第60話 足利義政
桃太郎と三郎をはじめとする難民の列は、漁港いんすますを目指し海沿いの林道を進む。
三郎は桃太郎に礼を言う。
「桃太郎様、あなたがいるだけで、盗賊どもは襲ってきません。本当にありがとうございます」
「えぇ、どうやら私がいるということは知れ渡っているようです。
難民の数も続々と増えています。いんすますに、これほどの人数の受け入れができるのでしょうか」
「さぁ、それは……。しかし、いんすますだけが、私たちの最後の希望なんです」
「ねぇ、あそこに何かいるよ」
三郎の息子が茂みの中を指差す。
木の葉を散らして、野犬が飛び出した。
矢の刺さった雉をくわえている。そして、同じ茂みから今度は猿が飛び出した。
驚いた三郎の妻は、短い悲鳴をあげて我が子を抱き寄せる。
猿は野犬の隙をついてはその尻尾を引っ張り、ちょっかいを出す。
たまりかねた犬は、くわえた雉を落して激しく吠え立て反撃に出る。
今度は猿が反転し茂みにとって返す、犬は怒りに任せ、せっかくの雉をほっぱりだして追走する。
結局、矢傷を負った雉の死骸だけがそこに残された。
三郎の子は生唾を飲み込む。
「鳥の肉だ……」
「いやいや、猿犬雉と揃っても古の桃太郎のようにはいかないものだ」
手に弓をもち刀を下げた三十台の男が姿を現した。つやのある肌に顔にも手にも土はついておらず清潔そのもの。その出で立ちから高貴な身分とわかる。
となれば武家あるいは公家の者である。
天下は戦続き。だが、この男、武家にしては線が細く無骨さが無い。となれば公家であるのだが。
桃太郎は男に答えた。
「私の家来は、犬雉猿ではあるが、人語を解し神殺しの神通力を持っている。
でなければ鬼は倒せない。今のような鳥獣とは別の存在だ」
「なるほど、もっともだ。そなたが桃太郎か。一目でわかった」
男は素直に感心した様子だった。この態度に桃太郎はわけがわからなくなった。
多くの公家は、公家以外の者を人間とは思っていない。庶民は動物と同じである。
桃太郎をはじめ、難民たちは土と埃にまみれたボロ着をまとい、みすぼらしい。
だが、男はそれを気にする様子も無く、桃太郎に対して、ひたすら感心していた。
子供をはじめ、難民たちが物欲しそうに雉の死骸を眺めている。
男はそれに気付く。
「むぅ、さすがにここにいる全員の腹を満たすことはできないが、汁にして暖をとるくらいはできるだろう。
余が獲った雉だ、遠慮するな。鍋はあるか?」
三郎が答える。
「鍋はあります。ですが、しばらく進めば町があるそうなので、その町の外で一晩過ごす予定です」
「町の外? 町に入って休めばいいではないか」
「いや、こんな大勢で押しかけては、町は入れてくれませんよ」
「ほう、そういうものか」
高貴な身分と思われる男は、庶民の社会事情にはまったく無頓着の様子である。
男は何を考えたのか、難民たちの列に混じって歩き出した。召し物が良いだけに一人だけ浮いている。
桃太郎は、この奇妙な男に興味を持ち、声をかけた。
「少しよろしいか」
「……苦しゅうないぞ。実は余は、そなたの噂を耳にして、こっそり会いに来たのだ。
だが、他人に会話を聞かれたくない。よいな?」
二人は歩く速度をゆるめて、難民の列の一番後ろに。そして、その最後尾からも距離をおいた。
桃太郎は男に尋ねる。
「あなたからは余裕を感じる。戦乱の世にも関わらずにだ。
あまりに浮世離れしているので、神仏や変化の類とも思ったが、そうではなさそうだ。
あなたは人間だ」
「その通り、余は人間だ。
だが、まぁ、特別な人間だろうな。余は征夷大将軍、足利義政。
建て前では、この国の統治者。
ははは、家来どもは誰も余の命令を聞かんがな」
「……」
「わかる。桃太郎よ、貴殿の怒りはわかる。
天下の者たちは、此度の争乱の原因は余にあると考えている」
「……それなら、あなたがこの乱を鎮めるべきだ」
「ははは、今言ったろう。誰も余の言うことを聞かんのだ。細川も山名も、妻ですら余を無視する。
余にできることと言ったら、酒を飲み、芸に興じ、女を愛でることぐらい」
「あなたは統治者であり、国が混乱していながら、遊んで暮らしているのか?」
義政は殺気立つ桃太郎を目の前にしても、動揺する素振りも見せない。ただひたすらに平静である。
「そう、貴殿の言う通りだ。余は遊んで暮らしておる。
民草が飢えていることも承知している。が、そんなことは些細なことではないか。所詮、現世も夢幻よ」
「一国の主の言動とは思えない。
私に会いに来たと言ったな。なぜだ?」
「それ、まさにそれ。京にて、そなたの噂を聞いた。
はたして鬼を退治した救国の英雄は、今の日本をどう見る? 守るに値したかね?
倒すべき鬼には会えたかね?」
桃太郎は義政を睨み、呻く。
「今の日本は……、悲惨だ。この難民の列を見ろ。
生きるために、いんすますを目指して放浪している。
私がいなければ盗賊や野武士の餌食になっていたかもしれない」
「辛いな。余はああはなりたくない」
「こんな状況なのに私にできることは何も無い。
倒すべき鬼もいない。
……何より、私が鬼を退治したことに意味はあったのか?
こんな惨状になるなら、鬼を退治してもしなくても変わらなかったんじゃないのか」
「そうよなぁ……。桃太郎、貴殿は最善を尽くした。疑いようも無い。
だが、結局、誰しも無力なようだ。神の力を受け継ぐ貴殿ですら」
「だからと言って、国の主たるあなたの無力と怠慢が許されるということにはならない!
能力が無いなら王の椅子から降りるべきだ」
義政の目元が一瞬わずかに歪んだ。
「……なるほど、手厳しいな。
だが、はてさて、余にいったい何ができることやら。
将軍を辞められればいいのだがね。世継ぎは弟か息子か……。
意見がまとまらず今日に至っておる」
まるで他人事のような支配者に、桃太郎は怒りを通り越して呆れ果てた。
陽も傾いて、空を群青が覆う。
「おかしいな」
三郎は首をかしげる。
「もう町の灯りが見えてくるはずなんだが……」
そして、暗い森の中に目をこらすが何も確認できない。
「道を間違えたのかな」
「だいぶ陽が落ちた。これ以上、暗がり進むのは危険ではないかな」
義政は野宿をすすめる。
桃太郎は暗闇の中の一点を見つめる。
「いや、灯りが見える」
「ん、余には何も見えないが。
ふむ、伝説の英雄は夜目もきくらしい」
「だが、暗く小さい。あれは町の灯りではない。
民家か焚き火だろう」
「なんにせよ人がいるのか。
ならば道が合っているか聞いてみるのが良いだろう」
「相手が友好的とは限らない。
とりあえず、私と三郎で様子を見てこよう」
桃太郎と三郎は灯りの方へ進む。
しばらく歩いて、ようやく三郎も灯りを確認できた。
二人は灯りの元へ辿り着いた。
「……どうやら道は合っていたようです」
三郎は周囲を見渡して、ため息をついた。
彼らは町についていたのだ。しかし、どの家も暗く、人の気配は無い。灯りのついている一軒家を除いて。
「ほとんど無人の町のようだ。とにかく、この家には人がいるようだから理由を聞いてみよう」
そして、扉を叩く。
「すいません、旅の者です」
「どうぞ」
しわがれた老婆の声が返事をする。
それに従って、桃太郎と三郎は扉を開けて家に入る。
老婆が一人、囲炉裏に薪をくべている。
「これはこれは旅のお方、道に迷いましたかな」
三郎が答える。
「私たちは、いんすますを目指して旅をしている者です。
ここら辺に町があると聞いたのですが……」
「そうかい、そうかい。へっへっへぇ。
旅のお方、あんたたちは正しい道を通ってなさる」
「しかし、この町はどうして誰もいないのです?」
「おぉ、町も生活が苦しくなってのぅ。
町の者は、みぃーんな、いんすますに行ってしもうたんじゃあ」
「えっ、お婆さんを一人残してですか?」
「そうじゃぁ、わしのような婆はもう足腰もろくに立たねえ。
とても、いんすますまで行けんよぅ」
「でも、年寄り一人じゃ大変でしょう?」
「そんなことないよ。
町のもんたちは町を出る前に、狸の干肉を残していってくれたからねぇ。
とりあえずは飢え死にしなくてすんどるよ」
「狸ですか……」
「たくさんあるからね。狸汁にしてご馳走するよ。
どうせ、食べきる前に盗賊に取られちまうよ。それならあんたたちに食べてもらったほうがええ。
それにもう暗い。空き家ばかりだ。好きな家に泊まるとええ。
なんなら、ここにずうっと住んでもええよぉ」
「あの、私たちは大勢でここに来てるんです。ご迷惑になるかと……」
「いいんじゃよぉ。何人でも。家はたくさんあるんだから。
ただし、鍵のついてる小屋にだけは絶対に入らないでくださいよ。
わしの大事な狸の干肉がしまってあるでなぁ。ヒッヒッヒッ」
こうして、難民たちは一晩、老婆一人だけの町で一夜を明かすこととなった。
家々に灯りがともる。
老婆は、にこにこ微笑みながら、小屋の前で難民たちに狸の干し肉を手渡している。
三郎の妻は、干肉を手に、夫と息子のもとに駆け寄る。
「あなた、世の中には親切な人がいるのね」
しかし三郎は浮かない顔をしている。
「そうかな。だって迷惑じゃないのか?
この廃墟にただ一人で、この肉だって貴重な食糧だ。
それを嫌な顔一つせず、笑顔でくれるなんておかしい」
「あなた、親切なお婆さんに失礼ですよ」
「お父ちゃん、お母ちゃん、お腹すいたよ」
ひもじくする息子の頭を、母は優しくなでる。
「今、この肉をゆでるから、少し辛抱するんだよ」
そして、家に入って、鍋を火にかける。
別の家では、義政は雉鍋を作っていた。
「たまには料理するのも悪くないものだ。
それにしても、狸まで食うとは、あんな臭いものをよく好き好んで食べれるものだ」
桃太郎は呆れ顔で言う。
「あなたは少し黙っていたほうがいい。
あなたは好き放題食える身分だろうが、ほとんどの日本人は餓死寸前だということを知っておいたほうがいい」
「知ってはいる。だが、余には関係ないことだ」
「だから、あなたのそういう態度が――」
「まぁ、そう言うな。この雉鍋は、皆に振舞うのだから。余は食わんのだ。
人数が多くて、ほとんどお湯のようになってしまうが、無いよりはましであろう」
「……」
桃太郎の眉間にしわがよる。
「どうした? 変な顔をして。そんなに余が憎いか?」
「死臭がする。人間のだ」
「なに!?」
エメラルドシティみたいなダイアモンドシティ
最近は『Fallout4』というアメリカ産ゲームに夢中。
核戦争後の荒廃したアメリカ、マサチューセッツ州ボストンを舞台にした作品です。
この作品、クトゥルフネタを随所に仕込んできています。ダンウィッチとかピックマンとか、その他諸々。
これらクトゥルフネタは『Fallout4』プレーヤーの間でそこそこ話題になりますが、『オズの魔法使い』ネタもあるのでここで紹介。
フェンウェイ・パーク(野球場)に作られたダイアモンドシティという都市が登場します。これがエメラルドシティのオマージュ。
元野球場ということもあり外壁はもちろん緑色ですが、野球場内のバラック小屋も緑色のペンキで塗装されています。
そして、ダイアモンドシティという呼び名は野球のグラウンドにちなんでつけられていますが、この街の別名はThe Great Green Jewel(偉大な緑の宝石)。
『オズの魔法使い』のエメラルドシティ同様にほぼマップの中央に位置しています。
まさにアメリカの国民的スポーツと国民的童話を内包するの洒落のきいたロケーションです。




