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第69話 苦通我経 水の巻 鬼ヶ島伝②

走り去る茨木童子を父は追った。子供と大人ではすぐに追いついたが、島内部でも異変が起きていた。


 若い鬼たちの集団が小船をかついで運んでいるのである。その後を長老を含め年長者たちが追いかけている。


 長老は茨木の父に気付き、大声をあげる。

「大変じゃ、若者たちを止めてくれ。

 あいつら倉庫から古い船を持ち出して人間の世界を見に行くと言っておる」

「なんですって!?」


 茨木の父は船をかついでいる青鬼を怒鳴る。

「やめろ! なんで人間の世界を見に行こうなんて考えた」

「だんな、俺たちは人間のことを知って、書庫で色々調べたんでさ」


 次に赤鬼が言う。

「そしたら人間の世界にはうまい肉や酒がたくさんあるっていうじゃありませんか。

 きっと珍しい宝物もあるにちがいありません。

 それにずるいじゃないですか、年寄り連中だって俺たちぐらいの年齢の頃は人間を相手に好きにしたというのに。

 俺たちにやるなと言うのは不公平だ」


 若者たちはそうだそうだと赤鬼に同調する。


「行っちゃいかん、行っちゃいかん。桃太郎が来るぞ、桃太郎が来るぞ」

 長老は泣きすがるが、若者たち冷笑を買うばかり。


「桃太郎とか、昔の話でしょ? 大げさなんですよ。

 それに俺たちは人間を滅ぼす気なんてないですよ。

 ちょっと行って、珍しい品物を持ち帰るだけ。すぐに戻ってきますよ。

 年寄りたちにもお土産を持って帰りますよ。最近の若者は気が利いてるんです。立派でしょう?」


 茨木童子は飛び出して、若者の集団に駆け寄った。

「ねぇ、あたしも連れて行って!」


「おう、いいとも」

 青鬼は気さくに返事をしたが、茨木の父は彼を怒鳴りつけた。

「駄目だ! 認めん。誰一人鬼ヶ島から出るな!」

「なんです。そんなに怒ることないでしょう。

 娘さんの面倒ならちゃんと見ますよ。ご心配なく」

「そういうことを言ってるんじゃない!

 海に出ることが危険だと言っているんだ」

「あのですね、鬼が海で溺れた話なんて聞いたことがない」


 若者たちは年長者たちの言葉に耳を貸さず船を運んで行った。


 長老はおろおろするばかり、茨木の父は無念さをかかえ、ただ不安そうに若者たちを見つめた。


 若者たちは小船を海に下ろす。船底が海面に接した。

 


 見たぞ。

ふたぐん、ふたぐん。



「おい、いきなり変な声を出すな」

 赤鬼は青鬼に文句を言う。

「俺じゃねえよ。海だ! 海から声がするんだ!」


 見たぞ、見たぞ。

ふたぐん、ふたぐん。


 海から響く声に、長老は腰を抜かす。

「ひぃぃ、今のを聞いたか。

 桃太郎じゃ! 桃太郎は鬼ヶ島を監視しておったのじゃ!

 桃太郎の怒りにふれた。今度こそおしまいじゃ!」


 茨木の父は戦慄しながらも、努めて冷静に事象を判断しようとする。

「桃太郎なのか? たしかに桃は我々にとって最大の脅威。

 しかし、この禍々しさは桃から発せられるものなのか?」


 海面が黒くうねる。その波間から灰色の人型が次々と姿を表す。

ぬめりのある鱗に覆われた肌。飛び出た丸い濁った眼球。首元のエラ、水かきのある手、背びれ。

 魚がそのまま人間になったのかのような出で立ちである。


「あ、お魚さん!」

 海面から飛び出した魚を見つけて、茨木童子は指差し叫ぶ。


 その魚は陸に上がると、みるみる大きくなり鬼をも凌駕する体躯、手足の生えた魚の怪物へと変貌をとげる。

「……我が名はダゴン。ルルイエ、インスマスの民の父なるダゴン。

 これより我らは大司祭クトゥルフの名において鬼族を罰する」


 長老はパニックを起こし、地面にひれ伏している。

「あぁ、桃太郎様、お許し下さい、お許し下さい。

 今度は魚の家来を連れてきた。おそろしや、おそろしや」


 若者たちも、不気味な魚人の群れを前にして戦々恐々である。


 茨木の父は、勇気を出してダゴンに問いかける。

「なぜ、我々が罰っせられなければならないんだ。

 我々は君たちのことを知らない。そんなことをされる理由は無い」

「桃太郎と鬼族によって交わされた盟約。

 鬼族が再び鬼ヶ島を出て悪事を働くならば、鬼ヶ島ごと滅ぼすという盟約。

 だが、桃太郎が姿を消して久しい。

 となれば我らルルイエが桃太郎の代行者となって鬼を滅ぼす」

「言いがかりだ。彼らは悪事を働くために海を出るわけではない!」


 若い鬼たちは、かくかく頭を縦に振る。


「お魚さん、やめて! 誰も悪いことしないもん」

 茨木童子は大人たちの前に飛び出してダゴンに訴えた。


「では茨木童子に問う。

 君はどうして海を渡り人間の世界へ立ち入ろうとする?」


 ダゴンが今まで見せなかった威圧的な振る舞いに、茨木童子は怯えながらも訴える。

「だって、だって、お魚さんが教えてくれたんだよ!?

 外の世界を! あたし、自分が何なのか知りたい!」

「くっ……、くははははは!

 憐れな娘よ。君は鬼だ。人間に恐れられ忌み嫌われる災厄。

 人間の前に姿を現すこと自体が罪なのだ。そして知る。人間の非力さを、弱さを。

 見ろ、お前の仲間は人間の存在を知ったとたん、船を水に乗せた。

 人間を見れば、たちまち殺し奪うだろう。それが鬼。それが貴様らの罪だ!」

「……そんな」

 つい先程まで友人と思っていた魚の豹変に、動揺を隠せずその場に座り込む。


「言いがかりだ!」

 茨木童子の父は金棒を構える。

「我々はまだ誰一人として桃太郎との約束を違えてはいない。

 それにルルイエだかなんだか知らないが、貴様らに桃太郎の代行者を名乗る資格は無い!

 これは鬼族と桃太郎との問題だ。部外者は立ち去れ!」


「部外者ではない!」

 ダゴンは怯む素振りも無く威風堂々の面構え。

「その昔、結ばれた桃太郎と鬼ヶ島との盟約。

 我らが大司祭クトゥルフは確信した。桃太郎は甘い!

 なぜなら鬼は盟約を裏切り、再び人間に災いを成すと確信されていたからだ。

 そして、それが今、現実となろうとしている」


 茨木の父は反論する。

「まるで、そのクトゥルフとやらが桃太郎や先代のやりとりを見ていたかのような口ぶりだ。

 マレビトか? そんな者にとやかく言われる覚えはない」


 ダゴンはせせら笑う。

「愚かな。

 クトゥルフ様は全てを見通されているのだ。

 桃太郎の愚かな決断も、鬼族のその場しのぎの言い逃れもな。

 本来ならば、鬼は滅ぼすべき。

 なのだが、クトゥルフ様は慈悲の心を持って、貴様らに生きる道を残しておいてくださった」

「なに?」

「これより! 鬼ヶ島はルルイエ領となる。

 その人員、財産は全てルルイエに属するものとする」


 黒い海から次々とインスマス人が這い出してくる。


 長老は地面にひれ伏して慈悲をこう。

「許してくだされ、許してくだされ、桃太郎様!」


 茨木の父は長老を起こす。

「落ち着いてください。相手は桃太郎ではありません。

 ルルイエとかいう賊です」

「いや、あれは桃太郎の手の者じゃ。あのダゴンとかいう者の目を見ろ。

 あの目は、今でもはっきり覚えておる。

 桃太郎の家来の鳥獣どもとよく似ている。あれは絶対的主人を持った者の目。

 信念と使命を持った者の目じゃ!」


 インスマス人は鬼たちに銛を投げつける。幸いにも鬼に比べれば力は弱く、鬼たちはそれを金棒や手で払い除ける。


 茨木の父は赤鬼に指示を出す。

「お前は、娘と長老をつれて城に行け! 女子供年寄りを守れ」

「で、でもだんなは?」

「ここは俺が抑える早く行け!」


 赤鬼は座り込んだ茨木を抱きかかえ、長老の腕を引く。

「父様! 嫌だ、父様のそばにいる!」 


 茨木の泣き叫ぶ声が遠ざかる。

父は娘の無事を願い、敵将ダゴンへ打ってかかる。


 振り下ろされた金棒を両手で受け止めるダゴン。

「さすが鬼族。インスマスの民より力強い。

 だが、戦いは適切な兵量と配置にある」


 もとよりダゴンは茨木の父と一騎打ちなど考えていない。

両側面よりインスマス人たちが回りこみ次々と銛を打ち込む。


「そんなものが効くか!」

 事実、インスマス人の腕力では鬼の皮膚筋肉に貫けるほどの攻撃は繰り出せない。

かろうじて皮膚を少し切るぐらいである。


「ぬうん!」

 茨木の父のふんばりでダゴンは力負けし尻餅をつく。

「この程度で鬼ヶ島を落とせると思うな魚人ども!」


 海岸に残った鬼たちも奮闘しインスマス人を寄せ付けない。


 しかし、ダゴンは臆することなく不敵に笑う。

「腕力で負けるなら、腕力を使わなければいい。ルルイエの兵器運用をお見せしよう」


 直後、海面が爆ぜて巨大な銛が一人の鬼を貫いた。

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