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第96話 ニャルラトテップの怒り

 ダイラス=リーン郊外での戦闘後。

南方、数キロ先の林の中で戌たちは休息をとった。


「戌様、よくご無事で」

 魔犬たちは戌の無事を喜ぶ。


「うん。しかし、先の戦闘でまた仲間を失ってしまった」

「はい、心痛みます。しかし、ニャルラトテップに損害を与えたのです。

 犬死ではない。彼らの死も報われましょう。

 ところで、月では旧友との再会できましたか?」

「元気にしていたよ。だけど……、(さる)のことはもう忘れることにする。

 彼には彼の進むべき道があるようだ。

 引き続いて主人(桃太郎)と(きじ)の消息を追うことにする」

「わかりました。では今までどおりということで。

 今、我々はトト様と旧知の仲であるライオン様と合流すべく仏僧らとともに南の普陀山を目指しておりますが」

「問題ない。主人(桃太郎)と(きじ)の手がかりは得られていないのだから」




 猪八戒は羅刹天と今後について相談していた。

「じゃあ、羅刹天も普陀山に?」

「はい、他に行くあてもありません。まだ仏の道が残されているのならば、そこを頼ろうと思います」

「そうね、一人でうろうろしてたら、また悪党に捕まってしまうかもしれないし。

 あれ、牛魔王と善財童子は?」


 八戒の問いに羅刹天は即座に答えた。

「死にました」


 その答えに八戒と沙悟浄は合掌し、羅刹天も手を合わせた。

「ありがとう。きっと息子も喜んでくれます。

 ですが、いいんですよ。夫の分はいりません」

「え、あぁ、そうなんですか?」

「はい」


 羅刹天は微笑むと犬ぞりの中へ入っていった。


 沙悟浄は猪八戒に言う。

「羅刹天、牛魔王となにかあったのかな?」

「さぁね、なにかあったかもしれないし、なにもなかったかもしれない。

 本人が喋る気ないのにほじくり返しても仕方が無い。

 それともなに、牛魔王のことが気になる?」

「いや、まったく」

「私も」

 以後、二人は羅刹天の家族のことは話題にせず、道中で通過することになるウルタールについて話し合った。






 一週間後、ダイラス=リーン庁舎。その知事室で車持皇子(くらもちのみこ)は椅子に深く腰かけ憔悴しきっていた。

戌と羅刹天による大火災、次いで郊外での野戦では、猪八戒と沙悟浄の参戦によって兵士と戦車(クアドリガ)に多大な損害を受けた。


 それでも街の復興を成し遂げ、羅刹天の代わりとして千人の奴隷と当初の予定の半分にも満たない宝を掻き集め、ニャルラトテップの祭りの開催にこぎつけた。

結果としてダイラス=リーンの財政は赤字に転落。債権者が庁舎に押し寄せた。

 もっとも車持皇子(くらもちのみこ)にとって借金踏み倒しなど造作もないことだった。手慣れていた。

彼自ら警備兵と共に出向き、債権者を叩きのめし身ぐるみはいで追い返した。


「疲れた……」

 大変なのはここからである。なんとかニャルラトテップへ言い訳して、出世への目処をつけなくてはならない。


「こんにちは」

 黒い男が扉から入るでもなく、いつの間にか皇子の前に立っていた。

 心臓が止まる思い。車持皇子は椅子から転げ落ちてひれ伏した。

側らで控えていた皇子の秘書は初めて見る黒い神父姿のニャルラトテップに恐れおののき、主人に倣った。


「なにか騒動があったようだね。いいね、やはり僕の街には制御できない雑多さがよく似合う。

 最近は月にいることが多いんだけど、あそこはきっちりし過ぎていてどうにも窮屈だ」

「ははー。ありがたきお言葉!」


 黒神父、光る眼球で皇子を赤く照らす。

「でもどうして? 今日は私の祭りなんだよね? どうしてもっと盛大にお祝いしてくれないんだい?

 半端なことされちゃあ恥ずかしいのだけど?」


 皇子は顔をあげることができない。

「ははー、戌、猪八戒、沙悟浄を討ち取ろうとしたところ不覚をとり損害を出してしまいました。

 申し訳ございません」

「んー。ん? あぁ、あいつらか。確かに鬱陶しい連中ではあるけど大損してまでも倒さなきゃいけない連中かな」

「そ、それは……」

「奴らの脅威なんてノーデンスやクトゥガに比べたらどうということはないよ。

 奴らは十二人揃ってないと一人分の力も出せない半端者。

 うち桃太郎とブリキの木こり、そしてドロシー・ゲイルはこちらの手の内にある」

「……」

 

 ニャルラトテップは十二冒険者に大きな関心は持っていなかった。皇子の読みは外れていた。

「そんなことよりもね。僕はもっと楽しみがあって来たんだ。

 羅刹天を捕まえたんだって?」

 核心に迫られて、皇子はいよいよ追い詰められる。

「羅刹天の捕縛、これは素晴らしい手柄だ。君が思っている以上の快挙なのだよ」

「……」

「知っての通りダ・カーポを処刑してからというもの、何かと身の回りのことが不便でね。

 だからと言って誰彼構わず筆頭神官にできるわけじゃない。

 まさに今回の働きは筆頭神官を授けるに相応しい。とても嬉しい」

 皇子は恐怖で身体が一ミリも動かせない。

「私はね。いつも出来うる限り笑顔で明るく振舞うように努力している。

 いつどんなときでも!

 でもね、そんな僕でも辛かったり挫けそうなときがある。

 今こうしている間にも、ノーデンスとその眷属が僕の悪口で盛り上がってるんじゃないか。

 クトゥガが俺の資産を破壊する計画をねってるんじゃないか。

 ランドルフ・カーターが私への新しい嫌がらせを思いついたんじゃないか。

 それだけじゃない、シュブ=ニグラス(姉上)にいじめられたり――

 とてもつらい。そんなときにだよ!!」

「ひっ」

 ニャルラトテップの一際ねじれた大声が、皇子の鼓膜を痺れさせる。


「僕の側に羅刹天がいるんだ。あの女をひれ伏させて痛めつけて、その泣き叫ぶ声を聞けば。

 どんな困難にも立ち向かうことができる。どんなに辛いときも乗り越えられる。

 明日もまた頑張ろうと思えるんだ! こんな素晴らしいことがあろうか!?

 ……さて、前置きが長くなってしまったね。羅刹天はどこにいるんだい?」


 車持皇子はとうとう耐えられず悲鳴をあげた。

「申し訳ございません! 羅刹天は取り逃がしてしまいました!

 代わりに奴隷千人を用意しました! どうかお納め下さい!!!!」


 ニャルラトテップは怒り狂って闇に吠えた。






 車持皇子の秘書は恐ろしさのあまり顔を上げることができず、目を強く閉じて震えていた。


「おい」


 秘書は動くことが出来ない。


「おい、お前だよ。顔を上げろ」


 ニャルラトテップには逆らえない。秘書はおそるおそる顔を上げた。

「ひっ!」


 最初に目に入ったのは、床に転がり全身を痙攣させる車持皇子。 


「はーう、はーう、はー、うかん……」

 一応、言葉を発しているので死んではいない。

黒い粘液が皇子の顔面に付着し蒸気をたてている。それを取り除こうと両手で粘液に触れているが効果は無く、指は熱で赤くただれている。 

 この様子では顔悲惨なことになっていると容易に想像できた。


 ニャルラトテップは秘書に言う。

「おい、今日からお前がここの知事だ。ここに転がってるクズのように適当な仕事したら殺すからな。

 精一杯はげめよ。まず最初の仕事、千人の奴隷を俺の船に積み込め。僕はもう帰る!」

 そして車持皇子を立たせて歩かせる。


 熱で溶けたのか粘液に接着作用があるのかは不明だが、皇子の手と顔はくっついてしまったようである。

「はー、はー、はうか……、はうかんるりぃぃい、はうはう。

 うか、うかかかか、うかん、うかん、うかんるりぃいい!

 るりるりるりぃぃ!!!」

 意味不明な言葉を叫んでいる。そしてその声はもはや人間のそれではなく、名状し難い魔物の鳴き声であった


 元秘書、つまり新たなダイラス=リーン知事は這い寄る混沌の狂気を目の当たりにして、ただただ慄然とし自分が殺されずに済んだことを安堵するばかりであった。

次回から所変わってカカシがメインとなります。予想斜め上を行くメンバーを旅の仲間にハスター支配領域を冒険します。お楽しみ下さい。

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