最悪の昼休み
辛かった。
泣きたかった。
心の中では「逃げたい」と叫び……泣いていた。
誰かに助けてほしかった。
気づいてほしかった。
そして「やめたら?」と一言言ってくれる勇気ある人が一人でもいいからいてほしかった。
だけど、私の思いは……誰にも届くことなんてなかったんだ。
中学二年生。後期に入った月曜の昼休み。
それは私にとって、地獄としか言いようがない日。
昼休みなんかなくなってしまえばいい。
これ程、『昼休み』という言葉を恨んだことは後にも先にもこの時期だけだった。
二年クラスは、これといって仲のいい友達はいない。
一年生クラスで友達になった子たちは、他クラスになってしまった。
クラス替えが玄関に張り出され、クラス名簿に落胆したのは二年生のクラスだけだった。
クラスの中に仲の良い友がいないことと、全クラス男女の中でも飛び抜けて同じクラスになりたくない女子がいた。
なぜ、一緒になりたくなかったか。
理由は小学校卒業前に、突如囁かれ始めた噂にあった。
それまで中学校には、不良がいるとか、先輩が怖い、とか。勉強が難しくなったらついていけるか不安だとか。
期待と不安を話しながら卒業式の準備をしていた、ある日の放課後。
その少女の良くない噂が女子の中で突如囁かれ始めたのだ。
その噂は「先生をいじめて、やめさせた」という内容のものだった。
いじめの内容も、信じられないものばかり。
給食のシチューに白のチョークを入れたとか、授業をクラス中でボイコットさせたとか。
他にも聞いた、教師への嫌がらせは、正直、嫌悪を抱くには充分な内容だった。――あとから聞いた話だと、噂はどうやら本当の話だったみたいだけど。
少女の名前も聞いていて、内心絶対に同じクラス、部活にはなりたくないと思っていたのに……。
一年生の時、クラスが離れて安堵した一ヶ月後、暖かな四月下旬のことだった。
自由参加の部活に入りたかった私は、一番興味があるテニス部を選んだ。部活動の先輩へ、自己紹介を兼ねた挨拶の場で、あの噂の少女の名を聞いた。
部活動が一緒だと知り、憂鬱になった。
小学校から仲良くしている子も入っているし、関わらなければ大丈夫だと。中学せいなのだから、いじめなんてやらないだろうと。テニス部入部を決めた。
テニスコートは二面しかない。夏の試合が近い三年と二年生がそれぞれコートを使うため、一年生は基本球拾い。
先輩から空いた時間に、素振りや打ち方の基本を教わり、格子網を壁代わりに壁打ちが多かった。
夏休みに入り、練習時間は毎日午前か午後の四時間になった。
先輩が地区大会に向けてコーチと練習をしているかたわら、コートが使えない一年生はひたすら打たれたボールを拾い、コーチに届けることをしていた。
練習に入り、数人の一年生が突如何故か練習に来なくなった。
練習に出る一年生が少なくなってもボール拾いはしなければいけない。
これも練習だと、必死にボール拾いをしていた。
だからか、気がつかなかった。
ひっそりと、関わりたくない少女による部内いじめが行われていたことに。
その事が明らかになったのは、秋だった。
三年生は引退をして、一年生にはコートが与えられ、打ち合い練習が出来るようになった頃。
顧問にテニス部一年生が全員呼び出された。
私は、呼び出された理由が分からなかった。
顧問から、部活を辞めたいと言っている子がいるという。
その女子は、私が関わりたくない少女だった。
「いじめられたから、やめるって言ってるんだけどどういうこと?」
その理由に、私は覚えがなかった。関わりたくなかったから、なるべく離れるようにしていたから。
少女のわけを聞くと、他のメンバーが彼女に対して、仲間はずれをやっていたようだった。
私は関わっていなかったと思った矢先、実は先にやられていたとこを知ることとなる。
夏休みの始め。
ボール拾いが練習メニューだった時期。ボール拾いに必死で、私は仲間外れにされていたことすら気付いていなかった。
毎日の練習中、一人一人を交代で仲間はずれにするいじめを少女はやっていたのだ。
なるほど。
関わらないようにしていたから、私は気づきもしなかったけれど、知らないうちにされていたという。
他の子から聞いて、始めて知った。
一年生の女子テニス部員は気に入らないと、いじめた少女をいじめ返す、やられたらやり返す作戦がひっそりと決行されていたそうだ。
自分がしたことが返ってきただけのその子のせいで、いる間は、妙にギクシャクしていた。
秋。
その子が部活に来なくなってから、部内は穏やかで平和だった。
部内のことを聞いた顧問の先生の決断は、双方とも謝って仲良く部活をしましょうだった。
私はできるわけがない。と思った。中学生になって、なにが気に食わなくてしたのかもわからない人と、仲良くなんてとてもできない。
けれど、部内が悪くなるのは良くない。三年生は引退して、一年生はこれから大会に出るために練習していかなくてはいけない。先輩たちにも迷惑がかかる。
その場は皆が謝ることで一旦は終わった。
それから、必要最低限の話以外は全くせずに一年が終わった。のだが、二年生に進級してまさかの災難が降りかかった。
同じクラスになるなんて。
最悪。
別段仲の良い友もいなくて気が重い。
体育だけは男女に分かれて、ニクラス合同やる。隣のクラスにいる友達と一緒にできることが、唯一よかったといえることなのかもしれない。
そんな中、夏休みがあけ、十月を過ぎれば前期から後期へ変わった。
私はテニス友達がテニスに来なくなって、夏休みから、部活へ行かなくなっていた。ただ、籍だけはあり、要は幽霊部員となっていた。
テニスが嫌いで行きたくないわけじゃない。
テニスは好きだけど、一緒に練習をやりたい子が来なくなってしまったから行きたくないのだ。
私の学校は生徒を班という名の箱の中へおしこみ、掃除、給食当番、席順、行事。事あるごとに班行動をしなければならない。
班も前期、後期とメンバーに班長も変わった。
後期の班長とそのメンバーが発表されたとき、正直いってあまりいいと言えるメンバーじゃなかった。前期のメンバーの方が良かったと思えるほど酷かった。
それでも、やっていかなければならないのが集団生活。いやでもこの班で三月まで過ごさなければならなかった。
事の発端は、各班会議の時間に私の班の子が言いだしたことで始まった。
「みんなの委員会の仕事がない曜日に、クラスでゲームして遊ぶのっていくない?」
「あ、それいいね。他の班の子に委員会がある曜日聞いてくる!」
私も委員会に入っているけど、この班の子たちは私が水曜に保健委員の仕事があることを知っている。
だから何も聞いてこなかった。
こうして決まった曜日は月曜日。週最初の月曜日。
週の真ん中とかじゃなくてよかったと、後から思えた。
晴れた日は外、雨の日は教室で。
給食当番の片付けがおわったら始める。
そういう暗黙のルールのもと、毎週クラスで遊ぶようになった。
十一月の月曜日。
その日は大雨で、教室でフルーツバスケットをすることになった。
ルールなんて、本来のルールにのっとって。多少違うが、全部が違うわけじゃない。
自分が身につけているモノや自分のコトを言われたら動く。
全員ひとつ椅子をずれるのもあり。
一人だけのモノもあり。
こんなめちゃくちゃなルール、特にひとつだけ椅子をずれるのもありなんて、フルーツバスケット、本来のルールなら禁止だ。理由はオニが、楽しくないから――。
私だって、やられて楽しいはずがない。むしろつまらない。だって、またオニをやらなければならなくなる。
「七月生まれの人」
これは私と数名の子しかいない。
椅子から急いで立ち、空いている席を目指した。けど、結局は座れず、オニになる。
私はじっと周りと見て一言。
「テニス部の人!」
このクラスにテニス部は、私とムカつく女の二人だけ。
それで、椅子に座れたんだけども、
「テニス部でぇ三つ編みしてる人~」
私しかいない。当然オニの言うとおり、立たねばならない。
だけど、何だというのか。私に対するいやみなのか?
気にしない方がいいと、別の人をターゲットにオニから椅子に。
だけど、彼女が鬼になるたびに、私ばかりが狙われらようになった。
彼女を標的にするのはよくない。みんなが楽しめなくちゃ。
それなのに。
なぜか、彼女が鬼になると、標的は私ばかりになる。
だんだんと、イラつきが募り、交代する時に怒りがたまりすぎた私は、そこでぶち切れた。
本気でムカついた。
他の人だっていっぱいいるのに、なんで、私だけ?
どうして私のことばかり言うの?
我慢すればよかったかもしれないけれど、もうそのラインはとうに越えていた。
怒りに任せて、発した言葉は覚えていない。
二人で、喧嘩になりかけた時、運よくチャイムが鳴った。
昼休みが終わって掃除の時間が始まる。
椅子を戻さなければならない。
この時は、チャイムで皆が一斉に椅子を持って、担当する掃除場所へ散っていった。
何が面白かったのか、楽しかったのか、わからない。
全然理解できないままに、その翌週から毎週月曜日は『フルーツバスケット』の日になった。
晴れていても、雨が降っても、月曜は『フルーツバスケット』。
クラス替えがある三年に進級するまでこれが続くことになろうとは、思いもしなかった。
喧嘩が面白かったのか、給食の時間に班長と、副班長が班内のメンバーの意見を聞こうともせず、勝手に決めてしまった。
そして、オニは常に私になった。
言うことなんかすぐに尽きてしまう。
黙り込むと、班長や、副班長さらに喧嘩したあの女までもが「早くしてよ!」「何でもいいから言えばいいじゃん」と笑いながら言ってくる。
椅子に座れてもすぐにオニ。延々と続くオニ地獄。
面白がって、私の班の子は止めようともしない。提案者なのに、人が困っているのに口から吐くことは、他の子と変わらない残酷な言葉。
何が楽しいの?
これのどこが遊び?
だんだんとゲーム中黙り込むようになり、ずっと囲われた椅子の真ん中で十分立ちっぱなしの時もざらにあった。
ここから、逃げだしたい。今すぐに、この椅子を飛び越せるぐらいに高く跳んで、クラスの外へ飛び出して行きたい。他のクラスだったら、こんなことしないのに。
もう、学校になんか来たくない!
辛くなって、目が潤む時が何度もあった。
こんなとこで涙は見せちゃいけないと、自分自身に言い聞かせた。けど、やっぱり辛くて、すごく辛くて、でも泣きたくなくて――。
何度も手のひらを握りしめた。泣かないように、潤む目を何度も痛みでこらえる。
友達にも言えなかった。
もちろん家族にも。
クラス替えまでの三ヶ月の辛抱だからと、我慢した。我慢するしかなかった。
すっごくムカついたけど、きっと、この人たちは私が怒ったのが――ただ、面白かったんだと思う。
だから、怒りを外へは出さなかった。常に、歯をくいしばって、言わないように。見せたら負けなような気がした。
図に乗せるだろうから。
また、次もやろうと思わせてしまうから。
一人VS三十何人。
とても勝てっこない。
どんなに頑張ってもやっぱり月曜日だけは辛かった。どうしようもなく辛かった。
本当の親友とも呼べる友達との会話が私の救いで、その子たちと話をしたいがために月曜日は頑張って、学校を休まずに行った。
帰り道、話したいから、休憩時間も話したいことがあるから。
だから、昼休みのたった二十五分間が一日のように長く感じても、学校に行けば、友達がいる。クラスが違っても、他愛ない話を笑って出来る友がいる。
だから、私は負けない。
こんなことで負けてなるものか。
もうひとり。
頑張って行こうと思わせてくれた子がいた。
朝、一緒に学校まで行ってくれていた、近所の年下の男の子。
男の子は中学二年生の三学期の間だけ、約束したわけでもないのに毎朝同じ時間、いつも同じ場所で待ち合わせたかのようにばったりと会い、一緒に登校するようになっていた。
あとから気がついたんだけど、もしかして時間を合わせてくれていたのかもしれないね。
彼がしてくれる朝の他愛ない話が、とても楽しみだった。彼の話は本当に楽しかった。
その救いを頼りに、二年生を乗り越え、進級し三年生。
クラス発表の大きな紙に、あの女と、同じ班になった五人は別クラスだった。合同体育も別。
真っ先にそれを確認して、心から感謝した。
進級すると同時に、テニスにひかれて始めたテニス部を退部同然で休部した。
中学二年の十月から幽霊部員となっていた。今さら、部活動を再開する気にはなれなかった。続けようとも思えなかった。
部活には、あの女がいる。
買って一度も袖を通さずに、憧れのユニフォームを捨てることになっても、続ける気力はこれっぽっちもない。
中学二年生。
何度も思ったこと。
毎週月曜日がくる前日の日曜日、繰り返し思ったこと。
学校に行きたくない。学校なんてなくなってしまえばいい。
クラスに誰も止めてくれる人はいないし、標的は私。
けど、友達と休み時間におしゃべりできなくなる。それは嫌だ。
――――すごく嫌だった。
だから、辛くても頑張った。助けてほしかったけど、他のクラスにいる友達を思い出し、頑張れると心で言い聞かせ、乗り越えた二年生。
考えれば、いじめといってもおかしくないこのゲームは、三年に上がりクラス替えをしたと同時になくなった。まあ、当然だ。
三年生のクラスは、二年生でクラスが一緒の子は四分の一もいなかった。
うれしかったけど、二年生の後半を休まずに乗り越えられたのは、友達と近所の年下の彼のおかげ。
口に出しては言わないけれど、『ありがとう』と何度お礼を言っても言い足りないよ。
君達ががいたから。いてくれたから私は学校へ行こうと思った。
君達がいなければ、私は不登校児になっていた。
死んじゃった方が彼らは後悔するだろうか。
……なんて、暗いことを考えたこともあったけれど、彼らの気持ちはきっと、〝今〟を悲しむだけ。きっと、心の中ではバカにしている。本当に後悔なんかしない。中学生なんだ、この遊びは遊びじゃないと気がついている。遊び感覚だから、相手の気持ちに気がつかないし、気がつけないんだろう。
そんな彼らに気がいてもらおうなんて期待しても無駄。
その後の将来、思い出しもしないんだろう。
ああ、そんな人いたね、程度なんだろう。
自分達がしたことで人を殺したことを忘れ去るんだろう。
それこそ、ほんとにバカらしくなった。
悲しんでくれる人を思い浮かべて、死のうなんて考えは止めた。
そこまで、追い詰められていなかったから、しなかったのかもしれない。
私が生まれて、喜んだ人を思い出し、この命を途絶えさせることをやめた。
けど、この出来事は私にかなりのストレスを与えていたのも事実。
今までなかった白髪が生えるようになった。脱毛も見えないところであった。
昼休み、クラスにいない教師は気がつかない。周りは止めない。最低の二年生クラス。
彼らがこの事を忘れても、私は忘れない。
やった側は簡単に忘れるのに、どうして、やられた側はいつまでも覚えているんだろう。
それは、心に深い傷をおったから、忘れるなんてできない。
心の傷は何年、何十年生きていても、覚えている。忘れることはない。
私を救ってくれたのは、辛い時、苦しい時、何も知らない笑顔で話しかけてくれて、どうでもいい日常とか、他愛ない話とか手紙を毎朝書いて届けてくれた。
頑張る、そう思わせてくれた、君たちのおかげだよ。
アリガトウ。
あなたたちは私にとって一生モノの宝です。
END.