第4話 河童の沙悟浄
日本を旅立った桃太郎たちは海を渡り大唐帝国の長安に到着した。
「ここが唐の都長安か!」
桃太郎は感嘆の声をあげる。
都市の華やかさはもちろん規模でも京を凌駕し、店先に並ぶ色とりどりの品物、見たことも無い食材などどれもこれも初めてのものばかりであった。
酉は街の様子を見て少し不安になった。
「人々の顔は生き生きとして活気がある。しかし、こんなに平和な様子では我々が退治できる魑魅魍魎などいないかもしれません」
戌はそれを諭した。
「まあまあ、大陸とは広いのだ。ここが平和だからと言って余所まで平和ということになりはしないさ。情報を集めよう」
申はあちこちを見渡しながら。
「化け物退治も良いですが、私はこの都のことをもっと知りたい。どうすれば、ここまでの発展が遂げられるのか、そしてここに暮らす人たちは何を考えているのか興味がつきない」
「何にしても、この数カ月は船に陸路と長旅をしてきたんだ。しばらくは長安を拠点に情報を集めようじゃないか」
桃太郎の言葉に家来たちは賛成し宿を探すことにした。
たまたま近くを、白馬を連れた赤毛の女性が通ったので、宿への道を訪ねた。
「それでしたら、この先の角を曲がってしばらく行ったところに何軒かありますよ」
案内された道を歩いていると酒場を見つけた。ちょうど腹もすいていたので入ることにした。
昼時は過ぎていたので店内の客は少なく、漁師と木こりが酒を飲みながら談義しているだけであった。
木こりが愉快気に喋っている。
「いやはや張さん、めでたいことこの上なしだな。三蔵法師様が天竺から経を持って帰ってきたくれたおかげで、我々は大乗の仏法を知る事が出来る」
漁師も酒が進む。
「その通りだとも李さん、こうして俺らは神仏の加護を受け、太宗皇帝の治下もますますもって泰平となる。良い事ずくめじゃ」
桃太郎たちは彼らの会話を耳を傾けながら自分たちの席についた。夢中になって話していた漁師の張稍と木こり李定は桃太郎たちに気付き見やって目を丸くした。異国の装束を纏った青年が動物を三匹引き連れていたのだ、驚きもする。
張稍が桃太郎に話しかけた。
「兄ちゃん、あんた調教師だな。その動物たちに芸を仕込んでいるんだろ。御捻り出すから一つ見せてくれないか?」
李定も手を叩く。
「よっ、いいぞいいぞ」
奥から店主が飯を炒めながら声をあげる。
「兄ちゃん、あんまり派手にやって店を壊してくれるなよ」
これには桃太郎も動物達も苦笑いして、酉が答えた。
「紛らわしくて申し訳ないが、我らの主人は調教師ではなく武人である。海の向こうの極東の国日本から来た」
張稍は持っていた杯を取り落とし、李定は口に料理が入っているにもかかわらず、口を開いたため汚い事になってしまった。店主は鍋の手を止めたせいで飯を焦がした。
逆効果だった。
「すげえ! 人の言葉を喋る雉なんて初めてじゃ。この兄ちゃん天才調教師だ」
李定は手を叩いて喜び、張稍も腕を組んで感心する。
「てっきり皿回しといった曲芸と思っていたが、まさか語りができるとは、もっと聞かせてくれ」
誤解は深まる一方であったが好都合でもあった。申は気転を利かせて情報を集めることにした。
「我らは故郷で鬼という妖怪を退治しました。しかし、まだまだ人々を苦しめる妖怪どもが世の中にはいるはず。そんな妖怪たちを懲らしめるため私たちは祖国を旅立ったのです」
張稍は頷きながら聞いていたが、だめだめと手をふった。
「そりゃ無理ってもんだ。諦めな」
酉はそれに反発する。
「おっさん、それはどういう意味だ。俺たちじゃ大陸の妖怪には勝てないって言うのかい」
「いやいや、そういう意味じゃない。あんたらが、どれだけ強い旅芸人一座か知らないが。この大陸で悪さをする妖怪はほとんど全部退治されちまったんだ」
「いったい誰に?」
酉が聞くと張稍は得意げに答えた。
「我が大唐帝国一の高僧、三蔵法師率いる孫悟空、猪八戒ら徒弟によってだ」
「孫悟空だって。あの斉天大聖の?」
孫悟空という人物に申は反応した。それを見て桃太郎は申に訊ねた。
「知っているのか」
「それはもう。斉天大聖といえば私たち猿族で知らぬ者はいません。猿の中の猿、いえ神そのものです。しかし大聖は五百年前に釈迦如来によって五行山に封印されたと聞いていましたが」
その疑問に李定が答える。
「それよ、結論から言って封印は解かれたわけだ。何でかって言うと話せば長くなるが、如来様は地上の堕落を大層お嘆きになられてな。地上に仏の教えを正しく広めるために三蔵様に天竺まで、ありがたいお経を取りに来させたってわけだ」
「取りに来させたって……、持ってきてくれればいいのに」
桃太郎が呆れていると、すぐさま反論が返って来た。
「俺もそう思った。だがな、そこが世俗の人の浅はかさよ。どんなに素晴らしい経典も功徳を積んだ者が授からないと効果が無いらしい。そして、その天竺への道のりが危険極まりない事、盗賊に風土病おまけに妖怪。しかもだ、地上が乱れると天界の生き物も堕天して、より凶悪な魔物となってしまうそうだ」
「凡人では天竺に辿り着く前に殺されてしまうな」
申が言うと、すかさず張稍が口を挟む。
「そこで、観世音菩薩に導かれた三人のお弟子様が護衛につくという訳さ。孫悟空と猪八戒……、最後の一人はすまんが思いだせん。で、その弟子の中でも最強無敵なのが斉天大聖孫悟空。九尾の狐だって一撃で撲殺、天界の名だたる戦神たちですら一騎討ちでは歯が立たないという話だ。そんな剛の者が護衛についているのだ、三蔵様に仇なす妖怪どもは全滅するという仕組みだ」
張稍は語るうちに桃太郎が震えていることに気が付いた。
「おい、兄ちゃん大丈夫か」
桃太郎は目を輝かせて言った。
「すごい、そんなに強いというなら是非戦ってみたい。俺と孫悟空どっちが強いのか確かめてみたい!」
李定は思わず口に含んだ酒を吹いてしまい、怒鳴った。
「馬鹿を言いやがる、話を聞いていたのか。孫悟空というのは、そこらの妖怪や神仙とは比較にならない神通力を持っているんだ。お前さんはただの人間、バラバラにされてしまうぞ」
張稍も諦めるように促す。
「そもそも三蔵様一行は宮廷にいる。太宗陛下は三蔵様を義理の弟として寵愛されている。簡単にお目通りできるものではない。門前払いされるのが落ちじゃ」
「強引に押し込むか夜中に忍び込むか手はいくらでもある。申よ、どういう策がいいだろうか」
「そうですね――」
桃太郎はすっかり高揚してしまい、申もそれに応えようと思案を巡らせた。その様子に張稍と李定は呆れ返った。
「おい邪魔するぜ」
ふいに店の入り口から大声がしたので皆が振り向いた。そこには緑色の肌をした男が両脇に情婦を連れて立っていた。
桃太郎は刀を抜き、戌申酉も戦闘態勢に入った。
「河童! まさか大陸にもいたとはな。お嬢さんたちは逃げて」
すると店主が割って入った。
「ちょっと、やめてくださいよ。常連さんに向かって」
「常連? 妖怪じゃないか」
桃太郎は緑の男をまじまじと眺めた。頭の皿にクチバシ、首から九つの髑髏をさげて立派な法衣を着てはいるが日本の河童そのものだった。河童は怒鳴った。
「ガキが、俺を誰だと思ってやがる! おい言ったれ」
河童に言われ情婦の一人が喋りだす。
「この方は三蔵法師の取経の旅のお供をしたお弟子の一人……、孫悟空と猪八戒の弟弟子……、えっと」
情婦が言葉に詰まったので、もう一人の情婦が声を出した。
「沙悟浄様よ!」
これに桃太郎は驚き、そして喜び刀を納めた。
「これは大変失礼しました。あなたは三蔵法師のお弟子様でしたか。私は武芸を磨くため東の島国日本から来た桃太郎と申します。あなたの兄弟子の孫悟空様が武芸の達人と聞き、是非手合わせ願いたいと思います。差し支えなければ、ご紹介していただけませんか」
「ふん、刀を抜いたり懇願したりと忙しい奴だな。まあ良いだろう。しかし、俺は腹が減っている。兄者を紹介するのは飯の後じゃ」
沙悟浄は情婦たちを連れて席の一つについて注文した。
「今は肉を食いたい気分だ。豚の丸焼きを持って来い」
店主はへいっと返事をすると早速豚を焼き始めた。沙悟浄は情婦にちょっかいを出し、いやらしい顔をして騒いでいたので戌は張稍たちに尋ねた。
「唐の僧侶は女遊びや肉食をしても良いのですか?」
張稍は答えた。
「まぁ良くはないけれど禁止されているわけじゃない。罰則もないしな」
李定も答える。
「それに三蔵様のお弟子は猿と豚の妖仙、悟浄様もあのような容姿だから人間と同じようには語れんて」
沙悟浄は情婦らとの戯れに飽きて桃太郎に話しかけた。
「おい、気が利かんな。芸の一つでも見せたらどうだ? 兄者を紹介せんぜ」
また勘違いをされて桃太郎と家来は困ってしまった。沙悟浄の機嫌はとっておきたいが、相手は河童だけあって桃太郎の家来が人語を喋ってもまったく関心を示さない。
すると戌が進み出た。
「芸を、お見せするのは構いませんが質問に答えていただけますか?」
「何ぃ? 面倒臭い奴じゃのう。何だ、言うてみい」
「では。あなたは、かの高名な三蔵玄奘のお弟子と聞きましたが、なぜ肉食と色
情を好むのです。それは僧の道から外れているのではありませんか。
そのことについて釈迦如来は何も仰らなかったのですか?」
「ふん、よく喋る犬ころだわ。如来様からは何の咎めも受けていない。
そもそも、それはこちらの事情であって、極東の田舎者に意見されることではない」
河童が苛立って唾をはくと、店主が豚の丸焼きを持ってきた。河童は茶色く焼けた豚の頭を刃物で切り分けて口に頬張り、女たちにも分け与えた。戌はまだ食いさがった。
「今、あなたは豚を食べましたが。あなたの姉弟子は豚だそうですね。先輩と同じ種を食するとは非礼が過ぎませんか」
沙悟浄は机を叩いた。
「なんだお前は、さっきから芸も見せずケチばかりつけやがる。おい、桃太郎とやらどうなっている!?」
桃太郎は冷ややかに答えた。
「二人のやりとりを見て確信しました。確かに肉を食べ色を好む僧がいても不思議ではないのかもしれません。
しかし、姉弟子の同族を食べるなど言語道断。侮辱の極みだ」
沙悟浄は目を血走らせクチバシを鳴らして威嚇した。
「黙れガキが。詫びろ、土下座して詫びろ! 詫びねば兄者を紹介せんぞ!」
桃太郎は立ち上がった。
「さっきまで、そのつもりでしたが。何もあなたみたいな人から紹介してもらう必要はない。あなたを痛めつければ向こうから会いに来るでしょう。
復讐か、もしかしたら不義の弟を懲らしめたお礼を言ってくれるかもしれない」
「なっ、なんて無法だ。礼など言うものか! 俺に指一本触れてみろ、兄者が黙ってないぞ。復讐にくるぞ!」
沙悟浄が騒ぐ声が外まで響いたので、物好きなヤジ馬たちが店の周りに集まってきた。
「おい、何が起こってるんだい?」
「異人が悟浄様に喧嘩売ってるんだとよ」
「異人って細身の兄ちゃんか。殺されるぞ」
「やれ、やっちまえ!」
桃太郎が、沙悟浄につかつかと歩み寄る。動揺した河童は奇声を挙げて桃太郎の顔面に先制の平手打ちをあびせた。
普通の男なら顔の皮が剥がれ脳が潰れる衝撃であるが桃太郎は何ともない。
これに沙悟浄は怖気づいた。
「精一杯の平手打ちがこの程度か。残念だ。大陸の妖怪も斉天大聖もたいしたことないらしい」
桃太郎は悲しくなったが、一発は一発と拳を振り上げた。
「お待ちなさい」
大きくは無いが、はっきりとした女性の声が店内に響いた。
桃太郎は拳を収めて声の方を見ると、黄色い法衣を着た褐色肌の女性が立っていた。
桃太郎はこの女性に見覚えがあり、すぐに先刻宿場への道を訪ねた赤毛の女性であると思いだした。
「そのような詐欺師を殺して、あなたの手を汚す必要はありません」
「詐欺師? では、この沙悟浄は偽物」
桃太郎に指差しされて沙悟浄は憤る。
「やい小娘、お、俺が偽物だとぉ。証拠はあるのか」
赤毛の女性は沙悟浄の髑髏の首飾りを眺めて言った。
「面白い首飾りを提げているね。それが証拠なのだけど」
沙悟浄はふんっと鼻を鳴らす。
「墓穴を掘ったな小娘め。証拠は証拠でも、これこそが俺が本物の沙悟浄である証拠よ。
耳穴をかっぽじって、よぉく聞け。我が師匠三蔵法師は十世の転生によって徳を積まれた偉大な高僧。この九つ髑髏こそ転生を繰り返した師匠の髑髏なのだ!」
観衆はどよめいたが赤毛の女は動じない。
「中途半端な知識で物を語るから嘘に粗が出る。九つの髑髏は難所流沙河を渡る時、法の船にして使ってしまい、この世にはもうない。
そんなどこぞから拾ってきた髑髏を得意になって提げている事自体、そなたが偽物である証拠」
「そんな事実は無い。出鱈目だ! まるで見てきたかのように語りおって」
「見たさ」
「何だと?」
赤毛の女は、つかっと前へ出て名乗りを挙げた。
「我こそは沙悟浄、かつては天界で捲簾大将を務め、今また唐の高僧三蔵法師の随行し天竺より経を持ち帰った者であるぞ!」
観衆はおぉと声を挙げ、二人の沙悟浄じゃどっちが本物じゃ?とはやしたてた。
張稍は興奮して言った。
「確かに、今名乗りを挙げた悟浄様は顔も身体も引き締まっている。わしらが沙悟浄と思っていた緑の妖怪は肉食に女遊び。
こりゃあ赤毛のお嬢さんが本物かもしれん」
李定も顎を手でさすりながら言う。
「いやいや、結論を出すのはまだ早いぞ。この嬢さんも偽者ということもありうる」
河童はすこぶる動揺してわめき散らした。
「馬鹿な、こんな小娘が沙悟浄なわけがあるかぁ! お、俺が、俺が沙悟浄なんだァー!」
観衆の中には判断がつきかねる者もいて、河童についていた情婦たちもおろおろとしている。
その様子を察して赤毛の沙悟浄は桃太郎に話しかけた。
「旅の方、ここにいる人々に私が本物であることを証明する手助けをしてはいただけないでしょうか」
桃太郎は頷いて、その方法を訊ねた。赤毛の沙悟浄は説明した。
「私がかつて務めた捲簾大将。簡単に言えば玉帝の護衛をする役職です。そこであなたはこの緑の妖怪に斬り殺してください。私がそれを防いでこの妖怪を守ってみせましょう」
「なるほど、あなたが本物の沙悟浄なら私の一太刀を防げるという訳か。しかし、もしあなたが偽者なら、あなたもいっしょに斬り殺してしまう」
赤毛の沙悟浄はにっこりと微笑んだ。
「それならば二人とも詐欺師だったということ。何一つ問題はございません」
これを聞いた店主は店が血まみれなってはたまらないと抗議したが観衆に石を投げられて断念した。
桃太郎は刀を抜いて河童の目の前で振りかぶった。これを防ぐ役目の赤毛の女は少し距離置い立っているものだから河童は泣きわめく。
「まって、近い近い! それに女、遠すぎるぞ。こんな距離でどうやって攻撃を防ぐ気だ!」
これを李定が怒鳴り飛ばす。
「うっせえぞ。本物の沙悟浄なら剣ぐらい防いでみせろや!
兄ちゃんやっちまえ」
桃太郎は一呼吸置き、真っすぐ刀を振り下ろした。鼓膜をつんざく金属音、そして眩い閃光に全員の目がくらんだ。
徐々に視力が回復して皆が見てみると。桃太郎の一太刀、それは半月の刃によって受け止められていた。そして、その杖を握っているのは赤毛の沙悟浄。彼女こそ本物の沙悟浄だったのだ。観衆の歓声で店が揺れた。
「すげえ、彼女こそ本物の沙悟浄だ!」
桃太郎は顔の筋肉がゆるんでしまった。感情の高まりが治まらない。
自分が気持ち悪い表情をしている自覚があっても、そんなことかまっていられない。産まれて初めて攻撃を防がれた。腕の痺れにすら興奮を覚える。
そして一言。
「強い」
「……あなたも」
沙悟浄は応えた。彼女の腕も震えていた。偽沙悟浄の河童は悲鳴をあげて窓から逃げ去った。情婦たちは悔しがったり怒ったりで店から出ていった。沙悟浄と桃太郎たちも店を後にした。
沙悟浄は店先に繫いであった白馬の綱をといた。桃太郎は沙悟浄に訊ねた。
「私の剣が防がれるとは驚きです。あなたの兄弟子の悟空殿が最強と聞きましたが、あなたのほうが強いのではありませんか」
「まさか、兄のほうがはるかに強いですよ」
沙悟浄より強い孫悟空。はたしていかなる人物なのか。桃太郎は、こみあげる衝動を抑えきれない。
「是非、悟空殿を紹介して下さい。手合わせしてみたいのです」
「あなたには偽者撃退の恩があります。喜んでお引き受けしましょう。でも、兄は本当に強いですよ、うっかり殺されても文句は聞きませんからね」
こうして桃太郎一行は沙悟浄の案内で大唐の宮殿に向かうのであった。
ところで、この偽者騒動。この事件は歪んだ形で時と海を越えて日本に伝わってしまう。
その為、日本では沙悟浄は河童の妖怪であるという認識が広まってしまった。後世になってもその誤解が解けず中国人を困惑させることになったという。