第99話 カカシとミ=ゴと脳缶
カカシはセラエノ図書館で弓矢の鍛錬を続けた。
時間は並みの人間なら正気を失うほどにあった。
我流でありながらも試行錯誤することによって畑の番人として恥じない腕前に上達させた。
「よし、これでトウモロコシ畑を荒らす烏がいても追い払うことができる。
もっとも、ここには畑は無いし、畑の番などしたくないのだけどね」
弓矢の鍛錬を続けたある日、転機が訪れた。
床を這う円錐の司書とは異なる。何者かが足で歩く音を聞き取ったのだ。
「ここが図書館ならば誰かが来ても不思議は無い。
誰が来たのだろう」
カカシは足音のほうへと歩いていく。果たして来館者と鉢合わせた。
その姿、体長は一メートル五十センチほど、蟹のような外皮で手足には鋭い鉤爪がある。
背中には1対の薄羽がありこれで宇宙空間を飛んできたのだと想像できた。
頭は殻に守られた身体とはうってかわって、キノコやカビを膨らませたような形をしていた。
それは手に人間の頭より一回り大きい円筒缶を持っていた。
並の人間なら、その名状し難い醜い姿に心を蝕まれ気が狂う。
が、カカシはそんな心は持ち合わせて無いので平気であった。
そして、その外的特徴から相手が何者であるか見抜く。セラエノ図書館の知識が初めて役に立った
「こんにちは、あなたはミ=ゴですね?
ここの蔵書にあなたのことが書いてありました」
相手は発声器官を持たないのでテレパシーで答えた。
「左様、我はミ=ゴ。
しかし、セラエノに案山子がいるとは驚愕。
実に場違い、実に奇妙、実に興味津々」
「僕だって好き好んでここにいるわけじゃありませんよ。
ここから脱出することを望んでいます。
あなたは宇宙からこの星に下りて来たのでしょう?
僕をここから連れ出してくれませんか?」
「もちろん、容易きこと。
なれど、我が援助する義理も道理も無し。
貴殿が我のために成せることを明示し確約実行を持って力となろう」
「たしかに。あなたの言うことはもっともだ」
しかし、カカシはミ=ゴが何を望んでいるかわからなかった。
そして、ミ=ゴもカカシに何を頼むべきかわからなかった。
「相互共に初なる邂逅。
我は更なる星間の旅継続のため、しばしこの館にて安息をとる。
弁を交わし互いの理解を深めれば、貴殿の力を証明するに足る物を見出せよう」
カカシはこの機会を逃せない。ミ=ゴの役に立てなければまた長い年月をセラエノで足止めである。
数ある図書室の一室。カカシとミ=ゴは石の椅子に腰掛けて向かい合う。
まずはカカシが自己紹介をする。
「僕はカカシ。オズの国東部のマンチキンの農家でトウモロコシ畑の番をするために作られました」
ミ=ゴは頭の色を赤、青、黄、紫とめまぐるしく色を変えた。動揺しているようであった。
「あの……?」
「結構である、失礼した。続行を求める」
「?
良い友人と巡り会いました。カンザスのドロシー、ブリキの木こりに勇敢なライオン。
彼らのおかげで僕はオズから素晴らしい脳みそをもらい、オズの国の新しい国王に任命されのです」
「不可解!」
ミ=ゴは強い念を放つ。
話すたびに遮られては鬱陶しい。
「なんです、さっきから。僕の話を聞く気があるんですか?」
「失礼。まさかオズマの末裔がラーライン女王陛下の恩命を放棄するとは思わなんだ。
しかし、ゆえにオズの国滅亡の説明がつく」
今度はカカシが動揺する番であった。
「オズの国滅亡とはどういうことだ!?」
ミ=ゴは淡々と答える。
「天冥崩壊戦争の折、オズの国もまた文明国に呑まれ亡国の運命となった。
だが消失はせず、滅びた都としてカルコサに囚われた」
「カルコサ!? ここの石版で読んだ。ハスターの都か」
「左様、滅びた国はカルコサの資産。朽ちた都の残留思念はカルコサの壁であり家であり道である。
カルコサは黄衣の王とその眷属と下僕の住処」
「……僕がここにいる間に酷いことなっていたようだ。
オズの国の人たちはどうなってしまったんだろう」
「全ては把握していない。逃亡成しえた者らは幻夢境を新たな故郷と定めたであろう。
ドロシーとライオンについては知らぬが、ブリキの木こりなる者の噂なら耳にしている」
「なんですって!?」
「ハスターの臣、黄風怪の奴隷戦士になったと聞く。ハスターはオズの国を憎悪する者。良い扱いは受けていまい」
「? ハスターについては読んだが、オズの国とは何の関係もない。なぜ憎むのです?」
「否、ハスターの前世はオズの国にある。何者かは知らぬ。だが、関わり無くしてオズを憎むのがその証左。
我もまたヨグ=ソトースによって転生し、消滅を逃れた者」
カカシはミ=ゴに問いかける。
「そういえば、あなたはオズの国について詳しい様子。何者ですか? いや、何者だったのです?」
「我は妖精女王ラーラインに仕えし妖精の一人。
崩壊戦争の折に、文明国の気を吸ったため消失の危機にあったところをヨグ=ソトースに救済された。
異なる神性をアザトースの眷属に転生させることこそがヨグ=ソトースという存在であり現象」
「……それで、あなたのかつての主人はどうなったのです?」
「口を慎め案山子よ。ラーライン様は我の主人である前に、貴殿の創造主。オズの国創世の女神である」
「!?」
「オズの国創世の日は、我が友オズマとの別離の日でもあった。
人間の世界が文明国へと変容すれば神々は絶える運命。その渦中、妖精たちが細々と暮らす地が僅かばかり残されていた。
ラーライン様は憐れに思われ、それらの地を接合しオズの国として文明国から隔絶した。
そして、新世界の守護者として任命された妖精がオズマである」
「……なるほど。オズマという妖精はどうなってしまったのだろう?」
「永らくオズと離れていた我に知る術はない。
それに悲しいかなラーライン様が健在だったとしても、我も含めオズの国もオズマのことも忘却喪失しておられるだろう」
「なぜ?」
「ラーライン様の本性は創世の神ではなく旅の神。万物全ての道を踏破し、全ての土地に足をつけることがラーラインという存在であり現象。
省みることはない。通り去った道、旅から離れた者のことは忘却の彼方へ消える。
だが、我は過ぎ去りし日を全て覚えている。そのための魔法をラーライン様から授かった」
「どんな魔法です?」
「生物から脳を取り出し、缶に保管する魔法。その脳は己の知識として用いることができる」
ミ=ゴの魔法を知ってカカシはとっさに両手で頭をおさえた。
そしてミ=ゴの側らに置かれている円筒缶に視線がいく。あの中にも誰かの脳が入っている可能性がある。
平成の日本においては脳缶といえばミ=ゴのそれが知られているが、
オズ王立図書館の記録を辿ればオズ北部ギリキンのフラットヘッド族と脳缶の関わりと、妖精女王ラーラインの魔法の痕跡を知ることができる。
オズの国への旅が困難な場合は『Glinda of Oz』を参照されたい。
ミ=ゴは続ける。
「案山子の脳に興味無し。記憶媒体には生きた生体脳が最適である。
しかし、やはり貴殿を見ているとオズマを思い出す。実にオズ的である」
「それはどうも。
しかし、僕のこの素晴らしい脳みそに興味が無いとは。実に面白くないね」
「我は優れた脳、己が欲する脳を心趣くままに数限りなく集め、永久に保管している。
脳とは知恵そのものである。その中でも知識を際限なく蓄える脳こそ優れている。
我はラーライン様に倣い、特例と慈悲をもってオズマの子に救いをさしのべる。
この缶の中には地球で手にした民俗学者の脳がある。
貴殿はそのワラにつまった粗末な脳を捨て、この生きた脳を頭につめることを薦める」
カカシは黒インクの目でミ=ゴを睨む。
「あなたはどうしても僕の脳を悪く言いたいみたいだね」
「我は数多の脳を集め見定めてきた。脳の価値を理解できる。
しかるに貴殿の脳の性能は、この缶の民俗学者のそれに劣る。
いや脳ですらない。木屑と金属片の寄せ集めだ。そんな物は脳と呼べぬ。
より優れた脳を欲するは賢者の王道ではないのか?」
カカシはミ=ゴの言葉から間違いを見出せなかった。
ミ=ゴから脳缶をもらっても良いように考えた。
そこで思い出す。この脳の意味を。
彼の脳を求める旅にはブリキの木こり、勇気のライオンそしてドロシーが共にいた。
確かにミ=ゴの薦める脳に比べたら劣るのは事実なのかもしれない。オズに騙されてゴミを詰められたのかも知れない。
それでもカカシにとっては何者にも負けない自慢の脳であった。
「僕を憐れと思うならセラエノから連れ出せ。
そしてブリキの木こりの所まで――、カルコサまで案内してもらおう」
「愚かな。やはり偽りの脳では考える力も無いか」
「ここに閉じ込められた僕が憐れじゃないのかい?
脳はくれるのに、セラエノからは出したがらない」
「脳の譲渡とセラエノを脱しカルコサへの旅とではつり合いが取れぬ」
「それはどうかな。
もし僕がオズから脳をもらう前なら、ここを出ることよりも脳をもらうことのほうが価値がある。
物の価値なんて状況次第でどうにでも変るものさ。
君はオズマの子への憐れみを語りながらも、その望みを叶えようともせず、欲しがってもいない脳をしきりに勧めてくる。
聞けば、あなたが集めている脳は、あなた自信の記憶のために必要なものだ。それを軽々しく手放そうとしている!
きっとこの缶の脳は君にとって価値の無いものなんだ!
腐っているのかも。君は僕を騙してがらくたを押し付けようとしてる!」
「そこまで言うことないじゃないか!」
カカシでもミ=ゴでもない第三者の泣き声。脳缶が声をあげたのである。
はたしてこの脳缶に収められている脳は何者なのか。
前々からカカシとミ=ゴは、脳にまつわる話で絡ませてやろうと決めていました。
日本では脳缶といえば『The Whisperer in Darkness(1930)』のそれが有名ですが。
それよりも前、オズシリーズ14作目『Glinda of Oz(1920)』にも脳を入れる缶詰というものが登場します。
コズミックホラーに限らず、当時のアメリカに「脳を缶詰に入れておく」という考え方があったことがわかります。
もっと探せば『Glinda of Oz』よりも以前に脳缶に関する話があるかもしれません。(というかあるような気がする)
脳を缶に入れたがる当時のアメリカ社会の背景が見えたら面白いですね。