第81話 セレファイスの戦い⑥通天河(アーケロン)緊迫
「お嬢、危ねえ!!」
浦島姫を背に乗せて空中にあった通天河は怒声をあげて身をよじる。
浦島姫の放った漆玉は軌道が狂い悟浄の頭部すれすれを飛び、その背後の石畳を粉砕した。
「!?」
浦島姫は釣竿で自身の身を庇う。庇わなければ彼女は身体に九つの穴を空けて死んでいただろう。
釣竿に九歯馬鍬の歯ががっちりと挟まっていた。
その武器を握っているのは、持ち主である猪八戒。
「危ない危ない。もうちょい遅ければ悟浄の頭が味噌豆腐になってたわ」
浦島姫は仙雲に乗った猪八戒を押し返す。
「沙悟浄の次は猪八戒か。ちっ、桃太郎の家来はいねえのか?」
通天河がはき捨てるように言うので、八戒はやや困惑する。
「?」
「十二冒険者のうち二人が目の前にいる。そして文明国の犬もな。
となれば桃太郎の家来がいても不思議じゃねえ」
また十二冒険者の話をしてると呆れながらも、八戒は機転を利かせる。
「その通り! 桃太郎の家来、申、戌、酉がこちらに向かっている。
これであんたたちの邪悪な陰謀はお終いよ。観念なさい」
「くくく、浦島家の従者として、日本救国の英雄と戦えるとはこれ以上無い誉れ。
まずは前哨戦。貴様を焼き豚にして景気づけといこうじゃあないか!」
「あ、あれ?」
逆に通天河の闘志に火をつける形になってしまった。
浦島姫も猪八戒は沙悟浄以上の強敵と認識したようで、釣竿を振って殺意をたぎらせる。
この流れ、猪八戒にとって非常に好ましくない。
先のハイドラとの戦いでは巨獣化による力押しが通用せず逃走。巨獣化による体力の消耗によって空腹の状態。
空きっ腹を抱えて正面切って戦えば、確実に殺される。
確実に殺せるならば、浦島姫も通天河も手を抜かない。
古代亀はトリッキーに空を泳ぎ、その背で乙姫は巧みな竿さばきで、正確無比に漆玉を猪八戒に飛ばす。
猪八戒は九歯馬鍬で漆玉をはじき返すが、浦島姫は間髪入れずに玉を繰り出し息つく暇を与えない。
もちろん漆玉からは老化の白煙が滲み出しており、少しずつ少しずつ八戒を消耗させていく。
間合いは徐々に離れていき猪八戒の馬鍬は届かない。一方、浦島姫の釣り糸は長く丈夫で攻めの一手。
八戒は疲労が溜まり、馬鍬の動きも鈍る、勝負が決するのは時間の問題。
だが、戦いの行方とは個々の能力や戦況の優劣だけでは計れない側面を持つ。
相手より戦闘力が高いとか、経験が豊富だとか、持って産まれた才能だけでは判断できない。
だからこそ相手が何者であっても油断をしてはならいし、勝利を確信することは危険である。
現実に猪八戒は浦島姫に比べ消耗し不利である。まともに戦えば負ける。
そこで、この離れた間合いが活きてくるのである。
猪八戒は、正面の敵に無防備な背を向けることなく、魚籃観音の竹林に入り込んだ。
「!!!!」
これには浦島姫も通天河も面食らう。
釣竿釣糸の利点は遠距離からの予測不能の幻惑攻撃にある。それは空や海といった開けた空間で発揮される。
逆に狭い木々の間に入り込まれてはその動きは制限される。もちろん浦島姫の力を持ってすれば竹林を破壊して猪八戒を攻撃することは出来る。
しかし、ルルイエの作戦の性質上、竹林は死守すべき施設であり破壊するわけにはいかなかった。
竹林の重要性については猪八戒は看破しており、一時的とはいえ自身の安全を確保したことになる。
「うぅん、ほとんどのタケノコは成長してしまったようね。
でも、もしかしたら、まだタケノコがあるかもしれない」
猪八戒は鼻で食べられそうなタケノコを探す。
「お嬢の武器では竹林の中は不利だ。俺が行く」
通天河は浦島姫を背から下ろして竹林に分け入る。
しかし、全長四メートル幅六メートルの身体は群生した竹林では思うように前に進まない。
「やった、見っけ」
八戒は土に埋まったタケノコを掘り起こし、そのまま貪る。
「この豚がぁ! 観音様のタケノコを食いやがって。
ぶっ殺してやる!」
通天河はわめき散らして迫るが、どうしてももたついてしまう。
八戒、タケノコを口に入れたまま聞きなおす。
「エッ? 今、観世音って言った?」
「そうだ。貴様らの救い主、今や観世音菩薩は魚籃観音を名乗りルルイエの導き手となった」
「あぁ、そう」
「なっ、なんだその無関心な態度は!」
通天河のことなど、おかまいなしに猪八戒はタケノコを掘って食べ続ける。
「もぐもぐ、いるんだよね。偽の情報を流して混乱を誘う奴。
菩薩様がルルイエの仲間になるわけないじゃん。もぐもぐ、おいしっ!
露骨すぎんだよね。嘘つくのが苦手なら無理すんなよ。阿呆が」
「殺す!」
通天河は怒りに任せて竹を押しやってせまる。
「はい、すきあり」
八戒は機敏に九歯馬鍬を突き出して、通天河を迎え撃つ。
衝突音は竹林を震わせて、竹の葉を鳴動させる。
「なんですって!?」
八戒は驚愕する。
通天河もまた機敏。甲羅でたくみに馬鍬の一撃を防ぐ。
「あのブリキの木こりの斧ですら俺を殺すことはできなかった!
貴様の農具で傷がつくかよ」
猪八戒は馬鍬を引っ込め地面に刺す。地面に九つ溝をつけながら、ゆっくり後ずさり。
“この亀って他人の記憶をほじくり返すのが趣味なのかしら?
ブリキの木こりっていったら孫兄と互角の金じゃない”
「おい亀、私に近づくな。この馬鍬を一振りすればここらの竹は全滅だよ」
「この豚、やれるもんならやってみろ。竹が無くなった部分は開ける。
貴様の命で償わせてやる」
「……」
通天河は、この密集した竹林でも攻撃を防げる程度には動ける。
一方、猪八戒は埋まったタケノコで腹を満たすまでは戦闘を避ける姿勢。
竹林の外から竹を削る音が響く。
通天河が竹林の外を見れば、魔犬たちが竹の幹に噛み付いて折ろうと牙を動かしている。
図体の大きな魔犬たちは竹林には入れないため外から竹林を攻撃し、通天河への道を作ろうとしていた。
「この犬どもめ、やめやがれ!」
通天河の叫びはむなしく響くだけ。
そして、密集した竹林をものともせず侵入する小型犬の影。
「げっ、トト!」
通天河はトトを警戒し上昇する。
「ナイス、トト。あの亀を見張ってて。
私は、このスキにタケノコをいただくから!」
猪八戒は次々とタケノコを掘り出していく。
「くっそ、ここで見ていることしかできないのか」
通天河の眼下、犬と豚によって竹林が破壊されていく。
「……貴様らいい加減にしやがれ!
何が文明国だ! こんな小型犬がなんだってんだ!!
クトゥルフ様や観音様の力が勝っているに決まっている!」
通天河は怒りの咆哮をあげ、黒いケアンテリアに向かって急降下突撃を繰り出した。




