第72話 苦通我経 水の巻 鬼ヶ島伝⑤
鬼ヶ島はルルイエの領土となった。捕らわれた鬼たちは全て鎖で縛り上げられ拘束され鬼ヶ島の海岸に転がされる。
「女や子供、年寄りをどこにやった!?」
茨木の父をはじめ、この海岸には男しかいなかった。
彼は芋虫のように這いつくばりながらもダゴンを威嚇した。
威嚇の効果はまったくなかったが、ダゴンは茨木の父に質問に答えた。
「年寄りは、細かく切り刻み乾燥させて海藻畑の肥料に使う。
子供は大人になるまで海底の洞窟に隔離し大切に育てる」
「な、なに!? それはどういう……」
茨木の父を気にもとめずダゴンは続ける。
「男と女には、とても大切な役割がある。ルルイエの繁栄の為、諸君らの力をかしてもらう」
このとき、男たちはあることに気がついた。
この場にいるルルイエの魚人たちは全て女だった。彼女たちは鬼たちをちらちら見て、仲間同士でささやき合いクスクス笑う。
軽蔑や侮辱というよりは、好奇心や情欲に近い。
一人の魚人が扇情的に腰をくねらせて茨木の父に歩み寄り、水かきのついた手で彼の腕や胸板をぺたぺたと触る。
生ぬるくぬめりのある感触。何よりも生臭さが鼻につく。
「魚がよるな!」
あまりの不快さに茨木の父は耐えかねて、頭をふって拒む。
「きゃっ」
茨木の父の角が、魚人の腕に切り傷を作る。
「痛い、痛いわ。暴力よ」
魚人は腕からを血を、目から涙を流して父なるダゴンに救いを求めた。
「うぅむ、鬼は力が強い。長期間拘束するのは難しいかもしれない……。
そうだ、先に角と手足を切ってしまえ。そうすれば安全に子作りができるだろう」
角と手足を切られると聞いて、鬼たちは混乱状態におちいった。
「やめろ、もう抵抗はしない!」
「魚と子作りなんて無理だ!」
「……まさか女たちにも同じ仕打ちを? やめろ、やめてくれぇぇぇ!!!」
ダゴンはなだめるように言う。
「冷静になって考えてほしい。鬼は力が強い。インスマスの民は水に潜れる。
この二つの種族が交われば力が強く水に潜れる子供が産まれるのだ。
お互いにとって利益になる話だ。
おぉ、そうだ。インスマスの男たちにも教えておかなくては。
鬼女の角手足を切っておかなければ大怪我をするかもしれない」
「よせっ、やめろ!!!」
茨木の父の叫びは、立ち去るダゴンの背中に虚しく響く。
入れ替わるように、インスマスの女たちが近寄ってくる。彼女たちは包丁、刀、鋸、鉈、斧など、それぞれ思い思いの刃物を手にしていた。
こうして鬼ヶ島の鬼たちは、死ぬまで魚人との混血を作り続けることを強いられた。そして、数年の後、鬼ヶ島の鬼は全滅した。
ダゴンが鬼女の処理について説明するために海岸を進んでいると、魚人が報告に来た。
「申し上げます。島の調査をしていたところ、海岸に女神と思われる女と武器のような物が流れ着いているのを発見しました」
「ほう、鬼ヶ島は魔の世界であり今やルルイエの最西端。時空が不安定なのかもしれない。案内しろ」
ダゴンは魚人の後に続く。岩場に白い衣の女神と両端に金のタガがはめられた赤い棍が打ち上げられている。
「む、この女神から強い力を感じる。……意識を失っているようだが。
いったい何者だ……?」
「その女は観世音菩薩。ニャルラトテップが唯一恐れた女神だ」
ダゴンの疑問に何者かが答える。
ダゴンは身構えて畏まる。
「そ、その声は大司祭!? お休みになられなくてよろしいのですか?」
「うむ、お前の言う通り、今はまだ目覚めるときではない。
しかし、観世音の強大な力を感じた。そこで化身を送り込んだのだ。
足下を見てみろ」
「あっ!」
ダゴンの足下で、ほんのり七色に光るミズダコが蠢いている。
「その輝きは懐かしい。ヨグ=ソトース血晶ですね」
「左様、覚醒の世界は着実に崩壊戦争の影響を受けて変化している。
ヨグ=ソトースの力無くして地球で生き延びることはできない。それは観世音菩薩とて例外ではあるまい」
ミズダコはよちよち動いて観世音菩薩に近づき触手で口をこじ開けて体内に侵入する。
観世音菩薩からクトゥルフの声が響く。
「これで良い。余のテレパシーと血晶の力をもって、観世音菩薩の記憶と精神をある程度操作できる」
「完全に支配したほうがよろしいのでは?」
「否、観世音の力は計り知れない。今の不完全な余の力ではその全てを支配下に置くことはできない。
それに完全に支配してしまっては、彼女の知識と力の源を解明することはできない」
「この女神に、それほどの力が?」
「ある。そしてその力を解き明かしたときこそ、ルルイエは全世界の頂点に立つのだ」
「うぐおおおおおおお」
インスマス人が苦悶の表情を浮かべてうめいている。
ダゴンは怪訝そうにインスマス人を睨む。
「今、クトゥルフ様が話しておられるのだ。変な声を出すんじゃない」
「す、すいません。この棍棒がやたら重くてですね。持ち上がらないのです」
「なに、どれ」
そして、赤い棍棒に触れる。
「っ! 確かに。だが私の力ならば」
ダゴンは赤い棍棒を持ち上げる。
「ぐぁぁあ、まったく、こんな棍棒を使う奴はとんでもない奴に違いない」
「それは武器ではない。柱だ」
クトゥルフの声が赤い柱について話す。
「あらゆる大河そして海原を支える柱だよ。
だが、それを使いこなせる者はほとんどいないだろうな。
それほど扱いが難しい」
「水を支配する神器ならば、我ら水の眷属の財産になったのは僥倖といえます」
「……そうだな。
ところでダゴンよ。余は改めてお前に礼を言わなくてはならない」
「?」
「よくぞ、鬼ヶ島を攻め落としてくれた。
この島を落とすことこそ、余の若かりし頃からの悲願であった。
永劫の果てに、その夢がついにかなったのだ」
ダゴンはうっすらと微笑んだ。
「良いのです。全ては恩人であるあなたのため、ルルイエの繁栄のため、そして家族のためです」
そして力強く赤柱を岩場に突き立てた。
その柱にはこう書かれていた。
如意金箍棒