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第45話 虹の娘ポリクローム 後編

 犬ぞりが草原をかき分け進む。周囲を魔犬たちが随伴し、その後を猪八戒と沙悟浄が仙雲で追う。


 沙悟浄は八戒を責める。

「どうして、さっき私の言葉を(さえぎ)ったの?」

「あぁ、あのこと。悟浄あんた、とんでもないこと言おうとしたよね。

 (さる)さんが月にいるって言おうとしたでしょ」

「本当のことでしょう」

「あのね、(さる)さんはもう過去とは決別してるの。

 家庭を持って会社を経営して月社会に必要とされていているの。

 それに比べてあの犬たちはどう?

 いまだに過去を引きずってアザトースの眷族に喧嘩売りながら桃さんやドロシー嬢を探してうろつている。

 (さる)さんをそんな連中のエゴに巻きこむわけ? 私にはできないな」

「でも、このままだとすぐにばれるわ」

「なんで?」

「セレファイスを治めるクラネス王はランドルフ・カーターの友人。

 彼もまた十二冒険者に期待している。戌がセレファイスに入ったら真実を告げてしまうわ」

「そんなのは無視よ、無視!

 つうか、なんで悟浄そんなこと知ってるのよ」

「だって、お師匠様の居場所も八戒の居場所もランドルフ・カーターから聞いたのよ」


 猪八戒は目を見開いた。

「この阿呆(あほう)! まさか変な約束とか契約とかしてないでしょうね!?」

「……」

「したのか」

「十二冒険者と『苦通我経(くとぅがきょう)』を集める旅をすることをお師匠様にお願いするだけよ」

「……。

 …………。

 それってつまり、お師匠様が嫌だって言えば何も起きないってことだよね?」

「うん」

「なぁーんだ。お師匠様がそんな意味不明な旅をするわけないじゃない。

 あーもうびっくりさせないでよ。良かった良かった」


 沙悟浄は猪八戒を見つめていたが、心を決めたようだった。

「やっぱり、戌に本当のことを話す」

「悟浄! だから余計な事しちゃ駄目だって!」

「話すだけよ!」

「それが余計なんだって!」

「戌が無駄にうろつくのは見るに()えないわ!」

「申さんの家庭が壊される方が問題じゃなくて!?」


 突然、犬ぞりがぴたりと止まった。

仙雲に乗った八戒と悟浄は止まり損ねて犬ぞりを追い越してしまった。


 二人が雲から降りて後ろを振り返ると、犬たちはこちらをじっと見ている。


 犬ぞりから戌が降りてきた。

「二人とも、申に会ったんですね」


 猪八戒はばつが悪そうに愛想笑いを浮かべる。

「えっと、あー、聞こえちゃいました?」

「そりゃあ、あんな大声で言いあいすれば聞こえますよ。犬族は耳もいいんです」

「あーそう。じゃあもう秘密にすることも細々(こまごま)説明する手間も(はぶ)けたってわけね。

 けど、あんたに責められるいわれはないわよ。

 (さる)には奥さんがいて子供もいるもの。月で新しい生活を始めてるのよ。

 あんたみたいな過去に囚われた亡霊に教えるわけないじゃない!」


 戌は、八戒の自棄(やけ)な言動に不愉快を覚える。

「過去の亡霊!? 行方の知れない主人や仲間を探すことはあたりまえのことじゃないか! たとえ万が一のことがあったとしてもだ。

 だいたい猪八戒、その僧衣はなんだ!?

 もう仏教は衰滅している。それなのに僧衣を着ているということはまだあなたは三蔵法師の弟子じゃあないか!

 あなただって亡霊を追い求めている、私を非難する資格なんてない」

「私はいいのよ、私には帰る場所は無いから。財産はこの身と服と馬鍬だけ。

 でもね、申さんは帰る場所があるの。これは私たちとは決定的に違うところよ!」

「そんな理屈はもう結構だ! 私は私の義務を果たす。口を挟まないでもらおう」

「そうはいかない。この猪八戒様はこれでも情に厚いのよ。

 申の一家離散の危機を見逃すわけにはいかないわ」


 猪八戒が馬鍬を構えれば、戌は牙をむき出す。

部下の魔犬たちも牙をむいて援護の態勢に入る。


 沙悟浄も宝杖を構えるが、数十頭の魔犬の群れを相手に仏僧二人では分が悪い。

「八戒、あなた悟空(あにうえ)の悪い癖がうつったんじゃなくて!?」

「なるほど、(さる)が孫兄に重なって見えたのかもね」

「阿呆な事を言う」


「私は月に行く! 邪魔立ては無用!!」

「だから行かせないって!」

 吼える戌の口に九歯の馬鍬が振り下ろされる。が、鬼の肉を切り骨を断つ戌の歯牙はがっちり受け止め跳ね返す。

ならばと八戒は馬鍬の()の先端を、戌の頬めがけてぶんまわす。が、さっと身をかがめられては空振り。


 魔犬の群れは戌を守ろうと我先に迫ったが、沙悟浄の降魔宝杖の構えを見れば、敵が手練(てだ)れの将と即座に見抜く。

彼らは玉皇大帝の近衛大将は知らずとも、戦場には一騎当千の猛将がいることは知っている。見抜いたからには迂闊に攻めこむことはしない。

ただ、じっくりと隙を狙う。犬たちは知っていた、いかに強固な要塞も崩せる隙がある。

そして、気高き犬ほど耐えることに待つことに、心を乱されることはない。

 だが、それは沙悟浄とて同じこと。護りとは忍耐であり集中である。張り詰めた神経の糸は緩まない。

“静”にして“黙” 風雨荒れて羽虫飛び交おうとも乱されず、その場にいることを忘れ去られ存在が薄れようとも、揺らぐことのない守護者の戦意。

 彼らが今日まで積み重ねてきた戦いの記憶と経験。それが両者を不動直立に追い込む睨みあいとなる。

はたから見れば、ただの棒立ち。その実は攻防の駆け引き読み合い、突破口の模索である。


「でいッ、せいッ、ていやぁッ!」

 八戒は馬鍬を突いてぶん回す。戦神ですら木っ端微塵に粉砕する九歯の渦。

その荒波の中を、戌は滝を駆け(のぼ)る竜のごとくかわしていく。

 一度はその九歯の突撃を歯で受けた。ただの一度のことではあるが、八戒の動きと強さを測り終えていた。 


 戌は体に巻いていた白い布を(ほど)いて口にくわえる。その布には黒い墨で『日本一』と縦書きされていた。

日本を旅立つとき旗手を務めた。アザトース邂逅時に竿を折ってしまった。旗だけが残されて、今は身を包む外套である。

 この『日本一』の旗が戌に残された仲間との絆であり、再開を約束する道標(しるべ)であった。


 低い姿勢に重心の戌、対して大柄な体格そして長得物の猪八戒。八戒にとって相手にし難い敵ではあるが、敵の武器は牙と爪ぐらいだろうと油断があった。

それが急に身体に巻いていた布を武器にするものだから面食らう。『日本一』の文字が視界を覆ったかと思った瞬間には両目に激痛。

「ぎゃっ!」


 両目を旗で叩かれて視力を失う。


 戌は勝利を宣言する。

「加減はした、視力は戻る。私の勝ちだ、邪魔は諦めてもらおう!」

「こなくそっ!」

 視力を失った猪八戒は戌の声のした方向にやたらめったら九歯馬鍬を振り回す。


「危ないっ!」

「無茶だ!」

「行くな!」


 沙悟浄と魔犬たちの突然の叫びに八戒は驚く。が、物が見えないことで生じる焦りと不安が馬鍬で打って出させる。

「猪八戒、動くな! ポリクローム嬢を巻き込む!!」

「なっ、なんなんなんで、ポリクロッ!?」

 戌の叫びで事態の急転に気付く。

 何故、ポリクロームを巻き込んでしまうかはわからない。だがもう手遅れ、武器を振り下ろしてしまった。



「かわいそうな人たち……」

 ポリクロームの小さな声が哀しみを帯びて響いた。


「うっ、動かない!?」

 猪八戒の九歯馬鍬は振り下ろしかけたまま押せども引けども動かせなくなってしまった。

「何が、何がどうなってるの!?」

 わめいても誰も答えない。


「うわぁあ……、なんてこと」

 戌には状況がよく見えていた。ポリクロームは細い腕で馬鍬をつかんでいた。もう片方の手では戌の旗も掴み取っている。 

 

 魔犬たちも驚愕の声をあげる。

「おい、あれは四トンはあるんだぞ。どうして持ってられるんだ!?」

「魔力だと思うが……、武器の重さに加えてあの豚の腕力魔力もある。よく抑え込んでしまったものだ」


 ポリクロームは二人から馬鍬と旗を取り上げてしまった。

そして馬鍬に旗をくくりつけて踊り始めた。


「ポリクローム嬢、旗を返して!

 それは私にとって大切なものなんだ」


 しかし虹の娘は無視して軽やかにステップを踏んでいく。

魔犬たちは無理やりにでも奪い戻そうと跳びかかったが、まさに雨上がりかかる虹の如くで、つかみどころが無く翻弄され近付くことすらできない。


「え、本当に何が起きてるの!? 悟浄!?」

 狼狽する八戒に悟浄は呆然と答える。

「ポリクロームが九歯馬鍬を持って踊ってる」

「うっそ! あの子、そんな力があるの!?」


 ポリクロームはそのまま飛び跳ねて犬ぞりの家の屋根の上に上る。

「ねぇ、喧嘩止めないと武器も旗も返さないよ! このまま家に持って帰ってインテリアにするからね」


 戌は訴えた。

「それは困る、その旗は仲間との絆なんだ。それがないと主人に顔向けできない」

「知らないわ」


 猪八戒も声の方を見上げる。

「ポリーちゃん、いい子だから馬鍬を返してちょうだい。

 それは私たちの旅に必要なの。それがあるだけで悪い怪物から身を守れるのよ」

「そんなの知らないわ。

 あなたたちは身勝手よ。自分のわがままを通すために傷つけあうなんて

 痛々しくて見ていられないわ」

「じゃあどうすればいいのよ?」


 ポリクロームはしばらく考えこんで、戌そして猪八戒に訊ねた。

「あなたは昔のお友達に会ってどうしたいの?」

「それはもちろん説得して、主人と仲間を探す旅に連れて行く。

 それが主従の義務を果たすというものです」

「ふーん、で、豚さんはどうしたいの?」

「家を守るというのはね、男にとっては一番の義務なのよ。妻がいて子供がいて仕事がある。

 そんな人をどこにいるのか生きてるのか死んでるのかわからん仲間を探しに連れ出すなんて正気じゃないわ」

「ふーん……、あなたたちって自分勝手なうえに意地悪なのね」


 意地悪と言われて二人は驚く。

 戌は納得できない。

「待ってくれ、なんで私たちが意地悪なんだ?」

「だってそうでしょう。自分は好き勝手にやってるくせに仲間には好き勝手やらせないんだから」


 八戒はにやにやと口元はにやつかせているが、目を据わらせている。

「そうそう、申はもう自由なんだからそっとしてあげればいいの? わかった戌?

 で、ポリちゃん、どうして私まで意地悪なのか説明してもらおうかな」

「その申? 仲間のために迷いなく家族捨てちゃうかもね」

「え、そんな馬鹿な。子供だってまだちっちゃいのよ。迷いもなくなんて――、あっ!」

 八戒は釈迦如来にまつわる昔話を思い出した。彼はその昔、真理を究めるために王位のみならず家族を捨てたと伝えられている。

「もし、家族を捨てる覚悟が彼にあるのなら仲間のこと教えてあげずに秘密にしちゃうのは意地悪だよね?」

 

 猪八戒はアウアウと奥さんと子供が可哀そうとうめいていたが、虹の娘は家族が大事なら申は旅に出ないと断言する。


 戌は困り果ててしまった。

「じゃあ、どうすれば……」

「申に本当のことを話したげたら? そうすれば彼は仲間か家族か選べるでしょう。自分で物事を決めてこそよ。

 私はよく地上に落ちるけど、自分の意思で下りることもあるわ。それでよく迷子になるけれど自分のしたことを後悔したことなんてないわ。

 結局、皆自分勝手なのよ。でも、それは悪い事じゃないわ。だって自分を可愛がることは必要な事だもの。

 ……もう意地悪はしないよね。ほら、あなたたちの宝物を返すわ」

 ポリクロームは戌に旗を、そして猪八戒に馬鍬を返した。

 二人は互いの顔を見合わせた。一言も発しなかったが再び戦うようなことはしなかった。





 戌は魔犬の群れ別れを告げた。沙悟浄は争いが治まり誰も傷つかなかったことを喜び、戌に紹介状を書いて渡した。

沙悟浄の紹介状があれば、戌もムーンラダー号に乗ることができる。戌は月を目指し単身旅立った。


「トトの目が覚めたらライオンのことを話すわ。彼もおそらくお師匠様といっしょにいるだろうから」

「えーえー、もう悟浄の好きにしてちょうだい。きっと犬たちはトトに着いて行くんでしょうよ。

 それにしても――」

 猪八戒は周りを見回す。

妹弟子の沙悟浄に虹の娘ポリクローム、そしてトトが率いる魔犬の軍団。

「なんかいつの間にか大所帯になっちゃってるし。

 ポリーちゃんはセレファイスでお別れだけど、この人数で普陀山まで押しかけるってことだよね。

 こんな凶暴な犬の群れを見たらお師匠様がショック死しそう。今から心配だわ」


「誰が凶暴だって?」

 ギラリと牙を光らす犬たちに睨まれて、猪八戒の魂は消し飛びかけた。


「助けて悟浄! きっと普陀山に辿り着く前に私食べられちゃう!」

「大丈夫よ、私がいる間はそんな乱暴許さないわ」

 悟浄にかわってポリクロームが答えた。


 愚か者は虹の娘にしがみつく。

「ポリーちゃん、セレファイスじゃなくて普陀山までいっしょに行こ」


 ポリクロームはにっこりと微笑んだ。

「それは無理」

「ひいやああああ!」


 こうして、泣きわめく阿呆を引きずって一行は西を目指す。

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