第48話 鳥獣戯画③名状し難いアマツミカボシ
静かの海の議事堂では傍聴席はもちろん理事席、支援者席、来賓席も埋まり残すは音楽家理事アレグロ・ダ・カーポの到着を待つのみとなった。
発明家理事ティンカーは彫刻家理事オラボゥナをなじる。
「理事会の招集をかけたのはダ・カーポ氏。その氏が、まだこの場に姿を見せないとはどういうわけですかな」
「そんなこと私が知るわけないでしょう」
「知るわけがない? これまた不思議なことをおっしゃる。
ニャルラトテップ派の同志ではありませんか。どうやらあなたがたは足並みが揃っていないようですな」
「……ぐっ」
オラボゥナは唇を噛み締めて目を血走らせた。
彼は派閥こそニャルラトテップに与してはいるが、その実はラーン=テゴスの大神官であり、師ロジャーズの遺した博物館を守るためやむを得ずダ・カーポに協力していた。
その様に建築家理事イムホテプが落ち着いた声で話す。
「理事会まで、まだ幾分か時間がある。
ティンカー氏よ、何をそんなに焦っているのです?」
「なるほど、あなたから見れば私は焦っているように見えるでしょうな。
しかし、この中で一番落ち着いていられるのはあなたでしょう。
この先、月がどうなろうと、あなたが総合美術館の建設需要で一番得をする。もっともリスクを背負っていない」
「私は月のエジプト神族を代表する者として最善を尽くしているだけです」
「ふん、言っているがいいさ。日和見主義者め」
「皆さん、聴衆を前にいがみ合うのは止しましょう。
ほら、ダ・カーポ氏が到着しましたよ」
理事たちは詩家理事オシーンになだめられ、音楽家理事アレグロ・ダ・カーポに視線を送る。
ダ・カーポは理事たちの中でもっとも背が低く太っていたが、誰より上機嫌で堂々と振舞っていた。
傍らには付き人と思われる喰屍鬼を連れている。
しかし、ダ・カーポは理事席には目もくれず、来賓席中央へと向かう。
「イナバ様、この度は私めが召集いたしました理事会にようこそおいでくださいました。
今日この日は月の変革の第一歩として後世にまで語り継がれることになりましょう」
「うむ、月の民を安んじてくだされよ」
「おおせのままに」
長老に挨拶して、理事席に着くかと思いきや、また別の人物の所へ挨拶に行く。
「これはこれは養父アマツミカボシ様、ようこそおいでくださいました。お初にお目にかかります。
私がニャルラトテップ様にお仕えするアレグロ・ダ・カーポと申します」
アマツミカボシは漆黒の瞳でダ・カーポを見つめた。
「ニトクリスやニャルラトテップはお前を高く評価している。良い歌を歌うそうだな。
だが、貴様は礼儀というものを知らないらしい。
この短時間で二度も私を不快にさせた」
「えっ……」
「第一に私より先にイナバに挨拶に行ったな。
あの兎は若い頃に図に乗った報いでワニザメに皮を剥がされ、小神どもに騙され海水を浴びて苦痛にのたうった。
その腹いせにヤガミヒメをそそのかし荷物持ちと結婚させた傲慢な愚か者である。月の支配者の座を失ったのは当然の結果といえる。
養父である私を差し置いてよくそのような下賎な輩の所へ挨拶に行ってくれたな」
「もっ……」
弁明を発しかけるも深く重たい声がそれをつぶす。
「次だ。これはお前だけではなく他の者もよくやる不敬だが、なぜ私に挨拶するときに深く頭を下げない? なぜ堂々と顔を上げている?
お前の国の挨拶作法など知らぬ。だが私の故郷では立場が上の者には深く頭を下げる決まりになっている。
外国の神には甘い日本神族が多いことも事実だが私は認めない。日本神族には日本神族の掟がある。やり直せ」
「はっ……ははーっ」
ダ・カーポは全身を震わせ冷や汗をかいて、深くお辞儀をして挨拶をやり直した。
アマツミカボシは一応は怒りをおさめた。そしてダ・カーポの耳元でささやく。
「今日の理事会、ニャルラトテップもお忍びで見学に来ている。
ノーデンス派を完膚なきまでに叩き伏せ、彼の期待に応えよ。
あれは兄姉に比べて少しやんちゃなところがあるが、良い子だ。支えになってくれ」
「ははっ、かしこまりました」
アレグロ・ダ・カーポは、あたふたと理事席に着いた。
アレグロ・ダ・カーポによる緊急公開理事会の開催が議長なよ竹のかぐや姫によって宣言される。
「これより緊急公開理事会を開催します。私、なよ竹のかぐや姫が議長を務めさせていただきます。
理事会の決定は月の最高法規であり、理事および支援者は決定事項の厳守、来賓および月の民、月外部の者、夢見人はその証人になることを宣誓なさい」
『理事会の決定は月の最高法規、決定事項の厳守、我々はその証人になることをここに宣誓します』
この宣誓を議事堂内にいる全員が右手を挙げて行った。おかげで堂内は少し揺れた。
「それではアレグロ・ダ・カーポ理事、本日の議題を発表してください」
ダ・カーポ理事は微笑み、何度もため息をついてもったいぶる。
「早く言えよ!」
「こちとらヒマじゃねえんだよ!」
聴衆たちが野次を飛ばして、ダ・カーポはようやく口を開く。
「今日、皆様においでいただいたのは他でもありません。巷ではもう噂になっておりますが――
我ら六理事には一人不要な者がおります。
画家理事の故スミス氏であります。私はここにスミス氏の解任を要求いたします」
この発言に特に驚きの声は上がらない。聴衆たちの予想の範疇。
ティンカーは異議を唱える。
「スミスを解任するしないの議論はやり尽くしたでしょう。
スミス以上にこの任にふさわしい画家はいない。
不毛な議論を再開するために、これだけ事を大きくしたとあれば罪深い。
不要な理事とは、どうやらあなたのようですな」
ダ・カーポは表情を崩さずにこにこしている。
「もちろん、解任要求だけで画家理事の席を空白にしてしまうつもりなど毛頭ありません。
私はスミス氏の後継者に足る実力のある画家を理事に推薦させていただきます」
これをティンカーは鼻で笑う。
「私のスミスの後継に足る実力者? そんな画家はいない。
議長、もうこれ以上の議論は不要です。理事会の閉会を」
かぐや姫は却下する。
「それを決めるのはあなたではありません。議長の私です。
ダ・カーポよ、スミス氏は月の誰もが認める実力ある画家。
当然、あなたが推薦する者は、月の民が納得するだけの実力を備えているわけですね?」
「もちろんですとも。無名の画家ではございません」
「よろしい、その者の名は?」
「ご紹介しましょう。……さぁ、立って」
このとき、アレグロ・ダ・カーポが声をかけたのは彼が連れてきた喰屍鬼。
「ご存知の方も多いでしょう。
彼こそはリチャード・アプトン・ピックマン! 喰屍鬼族が誇る天才画家であります!」
この言葉に聴衆の大部分が驚愕し歓声を上げた。異様な興奮と熱気を帯びている。
「ピックマン画伯が生きていた!」
「いよいよスミスの時代も終わりか!?」
「こりゃあダ・カーポの勝利だな」
聴衆席で、フロッグマンは腕を組んで唸る。
「ほう、ダ・カーポめ、面白い人物を担ぎ上げたな」
横にいる戌は尋ねる。
「ピックマンとは何者なんです?」
「喰屍鬼族の画家だよ。
彼の喰屍鬼画は狂気と残酷さに満ちている。作品も希少で高値で取引されているという。
しかし、彼は長らく行方不明で死亡説も出ていた。まさか生きていたとは!
なるほど画家理事になってもおかしくはない実力を持っている」
「異議あり。そのリチャード・アプトン・ピックマンは偽者です」
発言したのは詩家理事オシーン。
「ピックマン氏はカダスで行方不明となりましたが、その原因はニャルラトテップの襲撃によるものです。
そのピックマン氏がニャルラトテップ派に協力するとは考え難い」
これをアレグロ・ダ・カーポは嘲笑する。
「ほほっ、今日の味方は明日の敵、今日の敵は明日の味方、それが政治というものでしょう。
考え難いだけではこのピックマンが偽者であるという証明にはなりませんな」
「もちろん、それだけで彼を偽者と言っているわけではありません。
議長、こちらはピックマンをよく知る人物を証人として用意しております。
この証人を召喚することを認めていただきたい」
かぐや姫はうなずいた。
「オシーン理事、証人を召喚することを認めます」
「ありがとうございます」
ティンカーはオシーンの耳打ちする。
「どういうことだ? 今日、ピックマンが来ることを知っていたのか!?」
「情報によると、ここ数日、ダ・カーポ邸に喰屍鬼族が頻繁に出入りしていたそうです。
今日の理事会の議題はスミス氏の解任要求と予測がついていました。
となれば替わりの理事が推薦されるのは必然。画家も限られる」
「貴様ッ、そんな重要なことをなぜ今まで黙っていた!?」
「あなたはスミス氏に固執しすぎている!」
ダ・カーポはにやにやしている。
「おやおや、何を話しているかは知りませんが、ずいぶんとお怒りでいらっしゃる。
敵の前で仲間割れとはみっともないですな」
「静粛に。私語は慎みなさい。
意見があるのならば申し立てるように!」
かぐや姫は理事たちを叱責した。
程なくしてオシーンが用意した証人が入室し証言台に立った。
黄土のターバンとマントを着けた男。その姿に聴衆はざわついた。
その風貌は、かつてニャルラトテップと対峙しノーデンスに寵愛された人物を思い出させたからである。
「あなたの所属と名前は?」
かぐや姫の問いに男は答える。
「私はイレク=ヴァドの王、ランドルフ・カーターです」
その言葉に聴衆の憶測は確信に変わり、よりいっそう動揺し臨席同士で議論を展開する。
それは理事会の進行を妨げるほどの雑音となった。
「静粛に! カーター氏、ここにいるピックマン氏が偽者である根拠を証言してください」
「はい、私はピックマン氏とは親しい仲であり友人であります。
なので、今ここにいる喰屍鬼を目の前にして確信を持って言えます。
この者は断じてリチャード・アプトン・ピックマンではありません。一目瞭然、まったくの別人であります」
これを受けて聴衆の感情は最高潮に高まった。
“アレグロ・ダ・カーポは勝負を焦り、偽ピックマンを用意したのだ。ランドルフ・カーターの登場で一瞬で看破!
アレグロ・ダ・カーポ惨敗! あまりに雑で粗末な計画でニャルラトテップ派、大惨敗!”
「ふふふふ、ふははははは」
ダ・カーポは声を上げて笑い出す。
かぐや姫は注意する。
「ダ・カーポ理事、理事会での不必要な笑い声は会の侮辱にあたります。すぐに笑うをやめなさい!」
「あいやこれは失礼。いやはや、感服いたしましたぞ。さすが覚醒の世界からおいでになったイレク=ヴァドの王は口が達者である。
無垢な聴衆を欺くことに関しては天賦の才能をお持ちのようですな」
カーターはダ・カーポを睨む。
「ダ・カーポ氏、それはどういう意味でしょうか」
「あなたがノーデンスの寵愛を受けていることは有名な話です。
あなたにとって、このピックマン氏が偽者であろうと本物であろうと、どちらでもかまわない。
何者であろうと偽者と言えばいい。そもそもケルト神族が用意した証人に証人としての価値はありませんな」
「私は事実を申し上げています。この男はピックマン氏ではありません。
議長、私とピックマン氏に質疑応答の許可を下さい。両人しか知りえない秘密を話し、偽者である証明にしたく思います」
かぐや姫はうなずいたが、アレグロ・ダ・カーポはすかさず異議を唱える。
「残念ながらそれはできません。なぜなら、ピックマン氏は失声症にかかって喋ることができないのです。
どうやらカダスで起きた事件で受けた精神的苦痛が原因のようですな」
そんな言い分でカーターは納得しない。
「ならば筆談でもよろしい」
「筆談!? これまたおかしなことをおっしゃる。
ピックマン氏は偉大な画家ですぞ。筆を持たせるべきならば絵を描かせるべきです。
議長、今ここで絵を描かせてピックマンが本物である証明としたいと思います」
かぐや姫は二人の言い分を聞き命令する。
「記憶というものはあやふやで、時が過ぎれば思い違い、誤解、忘却するものです。
しかし、この喰屍鬼が本物のピックマンであれば画家理事として恥ずかしくない絵を描けるでしょう。
ピックマンよ、命令します。即興で一つ描きなさい」
ただちに画材が用意され、喰屍鬼は仕事にとりかかった。その間、過去残されたピックマンの作品が取り寄せられた。
二つの作品を見比べるためである。
この流れに終止発言を控えていた彫刻家理事オラボゥナは内心、舌を巻いた。
なぜなら、この流れ全てアレグロ・ダ・カーポの想定範囲内。やはり今この場にいるリチャード・アプトン・ピックマンは偽者なのだ。