第6話 オズの大唐帝国
金雲に向かって飛ぶ酉は、金雲が雲ではないことに気がついた。
「こいつは砂だ! どうして空から砂が降ってくるんだ?」
砂を撒き散らしながら落下する白と青の縞の入った服を着た少女が確認できた。
「とにかく助けなくては」
酉は急降下し少女を捕まえた。少女はしっかりと目を閉じていた。何やら黒い塊を抱きしめていると思い、見てみれば黒い小犬だった。
酉はまず安全な場所へと長安に引き返した。酉は桃太郎たちの前で、ゆっくりと少女を地面に降ろした。
少女はおそるおそる目を開いた。桃太郎たちは少女の風変わりな顔つきと服装に驚いた。風変わりと言っても少女の姿は彼女の故郷アメリカでは一般的なものだった。
だが、桃太郎たちはアメリカ人を見たことが無かったのだ。少女は東洋人を見たことはなかったが知ってはいたのでさほど驚かなかった。それよりも自分のいる場所の方が気になっていた。
「まぁ、ここはどこ? 地底の国かしら」
太宗が進み出て答えた。
「ここは大唐帝国で地底の国ではない。朕がこの国の支配者、太宗皇帝である。空から落ちてきた君は天女か神仙か?」
「私はドロシー・ゲイルです。私、天女とかじゃありません。れっきとした人間です」
申は不思議がった。
「空から落ちてきたが人間だという。しかもここは地上なのに地底の国とか言いだす」
ドロシーは、申が喋っても驚くことなく一つの確信を得た。
「猿が喋るということは、やっぱりここはまだ御伽の国なのね。それにしても御伽の国の人たちは空から人が来れば魔女とか天女とか特別な存在に思うのね」
「これは、ますます不思議なことを言う。ここは御伽の国ではない。はっきりさせよう、空にあるのは天界で地底にあるのは冥界だ。そして、ここがその中間にある地上だ」
「オズの国はどこにあるの? そうすればオズの国と大唐の地理関係が分かるでしょ。でも、そもそも私の目的はカンザスに帰る事で――」
申は知識には自信があったが知らない言葉を矢継ぎ早に言われたため取り乱してしまった。
「待て待て待て、オズの国だとかカンザスとは何だ?」
申とドロシーは二三問答して状況を確認した。申は分かったことを皆に告げた。
「彼女はカンザスという文明の国から来たそうだ。で、その文明の国とやらでは天界も冥界も存在せず人間しか言葉を発しないそうだ。オズの国ついてはよくは分からないが彼女はオズの砂漠で墜落したら地上に来てしまったという。推測ですがオズは天界の一地域でしょう」
酉が納得する。
「ドロシー嬢が落ちてきたとき、砂も降ってきていた。なるほど、あの砂はオズの砂漠の砂か」
太宗は身震いしている。
「朕は、そのカンザスという国が怖ろしい。冥界が無ければ死者はどこへいくのだ? 天界が無いということは神も仏もいないのか。人は何に救いを求めるのだ?」
ドロシーは、この疑問に答えられなかったが、かえって太宗を感心させた。
「カンザスの人は神仏に頼らぬ強い心を持っているのだな」
「それにしても彼女をどうするべきか。カンザスが私たちの世界とは異質であることは明らかだ」
桃太郎が言うと酉が答えた。
「彼女といっしょにカンザスを探すというのは?」
その案に申が首を横に振る。
「いや、カンザスは我らの理解を超えている。書にも載っていないし歩いて行けるような場所ではなさそうだ」
すると戌が口を挟んだ。
「カンザスを探す前に、オズの国を探してみてはどうだろうか? かの地にはドロシー嬢の友人も数多くいるという」
ドロシーは驚いた。
「まぁ、犬さんはどうしてそんなことを知っているの?」
「あなたの連れているトト殿と話したのです。犬同士の言葉は犬にしか解かりませんから」
トトは答えるようにワンと吼えた。桃太郎は天空を仰ぎ見た。
「次の目的地は天界だな。そこでオズの国の手がかりを探せそうだ。酉、天界まで飛べそうか?」
酉は悔しそうに言った。
「私の翼では天界まで飛ぶことはできません。雲より高く飛ぶことはできますが天界の扉を叩くことができないのです。せめて雲に乗る法力があれば。残念です」
「万事休すか……」
一方、三蔵法師らは天竺雷音寺に到着した。
そして、釈迦如来の弟子である阿難と迦葉から如来の死と主犯と思われる黒い男のことを告げられた。これに三蔵らは途方に暮れた。
猪八戒は言う。
「琵琶精って、あのサソリでしょ。私はあいつが死んだところ見たよ。え、そいつが生き返った? 冗談やめてよ」
三蔵法師は地面に伏して号泣する。
「如来様が亡くなるとはなんと不吉な。あぁ、私たちはこれからどうすればいいんだ」
孫悟空は怒りながらも、今後の対応について質問した。
「如来様が亡くなられたのは辛いし悲しい。その黒い男も何とかしなくてはならないし、それで俺たちへの対応が後手に回ったというなら仕方が無い。しかしだ、俺たちの旅の証果はどうなるんだ?」
阿難が答えた。
「残念ながら証果は与えられない。どうにかしてやりたいが、それができる権利と法力を持った者がおらんのだ。少なくともそなたら四名が天界で犯した罪は償われたのだから、今はそれで我慢してくれぬか」
悟空は溜息をついて呆れかえった。
「そりゃありませんよ。取経の旅は免罪で釣り合うようなもんじゃありませんよ」
迦葉が悟空をなだめる。
「それはこちらも心得ているし反故にするつもりはない。ただ、今はどうすることもできんのだ。それ相応の対価は考えるから今は待たれよ」
孫悟空は踵を返して地上の降りようとした。阿難は止めた。
「待て孫悟空、どこへ行くつもりだ? そなたの旅は終わったのだ。やたらに下界に降りてはならん」
「すぐ戻りますよ。せっかくだから桃さんともっと話がしたいし、花果山の仲間にも旅の報告をしたい。証果を得たらそれはもうできないし、いつ沙汰があるか分かったもんじゃない。俺は行きますよ」
玄奘も止めようとしたが間に合わず孫悟空は下界に降りてしまった。
「ところで、桃さんというのは何者だ?」
迦葉が訊ねると猪八戒が答えた。
「桃太郎という名前でして、東の国日本から来たという人間です。それが強いのなんの孫兄と互角の勝負をしたのです」
阿難と迦葉は互いの顔を見合わせた。
「日本といえば、最近になって仏の教えを請うようになった地じゃな。しかし嘘はいかんぞ。人間が孫悟空とまとも戦えるわけがなかろうて」
「嘘じゃありませんよ」
すると阿難の表情は険しくなった。
「では、その桃太郎が嘘をついているのだな。人間の振りをしている日本の神かもしれん。最悪、黒い服の男の仲間ということも考えられる」
猪八戒は頭をひねった。
「いやぁ、感じ悪いけど、悪人ってわけじゃなさそうだし」
「感じが悪い?」
「私に対して素っ気ないんですよ」
「聞くんじゃなかった」
猪八戒はムッとしたが阿難はそしらぬ顔で言った。
「その桃太郎なる人物について冥界で調べてくる。日本人なら生死簿に載っていよう」
迦葉は頷いた。
「では、黒い男の調査は私の方で続けよう。このような時じゃ、些細な問題はすぐに片付けてしまおう」
こうして阿難は冥界へと向かった。
孫悟空は長安を目指して飛んだ。花果山は動かないが桃太郎は旅をしている、見失っては探し出すのは面倒と判断したのだ。
長安の城に着くと、すぐに桃太郎たちを発見できた。桃太郎も気付き声をかけた。
「おや、悟空殿。天界に帰られたのでは?」
孫悟空は觔斗雲から降りて言った。先刻の金剛と同じで、地上に無用な混乱を与えないため如来の死は伏せた
「それが、ちょいと手続が滞って今しばらく自由な時間を過ごせることになったんだ。どうだ、お互いの武について存分に語り合わないか?」
しかし桃太郎は首を横に振った。
「そうしたいのは山々なんだが。ぜひ、あなたの力を借りたい。この少女を天界にあるというオズの国に連れて行ってほしいんだ」
孫悟空は声を挙げた。
「オズの国! こいつぁ驚いた。あんな僻地を地上人が知っているとは思わなかった。で、その少女というのは?」
孫悟空はドロシーと目が合った。ドロシーは顔面蒼白になってがたがた震えていた。そして声をふりしぼって言った。
「この猿は悪い猿です。私の友達を苛めた悪い猿です」
これには桃太郎たちが驚いた。孫悟空とドロシーは既に面識があったのだ。酉は身震いした。
「ドロシー嬢は、なかなか豪胆な性格と思っていたが……。ここまで怖がらせるとは、いったいどんな酷いことをしたんです?」
悟空は焦った。
「これには事情があったんだ。まさか長安に戻ったらこんなことになるとは。話せばわかる」
孫悟空は弁解を始めた。時は白骨夫人の策略で孫悟空が破門され、ドロシーがオズ大王の命令で西のウィンキー国を牛耳っていた西の悪い魔女の討伐に向かった頃まで遡る。
破門された孫悟空は花果山水簾洞に帰ってきた。すると部下の老猿がこう言うのである。
「天界には翼の猿という我々の同類たちがおりますが、オズの北の魔女に呪いをかけられ奴隷としてこき使われているそうです」
「何だと。オズといえば辺境じゃないか。田舎仙女のくせに生意気だ、俺が行って懲らしめて翼の猿たちを助け出してやろう」
悟空は觔斗雲に乗ってオズの国にやってきた。すぐに翼の猿の集団を発見した。困った顔をして相談し合っている。
孫悟空が近づいてみると猿たちの方から話しかけてきた。
「これは大聖様。どうしてこんなところに」
「もちろん、お前たちを助けるためだ。さぁ、北の魔女とやらを俺が叩きのめしてやろう。案内してくれ」
「ゲイレット様のことですね。彼女はオズの北ギリキン国から出ている事が多いので捕まえるのは難しいですよ」
「それは参ったな。どうにかしてお前たちを解放する方法はないか?」
翼の猿のリーダーが進み出て言う。
「我々はゲイレット様の作った金帽子の持ち主の命令を聞かなくてはなりません。つい先程、西の魔女から少女一人とその仲間を殺すように命令されました」
孫悟空は金帽子と自分の頭にはまった緊箍児が重なって見えて少し嫌な気分になった。
リーダーは続けた。
「その少女が連れてる仲間がカカシとブリキの木こりとライオンでして。すでに西の魔女配下の狼烏蜂の軍団が犠牲になっています。我々で倒せるのか不安で話し合っておりました」
「ライオン? あぁ獅子のことか。しかし、その命令は無視できないのか? いくらなんでも少女を殺せというのは乱暴だろう」
リーダーは慌てた。
「いけません、たとえどんな悪人だろうと金帽子の持ち主の命令に逆らったら、死より怖ろしい罰があります」
「お前たちに呪いをかけたゲイレットとかいう魔女はよほどの性悪女だな」
孫悟空は眉間にしわを寄せて考えた。この自分を慕う翼の猿たちと見ず知らずの女の子、優先させる方は明らかだった。
孫悟空は翼の猿たちを引き連れて西の魔女の居城に向かうドロシー達を強襲した。カカシもブリキもライオンも孫悟空の敵ではなかった。
カカシは分身した孫悟空に身体につまった藁を抜かれ、ブリキは如意金箍棒でベコベコで潰されて岩場に投げ捨てられた。ライオンだけは西の魔女の奴隷にしたいということなので、悟空は自身の毛を居眠り虫に変じてライオンを眠らせてしまった。
こうなっては人間であるドロシーに成す術は無い。
「お譲ちゃん、あんたに恨みはないが。仲間の為だ、ここで死んでもらう」
仲間を失ったショックと孫悟空に対する恐怖でドロシーは気を失った。
黒犬のトトが吠えて飛びかかったが翼の猿に取り押さえられてしまった。孫悟空は如意棒を振り上げドロシーに止めを刺そうとした。
「ぎゃあぁあぁああ!」
孫悟空は絶叫して地面を転がった。緊箍児が頭を絞めつけたのだ。三蔵法師の他に緊箍児の呪文を知る者はもう一人いる。翼の猿たちはそれに気がつくと天に向かってひれ伏した。観世音菩薩の降臨である。
「孫悟空よ。唐僧を守りもしないで、どうしてこんな所をうろついているのです? まして善なる心を持った少女を手にかけようとするとは、そなたがかつて天界で犯した以上の大罪であるぞ」
傍らには恵岸行者も控えている。孫悟空は必死になって弁明した。
「いや違うんです。お師匠様は人の話を聞いてくれないんです。こっちはお師匠を御守りしようと必死に働いたんですよ。でも、あの分からず屋が破門して――」
「唐僧を守護するように命じたのは私ですよ。彼にあなたを破門する権利などありません。お釈迦様も全員で天竺に来なければ取経は認めないと仰っていますし、破門されたからといって守護の任務が消滅するわけではありません」
「ではどうすれば?」
「とりあえず、ここのことは私に任せて、あなたは水簾洞に戻りなさい。そのうち猪八戒の方から詫びに来ますよ」
「そういうものですかね」
「いいからお行きなさい!」
孫悟空は追い立てられるように、その場を去ったので、その後のドロシーたちのことについては何も知らなかった。
「あのときは本当にすまなかった。君と仲間たちに酷いことをしてしまった」
孫悟空の謝罪をドロシーは受け入れた。その後の冒険は、より彼女を強く逞しくしていたのだ。
「ブリキの木こりもカカシも、それに翼の猿たちも助かったのよ。それに西の魔女もやっつけたのよ」
「そうか、それは良かった」
孫悟空が救われた気持ちでいると、突然地面にぽっかりと穴が開き阿難が出てきた。太宗は礼拝し他の者たちもこれに倣った。
「孫悟空、そこで何をしている?」
「いや、あなたこそどうしたのです。さっきまで雷音寺にいたじゃありませんか」
阿難は話が横道に反れると感じ、すぐに桃太郎たちに向かって言った。
「桃太郎ならびにその家来である戌酉申。そなたたちは生死簿に逆らい、いたずらに現世に留まり多くの者の寿命を変えた疑いがある。いっしょに冥界まで来てもらおう」
心当たりの無い罪状にまさに寝耳に水で桃太郎の家来たちは反発する。
「生死簿って何だ? 俺たちが生きてることが罪とでも言うつもりか」
阿難は彼らを抑えて言った。
「本来ならば、そなたらは何年も前に死んでいたはずなのだ。とくに桃太郎にいたってはこの世に存在するはずがないのだ。人仙あらゆる名簿にもその名が無い」
彼の言葉に場は静まり返った。分かったかと言わんばかりに言葉を続ける。
「ただ、こういった例は無かったので詳しく調べ、後に問題にならないよう処理し今後の判例にしなければならないのだ。そういった事情で特例として肉の身体で冥界に来ても良い」
冥界は死んだ者が魂だけで行く場所なのだ。ドロシーが私も行くと言い出すので阿難は断わったが聞き入れない。
「私はカンザスの人間だから行っても構わないはずよ。酉さんは命を助けてもらった恩人だし、それに悟空さんにオズの国に連れて行ってもらわなくちゃならないんだから」
阿難は、また人の寿命を変えたのかと酉に憤りかけたが、ドロシーが生死簿とは無縁の文明国の人間であるとすぐに悟った。
「確かに君は文明国の人間のようだからオズにいようが冥界にいようが大差はあるまい。しかし、それならオズの国に行くべきだ」
そう言って孫悟空を睨んだが、悟空は悟空で気乗りしないようであった。
「それはそうなんですが、私も桃太郎殿のことが気になります。私とドロシー嬢で彼らのことを見届けます。その後、彼女をオズへ送り届けましょう」
「なんて身勝手な奴らだ。まったく近頃は厄介ごとが一度に起こりすぎる。わかった、来ても良いから余計な口は挟んでくれるなよ」
こうして一同は冥界へと続く穴へと入っていた。
一人残された太宗皇帝は冥界への扉が閉じたことを確認し、これが吉兆か凶兆か判断しかね城の占術師達に相談した。
しかし、最後まで意見が分かれて答えが出なかったという。