第89話 セレファイスの戦い⑬槌、杖、鍬
月農業区。水田に立つ鋼鉄の巨人。
そこから数キロ離れたアルテミス神殿公園周囲は月警察によって厳重な警戒態勢がとられていた。
園内には作戦テントが設営され、ルルイエ迎撃作戦の推移を見守る為、申を筆頭に月の代表者たちが集結していた。
「理事は皆、奥に引っ込んでいるものと思っていたが。意外だ」
ヘパイストスは意外そうな顔した。自ら危険を冒し前線に立っている理事は申だけである。
ティンカーも、イムホテプも、オラボゥナも、残りの理事は安全と思われる屋内に退避している。
「なに、あなたの造った鋼鉄巨人に興味があるだけですよ。
ルルイエの魚人よりも危険なことは何度もあった」
「なるほど。
まぁ、自分が造ったといっても、ティンカーの理論に基づいて組み立てただけ。
……あなたの所の機械人間も興味津々のようだ」
申の所有物である銅のロボットチクタクは望遠レンズの眼球で鋼鉄巨人をじっと観察している。
「それよりも気になるのはオラボゥナがここにいないことだ。
奴のロジャーズ博物館はここからそう離れていない。前線の動きは気にならないのか」
申はオラボゥナを非難した。
ヘパイストスは苦笑いをする。
「さぁ、彼は少し変わっている。ラーンなんとかいうオバケを狂信している。信じられん」
申が、まさにその通りと答えようとしたとき、望遠鏡にて空を監視しているウシガエルの警官が報告する。
「ルルイエが上空に現れました!
……いえ、あれは城だ。セレファイスのセラニアン城です!」
ある者は望遠鏡でまたある者は肉眼で空を注視する。
上下さかさまのセラニアン城が月の大気を押しのけて地上へと迫る。
「ふむ、艦隊で攻め込んでくると予測はしていたが、まさか城ごとやってくるとは。
だが、たかが城一つ、鋼鉄巨人の力を持ってすればたちまち粉砕できる。
複数の敵を相手にするより簡単だ」
ヘパイストスは自信満々威風堂々な態度を見せた。
が、申は引っかかった。
「粉砕……?
それは、あの巨人の持っているハンマーでか?
あの質量を粉砕したら周辺への被害は?」
ヘパイストスは無言で望遠鏡を覗き城の大きさを測る。
後ろでチクタクが声を出す。
「Destroy! 農業区、芸術区、温泉区に無差別に瓦礫のrain、雨が降りそそぎます!」
ヘパイストスは望遠鏡から目を離した。その顔は先程とはうってかわって引きつっていた。
「その機械人間の言うとおりだ。
粉々になった城の破片が飛散する。しかし、工業区だけでも無事なら……」
申はへパイストスを叱責する。
「工業区だけで月が回ると思わないでいただきたい。
食糧難、文化資料の喪失、観光収入が激減すれば月の衰退は免れないぞ。
今すぐ、あのハンマーを捨てさせろ。そして城を受け止めさせろ!」
「いや、気持ちがわかるがそれは無理だ。
大型の機械人間に思考能力は無い。与えられた命令を遂行するのみだ。
ここから巨人まで走って命令を与えなおすにも、城が激突するほうが早い」
「打つ手無しなのか!?」
「ありません。
……ん、城に誰かいるな」
ヘパイストスの指差す先を、申は望遠鏡を向ける。
落下し不安定な城壁にがっしりと立つ二人。猪八戒と沙悟浄である。
「なんであの二人が……。いや、いったい何をするつもりだ?」
月面へと落ちるセラニアン城。それは大気を押しのけて田園に円状の波紋を作り出す。
城の外壁に立つ二人の僧侶。
強烈な向かい風が髪も僧衣も吹き飛ばさん勢いで激しく吹きすさぶ。
猪八戒は笑う。
「あの鋼鉄巨人のハンマーが見える?
あれを私の九歯馬鍬と悟浄の降魔宝杖で受け止める」
沙悟浄は半ば呆れている。
「正気とは思えない。潰されてしまうよ。
逃げたほうが賢明と言える」
「あら、私はいつだって賢明よ。
このままじゃ月は再起不能になる。
私には思い出の場所を守る策がある。これを賢明と言わずしてなんと言おうか」
「ふぅ、まぁ賢明か阿呆かはすぐわかることか」
「そういうこと。……さぁ、来るよ!」
水田に立つ鋼鉄巨人。下段の構えからハンマーを振り上げる。
それに向かって二人の僧侶は得物を前へと突き出す。
受け止めた。巨人の大鉄槌、馬鍬と宝杖にはばまれてセラニアン城粉砕ならず。
大槌に比べれば、彼女らの刃は針金のように細く頼りない。
それでも太上老君と玉皇大帝が遺した神器。易々とは退かない。
問題があるとすれば使い手である。八戒も悟浄も先の戦闘で疲労困憊。押し負け潰されれば、城が砕け散る。
鋼鉄巨人は考えることをしない。与えられた命令を忠実に実行する機械人間。力ゆるめず全力可動である。
馬鍬と宝杖に受け止められて、ハンマーを手にした両腕に負荷がかかる。鋼鉄の装甲が軋み震え大地が避けるような轟音が響きわたる。
増す力に耐えるため、足腰を落とし踏ん張る八戒と悟浄。
「「ぐあああああああ!!!!」」
だが二人の足腰よりも先に二人の立つ城壁がひび割れ音を上げる。
「「あああああああああッ!!!!!」」
気合の叫び。八戒と悟浄の足下から仙雲が急速に展開する。
それはまたたくまにセラニアン城の地上に対する面を覆う。
仙雲がクッションの役割を果たし、城壁の崩壊を食い止める。
だが、もう二人の腕はもたない。腕の感覚は麻痺し、手汗で滑る武器を握り直すこともできない。
猪八戒、泣き言を言う。
「もう……、駄目!」
「勝算あったんじゃないの!?」
「うううぅ、巨人の力が予想以上なんだよ!」
「この阿呆!!」
巨人の大ハンマーに押し負ける。数秒後には骨肉ともに紙より薄く潰されて赤い汁にされてしまうだろう。
悟浄は豚を信じてしまった自分の愚かさを呪い。玄奘三蔵の下に参上できなくなってしまったことを心の底から悔いた。
その瞬間、奇跡が起こった。鋼鉄巨人の力がゆるんだのだ。
巨人は水田のぬかるみに足を取られバランスを崩していた。
「今だ!」
どちらとなく叫ぶ。最後の力を出し切り手足を伸ばす。
巨人とていつまでも滑っていない。ティンカーの知恵とヘパイストスの技術の結晶である。すぐさま態勢を立て直しハンマーに力を込めなおす。
大鉄槌の力と二僧の神器の力が反発した。
鋼鉄巨人のハンマーと馬鍬と宝杖から発した力の波が猪八戒と沙悟浄へ、その二人から仙雲へ、そこからセラニアン城へと伝わった。
結果、鋼鉄巨人のハンマーが二僧含めセラニアン城を空に打ち上げたのである。
それは月の大気を突き抜けて宇宙へと押し戻した。
離れたところで事態の推移を見守っていた申とヘパイストスは唖然とした。
最悪の事態は避けることができたのに、開いた口が塞がらない。
猪八戒と沙悟浄は力尽きてその場で動けなくなった。ルルイエとの戦いはそれだけ過酷であった。
「あっはっはっはっ。我が策は完全無欠の完璧なり!」
「よく言う。城が落ちた場所が水田だったから巨人が足を滑らせたの。
運が良かっただけ」
城は速度をゆるめず宇宙を駆ける。
二人の目に金の砂塵に乗り待機するルルイエ軍と疲弊しきった月艦隊が入る。一瞬で過ぎ去ってしまったが。
浦島姫は狼狽し叫ぶ。
「信じられないっ! セラニアン城が押し返された。
どうしてっ。通天河の働きは!?」
魚籃観音も目を白黒させている。
「この作戦、セラニアン城の落下位置は重要だった。
芸術区ではロジャーズ博物館もろともアルハザードのランプも潰してしまう。
工業区では遠すぎて効果がない。
温泉区では火山帯が噴火しランプの回収どころではなくなる。
……だからこそ、だからこそ農業区を選んだのだ。
それが裏目に出た。月の兵器が泥で足を滑らすとは……。
他の地区だったら鋼鉄巨人がセラニアン城を粉砕していた……」
浦島姫は訴える。
「観音様、こうなったら月に攻め込むまでです。
ロジャーズ博物館を制圧しアルハザードのランプを――」
「ならん!
セラニアン城を月に落とせなかった時点で作戦は頓挫した。
今ここで月艦隊を葬ることは容易いが、無傷の月に下りれば大司祭の偉大な計画が露見する……。
作戦は……、失敗じゃ。撤退する。
……唐僧よ、これもお前の信念が成し遂げた奇跡なのか」
金の砂塵がルルイエ軍を覆い隠し、次の瞬間には散りいく煙の如く消え失せていた。
ルルイエ軍の撤退をもってセレファイス戦いは終結した。
鋼鉄巨人により打ち上げられたセラニアン城はラジウムロケット設置時よりも速度を増し、またたくまに宇宙を突き抜け幻夢境の空へと還る。
セラニアン城にへばりつく沙悟浄は猪八戒に尋ねる。
「ねぇ、この城はどこに飛んでいくの?」
「さぁね。でも、この勢いで飛んでいけば地上のどこかに激突。そこにある町だか村はご愁傷様ね」
「それって……」
「結局、誰かが犠牲になるしかなかったってことよ。あー、もう私無理だから。口しか動かないから」
「……となると、城が墜落するまでの命か。この八戒の阿呆。あんたの作戦なんかに乗るんじゃなかった」
「はいはい、全部私のせいですよ」
このままでは二人は、そして城内にいるトトはセラニアン城もろともお陀仏である。
もはや彼らにこの状況を打破する知恵も力も無い。ただただ奇跡を願うのみ。