第76話 セレファイスの戦い①二大海獣激突
セレファイスは今やルルイエに占拠された。
大理石の城壁そして青銅の門を守るはインスマスの魚人兵団。
ずぅん
「おい、今何か聞こえなかったか?」
「いや」
ずぅん、ずぅん
「気のせいじゃないぞ! 地面が揺れている」
ずどぉん! ずどぉん! ずどぉん!
「ああああ!!!! 何かでかいのがくる!!」
インスマス兵士たちは立ちすくんだ。恐怖ではない。地面が波打つほどに揺れ動き立っているが精一杯なのだ。
彼らが見たものは豚と猪と象を混ぜたかのような山ほどの体躯を持つ怪物で、それは青銅の門を軽々と蹴破った。
しかし、そのあまりの巨体に門をくぐれない。怪物は面倒そうな表情をすると飛び上がり、大理石の城壁を一飛びで越えてセレファイス内へ侵入した。
巨獣の着地の瞬間。その衝撃で、なんとか踏ん張っていたインスマス兵全員がすっ転んだ。
わずが数秒でインスマス人によるセレファイスの防壁は突破された。
「わわわ、なんて奴だ。報告だ! すぐにゾス=オムモグ様に報告っ」
「おい待て、まだ何か来るぞ!」
砂埃が舞う。今度は何かの群れが城壁に迫っていた。
「犬だ! 犬の群れがやって来る!!」
魔犬の群れが次々にインスマス人に襲い掛かり城門を抜けて街に侵入する。
地響きを立てて猪八戒は石畳を走る。その重量と衝撃により石畳は砂利になり、家々の立て付けは悪くなった。
巨獣となった猪八戒。そのたてがみの中に沙悟浄とポリクロームが隠れている。
「ねぇ、八戒はこのままどうするのかな? 犬さんたちが援護してくれてるけど、やっぱり無理があるんじゃないかな」
ポリクロームの問いに悟浄は答える。
「八戒はタケノコを食べることが目的で、そのついでにセレファイスや大いなる深淵に恩を売ろうとしてるのよ」
「相変わらず自分勝手なのねぇ」
「二人とも聞こえてるよ。
だいたいこの巨体を維持するには常に栄養補給が不可欠なの。タケノコが間に合わないと敵地の真ん中で元に戻ってしまう」
低いうなり声で返事をする猪八戒。
「でも、私は早く空にいるお父様たちのところへ帰りたいの」
「だから、それもルルイエを追い払えばかなうって。
あんな魚人たちと交渉すると変な評判が立っちゃうよ。
ん?」
八戒の瞳はセレファイス西側コーンウォールから何か強い輝きを捉えた。
「危ない!」
猪八戒は咄嗟に地面に伏せた。その衝撃で周り数軒の家々が倒壊した。
その頭上を先端に金のたががはめられた朱色の柱が突き抜けていった。それはコーンウォールの海から内陸の猪八戒たちの場所まで真っ直ぐ続いている。
ポリクロームは振り落とされながらも優雅に着地してみせる。そして赤い柱を見上げる。
「まぁすごい。こんな大きな柱をいつの間に作ったのかしら? そもそもどこにしまっていたのかしら?」
虹の娘はただただ感心している。
しかし、猪八戒と沙悟浄はこの赤い物体に見覚えがあった。忘れようが無く、嫌というほど知っている。
どちらともなくつぶやく。
「如意金箍棒」
中空にあった如意金箍棒が八戒めがけて振り下ろされる。それを横とびで回避。家一件が下敷きにされて潰れた。
飛散する瓦礫を沙悟浄とポリクロームは回避する。
「孫兄!? いや、孫兄は如意棒をこんなふうには使わない。姿を見せな!」
猪八戒は振り下ろされた如意棒につかみかかる。
その瞬間、如意棒は短縮され、そのまま猪八戒を西へと連れ去った。
取り残された沙悟浄とポリクローム。
「八戒いっちゃった。どうしようか」
「……奥に進みましょう。この状況で引き返したらかえって危ない」
如意棒にしがみつく猪八戒。セレファイスの街並みが矢の如く過ぎ去って行く。
鼻腔に潮風が満たされたときコーンウォールの港町まで引き寄せられていた。
如意棒の使い手は蒼い蛇鱗を持つ人魚。この魚とも蛇ともつかない怪獣、巨獣猪八戒より上半身は細身の人型であるが下半身は大蛇で長大だった。
そのため海上に陣取る蛇魚は猪八戒よりも巨大に見える。
その長大な下半身からは枝葉のように幾つもヒレが生えていて、その姿は猪八戒がかつて見た須弥山(仏教道教での世界の中心)を覆う大森林を彷彿とさせた。
「ルルイエのくせに生意気なんじゃない?」
得体の知れない相手が世界の中心に見えてしまった。それは屈辱的であり不愉快である。八戒は舌打ちする。
「何のことか?
貴様、セレファイスの者ではないな。何者か?」
「人に名前を聞くときは自分から名乗ったら? ルルイエの魚人は礼儀を知らないから月から追い出されんのよ」
「!」
蛇魚は目を見開いてとぐろを巻く。
「我が名はハイドラ。ルルイエの母なるハイドラ。
我らが領内に立ち入り秩序を乱す貴様は何者か?」
「はぁ? セレファイスを攻撃しておきながら人様を侵入者呼ばわりとは笑えない冗談ね。
いいでしょうともお答えしましょう。
我が名は猪八戒。唐三蔵第二の弟子、猪八戒様といったら私のことよ!
ちょいと昔は天の川水軍の――」
「天蓬元帥! なるほど相手にとって不足無し!
伸びろ如意棒ッ!」
ハイドラは叫びと共に如意棒を振るう。その風圧でコーンウォールの家々の屋根のいくつが吹き飛んだ。
「あら、私も有名になったものね」
「当然ッ! 十二冒険者のうちの一人、大司祭様より聞きおよんでいる」
振り回される如意棒をかわし、猪八戒は海に飛び込みハイドラめがけて突進。
そして激突。ハイドラの強靭な下半身が巻きついて猪八戒をしめあげる。が、猪八戒は猪八戒で筋肉を大樹のように固めてしのぐ。
「あんたもその話をする? クラネス病ね。それより、その如意棒はどこで手に入れたのよ。
それは私の兄貴分の物よ、返しな」
「答える気は無いし渡す気も皆無。頭かち割れて死にさらせ」
ハイドラは如意棒を縮めて、ひたすらにガンガンと八戒の頭を殴りつける。
「あははは、あんたにそれを使いこなすのは無理みたいね。
孫兄が振り回せば、私の頭だってかち割れたでしょうに。
さ、早く。如意棒を返して孫兄をどうしたか白状おし。
あんまり強情だと殺すから」
「このデブが。身の程わきまえろ」
ハイドラは勝ち誇って、如意金箍棒を猪八戒の鼻の穴に突っ込んだ。
「無様豚鼻! このまま如意棒を太くして頭が破裂するか試してやる」
「ふが……、ふんっ!」
八戒が鼻に力を込めれば、鼻の穴から鼻水が勢い良く噴出す。その圧に圧されて如意棒は砲弾のように飛び出しハイドラの手からすっぽ抜ける。
抜けた如意棒は海中へと沈む。
「しまった!」
ハイドラは猪八戒への戒めを解いて、海底に潜り如意棒を拾う。
すぐさま海上に引き返し、猪八戒へ殴りかかる。
が、如意棒はハイドラの手からすり抜けて、再び海底へ沈む。
「どうしたこと!?」
驚愕するハイドラを猪八戒は笑う。
「どうやら、私の鼻水でぬるぬるになってしまったようね」
「不潔な豚め!」
ハイドラの尾が変幻自在の動きをみせて、三百六十度死角無しに猪八戒を叩きつける。
が、強靭な皮膚を持つ猪八戒にさして大きなダメージは与えられない。
「あはははは、水揚げされた鯉のモノマネ芸かな?」
高笑いし潜水、ハイドラにつかみかかる。
「さぁ、その枯れ枝みたいな胴体をへし折ってやる!」
「ふん、のろまめ」
ハイドラは素早く猪八戒の攻撃をかわし、尾ビレで猪八戒の手を叩く。
「あいて!」
猪八戒は水中戦の心得はあるが、魚と蛇の特性をもつハイドラほど俊敏に立ち回ることができなかった。
逆にハイドラには猪八戒を死に至らしめるほどの力が無かった。
猪八戒という敵はハイドラにとって予期せぬ存在であり思考を鈍らせる。
“この豚は手早く倒すべきか、それとも長期戦に持ち込み消耗させるべきか。
ちっ……、奴の持久力が読めない。先に私が息切れする可能性もある”
猪八戒、彼女は結論が出ていた。
“胃袋がカラになる前に奴を倒す!”
猪八戒の巨獣化の術は制限がある。体力を急激に消耗し、無理な活動を続ければ餓死に至る。
ルルイエ軍が栽培しているタケノコで栄養補給を考えていてが、コーンウォールまで来てしまった。
ここからでは巨体を維持したままタケノコ畑まで辿り着けない。先に空腹になり力尽きるだろう。
猪八戒は、緒戦から軽口と悪口を織り交ぜて挑発していた。
たしかにハイドラを怒らせてはいるが挑発には乗ってこず、正確に無駄を抑えた動きで戦いを続けている。
ハイドラはまだ気付いていない。この戦い彼女が優勢である。