第82話 セレファイスの戦い⑦死せる者は去れ、生ける者は留まれ
セレファイス上空、浦島姫は致命的なミスを犯していた。
「……沙悟浄がいません」
敵を見失った上、その眼下では竹林の一部が魔犬の群れよって被害を受けている。
「……今降りたら、沙悟浄に奇襲される。
しかし、竹林を放っておくことも……」
浦島姫は周囲の警戒を怠らず、漆玉を地上に投げ下ろし魔犬の動きを鈍らせる。
胆力のある犬の中には漆玉を破壊しようとしたが、浦島姫はたくみな竿裁きで攻撃をかわす。
一方、沙悟浄はポリクロームとともに仙雲に乗って、浦島姫のすぐ近くを飛行していた。
至近距離においても気付かれないのはポリクロームの虹の魔法。
光を屈折させ青空に溶け込んで姿を隠し、浦島姫の目をくらましていたのである。
「このまま逃げたほうがいいと思うよ?」
ポリクロームは訴えたが、沙悟浄はそれを拒む。
「いや、どうしても菩薩様を説得する」
「無理よ、あなた一方的に斬られてたじゃない。
また同じことよ」
「……わかった。でも、ルルイエの企みだけでも知っておくべきよ」
「うん、でも無茶は禁止よ」
沙悟浄とポリクロームは、浦島姫から距離をとり天空城セラニアンの底部を飛ぶ。
「あれ、何かしら?」
「?」
ポリクロームは不思議そうに銀色に輝く物体を見つめていた。
巨大なおわん型の何か。金属の管が血管のようにいくつも延びている。
それが一つだけではなく幾つもセラニアンの底部に取り付けられている。
城の外壁を破壊して無理やり設置した様子である。
「……装飾だったとしたら悪趣味ね」
「うん、私もセラニアンは何度か見たことがあるけど、これは初めて。
ルルイエが取り付けたんだと思う」
彼女たちが見た物体の正体。
ある特定の時代の人間なら、素人でもそれが何だか理解できる。
ロケットエンジンのブースターである。
沙悟浄とポリクロームは姿を隠したまま外壁の亀裂から城内へと侵入する。城の内部も配管が張り巡らされている。
沙悟浄は配管に手を当てる。
「……暑い。これ、中は空洞ね。何かが中を通ってるみたい」
「怖い。何だか見てはいけないものを見てる気がする」
「しっ、誰か来る」
正面からインスマス人が二人歩いて来る。もちろんポリクロームたちは光を屈折させて隠れているので魚人たちに存在が気付かれることはない。
「異常ないな」
「あったら困るさ。作戦が頓挫する。
……ところで室町生まれ、お前人間の血が濃いよな」
「あぁ、俺の親父は人間だからな」
「そうか」
「親父は子供の頃に俺の爺さん婆さんといっしょにダゴン様に保護してもらったんだ。
親父は最初のうちは周りに馴染めず苦労していたとお袋が言っていたよ。
とくに夜や嵐の日は海で遊ばせてもらえなくて寂しい思いをしていたらしい」
「それはそうだ。人間は簡単に溺れ死ぬ。泳ぎが下手くそだからな。
おまけに頭も悪い。あいつら俺たちの見た目と臭いを嫌うくせにショゴス整形術受けた仲間には簡単に引っかかるからな。
……いや、悪い。お前の親父を悪く言うつもりはなかった」
「親父の名誉のために言っておくが、お袋は整形手術を受けたことが無い。親父はありのままのお袋を受け入れていた。
いいって、そんな顔しないでくれ。人間が愚かな生き物というのは事実なんだから。
今回の作戦だってラバン・シュリュズベリィのプレゼントのおかげだしな」
「違いねぇ。
……お前の親父は立派なインスマスだよ」
「ありがとう。親父は俺の誇りだ」
彼らは沙悟浄らの存在に気付くことなく立ち去っていった。
「……今の話、理解できた?」
沙悟浄の問いかけに、ポリクロームはサッパリと言わんばかりに首を横にふった。
だが、この情報は後々に何かの役に立つかもしれない。沙悟浄は今の会話を記憶に留めた。
二人は城内を進む。何人かのインスマス人とすれ違ったが、彼らは武装した兵士というよりは職人や呪術師といった雰囲気でスキだらけだった。
「どう見ても非戦闘員。
セレファイスを襲撃した兵は引き上げてしまった?
八戒の見たてどおり、ルルイエ軍はここを守る気がない?
しかし、彼らの狙いは月にあるようだし、そこで戦力を削るはずが無い。
まさかもう月へ進軍済み?」
沙悟浄は敵の動きが読めず困惑していた。
一方、ポリクロームは軍事にはまったく疎かったので、別のことに気を使っていた。
「……魚籃観音の声がしない? 何か呪文を唱えているような」
「観世音菩薩様ね」
悟浄はやや語気を強めて訂正した。
ポリクロームの耳をたよりに進む。どうやら玉座の間にいるようで、大きな装飾扉の前にたどり着いた。
「……扉が閉じているね。開けたら気付かれるよ」
「悟空なら羽虫に化けて隙間から侵入できるんだけど。
いや、そもそも化けれても菩薩様の目を誤魔化せるかどうか……」
「でも、ここでじっとしていてもどうにもならないよ。引き返す?」
悟浄が窮してうめいていると、先程、室町生まれと呼ばれていたインスマス人が単独で足早にやってきた。
そして、玉座の間の扉を開けて中へ入った。
悟浄とポリクロームは反射的に室町生まれの後を追い、彼が扉を閉める前に玉座の間に滑り込んだ。
「ゾス=オムモグ様、ラジウムロケットの準備が整いました。いつでも発射可能です」
「ご苦労。我らルルイエが文明国の力を手中に収める日は近い」
ゾス=オムモグ。それはセレファイスを奇襲し制圧したルルイエ軍の指揮官である。
いったいいかなる神なのか。沙悟浄とポリクロームの興味は尽きず、玉座の位置に鎮座するルルイエの神に視線を送った。
その姿にポリクロームは口を手で押さえて悲鳴をこらえた。
その姿に沙悟浄は息を呑んだ。だが、レン高原に降臨したアザトースに比べれば秩序だち整った容姿。
竜の頭蓋骨のような白い頭部に、首周りの襟巻きは四つ星のヒトデのように蠢く。
手足の無い胴体はナマコのように伸縮脈動し、見る者によりいっそうの不快感を与える。
その名状し難い怪物はクラネス王の玉座にかけていた。
かけているというよりは、かけているつもりなのであろう。その巨体は玉座よりはみ出し、その重量で潰れてばらばらになっていた。
もし、この有様をクラネスを見たら、屈辱と不快さで卒倒したことだろう。
ゾス=オムモグ正面の床には、魔方陣が描かれその中央には蓮華があり魚籃観音が座している。
「死せる者は枯れよ、生ける者は伸びよ……」
一心不乱に同じ呪文を詠唱していた。目を閉じ精神統一をしているためか、隠れている悟浄たちに気付く様子は無い。
沙悟浄はこの文言に聞き覚えがあった。
“あれは確か「死せる者は去れ、生ける者は留まれ」だっけ。
菩薩様が霊感大王(金魚の堕天)を捕縛するときに使った術。
捕縛するときには竹カゴを河に投げ入れて……、竹!?”
真っ先に思い起こされるのは、セラニアン直下の竹林。
通天河はケアンテリアのトトを始末しようと急降下突撃。
だが異変が始まった。
竹という竹が成長を始め、天に届かんばかりに伸び始める。
猪八戒、思わず一本にしがみつく。それはへばりついた豚などおかまいなしに成長し、空へと押し上げる。
「ひょえええええ!!!!!」
通天河は竹林に遮られてトトへの攻撃を断念。離脱し高度を保つ。そして勝利の雄叫びと言わんばかりに狂喜する。
敵を討ち取ることよりも、順調に進む計画に重きを置いている証明である。
「やった! これでもう竹林を守る必要は無くなった。
ラジウムロケットを止めることは誰にもできない! 勝った!」
「へっ、ラジウムロケット?」
猪八戒は道教神族であったが、月の工業最高峰スミス&ティンカー社に以前勤めていたので、その名を知っていた。
「ラジウムはエネルギーのある光る石。で、ロケットはそれを燃料に飛ぶやつだよね。
それが竹と何の関係が……。そもそも肝心のロケットは?」
何気なく上を見上げる。そこにあるのは天空城セラニアン。その底面で銀色に輝く幾つものロケット噴射口。
「あぁ、城ごとラジウムロケットにしたわけだ!」
全てに納得がいった。
月への攻撃に向かないセレファイスの制圧は、セラニアンという大型ロケット資材の確保のため。
竹林はセラニアン城を空へ運び上げる発射台で、燃料の節約と重力下におけるロケットにかかる負荷の軽減。。
セラニアンに取り付けられたロケットエンジンは言わずもがな月への強襲手段。
「あれだけの質量。月の防衛線を楽々突破できるでしょうよ。
しかし月への不時着はどうしても減速する必要が。そのときはスキだらけに。
……まさかっ、セラニアンをそのまま月にぶつけるつもり!?」
月という勢力の強みは、優れた芸術家たちによる美術品の数々と確かな技術力に裏打ちされた工業製品による経済力である。
だからこそ、ノーデンスもニャルラトテップも月には軍隊ではなく政治家(芸術家理事)を送り込んだ。
月の産業を破壊すれば、その価値を大きく損ねる。得られるものは何も無い。
「あんたたち! 月を追放されたのがそんなに憎い!?
全部ぶち壊そうって言うの!?」
猪八戒はルルイエの狂気に怒声をあげる。
ラジウムについての雑記
ラジウムロケットはクトゥルフTRPGに登場するということを後々になって知りました。
なんでラジウムという言葉を使ったのかといえば『オズの魔法使い』やクトゥルフ神話が花開いた1900年代のアメリカにおいて代表的な放射性物質だからです。
キュリー夫妻が発見したこのラジウム、当時のアメリカでは万能薬のような扱いを受けており、それを使った健康グッズが多く流通していたそうです。
多用して死者が出たなんてケースもあったとか。某H水は健康被害がないだけ良心的かもしれませんね。
また、オズシリーズ『The Patchwork Girl of Oz』でもラジウムのエピソードがあります。
となれば核ロケットを登場させるからにはラジウムを使ってみたかったという次第です。
クトゥルフTRPGにラジウムロケットを登場させた方も、1900年代のアメリカの世相を反映させたかったんじゃないかなぁと勝手に想像しております。