第78話 セレファイスの戦い③天罡刀、三十六振り
「ああああああ!!!!!!」
沙悟浄は絶叫した。心はかき乱された。怒りと失意。
叫びとともに宝杖を振り上げて、魚籃観音へ打ってかかる。
刃が魚籃をつらぬいた瞬間、その身は蓮華の花弁となって舞う。
次の瞬間には別の場所に魚籃は立つ。
「捲簾将よ、あなたほどの腕前があれば観音を語る賊など簡単に討ち取れるでしょうに」
悟浄は再び魚籃に向かって宝杖をふるうが、やはりただいたずらに蓮華が舞い散らせるだけ。
「あぁ、可哀そうに。今のあなたは流砂河の頃の人食いの化け物に戻ってしまった。
友も無く、希望も無く、使命も無い。ただ混乱と破壊をもたらす卑しい者」
「さえずるな!! 私は……、あの頃とは違う!」
悟浄は怒りに任せ連撃を繰り出すが、ことごとく不発に終わる。舞い散る蓮華が地面を桃色に染める。
「可哀そうな子、可哀そうな子、可哀そうな子。
信じて旅に出たけれど、頼りになる仏はもういない。
仏道に導く者はもういない。
さぁ、沙悟浄。今一度、私の導きにその身に委ねなさい。
クトゥルフ様こそ森羅万象を司る。ルルイエはその庇護のもと永劫不滅の楽園となる。
さぁ、沙悟浄。そのみすぼらしい黄色い僧衣を捨てて私のもとにおいでなさい」
「黙れええええええ、この偽者があああああああ!!!!!!」
悟浄の心の波は激しく荒れる。
偽者と呼びつつも、心の中では本物ではないかという思いが強まる。
この偽者は沙悟浄の過去を知っていた。
悟浄の過去を調べることは難しいことではないが、彼女がここにいることはルルイエにとって想定外のことである。
偽者がたまたま観世音の姿を真似て、たまたま悟浄の過去を知っているとは考え難い。
そして今、疑惑は確信に変わる。
悟浄は腹に鈍い痛みを覚える。それを見ると、一振りの天罡刀が自分の腹に突き刺さっていた。
「うっ、あ……」
沙悟浄は孫悟空や猪八戒ほど武勇に優れてはいないが、捲簾大将、すなわち護衛長であった。
護衛長が敵の攻撃を見逃すなど、そうそうあることではない。相手は並々ならぬ実力者である証明であった。
天罡刀を握るのは魚籃観音の白く細い右手。そして左手にも同様に天罡刀が握られている。
つい先刻まで何も手にしていなかった。まったく突然に忽然と武器が現出したのである。
「いくらあなたが憐れでも、いつまでも聞き分けが無いのであれば折檻。苦痛を与えます。
さまよえる妖魔を導くのもまた我が役目」
さらに魚籃の背から三十四の腕が伸び、その全てが天罡刀を握っている。
「これからあなたを厳しく躾けます。今、一回刺しましたから、あと三十五回刺しますよ。
辛くても苦しくても許しませんよ。私はただあなたに正道に戻って欲しいだけなのです」
「はぁはぁ……、ルルイエが正道とは思えませんね。
それに腹を剣で刺される拷問ならなれてますよ」
「反抗的です!」
二本目の刀が悟浄の腹を切りつける。
「うぅっ!」
「あと三十四回」
三本目の天罡刀が振りおろされる。
悟浄は魚籃の動きは読めなくとも百戦錬磨の強者、反射的に宝杖を構え三刀目を防ぐ。
腹部にまた一つ鈍い痛みが走り血が滴る。確かに宝杖の三日月の刃が天罡刀を防いでいる。
が、別の腕、別角度からの一刀。
ポリクロームは悲鳴をあげる。
「もうやめて! 悟浄が死んじゃう!」
「死にはしません。死なないように加減して斬っています。
あと三十三回ですが大丈夫。絶対に死なせません。
安心なさい……、あなたは……、虹の娘?
安心しなさい、虹の娘」
そして魚籃は刃を振り上げる。
「まだ半分もいってませんよ。四刀目です」
振り落ろされる天罡刀。
魚籃と悟浄のその間。ポリクロームが立つ。
ぎらつく刃がポリクロームの白く小さい手に触れる。
「……もうやめて」
「退きなさい。あなたには無関係なこと。
ただ感情に振り回されて飛び出しているのなら、それは愚かな行為ですよ」
「ううっ……」
悟浄の刃がポリクロームの手のひらをうっすらと傷つける。
猪八戒と戌を止めたときのようにはいかなかった。
「どけっ!」
悟浄の怒声が響きポリクロームを突き飛ばす。天罡刀四撃目が悟浄の胸を貫いた。
「ど、どうして?」
ポリクロームは困惑に震え、口から血を吐き出す悟浄を見つめる。
「私は……、捲簾大将だ。
誰かを護ることはあっても、誰かに護られることはない。
なに、心配は……、ごふっ、心配いらない。
流砂河時代はこんなこと日常茶飯事だった」
そして、まっすぐ魚籃観音を睨む。
「!?」
当の魚籃観音は。泣いていた。
目から頬を伝って雫の軌跡を作る。
「そう、あなたが流砂河にいた頃は本当に悲惨で。
覚えていますか? あなたと初めて会ったとき。
私はあなたを仏道に導こうとしましたが、結局、無駄になってしまった。
だから私に責任をとらせてください。今度こそあなたを正道に導きましょう」
「お断りします。
私にとって正道は仏道であり、ルルイエではない」
「……続行です。五刀目いきます」
悟浄は五本目の天罡刀を睨む。血を流しすぎ進退窮まった。ただ気力のみで抗う覚悟。
ポリクロームは沙悟浄にしがみつく。
「お願い、もうやめて! こんな拷問になんの意味があるっていうの!?」
悟浄は息が絶え絶えになりがらも、虹の娘を穏やかにさとした。
「私から離れなさい。もともと傷だらけの身体に三十六の傷が増えるだけの話よ。
私の心がルルイエに傾くことはない」
魚籃観音の腕が悟浄からポリクロームを引き離し。
そして、五刀目を振りかぶった。