第92話 ダイラス=リーン
ダイラス=リーンを目指す者が、まず道に迷うことは無い。
草原と木々に覆われた緑色の大地を進めば、その一角を塗りつぶすように広がる灰色世界を遠方からでも目にすることが出来る。
それこそが玄武岩で造られた都市、ダイラス=リーンである。
強盗、殺人、誘拐は日常茶飯事。奴隷商人やら宝石の密売人やらが幅を利かせている。
そしてニャルラトテップの影響力がもっとも強い街でもある。
街のあちこちに黒い鉄棒が立ち並び、その一つ一つにスピーカーがくくりつけられている。
そのスピーカーはまるで闇に吠える者のようであり、
日に何度かニャルラトテップ様のありがたいお言葉やプロパガンダを耳が裂けるよな不協和音で垂れ流すのである。
ニャルラトテップ放送は酒場の中にまでも響く。
『さぁ~て、指名手配ランキング発表の時間だぁ!』
酒場は昼間から、ならず者たちで繁盛していたが、放送が始まれば音楽は止まり、過激な衣装を脱ぎかけた踊り子も店の奥に引っ込む。
会話も怒鳴り声でがなりたてなければ成り立たない。
「ちくしょう、なんてタイミングで放送始めやがる!」
『一位はノーデンス、髭のおいぼれクソジジイだ。知ってるな? 有名だもんな。こいつを殺せば幻夢境がちょっとだけ平和なるぞ!
さぁて次は第二位クトゥガ! この放火魔は早めに始末しないとこの街も燃やされるぞー。
あー、第三位……、ギョランカンノン! こいつぁクトゥルフの所のパシリだな。
なんとこいつの懸賞額はクトゥルフより上なんだぜ? 何をしたか知らないがよほどニャルラトテップ様を怒らせたんだなぁ。
ってお前ら、やる気あんのか? 金は嫌いか? もう随分長いことこいつらランキングから動いてないぞ!?』
ならず者たちはグラスを床にたたきつたり、料理の乗ったテーブルを蹴り飛ばす。
「うるせぇバカヤロー! どこにいるかもわかねえ奴ばかりじゃねえか!」
「ノーデンスのいる深海になんて行けるかよ!」
『まぁわかるさ。こいつら強いもんな。お前らヘナチョコ野郎じゃ勝ち目はねぇ。
そんなお前らに朗報だ。ある情報筋によるとサゴジョウとチョハッカイがこの街に近づいているらしい。
こいつら、なにかとニャルラトテップ様の邪魔をするクズどもだ。
そしてだ、トトの野良犬軍団もいっしょらしい。犬ってのは嫌だね、ニャルラトテップ様の甥子さんも犬に噛み殺されたって話だ。
とにかくこいつらを殺して死体を役所に持ってけばガッポリ儲かる。どうだノーデンスを殺すより簡単だろ?
……おい、今放送中だぜ。勝手に入ってくるんじゃない。
犬……? おい、なんだお前は。あぁ!! 誰か助けてくれ! 白い犬がっ ぎゃっ!!』
DJの短い悲鳴。ボキリと骨が折れたような音。しばらくの沈黙。男たちは放送局で何事があったのかと固唾を呑む。
すると、別の者の声が、その者は極力落ち着いて静かに喋っていたが、闇に吠えるスピーカーはビリビリと空気と神経を震わせる。
『……私は戌。桃太郎第一の家来である。聞け、ニャルラトテップの眷属ども、間も無くここは街ではなくなる。
玄武岩の墓石となると知れ』
これを聞いた盗賊の一人がジョッキを机に叩きつけた。
「知ってるぞ! この戌って奴も賞金首だ!」
「なにほんとか!?」
「今、放送局にいるぞ!」
「ようし、賞金は俺のもんだ!」
悪党どもはそれぞれの得物を握り、食事代も払わず店を飛び出していた。
後に残されたのは割れた食器、ひっくり返った料理に、粉々になった椅子や机。
無銭飲食されたうえに店を滅茶苦茶にされ店主は深いため息をついた。
これがダイラス=リーンの日常である。
ダイラス=リーンの中でも一際高い玄武岩の尖塔。この街の庁舎であり行政を取り仕切る。
高層階、知事室にて。
レン人の行政官が知事に報告する。
「知事、放送局が襲撃を受けております。鎮圧のため部隊を送り込みましたが。
その連絡が途絶えておりまして、おそらく全滅――」
「お黙りなさい! 不正確な情報はけっこう。
ここからでも状況が見える。見なさい。街にあがった火の手を。
早急に消化班を送りなさい」
「ははっ」
行政官はかしこまり部屋から退出する。
知事は窓から、放送局を中心に燃え上がる街を見下ろす。
「忌々しい獣め、日本の恥よ。
どこから入り込んだ。警備は何をしていた」
秘書が答える。
「戌が最後に目撃されたのは月ですので、交易船に密航したのでしょう」
「なさけない。これからは港に入る船も徹底的に検査せねばな。
……しかし、これはチャンスでもある」
「はぁ」
「アレグロ・ダ・カーポが失脚し、ニャルラトテップ様の筆頭神官の座は空席となった。
麻呂がその席に着く」
「はぁ」
「そのためには戌はもちろん。街に近づいているトト、沙悟浄、猪八戒を始末すること。
そして、一週間後に控えた祭りを成功させることにあるのだ!」
「し、しかし、今の者たちは懸賞額は上位とは言えません。
手柄には違いありませんが、筆頭神官につけるほどの手柄とは――」
「それは表向きのこと。麻呂は知っている。
戌、トト、沙悟浄、猪八戒は矮小な存在でありながらもアザトース謁見を生き延びたという。
奴らには何かしらの秘密があるのよ。
そして、祭りの折に献上予定の奴隷の中にはニャルラトテップ様が前々より欲しがっていた者がいる。
これだけの手柄があれば、空席の筆頭神官の座を手に入れることなど容易きことよ」
「しかし、犬の軍団は強く、ルルイエ抜けしたインスマス人によると猪八戒はあのゾス=オムモグを倒したとのこと。
この街の戦力だけでは……」
「だからこそ、各地で強者と武器を集めるのじゃ。収監中の犯罪者も駆り出してかまわん。
必要があれば麻呂自ら動く。すぐに始めよ」
「かしこまりました」
慌しく退室する秘書。
ダイラス=リーンの知事にしてニャルラトテップ筆頭神官の座を狙うこの男。名を車持皇子という。
かつて、かぐや姫に求婚した五人の貴公子の一人である。