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わたしの蓮は開かない

作者: 宇木志水

椅子に深く腰掛ける癖がある。そうしないと落ち着かないのだと云う。そうして深く腰掛けて、下を覗いている。

―――池の蓮がそろそろ開くころですね。見に行きますか。いいえ、まだ開いてなかったら、さみしいもの。では、わたしが先に行って確認をしてきましょうか。いいえ、咲くところをいちばんに見るのは、わたしでありたいのです。

下を覗いている。あなたの眸は、何を見つめているのか。蒼く翳る横顔。わたしが下を覗いても、雲の隙間に、底なしの空を見晴るかすだけ。どこかはどこかでしかなくて、視線は吸い込まれ続け、どこへもたどり着かない。そのうち、たどり着くことなく吸い込まれ続けることが恐ろしくなって、ぱちぱちまばたきして、空を見上げて、呼吸をととのえる。わたしの双眸は何をも見いださない。

神さま、心で呼びかける。

あなたの見ているものを見るためには、わたしはいったい、どれほど、わたしでなくなればいいのですか。

―――さみしがりが池にいます。椅子に、深く腰掛けるのはなぜですか。さみしがりが呼んでいます。行かないで。わたしは深く、椅子の上です。ずっとでしょうか。あすひとひ。さみしがりはどこですか。池の底に、沈みました。

なくなりようがなく、なくなるはずもないあなたが、どうしてかはかなく消えてしまいそうに映った、この眸は間違っている。澄み渡る空の上には相応しくない懊悩が、わたしの裡に渦巻いている。こんなわたしを、あなたが傍に置くのはなぜか。

かそけき葉音が耳をかすめる。空を飛ぶ鳥でさえ囀ずることを躊躇う静閑とした世界で、わたしひとりがみじめにもがいている。長く垂れた髪を風に遊ばせるあなたは、ゆるく組んだ指が永遠を象るがごとく、ただそこに在るだけですべてを創造してしまう。あなたは果てしなくひとりだ。ひとりだから、美しい。

顔を上げたあなたは茫然としていて、わたしが横に控えていることなど、すっかり忘れているよう、膝の上で組んだ指をほどいて、こすりあわせて、ここはさむい、とつぶやいた。

―――池の蓮はもう咲いたでしょうか。見に行きますか。いいえ、枯れてしまっていたら、悲しいもの。ではわたしが先に行って確認をしてきましょうか。いいえ、いけません。なぜですか。もし枯れてしまっていたら、あなたはきっと悲しみます。わたしは、平気ですよ。いいえ、あなたが平気でも、わたしは平気でいられません、あなたはここに、いなさいな。

深く、腰掛けた椅子。ふたたびあなたは下を覗いて沈思する。

ここにいなさい。その言葉がどんなに深く響いて止まないか、あなたが知ることはないでしょう。わたしを生かすも殺すもあなた次第で、それがわたしの幸福であることなど、あなたは気付きもしないしょう。あなたは、知らないでしょう、知らないで、知らないままで、傍にいさせて。

わたしにはあなたの見ているものが見られない。あなたとわたしのへだたりは、永劫ほろほろほどけない。

涼やかな風がひとすじ、光を帯びて通りすぎた。

ふいに、あなたは顔をあげ、振り返った。それは、わたしには百年経っても届かない、蓮の開く音を、聞いたためかもしれなかった。


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