凱旋 参
如月は夏が死ぬほど嫌いです。
冬は大正義だと思います。
何故夏を舞台に選んだのかと言えば、「季節に冬多くね? じゃあ夏を舞台にしようぜ」という、深みも何もないところから来ています(笑)
「……茹だるような暑さだ、まったく嫌になる」
男は街中で独りごちる。羽織ったものに二三、愚痴を溢す。面倒ごとを避ける為とはいえ、暑苦しい格好に嫌気が差し始めていた。
赤雷が黒の外套を身に付けていたことは、裏の界隈では周知の事実だったからだ。彼の名を借りるのは忍びなかったが、身の安全には替えがたい。
彼とて斬られれば血は出るし、それに伴い動きも鈍る。最悪、太い血管ひとつ切断されるだけで死ぬ。用心に越したことはないのだから。ましてや積極的に荒事へ関与するつもりはない。そういうのは、お人好しでお節介が趣味の英雄様だけで充分。彼はそう考えていた。
周囲に目を光らせ耳を傾けると、相も変わらず刃傷沙汰の多い剣呑な空気に思わず眉根を寄せる。鼻をつく鉄錆びと饐えた匂いとが相まって、えもいわれぬ臭気である。もしくは死臭やも知れないが、この街でそれを騒ぎ立てるのは塵溜めくんだりまでやって来る観光気分の馬鹿だけだろう。煌々と照り付ける陽光とは対照的で、場違いの感すらあった。
小路の方へ視線を寄せれば、浮浪者や飲んだくれがたむろしており、目の毒でしかなかった。たまに彷徨く物乞いの中に、結構な謳い文句を高らかに喧伝して止まない男がいるらしいのだが、姿が見えなかった。アルシュ曰く、「歯に物が詰まったような物言いをしないのは愉快痛快じゃ!」とのことである。皮肉に一家言ある身として、何か思うところがあるらしかった。
僅かばかり期待していないでもなかった為、彼は肩すかしを受けたと気落ちした気分になる。
「……げ、蜥蜴の姿焼き。これ、まだあったのか」
露店の並ぶ道へと抜け、その中程でかつて味わった異物──もとい珍味を見掛けて呻く。
右で兎や鶏の串焼き、左隣では具沢山の麦粥を売っている辺り質が悪い。もっとも、場所取りでやむ無くそうなったのだろうが。
香草と岩塩で味付けされた串焼きは、肉汁が滴り、それでいて油臭くないのが美点だ。
兎と鶏、味はお互い似ているが柔らかく野性味溢れるのが兎の肉であり、鶏に比べると割高ではあるものの人気が高い。燻煙されており、それでいて主張し過ぎないと好評である。
麦粥の、野菜と肉。あるいは魚介との出汁が、具材と渾然一体となった香りも棄てがたい。
具材と具材、具材と出汁。どれをとっても喧嘩しない味が人気の秘訣なのだ。
そんな素晴らしい屋台に挟まれて存在する、蜥蜴の姿焼きの異色ぶりには閉口するより他にない。なんでも、特製の秘伝ダレに三日間漬け込み、炭火でじっくりと焼き上げるものだ。単純ながら奥深い、とはアルシュの話から来ている。有り体に言って焦げ臭くて仕方がなかった。最早、目の毒ならぬ鼻の毒である。食欲減退どころの騒ぎではない。
以前彼に勧められて一口かじっては見たが、強烈な生臭さと癖のある味に嘔吐してしまったのである。その上、蜥蜴の鱗は下処理すらもなくそのまま残してあり、ざらつく食感と焼きすぎて硬化した肉との違和感たるや筆舌に尽くしがたいものがある。苦々しいタレも、ただでさえ餌付きそうな不味さに拍車を掛けている。赤雷に言わせれば、「この世のものとは思えぬ不味さ。本当の意味での珍味」らしい。
最早異物としか取れぬそれを、こともあろうに安酒の供とするアルシュの気が知れなかった。それを焼き立てでも、冷めていても旨いと豪語するのだから余程──趣味のよい物好きとも言える──下手物好きなのは疑いようもない。
店主も、以前見たことのある老婆が店番をしていた。
そもそも収益が上がっているのか疑問甚だしい彼だが、同時に十余年を経て尚変わらぬように映る彼女が魍魎の類に見えないでもない。含みのある笑い方は、おとぎ話に登場する魔女のそれに似ている気がしてならないのだ。
まさに変な店を体現しているとしか思えなかった。
「土産に買っていくか。……不本意だが」
注文しようとした瞬間、顔を手で隠される。不意の事態にも彼は動ずることがなかった。それというのも、害意はまったく感じられなかったからだ。
得意げな声で笑う調子は、まるで年頃の少女のそれである。
「だぁ~れだっ!?」
「……」
弾んだ声は鈴の音にも似る、愛くるしいもの。彼が聞き慣れた声音、そして今最も顔を合わせにくい女性──ミシェルのものだ。
反応を示さない彼に不満なのか、控えめながらも文句を垂れ始めた。とはいっても、「なんで何も言わないのよ!」などと冗談交じりであるから、挨拶のつもりなのだろう。
──無防備過ぎる……。
ほぼ密着した状態であるため、お互いの肌は否応なしに触れ合う。自然と双丘──もとい柔肌が押し付けられる。
好意もなしにこういった行動をとらないはず。そう思いたかったが、自意識過剰だと思い直す。なんとも居心地の悪い気がした。彼女から漂う甘い匂いに、妙な気を起こしそうである。
香でも使っているのだろうか、仄かに花の気配もあった。
「──うわっ、何それ!? そんなの買うなんて信じられない」
そこまで思考したところで、ミシェルが異物の存在に気付く。信じられないものを見たかのような表情に、男は思わず吹き出す。
顔を向けると、若干しかつめらしい面持ちではあったが、からからと笑っていた。
背に届くほど長い赤銅色の髪を遊ばせ、瑞々(みずみず)しい健康的な肌を晒す。鼻梁も整い、女としての色香に満ちていた。白を基調とした衣服に刺繍されている草花が、美しい出で立ちを際立たせている。脚絆ではなく、淡茶色のスカートを履いており清潔感を覚えた。
「よく似合っている」
「え、そう? 選んだ甲斐があったわ。でもね、このスカートがね……」
彼の言葉を受け取ると、ミシェルは服を選ぶ際のことを詳細に話し始めた。
元々、橙色の服を探しており、それに合わせて明るい色のスカートを探していたらしい。染めた服が品切れである為、白系統の服との着合わせを考えざるを得なかった。
危うくぼったくられるところを、アルシュの機転で脱し、ようやく購入が叶ったとのことだ。
「それは大変だったな。しかし、服は高いだろう?」
「……ま、まあね」
目を逸らしつつ答える彼女の様子に、合点がいく。
──見栄を張ってしまったのだろう、と。
存外、衣服というものは高付いてしまう。生地を生産することも然ることながら、染めや編みなど。手間が掛かることから値段がつり上がってしまうのだ。
「別に服を買わなくてもいいだろうに」
「服も髪も、女の嗜みなの!」
彼は胡乱な思考の端で、「そう言えば、母さんもそうだったか」と思い出す。
いつまでも美しく。
夢のような話ではあるが、女性にとっては宿願なのかも知れない。「悪かった。俺が野暮だった」そう言うと、彼は北へと足を向けた。
「すまないが、これから仕事だ。ゆっくりとした話は、また今度にでもしようじゃないか。蜥蜴の姿焼きも、後にしなくてはと思っていたところだ」
ミシェルは蜥蜴が陳列された店の前に立ち尽くす。まるで叱られた後の子供のような佇まいに胸が痛む。
周囲をゆく男女が、小馬鹿にした顔で笑んだ。それが止めだったのか、小さな声が男の耳に届いた。
「……どうして、私を見てくれないのよ。貴方と話がしたいのに」
縋るような彼女の想いを振り払うように、歩調が早くなる。だがそれは、半里もないところで弱まった。
ミシェルがスカートの裾を握り締めた姿が最後に映り、雑踏に塗り潰される。
男はこの場から消えてしまいたい衝動に駆られるのだった。
如月に小説って向かないんじゃないか、そう考える時間が増えました。
読者さんに支持されたこと……中々ないし、もう忘れられてるんじゃないかと。