第47話 鳥獣戯画②月照らすアポロン
円卓の席についたティンカーは横にいるフィアナ騎士団騎士団長オシーンに不満をぶつける。
「この状況は納得できん。アレグロ・ダ・カーポめ、何を企んでいる。こんなタイミングで緊急公開理事会をぶつけてくるとは」
「おそらくスミス氏の解任要求でしょう」
「ふん、だとしたら無駄な事だ。我が永遠の親友の理事席はそうそう簡単には奪えん。
そのために二重三重に策を用意してある。月内外で活動している画家のチェックにも漏れは無い。
スミスを越える画家など存在しない。ダ・カーポの奴が恥をさらすだけだ」
「……」
オシーンは軽く溜息をついた。
ティンカーはオシーンのすぐ後ろの席に座っている女性に目をやる。
二十歳前後の女性である。青い服に青いとんがり帽子を被っていた。少し緊張している様子である。
このような月の政局を左右する場には相応しくない雰囲気である。
「オシーン、意外だな。君は手下の騎士を連れてくると思っていたが……。
そちらの彼女が着ている青い民族衣装には見覚えがある。オズの国の東だか西だったかマンチキンとかいう国の衣装だ」
「……彼女は助手ですよ。ジンジャーといいます。きっとお役にたつでしょう」
ジンジャーはおどおどとしてティンカーに挨拶した。
「マンチキンのジンジャーです。よろしくお願いします。あとマンチキンはオズの東側の国です」
「ふん」
ティンカーは、この時まだジンジャーの重要性を理解していなかった。だからさほど興味も関心も持てず軽くあしらってしまった。
「それにしても嫦娥はどこで何をしているんだ? まだ来ていないのか」
ティンカーが苛立っていると嫦娥一番の部下である玉兎が息を切らしてやってきた。
「すいませんCEO。嫦娥様は……、嫦娥様はもう間もなくおいでになります」
「……」
「あの……」
「こんな重要な日になぜ遅れる。なぜだ?」
「それは……そのう……」
「知っているな」
「えぇと……」
玉兎が困っていると、緊張感のない笑い声が聞こえてきた。
「そのイカロスって奴が生意気だから、そいつの羽を熱で溶かして地面に叩き落としてやったのさ」
「えぇ、ほんとに? 凄い。アポロンって意外と怖いのね」
「もちろん、君のような美しいレディにそんな乱暴はしないさ。
けど、もし変な男につきまとわれたら俺に言いな。イカロスみたいにしてやるから。ね、嫦娥」
ギリシャ神族の太陽神アポロンは嫦娥の腰に右手を回して色目を使っていた。
その左側ではアポロンの妹アルテミスが兄の左腕に手を回している。
ティンカーにとって嫦娥は部下であり愛人である。それが遅刻したうえ別の男と楽しそうにしていては面白くない。
「なんだ!? なんで太陽神がここにいる。ここは月だぞ!」
「聞いた話によると今日は月の運命を左右する大事な話し合いがあるそうじゃないか。
つまり可愛い妹の将来にも影響する。アルテミスの兄として見届けさせてもらうよ」
アポロンは妹のためと言いながら、執拗に嫦娥の腰を撫でまわしている。
ギリシャ神族特有の彫深く端正な顔立ちのアポロンを相手に、嫦娥は嫦娥でまんざらでもないといった具合である。
それがティンカーをより不愉快にさせる。
「おいアポロン、嫦娥に触れるな痴れ物め。
誰だ!? こいつを呼んだ奴は! 誰に呼ばれた!?」
「わしじゃよ」
その声を聞いて皆が一斉に振り向く。杖をついた白い老兎がいた。傍らには月警察長官カチカチを従えている。
「イナバ長老……」
老イナバ。かつての月の支配者。ノーデンス派とニャルラトテップ派の争いを憂い、自身の権力を六つに分けて理事制を導入した張本人である。
「わしがアポロン殿をお呼びした。月と太陽は陰と陽、表裏一体。太陽神の彼は月の運命を見届ける資格は充分にお持ちだ。
アレグロ・ダ・カーポが何を考えて理事会を公開するか、わしには計りかねる。
しかし彼とて芸術家理事の一人、いい加減な言動をする男ではない。アポロン殿が無駄足を踏むようなことにはならんて」
太陽神を代表してこの場にいることをアポロンは誇る。
「数多の太陽神がいる中、この私を立会人に指名したことは最良の選択であった。
今日は月にとって歴史的な日になる。この議事堂に来ている月の民衆の熱気がそれを確信させる。
もしアレグロ・ダ・カーポが単にパフォーマンスで事を大きくしているならば奴が信頼を失う。
ニャルラトテップの神官と言われる彼がそのような愚を犯しはしないだろう」
「左様。アポロン殿、今日の理事会の結末。太陽神を代表してどうか見届けて下され」
「ご期待に応えよう。月にアルテミスの祝福あれ」
アポロンと老イナバが固い握手を交わす中、ロジャーズ博物館館長オラボゥナ理事が到着した。
すると太陽神は目の色を変えてオラボゥナの方へ絡みに行く。
「よォ、オラボゥーナぁー。今度また妹を泣かせてみろ、貴様の蝋人形を全部イカロスみたいにしてやるからな」
「なっ、なんですか、やめてください。どうして太陽神がここに?」
アルテミスは兄に手を振る。
「もうお兄様ったら。私はもうオラボゥナのこと何とも思ってないのに。
あんまりいじめちゃ駄目だよ」
これを満面の笑みで言ってのけた。
カチカチは一列目の支援者席に行く。
申と銅のロボットチクタクが話している。
「現実、スミス氏以上の画力を持った画家はいるのだろうか」
「私の知る限りnothing、おりません。
世間ではスミス氏の解任要求が議題に出ると思われていますが、あくまでgossipです。
全然、別の可能性もあります」
「それなら尚更のこと問題だ。
それ以外でダ・カーポが何を企んでいるか皆目見当がつかない」
「失礼、少しよろしいかな」
カチカチは二人の間に割って入る。
「申さん、君は冷静だな。アポロンの登場にティンカーはずいぶん熱くなっているようだ。
私見だがオシーンも策を練っている様子。誰も彼も自分の利権を守るために必死だ」
「私だって必死ですよ。月でニャルラトテップが大手をふって歩く光景は見たくない。
必死だからこそ、静かに落ちついて平静でいるのです。
冷静でいた方が万事得ですよ。こういう場でいちいち驚きの顔を見せるのは間抜けがやることです」
「正しい。しかし、私はお節介だから、君を動揺させることを言わなくてはならない。
君の正念場はこの理事会の終了直後だ」
「どういうことです?」
「戌が生きている。そして今日、理事会の見学に来ている。
戌は君を桃太郎と酉を探す旅に連れ出すつもりだ」
申は一瞬だけ大きく目を見開いた。
「今のうちにどうするか決めておいた方がいい」
申はカチカチの顔を真っすぐ見上げた。
「戌が生きていることは嬉しく思います。
しかし、戌といっしょに旅立つことはありえません。
私は月に骨を埋めます。旅にはもう出ません」
「おぉ、君らも来ていたのか。先日は世話になったな」
笑顔で歩み寄って来る者は狐族の王子ドックス。
「私は狐族を代表して見学させてもらう。
……どうかしたのか、申よ。随分と強張っているが」
「え……、いや」
申はすぐさま否定した。が、王子は申の動揺を見抜いていた。
「心ここにあらずといった具合だな。
月の派閥に関して私は中立だが、余の恩人が失態を晒す様は見るに耐えん。
最善を尽くしたまえよ」
そう言い残して、さっさと来賓席についてしまった。カチカチも伝えるべきことは伝えたのでイナバの横の席に座る。
申も決意は固いが、戌がこの場にいると思うと否が応でも昔を懐かしみ心がざわつく。
それを察したのか、チクタクは心配そうに申に言う。
「まだ少し時間がありますし、戌様に会いにいかれては?」
「いや、ドックス王子の言う通りだ。旧友を懐かしんでいる時じゃない。
今は理事会に集中しよう。
う……!?」
申は来賓席から視線を感じた。名状し難い不安定な感覚。禍々しい。
全身の毛が逆立つ、レン高原で味わった底しれない恐怖に酷似していた。
アザトース!?
気のせい。
そういうことにしたかった。突然、戌の話を聞かされて昔を思い出し、連鎖的にレン高原での出来事を思い出してしまっただけ。
この場にアザトースがいるはずがない、封印されているのだから。
だから恐れることは何も無い。申は顔を上げた。
視線を感じた位置を見る。二列目来賓席、日本神族、黒い長髪に黒い瞳の男。
申はほっとした。やはり気のせいだった。その男が何者かはわからないが、日本神族がアザトースとその眷族と同類であるはずがないのだ。
その男神は視線に気付いたようで、申の方に顔を向けた。
「!?」
黒い瞳。決して征服することのできない宇宙の深淵。
産まれてから死ぬまでヨグ=ソトースの手の中に過ぎない、その生死もシュブ=ニグラスの気まぐれの遊戯にすぎず、その一生の間に何を成そうともニャルラトテップからすれば嘲笑の対象でしかない。
無力さ、脆さ、儚さを脳細胞の隅々に鋭利な刃物で刻み込まれるような感覚。自分の存在意義の無意味さを思い知らさせる。
申は、その男神から視線を外すことができない。全身が震える。
「お前は誰だ……?」
男神は口角を上げて、声を出さずに冷たく微笑んだ。
「あいつは誰だ!?」
戌も男神から発せられる名状し難い気配を感じ取り驚愕する。
「見た目は日本神族だが……、あの気配、まるでアザトース!」
横にいたフロッグマンは顔にかけた金縁眼鏡の位置を直して戌の視線を追う。
「まるでアザトースに会ったことがあるかのような口ぶりだな。
奴はアマツミカボシとかいう星の神だ。アザトースの崇拝者どもからは養父と呼ばれている」
「養父、いったい誰の? 日本神族がそんな立場になれるとは思えないが」
「事実を言っている。理由は知らない。我輩だってこの世の全てを知っているわけじゃない。
信者自身もなぜ彼が養父なのかは知らないそうだ」
戌は星の神アマツミカボシを睨んだ。堂々とし何者にも与み従わない威厳と威圧感を放っている。
「アマツミカボシ……」
八百万の国では万物に神が宿るという。その所以か、その国では外国の神々は迫害されることなくマレビトとして敬われるという。
あらゆる神々を受け入れる国でありながらアマツミカボシは邪神と伝えられている。