第94話 車持皇子の攻撃 前編
昼前、ダイラス=リーン北部の草原地帯を進む猪八戒、沙悟浄、トト、そして魔犬の群れ。
猪八戒はぐだぐだと愚痴をこぼす。
「……お腹すいた。もうぺこぺこ。ねー、やっぱりダイラス=リーン寄っていこうよ」
沙悟浄はそれを拒否する。
「無理よ。昨日泊まった村で聞いたじゃない。私たちって懸賞首にかけられてるのよ。
あんなニャルラトテップのためのような街に入ったら大騒ぎで食事どころじゃないでしょ」
「そりゃあ、あれよ。三十六の変化で大男のゴロツキに化けて誤魔化す」
「バレたらどうするつもり? そもそも私たちは変身できないのだけど」
「変化できないほうが悪い!」
同行している老いた灰犬が割ってはいる。
「わしら魔犬も全員ではありませんが、幾人かは変身の魔法を心得ております。ダイラス=リーンの住民を騙すことは容易いことです」
「わざわざ危険を冒すなと言ってるんです! だいたいあなたたちが頭目に置くトトは変化の術は使えないでしょうに。
迂回しましょう。寄り道は無し、目的を見失わない!」
息巻く悟浄に八戒は溜息。
「やれやれ、南に進むたびに悟浄が気分高揚意気揚々だから困る。
いくらお師匠様が無事らしいとはいえ浮かれすぎよ。
あぁ、孫兄が今は懐かしい。奴がいれば全員に変化の術をかけて何一つ心配なくダイラス=リーンでランチタイムに入れると言うのに」
地図を確認しながらダイラス=リーンを避ける迂回路を進む。
「……」
猪八戒は黙っていた。
「……」
魔犬たちも黙っている。
ダイラス=リーンに立ち寄れないことが理由ではない。
彼らの鼻が不穏な空気を嗅ぎ取った。
「……焦げ臭いね」
猪八戒の言葉に大柄な黒犬もうなずく。
「あれはダイラス=リーンの方向。火事にしては臭いが強いが」
豚や犬に比べて悟浄の鼻はそれほど良くない。
「私は何も感じないけど。ん、あれは」
同じくダイラス=リーンの方角から黒い煙が昇り、青空に黒い筋を作る。
「うーん、ダイラス=リーンで何かあったのかな」
猪八戒が興味津々といった具合で街の方へ行こうとする。
それを悟浄は肩をつかんで止めに入る。
「ほっときなよ! 別に火事なんてこっちには何の関係も無いことじゃない!」
「いやでも、気にならないの?」
「気にならない」
「まぁ待ちなよ。一刻も早くお師匠様に会いたいという気持ちは痛いほどわかる。
けど、道中困っている人がいたら見捨てないのがお師匠様の教えじゃない。
それを守ることで雨の精の助けだって得られたのよ」
「それはそうだけど……」
「あ、この足音は!」
老灰犬が突然声を上げる。他の魔犬たちも耳をたてる。
「この足音は戌様のものですぞ」
猪八戒は伏して地面に片耳を押し当てる。
「……確かに足音は聞こえる。走ってるね。あぁ、けど戌さんかはわからないな。
それに音が一つじゃない。かなりの数が動いている! この音は……、車輪!?」
猪八戒たちは身構える。音のした方から地響きが起こり千切れた草が舞い上がる。
彼らが最初に目にしたのはまっすぐこちらに駆けて来る戌。背に芭蕉扇を握る羅刹天を乗せている。
そして、その背後に続くのはダイラス=リーン戦車隊。
玄武岩の鎧をまとった四頭の縞馬が、これまた同じ玄武岩で作られた戦車を引く。
御者はダイラス=リーン警備兵の黒いマントを身につけているが、同乗する者どもは多種多様の種族であった。
黒ゴム皮の喰屍鬼、ニャルラトテップの奉仕種族のレン人、灰粘膜肌のムーンビースト、ダイラス=リーンを拠点に置く傭兵盗賊、魚人インスマスも数人紛れていた。
変りどころでは全身ピンクの衣装で身をかためた身長六メートル超の人食い巨人ユープ。二台の戦車それぞれに右足と左足を置いて器用に乗りこなしている。
これら混成部隊を指揮するのが、玄武岩の牛が引く玄武岩の牛車に乗る車持皇子である。
牛車の窓から黒い螺旋の拡声器で部隊を鼓舞する。
「見ろ! 犬と羅刹を追っていたら、豚と文明国の犬の所へ導いてくれたぞ! さぁ奴らを殺せ!
ダイラス=リーンを焼いた報いを受けさせ、ニャルラトテップ様の寵愛を受けるのだ。行けぇぇえッ!!」
この大戦車隊に戦慄驚愕したのは魔犬たちである。
彼らはドロシー・ゲイルの小屋を改造した犬ぞりを移動拠点としているが、玄武岩でできた戦車に体当たりされようものならたちまち粉々に破壊されてしまう。
死をも恐れぬ勇敢な戦士たちだが、彼らの主人トトの城を破壊されるとなっては話は別である。
犬ぞりを引く十二頭の魔犬たちは主人の家を守るため即座に反転し来た道を引き返す。
猪八戒と沙悟浄は咄嗟に仙雲に乗る。
八戒は走る戌の横につける。
「久しぶり! 羅刹天も変なところで会うわね」
「まったくです。それよりあなたの腕前ならあの賊どもを蹴散らせるでしょう。
助けておくれ」
「そりゃあ、もちろん。今もあなたが仏道を進んでいるならやぶさかではありません。
ですが、あなたにはその芭蕉扇があるじゃないですか。
そいつで一扇ぎすればたちまち賊は地の果てまで吹っ飛ぶでしょう?」
「それが、どれだけ扇いでもまったく効かない」
「なるほど、そいつは面倒ね。芭蕉扇を防ぐには定風丹を用いると聞いたけど……」
そして、背後にせまる追っ手を観察する。
名状し難い怪物たち。とても定風丹を用意できる者たちではない。
「うーん、どんな方法かは知らないけど芭蕉扇を防ぐ策は心得ていると」
車持皇子の混成部隊。彼らは戦車含め全員が身体に黄色い布を装飾として身につけていた。
これは黄衣の王ハスターの衣装の切れ端であり、風の術に対する耐性があった。
車持皇子は芭蕉扇の防御策として部隊に配備していたのである。
「よろしい! こい、悪党ども。猪八戒様の馬鍬で全員、穴まみれにしてやる!」
猪八戒が一度馬鍬を振るえば火炎竜巻大嵐。並みの妖魔では徒党を組んでも蹴散らされる。八戒の力は多対一でこそ真価を発揮する。
しかし、指揮官は車持皇子。直接殴り合うのは苦手だが、自ら先頭に立ち、危険に身を置くことも辞さない。
「いけい、インスマスよ! ルルイエ抜けした覚悟を麻呂に見せてみよ!!」
猪八戒の前に飛び出した戦車。それに乗るのはインスマスの魚人たち。
「いつから魚人は混沌のところでバイトを始めた!」
八戒の挑発にインスマス人は銛を振りかざし怒り狂う。
「この薄汚い雌豚めっ、忘れたとは言わせない。我らがゾス=オムモグ様を殺した恨み晴らさでおくべきか!!」
同乗する別のインスマス人も猛る。
「クトゥルフ様も魚籃観音様も、なぜかゾス=オムモグ様の仇をとろうとなさらない。
貴様を殺すためならば、ルルイエ抜けてニャルラトテップに与することもいとわん!」
これに猪八戒は青筋をたてる。
「言いがかりよ! 私はゾス=オムモグを殺してない」
「言い逃れするな! 貴様が辱めでゾス=オムモグ様を殺したことを知らないとでも思ったか!」
八戒も魚人も同時に叫ぶ。
「「これ以上、侮辱すれば殺す」」
八戒、馬鍬を一回転させ顔面を赤熱させる。
「私が殺したって言うのはね、この馬鍬を叩きつけて九つの穴を空けた相手に言うの。
あれは数に入らない。私はゾス=オムモグを殺してない!」
食べ物を大切にする彼女にとって自らが吐き出した汚物で敵を倒す行為は、食べ物を粗末にしてしまった忌むべき事、あってはならないことであった。
それはインスマス人も同じこと。崇拝するクトゥルフ三柱の一柱が豚の汚物で死んでしまうとは、これ以上ない屈辱である。
この恥辱、敵を殺し黙らせることでしか晴らせない。
「私は食べ物を粗末にしない!」
猪八戒は戦車の玄武岩車輪に馬鍬を叩き付けた。車輪は粉砕され戦車は横転。
ルルイエ抜けインスマス、戦車の下敷きとなり復讐はたせず絶命。
「次またゾス=オムモグを殺したとか言ってみな。何回でも穴まみれにしてやる!」
猪八戒に武勇伝を尋ねれば、数多の敵を屠った自慢話を延々と聞くことが出来る。
しかし、ゾス=オムモグ殺害の話だけは厳禁である。彼女の怒りと恨みを買うことになる。
昨年、私用で目黒に行ったので、目黒川沿いをうろうろしてミニリュウをGETしておりました。
そしたら、突然前触れも無く、頭上の木がバサっと揺れて茶色い水が振ってきて、頭からばっさりかぶってしまいました。
たとえば鳥の糞なら被害は一ヶ所だけで済むでしょうが相手は謎の液体だったせいで、頭、コート、眼鏡、リュック、ズボンと被害甚大な有様。
なんだか凄い臭いし汚いし、コートはクリーニングに出してリュックは捨てるはめに。
ちなみに猪八戒の属性は木と水なのだそうで、まさか猪八戒の怒りを買ってしまったのではと不安に思っております。
帰り道、新しいリュック買いましたよ。黄色いやつを。明るい色だと開けたときリュックの中身がよく見えて取り出しやすくなるんですよね。
そのリュックが巷でホモランドセルと呼ばれていると後で知って、ほんとマジありえない。ショックだわ。