第50話 鳥獣戯画⑤ジンジャーの才能
公開理事会は、画家理事スミスの解任をもって休憩の運びとなった。
ノーデンス派控え室では、ティンカー理事がオシーン理事に罵倒を浴びせる。
「オシーン、お前がしたことは裏切り行為だ!
追い詰められて正常な判断ができなくなったとみえる。辞任しろ!」
玉兎をはじめスミス&ティンカー社のエリート社員たちはおろおろと震えて見守ることしかできない。
オシーンは微動だにせず反論する。
「あなたの一存で私を理事職から下ろすことはできない。わかってるでしょう。私は大帝の勅命でここにいるのです。
だいたい私がスミス理事の解任に反対したところで二対三。解任は避けられなかったのです」
「そんなものは結果論だ! 誠意を見せなさいよ!」
「オシーン氏の意見が正しいように思えます」
全員の視線が、その声の主に集中する。申である。
「ニャルラトテップ派は画家を用意しスミス理事は解任されてしまいました。こうなっては、こちらも画家を用意して対抗するしかない。
幸いにもオシーン氏がジンジャーという画家を連れてきたわけです。
となればいかにジンジャー嬢がピックマン氏より優れている画家であるということを民衆に納得させる必要があります」
「なんだ貴様、何勝手に発言してるんだ!?
ジンジャーなんてどうでもいいよ。あの小娘に何ができるってんだ!
そんなことより、スミスを理事職に復帰させる方法を考えなさいよ。
この給料泥棒の低脳ども、何のために高給でお前らを雇ってると思ってるんだ。こういうとき知恵を出すためだろうが!」
ティンカーはまくしたてたが、誰一人として名案は浮かばない。
「……嫦娥はどこだ!?」
スミス&ティンカー社の重役にしてティンカーの右腕とも呼ぶべき嫦娥の姿がない。
「玉兔、探して来い!」
「はい、すぐに!」
ティンカーに命令されて玉兔はわたわたと控え室を出る。
「あーもう、嫦娥様ったら何してるんだか。……あっ!」
嫦娥は廊下で容易く見つけることが出来た。人目をはばからずアポロンと談笑している。
時折、頬を赤らめたり照れ臭そうにうつむいたりしている。
「嫦娥様! すぐに控え室に来てください。CEOがお呼びです」
しかし、嫦娥は玉兔を無視してアポロンとお楽しみである。
「嫦娥様!」
「玉兔、あなたも恋多き女ならわかるでしょ。
今、アポロン様と話してるの。邪魔しないでよ」
嫦娥は迷惑そうに眉をゆがめた。
玉兔は失望したが、黙って引き返すつもりはない。
「浮気ですか? 今はそんな場合じゃ」
「玉兔、これは浮気じゃないわ。
愛に時と場所、立場なんて関係ないのよ」
「いや、関係あるでしょ。遊んでないで来てくださいよ。
嫦娥様とCEOの関係が悪くなったら道教神族の立場はどうなっちゃうんですか!?」
「うるさいなぁ。なに嫉妬? ジェラシーなの!?」
「そんなんじゃありませんよ」
「嫦娥、行ってきてあげなよ」
「え……、アポロン様?」
「君は必要とされてるんだ。理事会が終わったらまた後でゆっくりしよう。
そして今夜は地球を見上げながら日食について朝まで語り合おう」
「アポロン様……、あなたがそうおっしゃるなら」
嫦娥はアポロンに優しく諭され夢見心地で控え室に入っていった。
玉兔も戻るとすると腕をつかまれた。アポロンにである。
「おい野ウサギ。俺はな、お前みたいな女が一番嫌いなんだよ。
なんのつもりで嫦娥との語らいを邪魔するんだ?
いるんだよね。そういう人の恋路を邪魔する女。まるで顔のまわりをとぶイカロスみたいだ」
先程の優しい声とは打って変わって怒りの炎がたぎっている。
「別にそんなつもりじゃ。だいたい嫦娥様にはティンカーというお相手がいるんです。
その手を離して、人を呼びますよ!」
「恋とは移りかわるものだ。相手がいようとも自分の思いに従うべきだ。
次、邪魔したら焼き殺しちゃうよ? 兔族に優しい帝釈天はもういなんだからね」
「離して!」
玉兔はアポロンの手を振りほどき控え室へ逃げ戻った。
「嫦娥、遅いぞ。どこに行っていた?」
「別に」
ティンカーに訪ねられても、嫦娥はぶっきらぼうに返すだけだった。
しかし、今はそのことについて追求する余裕は無い。
「まあいい。事態は悪い方向に進んでいる。
この状況を打破するため、スミスを理事に戻す良い策は無いか?」
「は? そんなものあるわけないでしょ。
しっかりしてよ、理事会の決定は絶対なのよ。そこからの説明が必要かしら。
そもそもそんな策があったとしても嫌よ。協力しないわ。
今日の議長のかぐや姫は友達なの。彼女の名を汚すようなまねなんてできるわけないじゃない。
そ ん な こ と よ り も!
私はジンジャーがどれほどの才能があるか知らないの。彼女の絵が観たいわ。
でないと彼女のセールスポイントをアピールできないじゃない。
オシーン様、まさかジンジャーの画力がピックマンに劣ってるなんてないわよね?」
オシーンは部下の騎士に絵を運ばせる。
「もちろんです。その筆の繊細さ緻密さはピックマンを凌駕しています。
ご覧ください」
ジンジャーの絵がお披露目となる。
藁の束が描かれていた。
実物と見紛う写実主義の作品。農村ならではの素朴さ純朴さ、そして牧歌的のどかさを体現していた。
一同はため息をついた。最悪の意味で。S&T社の役員たちは口々に不満を述べた。
「ピックマンは精神に訴えるが、この絵にはそれが無い」
「ただ綺麗に描かれているだけだ。個性が無い」
「モデルが藁とは地味すぎじゃありませんかね」
思いのほか反応が悪く、焦ったオシーンはおもむろにキャンバスに腕を突っ込み藁の束を掴んで取り出してみせた。
「どうです? 彼女の絵は取り出すことができるのです。正確な筆運びが成せる技です。
トウモロコシも牛乳も、紙と絵の具があれば無限に生産できるのです」
ここで申が質問する。
「農作物に畜産物。どちらも一次産業ですね。
例えばルビーは描けませんか? ルビー産業はニャルラトテップ派の資金源の一つです。
安価なルビーを大量に市場に流せば彼らの財政に打撃を与えられるでしょう」
嫦娥も続く。
「確かにピックマンよりは画力が高いようだが、藁の束とはねぇ。いささかインパクトが弱いと思うが。
もっとこう派手でアッと言わせるような絵は描けないのか? 月の民衆は芸術に奇抜さと独創性を求めている」
「ジンジャー嬢はオズの国マンチキンの出身なのです。マンチキンは農畜産業が盛んでして、それが彼女の作品の根底にあるのです。
つまり、農畜産業を題材とした作品がジンジャー嬢の才能をもっとも引き出せるのです」
オシーンの説明は申と嫦娥をひどく落胆させた。
「鉱業品は取り出せないと。月の食糧供給に不足はありませんから農畜産物を増産しても意味がない」
「負けたわ。センスに関してはピックマンの足元にもおよばない
もうこうなったら、ピックマンと違って血生臭くないことを前面に押し出すしかない」
一同は深いため息をついた。