第88話 セレファイスの戦い⑫S&Tの切り札
話はルルイエ軍ががセレファイスに侵攻、制圧した頃まで遡る。
月の議事堂。その廊下を足早に歩く男がいた。
男の名はオラボゥナ。ロジャーズ博物館館長にして月の芸術家理事の一人である。
オラボゥナは一人呟いている。
「どうして、なんで、ありえない。私は関係ない、私は関係ない、私が何をした?」
そして、小会議室の前で足を止める。
大きく息を吸い込み深呼吸、ゆっくりと扉に手をかけた。扉を開く、今まで開けたどの扉よりも重たく感じられた。
すでに円卓についた三人の理事の視線が集る。
イムホテプ建築事務所社長にして建築家理事のイムホテプ、スミス&ティンカー社CEOにして発明家理事のティンカー、そして桃柿温泉社長にして画家理事代理の申である。
ティンカーと申は無言でオラボゥナに敵意ある視線を向けた。
円卓とは別、上座に一席設けてあり、そこにつくは、なよ竹のかぐや姫。
「オラボゥナ、早く席につきなさい」
かぐや姫に言われるままオラボゥナは円卓につく。
「これより非公開理事会を始めます。
本日の議題は、月への侵攻を企てるルルイエ軍への対処です」
議長かぐや姫の宣言により非公開理事会が開催される。
非公開理事会は当然ながら民衆による傍聴は許可されず、議長、理事とその供の者のみの参加となる。
イムホテプが発言する。
「既に警察により、セレファイスからの侵攻予想ルートには防衛線が敷かれている。
問題は彼らは外敵に対しての実戦経験がほぼ皆無であること。ルルイエとの交戦は月史上初となる。
敵の戦力には未知の部分が多いため不確定要素も多い。和解の道を探るべきだと思う」
「オラボゥナ氏、ルルイエ軍の要求は既にご存知のことと思いますが。
私たちはこの要求について、あなたからの説明を求める」
申は冷ややかに言い放つ。
他の理事たちや出席者も同様の考えのようでオラボゥナを睨む。
オラボゥナは顔をあげることができず、ただ一点を見つめ冷や汗を流し、声を絞り出した。
「……私は知らない。私には何の心当たりもない。陰謀だ、これはルルイエの陰謀だ!」
これを受けて申はルルイエからの要求の写しを読み上げる。
「――我々はロジャーズ博物館が所有する全資産を要求する。この要求が受け入れられるならば、ただちに軍を収め撤退する」
一息ついてオラボゥナへ問いかける。
「私にはわからないので説明を願います。月には様々な産業がある、それらを無視してルルイエはなぜロジャーズ博物館を求めるのか?」
“ちくしょうルルイエは何を企んでこんな迷惑を? とんでもないとばっちりだ。
……まさかメリーランドの女王が狙いか!? いやいやあの滋養はラーン=テゴス様あってこそ。
はっ、まさか……”
「嫉妬だ」
思いをめぐらせていたオラボゥナは時間をかけてこの答えを出した。
「ルルイエの奴らは無窮にして無敵のラーン=テゴス様に嫉妬してこんな嫌がらせを思いつんたんだ。
そうだ、きっとそうです。私の財産を奪って妨害しようというハラでしょう。皆さん、ルルイエの挑発に乗ってはいけませんよ」
出席者は呆然としてオラボゥナを見つめた。ラーン=テゴスに嫉妬するなど、過去にもこの先にも永遠にあり得ないことと確信できる。
「オラボゥナ、真面目に答えなさい」
かぐや姫の言葉に、オラボゥナは心臓を南極の氷に叩きつけられる感覚を味わった。
申が再び発言する。
「私は五年前、ロジャーズ博物館でルルイエのインスマス人を目撃したことがあります。
彼らはゾス=オムモグの命令で立体映像の装置を探していたようです。
そして、それはラーン=テゴスの像の展示室で使用されていた!」
「……!!」
“くぁぁぁぁあぁ! ルルイエの狙いはアルハザードのランプか!
あれはニャルラトテップの沈没船から苦労して回収したアーティファクト!
だが、私ではあれを使いこなせない。あれは眼だ。眼だけでは何もできない。
どうして! オズの住民さえいれば……、ドロシー・ゲイルのためなら命を投げ捨てる覚悟のあるオズの住民さえいれば!
ドロシー・ゲイルさえ手中に入ればこんな状況なんぞ簡単に打破できると言うのに!”
「オラボゥナ!」
「!」
かぐや姫の叫び声に、オラボゥナは我に返る。
「オラボゥナ、私を無視しないように。
申の発言にあったことは事実ですか?」
「いやぁ、確かに立体映像装置はありますが。
ゾス=オムモグがそれを狙っていると? 証拠はあるのですか?」
申は答えた。
「証拠は無い。インスマス人が言っているのを聞いただけだ」
「なぁんだ! そんな噂程度の話なら私はこの件について何も話すことはありません。
私は生贄になるつもりはありません。博物館の財産も渡しません。
もっと有効な対応を熟考しようではありませんか」
「今は非常時です。その立体映像装置を提出してもらいます」
「あんたは! 以前から私の博物館を有害視していたな!
有事にかこつけて、陰湿な妨害工作をするのはやめたまえ!」
「なんだと!?」
「まぁ、待ちたまえよ」
声を荒げる二人にティンカーが割って入る。
「私だって月からロジャーズ博物館のような薄汚い見世物小屋が消えれば清々する。
だが、オラボゥナ氏、そんな感情的にならず落ち着きたまえ。
なぜなら月はロジャーズ博物館を見捨てない。ロジャーズ博物館をルルイエに売り渡すことは、すなわち月社会の崩壊を意味する。
ルルイエの要求をのめば、民衆とくにインスマス嫌いの蛙族の反発をまねく。
そして月は先の公開理事会以来、ストライキが民衆の常套手段になりつつある。
これは新たな社会問題ではあるが、人口比第二位を占める蛙族が一斉にストを起こしたら月の経済は立ち行かない。
それにロジャーズ博物館を差し出したところで、奴らの要求がエスカレートすることも懸念される」
「そうなると、ルルイエとの全面対決になりますね。
地上でではセレファイスと同盟関係にある大いなる深淵が動いているそうですが。
我々は先の公開理事会で、ノーデンスともニャルラトテップとも袂を別つことになった。
事実、ノーデンス派のオシーンは本国からの支援を打ち切られ失脚ののち追放刑。
ニャルラトテップ派のダ・カーポも失踪。ニャルラトテップの怒りに触れて処刑されたというのがもっぱらの噂ですが。
もはや我々は外部からの援軍は望めず、独力で対処しなければならない。
ルルイエから月を守りきる策がティンカー氏、あなたにはあると?」
イムホテプはティンカーに問う。
「もちろんある。
議長、私の部下より説明させます。発言の許可を」
「よろしい。許可します」
議長かぐや姫の許可が下り、ティンカーは理事の円卓と別の席にいる部下に目配せする。
各理事の関係者の席から愛想の無い無骨な男が発言する。
「自分はスミス&ティンカー社CTO(最高技術責任者)、ヘパイストスです。
これより対ルルイエにおける防衛兵器の説明をさせていただく」
そしてヘパイストスは一枚の図面を取り出す。
図面には人型のロボットが書かれていた。
「これはティンカーの考案した機械人間理論に基づき開発された拠点防衛兵器、鋼鉄巨人です」
オラボゥナが尋ねる。
「巨人? スミス&ティンカー社はそんなものを作っていたのか」
「開発コンセプトは機械人間の巨大化限界点。通常、機械人間に搭載される電子頭脳は自立思考、自立可動、発声の三大機能を備えてるが――
このうち自立思考と発声の頭脳容量を自立可動に回すことにより、大型の機械人間の生産が実現したのだ」
申は背後に控えている銅製のチクタクを一瞥した。自身の補佐として連れてきたのだ。
「なるほど、私もS&T社のロボットは一台所有しているが。あれはよくできている。
しかし、発声はいいとして自立思考できないようでは戦うこともおぼつかないのでは?」
そう言って首をかしげる。
ヘパイストスはうなずく。
「もっともな指摘だな。それが鋼鉄巨人の弱点でもある。自立思考が犠牲になったため臨機応変に戦闘することはできない。
が、事前に必要動作と敵味方の識別をプログラムすることで対応可能だ。動きは単調ではあるが稼働した鋼鉄巨人を止めることなど並大抵の力では不可能と断言する」
「全高三十メートルだ。敵に与える威圧感は相当なものだろう。
これだけの巨体を誇る機械兵器は他に類が無い。武装は大型ハンマーでそのパワーと質量であらゆる敵を叩き潰す。
月面最終防衛線の切り札だ。降下してくる魚人どもはこれで殲滅する」
CEOティンカーは抜け目ない、ルルイエの侵攻を新製品のデモンストレーションとして利用しようと企んでいた。