第86話 セレファイスの戦い⑪イソップの呪い
月艦隊旗艦はセラニアン城のラジウムロケットの炎が弱まっていることを確認した。
「アクティアスの矢はラジウムロケットに対して効果を挙げていない。
何事が起きている?」
カチカチ長官の問いにガマ刑事が答える。
「何者かがセラニアン城のラジウムロケットを破壊しております」
「なに?」
カチカチ兎は望遠鏡でセラニアン城を観察する。
「あれは沙悟浄!
あの仏弟子、どれだけ月に恩を売るつもりだ。
ラジウムロケットに矢を集中させろ!」
セラニアン城底部。ラジウムロケット密集帯では沙悟浄が降魔宝杖をふるい次々とロケットブースターを引き剥がしていた。
「お待ちなさい!」
浦島姫は悟浄を追うが、釣竿の糸は切れたため本来の力を出し切ることができない。
悟浄は悟浄で、たくみにラジウムロケットの炎の裏に隠れて浦島姫の追撃をやりすごす。
「ちょろちょろふらふら逃げ回る。それが仏門の戦い方なのですか?
如来の名を汚し観音様の慈悲を踏みにじる破戒僧。
仏弟子の意地があるなら正々堂々と戦いなさい」
見え透いた挑発。理解しながらも、悟浄は今すぐにでも飛び出して浦島姫を叩きのめしたい衝動に駆られた。
ラジウムの炎が照りつく。降魔の杖も熱を帯びて悟浄の手のひらを焦がす。
熱に乱される平常心。侮辱に屈辱。悟浄は怒りをぶつけた。
その怒りは理性的に、敵を苦しめるために最良の手段を選択した。
すなわち浦島姫を回避し、一つでも多くのラジウムロケットの破壊すること。
「痴れ者めっ!」
浦島姫は叫び悟浄を追いかける。が、月艦隊から放たれるアクティアスの矢に行く手を阻まれる。
「このままでは月に辿り着けない」
「お嬢、諦めるな!」
主人を励ます通天河。
「俺に考えがある」
「何をする気ですか?」
「ラジウムロケットを一基潰して活路を開く!」
「!?」
浦島姫の追撃が止まった。
諦めたのだろうか。沙悟浄はこの機に粛々とラジウムロケットを破壊する。
そのとき目の前のラジウムロケット一基が城の基礎を破壊し石レンガを撒き散らしながらせり上がった。
「ぬぐおおおおおおおおお!!」
「ッよおいしょおおぉぉぉぉ!!!!」
浦島姫と通天河が低いうなり声を響かせて、炎噴出すラジウムロケットをセラニアン城から引き剥がしているのである。
これに悟浄は混乱する。
「自分たちが守っていたロケットを壊している? 気でもふれたか!?」
「お嬢、仏弟子は任せた!」
「通天河も月の船を!」
ラジウムロケットが剥がされた部分にはぽっかりと大穴が開いた。
そこに浦島姫と沙悟浄を阻んでいたラジウムの炎はない。
大穴が開いたとて上も下も無い宇宙では障害にはならない。
浦島姫は悟浄にとびかかり組み付いた。
「このまま、このまま時を稼げばセラニアンは月に落ちます。
我らの悲願が達成されるのです!」
「馬鹿な! 月の艦隊がこの機を逃すはずがない。
ルルイエの邪悪な野望もここで潰える!」
「ふふふ、それは旗艦が無事であればの話ですよ」
「何っ!?」
悟浄の眼前で通天河は剥がしたラジウムロケットに張り付いた。そして月艦隊に向かって飛びたった。
カチカチ兎の旗艦からも、特攻を仕掛ける一基のラジウムロケットを確認できた。
セラニアン城という巨大な負荷から解き放たれたロケットは旗艦めがけて加速する。
そのロケットにしがみつく大海亀にカチカチ兎は動揺し指示を出すのが遅れをとった。それは狐族の王子ドックスとの会話を思い出したからである。
赤い貴族服をまとった狐族の若き指導者ドックス。彼はカチカチに要注意人物の名を伝えていた。
「もし月にイソップという者が現れたら、すぐに逮捕して裁判にかけるべきですな。極刑が望ましい」
「ほう、それはなぜです?」
「奴は、あらゆる動物たち――、特に狐族を侮辱する怪文書をあちこちに流布している。
もちろん被害者は狐族だけではありませんぞ。あなたがた兎族も辛辣に侮辱しているのです」
「それは……、いったいどんな内容なのです?」
「兎が亀と競争して敗北してしまうという、大自然の摂理をも恐れぬおぞましい内容です」
「ははは、私たち兎族が亀と競争してどうして負けるというのです?」
「そこがイソップの油断ならぬところなのだ。くれぐれも軽く見ず、徹底的に対処すべき危険人物だ」
「わかりました。覚えておきましょう」
巨大な海亀がロケットに乗って迫りくる様に、カチカチ兎は「これと競争して勝てるわけがない。兎が亀に負ける」と狼狽し集中力を切らしてしまった。
これが判断を鈍らせ指示を遅らせた。カチカチに限らず兎族は動きの遅い種族を一段下に見る傾向がある。それが災いした。
「イソップ……、はっ! 回避! 回避だ!!」
旗艦は船首を上げてラジウムロケットから逃れるため回避行動をとる。
ロケットの剥き出しのエンジン部分が旗艦の船底をえぐり、ブースターの炎が燃えうつる。
操舵手が大声ながらも取り乱すことなく状況報告する。
「舵が効きません。航行不能です」
船底が大破した船は沈むのみ。それは宇宙を駆ける船も同じことである。
そして、落ちた船は旗艦である。艦隊に動揺が広がった。
命令を忠実に守りセラニアン城への攻撃を続行する船、長官を救出すべく攻撃を中止し救助援護にまわる船とに二分された。
沙悟浄の口から空気が漏れる。
「月の旗艦が落ちた……」
セラニアン城からでも分離したロケットの衝突は確認できた。
「流石、通天河。ルルイエの誇り高き戦士!
旗艦を失い指揮系統は乱れましたわ」
勝ち誇る浦島姫を悟浄ははねのける。
「私は月の者ではない! この降魔の杖で、全てのロケットを壊してみせる」
「無駄よ、無駄よ。ルルイエの勝利はゆるぎませんっ!」
依然として月残存艦隊からアクティアスの矢は放たれている。次々とラジウムロケットを破壊し、噴出される炎も弱々しくなっている。
「でいやぁ!」
浦島姫を突き飛ばし、悟浄の降魔宝杖の一撃が最後のラジウムロケットにとどめをさす。もはやセラニアン城が月に落ちることはない。
そのはずだった。
「お嬢、潮時だ!」
通天河が浦島姫を迎えに来た。
「セラニアン城は月に落ちる。後は待つだけだ」
「馬鹿な! 城を動かすロケットは全て潰した!」
悟浄の驚きを、浦島姫はあざ笑う。
「ほほほ、城は既に月の上空に達したのですよ。宇宙ではなく空にね。
空にあるものは必ず地上に落ちるのですよ。うふふふ」
事実、セラニアン城の加速は止まらない。ぐんぐん月への衝突コースを進んでいる。
先刻、猪八戒が外壁に開けた穴からは金色の砂が噴出する。
これは魚籃観音の術で、仙雲の術を応用したものである。仙雲は便利な乗物、移動手段ではあるが宇宙空間では形を維持することが難しい。
だが、この金砂は一粒一粒が星の種であり、魚籃観音はこれを操り仙雲と同じように乗物として用いていた。仙雲ならぬ星雲である。
これに魚籃観音だけでなく、城内のインスマス人の軍団も率いられていた。その中にゾス=オムモグと猪八戒の姿は無かった。
浦島姫は通天河の甲羅に飛び乗る。
「私たちは、セラニアン城が月を焦土にする様を見物させてもらいます。
あなたも命が惜しければ逃げることですよ。ふふふふ」
言い残して城から離脱していく。
城が月に落ちるとわかった途端、悟浄は浦島姫の嘲りを聞き流し外壁を駆けた。
城から離脱するルルイエの中に猪八戒の姿は無かった。取り残されているということである。
仲間を助け出す為、再び城内へと突入する。