第77話 セレファイスの戦い②竹林の女神
セレファイス市街を進む沙悟浄とポリクローム。
「妙ね、ルルイエの兵はこの辺りにはいないみたい」
ポリクロームは答える。
「別の場所を守っているのかも。たとえばここより重要な場所とか」
「ありうる話ね。あるいはやはり八戒の読みどおり、ここを防衛する気なんて無いのかも」
更に街の中心部へと進む。やはり守備兵はいない。
「あれは……」
悟浄にとってセレファイスは初めてではない。街並みはある程度記憶していた。
その彼女の目に見覚えの無い景色が映る。
家々の屋根を越すほどに生育した竹林が広がっていた。
「情報にあったタケノコが成長したのか」
「あぁ、これじゃあ八戒さん、タケノコは食べれないね」
ポリクロームに悟浄は言葉を返す。
「八戒なら、あれでも食べることはできるわ。
まぁ、嫌がるでしょうけど」
「凄いね。
……あ、空を見て」
「?」
ポリクロームが指差すはるか上空、クラネス王の空中宮殿セラニアンが浮遊している。
「それが?」
「ちょうど真下よ、竹が生えてるの」
「!」
ポリクロームの指摘どおり、竹林はセラニアンの直下を中心に広がっていた。
「つまりどういうこと?」
「さぁ?」
疑問は解けないまま二人は竹林の端に辿り着く。
うっそうと生い茂る竹。ここにもインスマス人の警備は無い。
二人は建物の影から様子を伺う。
「……誰もいないみたいね」
「八戒は、この竹がルルイエの作戦の要とにらんでいたけど」
「悟浄さん、どうする?」
「……誰もいないようだし。今のうちに竹を切ってしまおう。
ポリクロームはこのままここに隠れてて」
「うん」
沙悟浄は一人竹林に近づいて、降魔宝杖をふるう。
一振りで範囲内の竹はなぎ倒されていく。が、竹林は広く竹自体の生命力も強い。根絶やしにするには時間が必要である。
それでも悟浄は顔色一つ変えず黙々と伐採を続けた。
「ねぇ、沙悟浄」
背後からポリクロームの声がする。
悟浄は振り向くことなく伐採を続ける。
「ポリクローム、隠れててって言ったでしょ。竹が倒れるから危ないわよ」
「……そうなんだけど、ルルイエに見つかっちゃった」
「!?」
この間、悟浄はポリクロームの気配しか感じていない。
誰かが近づけば、例え視界に入っていなくとも気付く。
強敵がきた。
沙悟浄は降魔宝杖を握り直し、すぐさま振り返った。
「え、え? ええぇ?」
彼女は阿呆丸出しで言葉にならない声を喉から漏らした。
不安そうな表情を浮かべるポリクロームがいる。
その背後。乱れた黒髪を背中まで伸ばし、純白の衣をまとう女神がいた。
最後に会ったときと大分風貌は変わっているが悟浄はその女神を知っている。
その名を口にする。
「観世音菩薩様……」
降魔宝杖を投げ捨て、その場にひれ伏した。
ポリクロームは状況を飲み込めず困惑する。
観世音菩薩は前に進み出て優しく微笑んだ。
「沙悟浄、久しいですね」
「菩薩様こそ、よくご無事で」
「えぇ、私は大丈夫ですよ」
「先程、如意棒を見ました。悟空もいるのですか?」
「レン高原以来、孫悟空の消息は知りません。それに如意棒はもう悟空のものではないのです。
そんなことよりも、どうしてお前は私の竹林を破壊するのです?」
「え……」
悟浄は背筋が凍った。菩薩にとって孫悟空は気にとめるほどのことではないらしい。
そして、この場違いな竹林の所有者は観世音菩薩だという。
菩薩は続ける。
「どうしてルルイエの竹林を破壊するのです?
あなたはクラネス王の家来ではないでしょうに」
「そ、それは……、そうですよ!
私たちは西に、普陀山に向かっていたのです。ですがルルイエ軍によって海は封鎖され先に進めないのです」
「まぁそれで、あなたはルルイエの邪魔を?
なんとそそっかしいことを。孫悟空ならいざ知らず、あなたまで軽率な振る舞いをしてどうするのです。
まず話し合いをするべきでした。
えぇと、そちらのお嬢様も西へ?」
ポリクロームは首を横にふる。
「いいえ、私は空の国に、お父様たちがいる場所へ帰りたいだけよ」
「わかりました。ルルイエがあなたたち争う理由はありません。
私が許可します。あなたたちは先に進みなさい」
「ま、待ってください」
沙悟浄は立ち上がる。
「なんとも思わないんですか?」
菩薩は首をかしげる。
「なんとも……とは?」
「普陀山ですよ! この幻夢境にもあるんです。あなたの家が!」
「……」
「菩薩様もご存知のはずです。今、仏の教えは衰退の一途を辿っています。
普陀山には仏弟子が集っているそうです。私の師、玄奘もいるとか。
だからこそ、私たちは西に進んでいるのです。
菩薩様、どうか私たちを導いてください」
観世音菩薩は悟浄を引き寄せて抱きしめた。
「え、え?」
そして、耳元にささやく。
「仏教はもうお終いです。ですが、あなたの望み通り、かつて流砂河でしたように、もう一度あなたを導きましょう。
クトゥルフ様の教えこそ真理。大いなる深淵も究極の混沌すらも滅ぼして、
あまねく神々と生命に真の幸福と永遠の祝福をもたらすのです」
悟浄は菩薩を引き離し突き飛ばす。全身に鳥肌が立っていた。そして地面に置いた降魔宝杖を拾い構えた。
「偽者だ! お前は観世音菩薩の姿をした偽者だ! 正体を現せ!」
「急にどうしたのです? いったい何が納得できないのです?」
「私は御仏に身を捧げたのです。そして、菩薩様も!
それをお終い? クトゥルフの教えが真理ですって!?
観世音菩薩様がそのような邪なことを言うはずがない」
「そうですね、観世音菩薩は以前名乗っていましたが、今は違います」
「なんですって!?」
「私は魚籃観音。ルルイエの民を導き、彼らに富と栄誉をもたらす者」