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第46話 鳥獣戯画①ダ・カーポの緊急公開理事会

 (いぬ)は沙悟浄から渡された紹介状のおかげで問題無くゴンドラ、ムーンラダー号に搭乗し月の大地を踏みしめた。

「ここに(さる)がいる。長い旅だった。しかし、まだ半分。一刻も早く主人と(きじ)も見つけ出さなくては。

 それにしても埃っぽい街だな。こんな場所に本当に温泉なんかあるのだろうか」


 事前に沙悟浄から申が経営する桃柿温泉の話は聞いていた。

しかし、周囲は西洋風の石造りの建物が並び住民たちはせかせかしており、とても観光で成り立っている街の雰囲気ではない。


「もしかして、月って思ったより広い?」

 戌は街で聞き込みを開始した。兎や蛙たちから色々な情報を仕入れる。


「ここは温泉街じゃないよ。ここからじゃ馬車でも一日かかる」

「あんた観光客って感じじゃないな。え、旧い友人に会いに来た?

 しかも、申氏だって? あの温泉街の?」

「申って桃柿温泉の経営者だろ? アポを取るのも大変なんじゃないのか」


「申氏は温泉街じゃなくて、もうこちらに来ているんじゃないのかな」

 ホーランドロップの紳士はステッキで手足の生え揃ったオタマジャクシを指した。


 オタマジャクシは「号外!」と叫びながら道行く人々に新聞を配っている。

「号外~、号外~! ついにアレグロ・ダ・カーポ理事が動いた!

 明日、緊急公開理事会の招集がかかった! 議題はまだ公表されていないがアナリストの予想は出揃ってるよ!

 さぁ、号外ッ号外だよォ!」


 戌はオタマジャクシから号外を受け取る。

「『……アレグロ・ダ・カーポ理事、緊急の公開理事会を招集。

 アナリストのおおかたの予想では故・スミス理事の解任要求と見られている……』

 アレグロ・ダ・カーポ! ニャルラトテップの神官め、月でも暗躍しているのか。

 あのとき奴を始末できていれば……」


 始末と聞いてホーランドロップは震えだした。

「……始末、……暗殺者?」

「?」

「だ、誰か警察を! ノーデンス派の暗殺者がここにいるぞ!」

「ちょ、ちょっと待って!」

 

 戌は月のことを知らなさすぎた。月は厳格な法治国家であり、住民は暴力沙汰とくにノーデンス派やニャルラトテップ派によるものに関しては過剰なまでに敏感なのだ。


 偶然近くにいた赤い制服の警官たちが駆けつけてくる。

ホーランドロップの紳士はすっかり錯乱して彼らに助けを求めた。

「この犬はダ・カーポ氏の命を狙っている。確かに始末と言っていた! 私はそれを聞いた」


 そう聞いては警官たちも見過ごすわけにはいかないと戌に詰め寄り任意同行を求める。

「暗殺者を自称する間抜けがいるとは思えないが悪戯だとしても悪質だ。ちょっと署まで来てもらおうか」

「待ってくれ意味がわからない。アレグロ・ダ・カーポを襲ったことはあるが何であなたたちに罪を問われなければならないんだ?」


 警官たちは絶句して顔を見合わせた。

「こいつ正気か?」

「田舎から出てきたばかりなんだろう。犬だし」

「月のことを何も知らないのか」

「とにかく連行しよう。取り調べをして問題が無ければ厳重注意で釈放すればいい」


 戌は警官たちの言葉を聞いて、彼らが少なくともニャルラトテップの手先ではないことを理解した。

「わかりました、ごいっしょしましょう」

 そして警官たちとともに警察署へ向かった。






 警察署での取り調べの結果、戌のアレグロ・ダ・カーポ襲撃は月の外であることが証明された。

月の外部での事件なので、月の法では裁けない。しかし、ニャルラトテップ派と騒ぎを起こされては問題になる。

 戌は警察から軽挙妄動を慎むよう厳重注意を受けてしまった。


 取調室に月警察長官カチカチ兎が入室する。

「……五年前、この取調室を桃太郎の家来に使った。そして今日も桃太郎の家来に使っている。なんの因果か」


 桃太郎と聞いては、戌は平静ではいられない。

「主人に会ったのか!? いつ!? どこで!?」

「まぁ落ち着いて。あなたたちは自分が思っている以上に有名なのだ。もっとも日本の者に限るがね。

 恐怖と強さの象徴でもある鬼を降せる者などなかなかいない。圧倒的力でとなればなおさらだ。

 あなたの主人桃太郎については鬼退治の伝承を聞いただけだ。今どこで何をしているかは知らないよ」 

「……。

 それで、五年前というのは申のことか?」

「あぁ、彼は今では月社会には欠かせない存在となっている。

 あなたは古い仲間だ。きっと彼も再会を喜ぶだろう。だが、会えるとしても明日以降だ」

「明日。問題無い。離ればなれになり天冥が滅び、気の遠くなる年月をさ迷ってきました。

 今更、一日待つくらいどうってことはありません。しかし、なぜ?」


 カチカチはうなずく。

「月には政治経済を操る五人の理事がおります。

 その五人の理事はノーデンス派とニャルラトテップ派に別れて対立しております。

 ニャルラトテップ派の理事アレグロ・ダ・カーポ氏は緊急公開理事会の開催を発表しました」

「さっき、号外を見ましたが……。それのことですか?」

「そうです。理事なら誰でも開催する権限があるものです。

 が、理事会が民衆に公開されることはまずない。公開するということは何かしらの重大案件の発表あるいは決定がある。

 つまり理事会を民衆に公開するということは彼らを証人するということなのです」 

「それと申といったいどういう関係が?」

「申はノーデンス派なのです。ノーデンス派として彼も明日の理事会に出席します。

 おそらく今日はその準備やらでてんてこまいでしょう。なにせ急ですから。

 そういった事情で、まず理事会が終わらなければあなたと面会は通らないでしょう」


 戌は言葉に窮した。思っていた以上に、申は大きな立場にいて遠い存在になっていた。

戌が各地をさ迷っている一方、申は月に腰を据えていたのだ。


「公開理事会には月の民衆の席の他に覚醒世界から来た夢見る人の席、そして月以外の神族の席があります。

 戌さん、あなたは月以外の神族の席で理事会を見学する権利があります。

 いかがです、理事会を見学されてはどうでしょう?」

「……」


 戌は考えた。理事会を見学すれば(さる)の仕事ぶりも見れるだろうし、理事会終了後に彼を(つか)まえることもできる。

「わかりました。その公開理事会を見学させて下さい。しかし、なぜ私にそんな話を?」

「大事を決める時、証人は多ければ多いほどいいからです。

 それに月以外の神族で理事会を見学に来るのはほとんどが観光客なのです。あなたのように古い友人に会いに来た者が一人くらいいてもいい。

 それにあなたは日本の誇りなのですから」

「誇り……」

「あなたは鬼の脅威から日本を救っただけじゃない。その行いが人々に希望を与えたのです。あなたたちが登場するまでは鬼は恐怖そのものであり、我々の先祖は屈するしかなかったと言います」

「希望……」


 戌は恥ずかしかった。鬼は倒せても名状し難い恐怖の魔王アザトースの前ではどうすることもできなかった。

そんな自分がいったい何を誇れるのか、どうして希望を与えられるのか。

カチカチの称賛を戌は分不相応に感じて胸を傷めた。






 翌朝、まだ日が顔を出したばかりだというのに朝露に湿った石畳の道は月の住民であふれかえっていた。

月の住民だけではない、月外部から来た多種多様の種族に覚醒の世界から来た夢見る人も同じ方角を目指して進んでいた。


 静かの海、月の議事堂。芸術家理事らによって月の政治が執り行われる。議事堂での決定こそ月の法律であり掟である。


「道を開けなさい! 通行の邪魔です!」

 鹿に乗った兎の警官が法螺貝の拡声器で通行人を道の端へ誘導する。


 通行人が散った場所を要人を乗せた牛車や馬車が駆け抜けていく。


「あの中に(さる)がいるのだろうか」

 戌は議事堂に向かう馬車の後ろ姿を見送りながらつぶやいた。


 石畳の朝露が乾ききった頃、戌はようやく議事堂内に入ることができた。 

議事堂内はすりばち状の構造となっていた。天井には巨大な水晶球がはめ込まれ明かり取りの役割を果たしている。

案内に従って月に居住権を持たない外部者の傍聴席に着く。

戌は物珍しく、きょろきょろと見回す。自分が座っている席の周囲には多種多様な種族がいた。犬族猫族など動物の種族やハイボリア人にレン人の貿易商なども見られた。

 別の方に視線を送れば、これは兎族や蛙族ばかりが陣取っている。猿や狐がわずかに見受けられる。

「なるほど、あれが月の住民の席か。……しかし、あっちは何だろう?」

 戌にとって奇異に映ったその席には人間しかいなかった。老若男女、服装も顔つきもばらばらで民族も異なるようである。


「あれは夢見る人の席ですよ」

 隣の席に座っていた紫のシルクハットを被った背の高いアマガエルが答えた。


「……あなたは?」

 戌は蛙の黄色い燕尾服に目を痛めながらも訊ねた。

「これは失敬、我輩はフロッグマン。蛙族で何者よりも賢く知恵のある蛙である。もっとも月の住民ではないがね。

 あの席にいるのは覚醒の世界から来た人間なのだよ。彼らは不思議な方法でこちらに来る。

 向こうの世界で眠りにつくとこの幻夢境を自由に訪れることができるという。人間の中でも特別な才能らしい」

「ふぅん、しかし、どうして人間しかいないのです? 私の産まれは覚醒の世界ですが、それなら犬や猿、兎や蛙がいてもいいのでは?」

「……」

 フロッグマンは口のへの字に曲げて答えない。

答えないのには理由がある。なぜ人間だけが夢見る人として幻夢境に来られるか知らないからである。

彼は自分の知らないことを聞かれることが大嫌いであった。質問に答えられなくては自分を賢く見せることはできない。

「あぁ、あちらを御覧なさい」

 話を逸らすことにした。知らないことわからないことは話題にしないことが一番である。


 フロッグマンがステッキで指した先には円卓が置かれ七つの席が用意されていた。

「あの席で理事たちが月の政権運営について話し合うわけです」

「あれ、私の聞いた話では理事は五人のはずですが……」


 これを受けてフロッグマンは機嫌良く鼻息を鳴らす。他人の知らない自分の知識をひけらかすことは彼にとって最高の愉悦である。

「たしかに月の理事は五人いる。しかし、本当は六人分の理事席がある。

 理事は芸術家から選出される。

 ノーデンス派の発明家ティンカーに詩家オシーン。

 ニャルラトテップ派の音楽家アレグロ・ダ・カーポ、彫刻家オラボゥナ、建築家イムホテプ。これで五席。

 ノーデンス派は六席目の画家枠を不当占拠しているというのがもっぱらの評判」

「不当占拠とはどういうことです?」

「画家の理事はティンカーの親友でもあるスミス。しかし、このスミス画伯は故人。

 そう、死んでしまっているから政治に何一つ携われない。

 今日までティンカーはああだこうだと理屈をこねて画家の席を死守してきたわけだが。

 事実、スミスの画力上回る画家は発見されていないのだが。

 今ここでアレグロ・ダ・カーポが緊急公開理事会を開くということは?」


 ここまでの話と昨日読んだ号外の内容が重なって戌は気付く。

「スミス氏を解任しニャルラトテップ派の画家を理事にするつもりか」

「左様。しかし、これはあくまで噂。今日は別の議題を話し合うのかもしれない。

 スミスは偉大な天才画家であるからして、この画力を上回る画家を連れてくるのは至難の技」

「なるほど、理事席が六人あるのはわかりました。でもそれでも席が一つ余っていますが?」

「あれは議長席だ。議長を理事が務めることは禁止されている。

 公明正大にしてつつがなく理事会を進行できる者でないと資格は無いそうだ。

 議長は心が無く正義を貫ける者と定められている。

 過去の理事会ではエジプト神族のマァトやチチチ・フーチューが議長を務めたという」

「チチチ?」

「オズ周辺諸国の伝承に語られる正義の審判を下すという伝説の妖精だ。

 どうやら実在するらしいな。

 さて、今日の議長は誰だろうか」

 フロッグマンと戌は、どんな人物が議長を務めるか気になって中央の円卓を注視した。

すると黒髪の色の白い女性が議長席の椅子に腰かけた。


 戌は呟く。

「……日本人だ。しかし風変わりな服装だな」

「ほう、あれは十二単(じゅうにひとえ)。とすればあの姫君は、なよ竹のかぐや姫」

 

 十二単では椅子に座り難いのか、少し窮屈そうに表情を歪めている。


 円卓を囲うように二列のテーブル席が設けられている。

 一列目は円卓と同じ高さだが二列目は一段高い場所に設けられている。

 戌はそれを指してフロッグマンに訊ねる。

「あの周りの席は?」

「理事会に出席するのは、なにも理事だけではないさ。

 一列目には支援者や関係者もサポートという形で参加できる。もっとも指名されない限り発言する権利は無いがね。

 二列目には来賓席だな。月社会で要職につく者や月外部からの有力者の席だ。

 お、ノーデンス派やニャルラトテップ派の奴らが入場してきたぞ。見たまえ、そうそうたるメンバーだ。

 あの灰色の背広(スーツ)の男がスミス&ティンカー社CEOのティンカーで――」

 フロッグマンは、ここぞとばかりに自身の知識をひけらかす。 

しかし、戌はほとんど聞き流して(さる)を探す。

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