3 ギルドの終わり
記憶喪失。
さっきは取り乱してしまったが、よく考えたら魔法で治せるんだろ、と軽く見ていたら、どんどんと話は悪い方向へと転がっていってしまう。
少女の手当てにやってきた老医者、ラフマの口から、次から次へと悪い事ばかりが飛び出してくる。薬草をすり潰した臭気も相まって、医務室は、非常に居心地が悪い部屋となっていた。
「わしには、記憶を蘇らすなんて高度な魔法は使えんわ。前にも言うたじゃろ、わしは治癒魔法はちょっぴりかじったきり。師に教えを請うた訳でもない。専門的な事は何もわかりゃせんのよ」
「おい、じゃあ何で村医者なんて名乗ってるんだよ…」
「この村には、本物の治癒魔導師が必要な程の怪我や病気なんてないじゃろ。実際、わしの所に来るのは擦り傷やら軽い熱を出したなんて、可愛い患者ばかり。こんなややこしい患者を診た事なんてないんじゃよ。お嬢ちゃんには、済まない事じゃがの」
ぐるぐると右足の包帯を巻きなおしながら、ラフマの口はよく回る。
その言葉を聞きながら、少女は残念そうな、特に何も考えてない様な変な表情を浮かべていた。
「大体、わしが本物の治癒魔導師じゃったら、こんな骨折くらい一瞬で治せる。その力すら、わしにはないということじゃよ。せいぜい、痛み止めと、治るのを少しだけ早めるのが関の山じゃな」
「そうか…」
がっくりと肩を落としたレインとティナを見かねてか、ラフマは二人に向きを直し、諭す様に話し始めた。
「二人とも、このお嬢ちゃんの面倒を見る気はあるのかい?」
急な問いかけに、レインとティナは言葉を詰まらせた。
ラフマの言う事は分かる。少女には記憶も、身寄りもない。なら、誰かが暫くの間面倒を見る事になる。少女が望むのなら、家族を探したり、記憶を取り戻す為の手助けも必要だ。
誰がするのか。
自分も関係した話と察したのか、少女も真剣に耳を傾けて聞いている。
「成り行きとは言え、わしら村の老人衆は二人にギルドを任せっ放しにしてしまった。依頼なんてこない暇なギルドだと分かっておったのにな」
「いや、それは別に…」
「私もレインも、あの人には恩があったんですから」
ギルドを畳もうとしていた事は、ラフマの顔を立てる為に黙っておく事にする。
このギルドには前任者がいたのだが、訳があって村を離れ、レインとティナの二人に任されていたのだ。前から暇であった事に変わりは無いのだが。
二人は、その前任者に魔法を習ったのだ。村を出た事も、学校に通った事も無い。大人ぶっている様で、実は人生経験に乏しいと言わざるを得ない。
ラフマは、話し始めると止まらない。もしかしたら前から考えていたのだろう。
「二人とも、これは良いきっかけかも知れん。ティナもレインもこの村で育ったから、本物の魔導師ギルドを知らんな。お嬢ちゃんの為にも、まずは治癒魔導師の力が必要になるじゃろう」
ラフマは息を吸い直す。
二人は少し緊張していたが、こんな時が来ると、どこかで分かっていたのかもしれない。ラフマの次の言葉が、もうすっかり分かっていた。
「他の町に出ると良い。シオンの町という所に、良い腕の治癒魔導師がおると風の噂で聞いた事がある。魔導師ギルドにいけば、強い魔導師にも会える。人の多い町とはいいもんじゃ。学ぶことが山ほどある。こんな田舎村とは大違いじゃよ」
「それは…ギルドを畳んで、村を出ていけ、という事ですよね」
「まあ、人生勉強じゃな。三人で話し合って決めると良い。別に、この村で今まで通り過ごすという手もある。そう急かしはせんからの」
ラフマは最後に、にいっと皺を寄せて笑顔を見せた。
二人は、お互いに目配せをし合う。だが、もう答えは決まりきっている。
「これはもう…ね、レイン」
「そうだな。行くか、シオンの町! それでいいか、お前は?」
レインが尋ねると、少女は黒い瞳を柔らかく細めて笑顔を見せた。
異論なし、満場一致。
かっかっか、とラフマは声をたてて笑った。
「そうか、若いもんは決断が早くていいのう。お主らの好きにすると良い。ギルドの細かい事は、わしが片付けておく。存分に楽しんでこい、レイン、ティナ、お嬢ちゃん…そういえば、お嬢ちゃんには名前が無いのか。それはちぃと不便じゃな」
ラフマと少女は一緒に首を傾けた。
すると、ティナは待ってましたと言わんばかりに瞳を輝かせる。
「そう、それ! 私、ずっと考えてたの!」
興奮して少女の手をとり、満面の笑顔。ティナの迫力のある胸がどーんと少女に襲いかかった。
「名付けて、クロエ! ね、どうどう気に入った?」
「クロエ…」
「由来は勿論、黒いからだけどね! でも響きがとってもキュートだと思うの。あなたにピッタリだと思うんだけどな~?」
ぐりぐりぐり、と自己主張の激しい胸が少女を威圧する。
クロエ、クロエと小さく口の中で繰り返してから、少女はにこっと笑った。
「クロエ…気に入った。私、これからクロエって名乗る」
「やったー! これからよろしくね、クロエ!」