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第58話 苦通我経 水の巻 桃太郎伝

 夜も更けて、ホテルにチェックインした(さる)は子供たちを寝かしつけると『苦通我経(くとぅがきょう) 水の巻』、そして明恵上人(みょうえしょうにん)から貰った経文の解読表を机に置く。


「ティンカーは『苦通我経』には主人(桃太郎)の行方が記されていると言っていたが……」


 しばらくの間、申は『苦通我経』と解読表を交互に睨んでいたが、意を決して巻物を広げた。そして題に()()()()と書かれた文を解読表を頼りに読み始めた。






 日本、元号文明、室町幕府・足利義政(あしかがよしまさ)の治世。応仁の乱の真っ只中、各地は戦火に包まれていた。


 ある村では、すでに食糧が底をつき、草の根や木の皮を煮炊きして飢えをしのいでいた。


「た、大変じゃぁあああ、村の衆っ!!!」

 川に洗濯に行った婆様が大慌てて村に戻ってきた。


 村人たちは何事かと、婆様に問いただした。


 婆様は答えた。

「桃じゃ! 川から大きな桃が流れてきたんじゃ!」


 その荒唐無稽さに村人たちはあきれ返った。

「飢えも限界にきて、とうとう幻を見たか」 

「ボケたのか」

「口減らしに山に捨てるべ」


 捨てると言われて婆様は村人たちを怒鳴りつける。

「馬鹿を言うでねぇ、このたわけがっ!」

 そして、両手一杯に腕を広げる。

「こっんーな、大きな桃だべ。

 一人じゃとても持てない。手を貸してくんろ!」


 そして、川のほうへ走っていってしまった。


 残された村人たちは話し合う。

「まぁ、ああ言ってることだし、ついて行ってみるか」

「んだんだ。もし大きな桃があったら儲けもんだ」

「桃が無かったら、婆様は山奥に捨てるべ」

 各々納得して婆さんの後を追い、川へと向かう。


 すると果たして、大人一人丸々入ってしまうほどの大きな桃が川岸に引っかかっていた。


「うひゃあ! 本当にあったぁ!」


 婆様は村の男衆どもに指図する。

「さ、また流されちまう前に桃を引き上げるべ」

「……おっ、おう」


 陸から桃に縄をかけて引っ張り、二人が川に入って下から押し上げる。


 男衆は作業をしながら話し合う。

「こりゃあ、食いでがあるで」

「言い伝えじゃあ川から流れた桃は、神様の桃で食えば若返って精力絶倫になるとか」

「知っとる。老夫婦が若返って(わらべ)こさえたって話だろ。何百年も前に」

「昔々の話だ。産まれた童は鬼をも殺すらしい」


 若返ると聞いて、婆さんは拳をふりまわす。

「そらぁ、気合入れて岸にあげんか!

 ワッショイ、ワッショイ!」


 男衆は、指図するだけの婆様を鬱陶しく感じつつも、力を合わせて、やっとの思いで桃を岸に引き上げた。


 そして、あらためて桃を見る。何をどうすればここまで育つのか見当がつかない。

もし、この村が食糧豊かなら、こんな奇妙な桃を食べようとは思わなかったかもしれない。

しかし、彼らは飢えに苦しんでおり、そんなことを考える余裕はなかった。


「さて、このまま桃を村まで運ぶのは大変だろうから、ここで解体しちまいな」

 婆様は臆することなく指示を出し、男の一人が鉈を振り上げた。


 その瞬間、バコッと桃から人間の右腕が突き出した。


 村人たちは面食らった。


 さらに反対側から左腕が突き出した。


 桃から生えた二本の腕。


 鉈を手にした男は悲鳴をあげた。

「ひっひぇ、桃から手が!? こいつぁ桃の妖怪だ!」



 ばかんっ!


「ぶはっ!」

二本の腕の間から、桃の果汁にまみれた青年の顔が飛び出した。

「うわああああ! ここはどこだ!!!!?」


「おっお前は誰じゃ、これはあたしらの桃じゃぞ!」

 婆様は威嚇するが、青年はたいしてひるみもせず答えた。

「私は桃太郎だ。それでここはどこだ? 日本か!?」

「桃太郎!? 嘘つくでねぇ。桃に頭手足が生えて何が桃太郎じゃ?」

「え? あぁ」


 桃太郎は桃を砕きながらずりずりと這い出した。

 

 一糸まとわぬ裸体。ほどよい肉付き、筋骨たくましくありながらも、しなやかな肉体。

男でも思わず見惚れる完全無欠。婆様は永らく忘れていた女を思い出し、桃太郎の腕に浮き出る血管と陰部をちらちら見比べる。


 しかし桃太郎は村人には一切関心を持たず、自分が出てきた桃を見ている。

「この桃はなんだ? オオカムヅミの加護か? それとも自分でやったのか?

 それにバルザイ刀も桃弓も無い。落としてしまったのか。

 駄目だ、わからない。アザトースにやられたところでまでしか覚えていない」(第19話参照)


 そして村人たちに尋ねる。

「すまないが、私の仲間は見なかったか」

「犬とか猿とか雉ですかい?」

「見たのか?」

「い、いえ、そういう言い伝えがあるから。

 あなたの他には誰も見ていません」

「……そうか、アザトースやニャルラトテップという化け物は見たり聞いたことは?」

「アザ? いえ、知らねえです。鬼の類ですかい?」

「いや、知らないならいい」


 この地にアザトースとその眷属の危機は迫っていないようだった。


「あ、あの」

 婆様は顔を赤らめてもじもじしている。

「この桃って食べれば若返るという桃ですよね?

 今から、この桃を食べてあたしが若返りますから、

 そしたら、あなた様の子供を産ませてください」


 桃太郎は不快なものを見る目で婆様を睨んだ。

尊大な婆様の豹変と発言に男衆は唖然とし、桃太郎が次に何を言うかと困惑と興味を持って見守った。


「あ、あの……」

「この桃が若返る桃かどうかは知らない。

 別に若返る必要も無いが……、

 ところで、あなたは鬼や堕天あるいは魔女を倒したことは?」

「こんなか弱い婆です。とてもそんな大それたことはできません」

「そうか、そうだろうな。

 なら気の毒だが子供は諦めてくれ。

 強い者に媚びへつらい、軽々しく股を広げる女に愛情はそそげない」

「なっ!」


 桃太郎は婆様の求愛をばっさり切り捨てた。

その無様な敗退に、村人達は指差しして笑った。


「このたわけものどもめっ! 誰のおかげで桃にありつけると思ってるんじゃ!」

 婆様はかんかんになって怒ったが、笑いがおさまるにはしばらく時間がかかった。






 桃太郎が入っていた桃は村人たちの飢えを満たした。この桃には若返りの効果は無かったが、村人たちにとって大きな助けとなった。

桃太郎は村に桃をもたらしたお礼に村人から服をもらった。薄汚れたぼろ着ではあったが。






 桃太郎は、いくつか気になることがあり、村人に尋ねた。

「この村は貧しく食事もままならない様子だが、どこもそうなのか?」

「へい、今は国中が飢えに苦しんどります。おまけに(いくさ)も続いております」

(いくさ)? まさかまた鬼が?」

「そりゃもう鬼のような……、あ、いえ鬼じゃねえです。

 お侍、人間同士の戦です」

(みかど)は? 帝はどうされたのか!?」

「え、今の世を治めてるのは将軍です」

「将軍でもいい。その人は何も対策は立てていないのか?」

「さぁ……?」


 これ以上の情報は村人から得られそうに無かった。

桃太郎は日本の荒廃ぶりに絶句した。






 村から離れた山の中。そこに打ち捨てられた山城は落武者やならず者が集まり野党山賊と化して近隣住民をおびやかしていた。


「お頭、お頭大変です!」


 両脇に女をはべらし、酒をあおっていた賊の頭目。

浅黒い肌に竹箒のような顎鬚を生やし、血走った目は鬼そのもの。

 突然、子分がどたどた慌てふためいて飛び込んでくるので、頭に血が上る。

「何が大変だ! 言ってみろい」


 子分は、へこへこして報告する。

「へい、さっき、馬を走らせて、近くの村を通ったんでさぁ。

 あの村は食い物が無いはずなのに、皆肌つやよくなって、にこにこしてやがる。

 きっと食べ物を隠し持っていたのに違いありやせん」


「ちくしょおおおお!!!!」

 頭目は(さかずき)を壁に投げつける。女たちは怯えて身をすくめる。

「食い物が無いと言うから見逃してやったのに恩知らずな奴らだ。

 あの村は婆と男しかいねぇが、きっと若い娘も隠しているにちがいない!

 ぶっ殺してやる! いくぞ野郎共、準備しろ」


「へい、すぐに。それと見慣れない若い男がおりやした。

 これがなかなかに立派な男で、もしかしたら用心棒かもしれやせん」

「ぬぁあにぃ、数は?」

「一人です」

「馬鹿野郎!」

 頭目は子分を殴り倒す。歯が二本ほど折れて床にはねる。

「そんなのが用心棒なわけねえだろ! ここには百人分の戦力があるんだ。

 びびってんじゃねえ。そいつもついでにぶっ殺して身ぐるみはいでやる。

 出陣だぁあああああ!!!!!」

 

 頭目以下、五十人の賊が山城を打って出て、桃太郎が滞在する村に侵攻する。






 地面が揺れ、馬のいななきが響く。

 村人たちは恐怖で震え上がり、家の中へと隠れてしまう。


「おい、ちょっと待て」

 桃太郎は手近にいた村人の腕を掴む。 


「放してくれ! 野党どもが攻めてきたんだ家に逃げなきゃ」

「家にこもったくらいじゃ無駄だ。火をつけられる。

 奴らはいったいどういう賊なんだ?」

「山奥の城を根城にしている落武者やならず者の集団だ。全部で百人近くいる」

「その中に鬼や妖怪は?」

「そんなん知るか! もう放してくれ!」

 村人は桃太郎の手を振りほどいて家に立てこもる。


 村を包囲した五十人の賊。


「お頭、あいつでさぁ!」

 歯の欠けた賊が桃太郎を指差す。


 頭目はその賊の顔を引っ叩く。哀れ、子分は脳震盪(のうしんとう)を起こして気を失ってしまった。

「馬鹿か! 確かに村の連中よりはマシだが、俺に比べたら小枝同然よ」

 そして、丸太のような腕に力こぶをつくる。

「いいか、村人どもよ。てめえらは、とんでもねえごまかしをしやがった。

 食糧と女を隠してやがったな! 見せしめに村を焼く!

 見逃して欲しかったら、残りの食糧と女を差し出せ。悪いようにはしねぇ!」


 家の中で村人たちは生きた心地もせず震えるばかり。

「食糧も女もねえ。とんでもねえ勘違いだ」


「おい、待て!」

 桃太郎は盗賊どもに呼びかけた。

「なにが悪いようにはしねえだ。略奪に人さらいは悪いことだろう。

 この村の人たちは木の根と皮で飢えをしのいでいるし、女といっても老人だけだ。

 意地悪なことを言わないで帰れ! そして二度と悪さをするな!」


 賊どもは、桃太郎の恐ろしさを知らない。青い若造が粋がっていると、指差ししてげらげら笑う。

だが、頭目は癇癪持ち。全身の剛毛を逆立てて熊のように吠える。

「こんのぉ、ガキィィィッ!!!! 殺してやる! 全身の骨を折って殺してやる!

 ヴぁぐぅああああ!!!!!」

 そして弓を引き絞り放つ。目にもとまらぬ速さ。一瞬で桃太郎の右膝を貫通する。


 子分どもは歓声をあげる。

「ひゃっほぉおおい、さすがお頭だぜ。狙った的ははずさねえ」

「ありゃあ、膝の骨粉々だぜ、もう歩けないな」

「おい覚悟しな、動けなくなったお前は一晩拷問だ」

「泣いて殺してくれと頼むんだ。うひゃひゃひゃひゃひゃ、今夜は楽しませてくれよ」


 桃太郎は不機嫌そうに右膝から矢を引き抜いて地面に捨てる。


 賊どもは動揺する。

「おい、なんで膝に矢を受けて立ってるんだ?」

「あいつ、自力で矢を抜いたぞ」

「やせがまんか」


「ぬヴううううっ! グァーーーー!!!!」

 頭目は顔を真っ赤にして矢の三連射。桃太郎の左太もも、膝、すねを貫通。

だが、桃太郎は膝を折らない。直立姿勢を維持。あくまで自然体。


「おい、お前の丸太腕は飾りか? それともその弓矢は玩具か?

 やる気がないなら失せろ。そして真面目に働け、遊んでないで仕事しろ、このごくつぶし!」


 桃太郎の挑発は村中に響き、村人たちは心臓が破裂しそう。

「あの馬鹿! なんで挑発するんだ? おらたちに、とばっちりだ」

「ひぇぇ、賊を怒らせたら、なぶり殺しだべ」


「殺すぅ。殺す殺すぅ!!!! 殺してやるぅぅぅう」

 びぇええええええ!!!」

 頭目、再び三連射。右手の平、左手首、額を貫通。


 子分たちは桃太郎の死を確信する。

「やった、命中だ! 今度こそお陀仏だ。ざまぁ!」


 しかし、彼らが敵にしているのは桃太郎。


 桃太郎は頭から血を流し、顔を真っ赤に染めながらも大声で頭目をしかりつけた。

「この下手糞! どこを狙ってやがる。おまけに無能。こっちは丸腰無抵抗なのに、なんてザマだ。

 喧嘩一つまともできないなんて。賊なんてやめちまえ!」


 頭に矢が刺さったまま大声でわめく桃太郎に賊は大混乱。

「ひぇぇ、なんであいつ死なないんだ!?」

「ば、化け物だぁ!」

「お、お助け!」

 そして、腰を抜かしてへたりこんだり、なりふり構わず逃げ出していった。


 頭目は、さすが頭目である。恐怖を怒りに変える。

「ギエエエエエ!! コケにしやがって、直接ぶった斬ってやる!」

 刀を抜いて、地響きあげて突撃。


「死ねや、クソガキィ!」

 剣筋は桃太郎の首筋を正確に捉えている。

 相手がただの人間だったら、胴と首が離れて、その頭は賊たちの蹴鞠(けまり)道具にされてしまうだろう。


 頭目の斬撃は、桃太郎の首、数センチ手前をからぶった。 

「!?」

 何人もの首を切り落としてきたのだ。距離感を誤るということはありえ無い。

次の瞬間、右腕に激痛。まっすぐであるべき前腕が、くの字に曲がっている。

 

 桃太郎の手刀に、腕をへし折られていたのだ。目にも留まらぬ早業。

これでは、まっすぐ刀は振るえない。


「てめっ、いつの間に!」


 が、次の瞬間には地面に転がされていた。

   

 桃太郎は手に竹箒を持っていた。

頭目は顎の皮がヒリヒリするので左手でさする。つるつるすべすべになっていた。

「……はっ!?」

 桃太郎が手にしていたのは箒ではなく、頭目の自慢の顎鬚(あごひげ)

むしられたのだ。


 桃太郎は頭目の顔を覗き込む。

「私は、一応は人の胎から産まれた身だから、人間を傷つければ多少は心が痛む。

 だが、私の家来たちは人ではない。だから人間でも躊躇なく殺す。

 とくに(いぬ)は、お前のような悪党を殺すことを善しとしている。

 見つかる前に遠くに逃げろ。絶対に見つかるな。生きたまま食われるぞ」

「……」


 頭目は一言も喋らず、折れた右腕をかばいながら、背を向けてよろよろ走り去っていった。

動けなくなった子分たちも気力を振り絞って逃げていった。


 賊がいなくなったので、村人たちは、おそるおそる家から出てきた。

「やった、やはりこの方は伝説の桃太郎だ!」

「手足頭に矢が刺さっても死なないとは、すげえだ」

「これからも、村にいてくだせえ、あんたがいてくれりゃあ安心だべ」


 しかし、声を押し殺して桃太郎はうめいている。

「……最低だ」


 村人の一人はよく聞き取れず、聞き直してしまった。

「へい?」

「私は最低だ。八つ当たりなんだ。

 アザトースに叩きのめされ、仲間ともはぐれ、これからどうすればいいかもわからない。

 つい、いらいらして……、相手が盗賊なのをいいことに痛めつけたんだ。

 こんな無様な姿を戌に知られたら怒られる」

「へ、へい……」

 村人は悲しむ桃太郎に共感できず、生返事することしかできなかった。





 

「ん?」

 桃太郎が下を向いていると、賊の落した刀が目に入った。

刀身が湾曲したそれは一般的な日本刀である。それを拾い上げる。

「……バルザイ刀に似ている?」

 

 そのバルザイ刀こそ、ある人物がバルザイの偃月刀(シミター)を加工し作りあげた日本刀なのだ。

桃太郎が産まれた飛鳥時代。その時代の刀の刀身は真っ直ぐで、後世で日本刀と呼ばれるものとは種類が異なる。

 桃太郎は初めて日本刀を目にしたのだ。


「……鬼ヶ島に行ってみよう」


 鬼ヶ島と聞いて、村人たちはすくむ。

「なんでまた鬼の島なんかに?」


 桃太郎は正直に答えた。

「私はこれからどうすればいいか、わからないんだ。

 アザトースに再び挑むべきか、はぐれた仲間を探すべきか……。手がかりは何も無い。

 鬼の寿命は人間より長い。彼らなら何か知っているかもしれない。鬼たちが今どうしているかも気になる。

 それに日本を出てわかったことがある。世界は思っていたより平坦ではない。

 陸と海が続いているだけじゃないんだ。天界あり冥界あり、オズの国にアザトースのいた奇妙な空間。

 鬼たちは以前言っていた。鬼ヶ島には不思議な品々が流れ着くと。

 もしかしたら鬼ヶ島の近くには、そういった別世界の入口があるのかもしれない。それを探してみる」


「……はぁ」

 村人たちは理解が追いつかず目を白黒させるばかりであった。

 ただ、桃太郎の目に今まで見せなかった覇気があった。それだけは感じ取れた。

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