第64話 浦島太郎は帰れない
竜宮城、ダゴンの間の空気は張り詰めていた。
太古の海亀の子、通天河は震えながらも、勇気をふりしぼり目の前の相手を見据えた。
主ダゴン、その側らにはいんすます町長と乙姫が控えている。
「通天河、お前が桃太郎を戦士として尊敬していることは知っている。
あの男がその気になれば、この竜宮城を壊滅させることもできるだろう」
「? 桃太郎様はそんなことしませんよ」
「これ! 青二才が父君に意見するでない」
町長は叱責したが、ダゴンはそれを片手で制した。
「今はしない。だが彼が真実を知ればそういう結末になるかもしれない。
クトゥルフ様の悲願と桃太郎の理想は相容れることはない。
つまり、桃太郎は我らルルイエの敵だ」
「!?」
「町長、海流を遡って進んだ場合どうなる?」
「はい。別世界の入口が日本に近いほど安全であり、東に進めば進むほど危険が増します。
アメリカ西海岸はカルコサの領地であり、太平洋に厳重に監視を目を光らせて、こちらの隙をうかがっております。
シュブ=ニグラスの神官も目撃されております。
さて、通天河よ。そんな所を桃太郎を背負って何かを探すようにうろうろすればどうなるかわかるな?」
「それは……」
言葉に窮する通天河に、ダゴンが追い打ちをかける。
「どちらにせよ、桃太郎がいなくなってくれることはありがたい。
カルコサが奴を殺してくれるのが一番良い。
ここで問題になるのが、お前が桃太郎を背負って太平洋に出るということだ。
カルコサの者どもは風の眷属。海上での戦いとなれば、敵は上空から攻めて来る。
一方、桃太郎は海面を背にし、頼れるのはお前の背中の甲羅だけ。圧倒的に不利な戦いとなる。
ふむ、通天河よ。お前の力量では桃太郎は助からんな。素晴らしい」
「……」
「だが、そこで、桃太郎は海の藻屑となりました、めでたしめでたし。とはならない。
通天河よ、お前は確実に殺される。運が良ければ見逃してくれるかもしれんがな。
期待はできない」
「……」
「で、お前はどうしたい?
前言撤回し安全な竜宮城に残るか、それとも桃太郎を殺すため太平洋に散るかだ。
考える時間はやらん。今すぐ答えよ」
「行きます!」
通天河は即座に答えた。
「桃太郎様のことは尊敬しています。
でも、ルルイエの驚異となるなら別です。
僕が桃太郎が死ぬように仕向けます」
「……よかろう。長旅になる。身支度を整えて来なさい」
「はい!」
小亀は武者震いして部屋から出て行った。
町長は嘆く。
「おぉ、若者とはどうして自ら死地に飛び込むか。
命を粗末にし戦いで死ぬことを美徳とする傾向がある。
その浅はかさが、ときに利用され食い物にされるということがわからないのか」
「町長よ、若者は破滅的な挑戦をしなければならないときがあるものだ。
その多くが犬死にをするが、まれに使命を成し遂げ、その経験を糧とできることがある。
あの子には試練のときなのだ」
「父君、あれはあまりに若い。若すぎるです。ほんの子供なのです」
「ならば見守ってやれ。桃太郎に悟られぬように後を追い、通天河が窮地に陥ったら助けてやれ」
「はっ、ただちに支度をいたします」
町長はかしこまって退室した。
部屋にダゴンと乙姫が残された。
この乙姫にもインスマスの血が流れている。
「乙姫、浦島太郎への処遇だが」
「はい」
「もともと、通天河は戦士の才はあるが、その臆病な性質が成長を妨げていた。
それが浦島太郎との邂逅がきっかけとなり、彼の意識を変化させている。
彼は単なる恩人以上の働きをした。家族と認めても良いと思う」
「私もそのように思います」
「よろしい。お前は浦島太郎の子を作れ。
それで、子が出来た後は、浦島太郎は好きにしてしいい。
殺すなり解放するなりするがいい」
「わかりました」
宴会場に通天河が飛び込む。
「桃太郎様! ダゴン様の許しが出たよ。
僕の背中に乗って旅に出れるよ」
桃太郎は安堵した。
「それは良かった。私だけでは、この海原を乗り越えることはできなかった」
「出発は明日の日の出前だよ。それまで、ゆっくり休んでてよ」
「わかった、ありがとう」
「おいおい、大丈夫かよ」
浦島太郎が訝しそうに声をあげた。
「通天河、お前、何か思いつめたような顔してるぞ」
「うっ、そりゃそうだよ。だって、そんな遠くまで誰かを乗せて泳いだことないし」
通天河、これから桃太郎を殺すために海に出るのだ。思いつめた顔をすることも当然だった。
同時に恩人に対して嘘をついた。だが、これもルルイエのため、彼自身のためだった。
浦島太郎に友人のそんな思いを知ることは無理なことであった。ただ励ます。
「まぁ、しっかりやれよ。桃太郎の命預かってんだからな。しっかりやれよ」
「……うん」
通天河は気が晴れないまま部屋から出て行った。
浦島太郎は酒を飲みながらそれを見送った。
「しかし、桃太郎、あんたも大変だよな。
鬼を退治したのに、まだ旅を続けるんだもんな」
「まぁ、自分で始めたことですから」
「それに明日出発だなんて急ぐんだな。
ここは酒も美味いし乙姫も綺麗。もう少しゆっくりしたらどうだい?」
「不思議とそういうことは、あまり楽しめない体質なのです」
「かたい! かたいねぇ、気負いすぎだぜ。
いくらあんたが強いと言っても、今からそんなんじゃ海でまいっちまうぜ」
桃太郎がすっと立ち上がったので、浦島太郎は慌てる。
「お、おいおい怒ったのか?」
「違いますよ。明日は早く長旅になりそうだ。今から休まなくては」
「はぁ、どこまでも真面目だな。まぁ、ちょっと待てよ。
お互い太郎同士、どうもあんたことが他人とは思えない。
杯を交わしてはくれないか?」
「え?」
「そりゃあ、あんたに比べたら俺は弱いさ。
けど、人間でありながら、海の底の城まで招かれたんだ。
ちょっとくらい認めてくれてもいいと思うぜ」
「……確かに」
桃太郎も、浦島太郎に対して好感を抱き始めていた。
二人は互いの腕を組み、ここに杯を交わした。
「ありがとよ。これで帰ったらお袋や村の連中に自慢できる。
あの伝説の桃太郎と杯を交わしたってな」
「ふぅ、自慢のために杯をかわしたのか?」
「まさか、自慢はついでさ。
うまく言えないが、あんたが他人とは思えないんだ。そうだろ?」
浦島太郎の言葉に、しばし沈黙した桃太郎だったが深くうなずいた。
「そうだな。またどこかで会えそうな気がする」
「だろ?
で、やっぱ俺が兄貴分ってことだよな」
「家来を増やして、鬼を退治できるなら認めよう」
「へっ、わかったわかった。あんたが兄貴だよ。それで充分」
「じゃあ、私はこれで」
「あぁ、しっかりな。通天河のことをしっかり頼んだぜ」
「あぁ!」
桃太郎は新たな友人を残し、宴会場を後にした。
「……しまった。どこで休めばいいかわからない」
桃太郎が宴会場の前で困っていると、調度良く乙姫がやって来た。
美しい顔ではあるが、青白く冷たさと気味の悪さがあった。
「すいません。私はどこで休めば良いでしょうか?」
しかし、乙姫はそっけない。
「申し訳ございません。私は浦島様の接待を申し付かっておりますので、別の者におたずね下さい」
そして、浦島太郎がただ一人いる宴会場へ入ってしまった。
直後、浦島太郎のはしゃぎ声が響いたが、桃太郎は明日の旅に備えることで頭が一杯だったので、寝床を探して竜宮城の廊下をさ迷った。