第63話 ダゴンの誤算
竜宮城の廊下にて、町長は仙女に尋ねる。
「急用とは何事か。ダゴン様は桃太郎を追い込むことを心待ちにしておられた」
「それが、ハワイから連絡があったのです。
カルコサの軍勢が活発に動いていると。シュブ=ニグラスの神官も目撃されています。
まだ戦闘にはなっていないようですが、予断を許さない状況だと」
「なんと! 久しく太平洋で奴らの動きは無かったが、なぜ今?」
「……おそらく、父君のせいかと」
「なに?」
「桃太郎がいんすますに来る件で、鬼の血を引く者たちをハワイに行かせました」
「そうか! ハワイに集結した鬼の子らがカルコサを刺激し警戒させてしまったというのか。
それで父君は?」
「大変ひどく落ち込んでおります。とても桃太郎に会える状態ではないと自室にこもってしまわれました」
「むぅ、父君はきっと強く責任を感じておられる。本来、あの方は軍事には向いてないのだ。
よろしい。わしが父君を説得しよう。今、桃太郎を追い詰めねば、クトゥルフ様を失望させることになる」
町長は、ダゴンの間に入る。
「ダゴン様、失礼します」
ダゴンは部屋のすみにうずくまり、ふさぎこんでいた。
「父君、話は聞きました。カルコサの件は仕方がありません。鬼子たちは我が軍の中でも随一の戦闘力を誇ります。
カルコサの軍勢ごとき遅れはとりません」
「負けはしないだろう。だが犠牲は出る、無傷では勝てん。彼らは来るべき日の重要な戦力なのだ。
もし、軍に損失が出たら……。妻に合わせる顔が無い」
「あなた様の役目は安定した食糧供給と一族に加わった種族の管理です。
軍事の失敗を気に病むことはありません」
「町長よ、それは言い訳だ。確かに軍事については管轄外だが、その判断の誤りは家族を殺すことになる」
「おっしゃることはわかります。ですが、今はここに桃太郎がいるのです。
あなたが奴を追い詰めなければ、誰がやるのです?
ここの戦力では桃太郎を倒すことはできません。それは父君、あなたがおっしゃったのです。
ならば、奴の心を攻めなければ。二度と立ち直れないように徹底的に叩き潰すのです」
「……わかった。わかったよ。
町長、お前の言う通りだ。
最悪な状況でこそ、最善を尽くそう」
ダゴンは、そのままでの姿では魚の怪物なので、人の姿を形作る。
褐色肌、彫りが深い顔立ち、綺麗に整えられたあごひげをもつアラブ人へと変じた。
「……どうだろうか?」
「ようございます。桃太郎はアラブ人は見慣れていないでしょうから、少し驚くかもしれませんが……。
いや、アメリカ人との接点がありますから大丈夫でしょう。
あぁ、下半身が魚のままです」
「おっと、いけない」
尾びれを振ると、人間の二本足になった。
「ははーっ、やはり世界は広い!
鬼よりも恐ろしい怪物アザトース!」
浦島太郎は口では恐ろしいと言っているが、ひどく酒に酔っており、またアザトースを直接見たわけではないので、その恐怖をまったく理解していなかった。
「お待たせした。私がここの主、ダゴンだ」
アラブ人の姿となったダゴンが宴会場に入る。上座について桃太郎を眺める。
「うむ、その陣羽織よく似合っている。まさに軍人に相応しい出で立ちよ」
「……これは武人が着る服なのですか」
「そうだ、あなたの産まれた時代には無かった。
名高い武士は皆それを着て戦にのぞむ。
伝説の戦士が、そこらの河原者(被差別身分)と変わらぬ姿ではな。日本の外聞にもよくあるまい」
「お気遣いはありがたく思いますが、私はあなたから服をいただく理由がありません」
「そんなことはありません。この、いんすますがあるのは、あなたのおかげでもあるのです」
「それがわからない。聞けば、あなたが鬼ヶ島の鬼を根絶やしにしたと」
「その通りです。とても悲しい結末となりました。やはり鬼は邪悪な存在。
人間と相容れることなど不可能なのです。
お話ししましょう。鬼ヶ島で何があったのかを――」
桃太郎とその家来が唐に旅立って長い年月が経った。
英雄たちは誰も戻らず、彼らを知る人々も時の流れとともに世を去って、伝説だけが残された。
鬼ヶ島も同じであった。鬼族は人間よりかは長大な寿命をもっていたが、当時を知る鬼たちは老いて新しい世代が台頭し始めていた。
若い鬼たちの中には、現状に不満を持つ者が多かった。
なぜ、鬼である自分たちが狭い島にこもっていなければならないのか。鬼は鬼らしく、人の世に災いをもたらすべきではないか。
桃太郎など昔話。今こそ再び鬼の威厳と恐ろしさを人間に知らしめるべきではないのか。
桃太郎の強さを知る年寄りたちは、若者たちを必死に止めたが、彼らは聞く耳をもたず老害の戯言と一蹴した。
そして金棒を持って人間の集落を襲おうと計画した。
そこに偶然出くわしたのが、ダゴンとその軍勢であった。
ダゴンは鬼たちを成敗し、鬼ヶ島を制圧した。ルルイエ軍は鬼の脅威から日本を守ったのである。
「――ということがあったのです。危ないところでした、日本は再び荒廃の危機にあったのです。
でも、問題は無いと思いますが?」
ダゴンは、桃太郎をうかがう。やつれ、疲れが見える。
「問題ないとはどういうことです?」
「はい。これは私どもも後になって知ったのですが、桃太郎殿、あなたは鬼たちと約束事をしたとか?
覚えておいでですか?」
「……再び悪さをすれば鬼は皆殺しにする」
「素晴らしい。その通りです。
あのとき、あなたと家来の方々は日本にいなかった。となれば不心得者の鬼どもを征伐できる者は誰もいなかった。
我々は、あなたの約束――、つまり鬼の抹殺を代行したのです。
ですがまぁ、あなたが旅立たず日本に残ってにらみを利かせていれば、鬼たちは反乱など考えもしなかったもしれません」
「私は鬼たちを信じていた! それに結局、なにも変わらなかった。
結局、日本は荒廃してしまった。鬼がいなくても……」
「なんて無礼な物言いだ!」
ダゴンは机を叩き立ち上がった。いくつかの酒と料理がひっくり返る。今までの穏やかな態度からの豹変。
「私の町いんすますを見ても、日本が荒廃したと言うか!?
私がいなければ応仁の乱以前に、日本は鬼によって荒野と化していたわ。
なんでそうなる? あなたが無謀な冒険に旅立って日本を留守にしたからだ。
鬼を見張る責任を放棄したせいだ。違うか?」
「じゃぁ……、なんなんだ?
あなたが私に送った陣羽織に何の意味があるっていうんです?」
「たしかに、あなたは鬼という存在を見誤ったが、時間は稼いだ。
あなたが鬼と戦った頃、私はまだ日本にいなかった。
もし鬼が日本を滅ぼしていたら、いんすますの町を作ることはできなかった。
あなたのルルイエに対する功績とは、鬼を鬼ヶ島で足止めしたことだ。
その陣羽織にはそういう意味がある」
「あのぉ、もういいじゃないっすか」
浦島太郎が桃太郎とダゴンの間に割って入る。
「結果的に、二人の活躍で鬼の脅威はなくなったわけでしょ。
俺たち人間からすれば、ありがたい話ってわけで。
喧嘩はよしましょうや。せっかくのご馳走が喉を通らない。
ほら、酒でも飲んで水に流しましょう」
そして、二人にお酌し、緊迫した空気を解きほぐす。
「で、桃太郎はこれからどうするの?
いんすますで暮らす? それともアザトースに復讐?」
浦島の問いに、ダゴンは冷静ではいられなかった。
ダゴンは桃太郎に鬼ヶ島とその顛末について語ったが、意図的に濁し隠したことがある。
桃太郎にいんすますに居座られては、その秘密が露見してしまう可能性があった。
できれば、アザトースに挑んで死んでほしい。
「ダゴン殿」
桃太郎は神妙な面持ちでダゴンを見据えた。
ダゴンは悟られないように、つとめて自然に振舞った。
「いんすますは桃太郎殿が暮らすには不便かもしれません」
「……いえ、そうではなくて」
“しまった!”
失敗だった。不必要な発言だった。
幸いにも桃太郎は、ダゴンの発言を気にしていなかった。本題を進めた。
「以前、鬼が言っていたのですが、鬼ヶ島には不思議な遺物が流れ着くことがあるそうです。
私が以前持っていたバルザイ刀もその一つだったのですが。
鬼ヶ島の近くには、異界に通じる扉か何かあるのではありませんか」
ダゴンはその事実は把握していたが、別世界へ通じる道の正確な位置は知らなかった。
「えぇ、鬼ヶ島には、こことは別の世界の遺物が流れ着くことがあります。
東からの海流によって運ばれているのだと考えられます。
とすれば、この海流を辿っていけば異界へ通じる門を見つけることもできるでしょう。
ですが、大変な航海です。ここからどれだけの距離を行けばいいのかわかりません」
「かまいません」
「ですが、どうやって行くのです?
海流に逆らって進むなど、並みの船では不可能なこと。
さすがに我々もあなたの旅のために船乗りや船を貸し出す余裕はないのです」
ダゴンは嘘をついた。海流に逆らい、いかなる悪天候をものともしない船を持っている。船乗りは全て魚人のインスマス人。
それでも、部下を太平洋には出したくない。カルコサとの戦闘に、桃太郎に鬼子の存在が明るみなってしまうなどリスクがあった。
彼の理想の展開は、桃太郎に鬼子の存在がばれず、ルルイエに損害を出さず、カルコサの軍勢が桃太郎を殺すことである。
“そんなに、うまくいくものか”
ダゴンは深いため息をついた。
「僕が行きます! 僕が桃太郎様を背負って海流を逆らって別世界の入口を見つけに行きます」
宴会場の入口から発するあどけない声に、全員が声の主を見る。
ダゴンの激昂ですら動じず舞った乙姫も動きを止めた。
ダゴンはを通天河を睨む。
「これは子どもが口を挟める問題ではない。
それに廊下から話を盗み聞きしていたな。感心しないぞ」
浦島太郎も止めに入る。
「ダゴン様のおっしゃる通りだぞ。
お前は人間の、まして子供にいじめられていたじゃないか。
海にはおっかないサメや妖怪がうじゃうじゃいるんだ。
お前みたいな弱虫には無理だ」
「馬鹿にするない!」
通天河は顔を真っ赤にして怒鳴った。
「僕は、もっと強くならなくちゃいけないんだ。
それには怖くてもやらなくちゃいけないことがあるんだ!」
「いや、そうは言っても航海は危険だぜ。
屈強な海の男ですら命を落すなんてざらだ」
「通天河よ」
ダゴンは低い声で呼びかけた。
通天河は、びくりと震えて主人を見上げた。
「話がある。ついて来なさい。
……乙姫も」
ダゴンは通天河と乙姫を部屋から出す。
そして桃太郎に言う。
「子供とはときに、その世間知らずゆえに大胆なことを言う。
海流を逆らい別世界の入口をみつけるなど、危険で無謀なことと言わざるを得ない。
多くの者が、あなたのような戦士ではないのだ。
だから私は、あの子にやめるように説得する。よろしいな」
桃太郎は、ダゴンの目を見つめ無言でうなずいた。
説明不足で失敗したと思っていることがあります。
実は桃太郎は今話で初めて陣羽織に袖を通して、世間一般で知られる桃太郎の姿となります。
じゃあそれ以前はどんな服装だったのかと言うと……、ペプシ桃太郎がイメージに近いです。黒いぼろを着ていました。で、アザトース戦後はすっぽんぽんになって、村人から普通のつぎはぎの服ををもらって着ていました。




