蔵さんのいる場所までやってきた。
いつも父に連れられてお花を備えていたが、今回は単独で来訪したのだ。
お地蔵さんはいつものように、道端に並んでいた。
小百合はお地蔵の前で正座すると、顔を見た。
精巧に作られた地蔵であり、今にも動き出しそうな感じだ。
「この度は加護村を津波から救って下さり、有り難うございます。
このご恩は一生、忘れません。
これからも引き続き、村を守って下さるようお願いいたします。」
もちろん、お地蔵さんたちから何も返事もない。
だが小百合にとっては、それが良かった。
ただ、村を救ってくれた礼を言いたかったのである。