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第38話 月に蠢くニャルラトテップ

 月の警察署の長官室にて、カチカチ兎は部下の始末書に目を通していた。

一日かけてエリート警官たち公開訓練を行っていたのだが、夜間の弓術訓練で遅刻した間抜けな兎がいた。

 その始末書である。


「それにしても、ドックス王子。午前中の不始末を見事に取り戻したな」


 午前の訓練では、様々なトラブルが重なった。それを(さる)の気転とドックスの覚悟で収めたのである。(第36・37話参照)


「いくら夜は地面が光るとはいえ、視界不良中で矢を正確に命中させるのは難しい。

 偶然にもドックス王子が狐火の術を会得したおかげで部下に良い経験をさせることができた。

 ……サクヤビメ様に感謝だな」



 扉をノックする音がした。

カチカチは壁時計を見る。夜ももう遅い。


「なにかトラブルか……。入れ」

「失礼いたします」


 ガマ刑事が入室した。手に黒い日誌を持っている。


「押収した黒ガレー船の航海日誌に気になる記述がありましたので、ご報告にあがりました」

「ふむ、見せてみろ」

「こちらになります……。五年前の記述ですが」




サルの月1日 晴 月面第3埠頭

警察の監視が厳しく、密輸ルビーの利益が低下している。

オシーンの野郎が裏で糸を引いているのはわかっている。

その証拠さえ掴むことができれば。

しかし、悪いことばかりではない。

今日は初めてニャルラトテップ様に拝謁することができた。

あの気品の高さと美しさは伝承通りであった。もう死んでもいい。

しかも贈り物まで賜った。

アルハザードのランプという遠い場所を映し出せる大変便利な道具だ。



ヨタカの月12日 雨 インクアノク沖 

イレク=ヴァドの喰屍鬼(グール)部隊の奇襲を受けてしまった。

おそらくだがランドフルカーター自ら訓練したという精鋭部隊にちがいない。

投槍を使って奴隷兵を音も無く始末する。正直、背筋が凍った。

なんとか追い払ったものの船の一部が破壊され積荷の一部が海に落ちてしまった。

そして、なんということ。アルハザードのランプまでもが海に落ちてしまった。

お許しください、ニャルラトテップ様。



ヨタカの月13日 晴 インクアノク沖

ニャルラトテップ様より賜った品を海に沈めたままにしておくわけにはいかない。

奴隷どもを海に潜らせて積荷を回収することにした。

しばらくすると手ぶらで船にあがってきて、クトゥルフやチャウグナー・フォーンに襲われたとわめきだした。

とんでもない怠け者の嘘つきどもだ。こんな所に奴らがいるわけがない。嘘でないなら何かの見間違いだろう。

なんにせよ、使えない奴隷どもは近いうちに殺処分だ。




 航海日誌の記述を読んでカチカチは唸った。

「なんということだ。これに書いてあることが事実ならニャルラトテップは五年前に月にいたということだ」


 ガマ刑事はうなずく。

「これが事実なら我々は千載一遇のチャンスを逃したわけです」

「しかし奴は千の化身を持っている。変身されては見つけることはできない」

「確かにそうですが、奴は黒いものに好んで変身する。

 そこに重点を置けば、奴の痕跡を見つけることができるかもしれません。

 もしかしたら、まだ月にいるかも」

「ううむ。よし、ただちにニャルラトテップの捜査網を敷け。

 ただし、奴に気取られないよう秘密裏にだ」


 千の化身を持つニャルラトテップ。いくら月警察とはいえ簡単には痕跡を見つけることはできない。







 しかしそれでもニャルラトテップは月にいる。

 

 ニャルラトテップ派に守られた自身の屋敷にアレグロ・ダ・カーポはいた。

ランプに照らされた部屋は、彼が愛用するオルガンや吹奏楽器が綺麗に手入れされ並んでいる。



「さて……、そろそろ時間ですか」

 ダ・カーポは楽譜を描く手を休め、禍々しい装飾が施された蓋の開いた宝石箱を取り出した。

中には赤い縞模様が入った直径約十センチの黒い結晶が納められている。


 ニャルラトテップの信者が通信に使う輝くトラペゾヘドロンである。


 ダ・カーポが箱の蓋を閉じると、黒い影が部屋を覆い、ランプの光をものみこんだ。

 

 暗黒。


 そして、その中から、月で暗躍する名状し難き者たちが顔をのぞかせる。

もっとも、それは目で見るのとは異なる感覚。自身の内なる影から感じ取るのである。


 

「今晩は、今日は面白いニュースがあるよ」

 ニャルラトテップの声が暗黒の中を這い回るが、その姿は確認できない。

「明日、ティンカーが本社を出て桃柿温泉に向かうという情報を掴んだ。

 ふふふ、柿猿(かきざる)が、うまく動いてくれたおかげだね」


「おう、ノーデンス派のトップが直々にか。奴を殺す絶好の好機。

 ニャルラトテップ様、我々にご命令を。

 我らムーンビーストに汚名返上のチャンスを!」

 暗黒の中から灰色の粘膜肌をもつムーンビーストが表われる。

彼らはスターラダー号強盗計画の失敗を取り戻そうとしていた。


「クククク、やめときなよ。君らムーンビーストは悪臭が酷い。

 ティンカーに近付く前に見つかって手出しできないだろうねぇ」

「何だと!? 誰だ姿を見せろ!」

 

 宝石箱をひっくり返したかのような輝きが、暗黒の空間を照らす。


 ニャルラトテップはうっすらと笑う。

「やぁ、土星猫か」


 土星猫。そのシルエットこそ、一般的な猫と変わらないが、身体は一まわりも二まわりも大きい。

全身は赤青緑その他あらゆる色に輝いている。定まることはない。常に変色を続けている。


「この私めがティンカーを始末いたします。

 そうなればダ・カーポ氏もだいぶ仕事がやりやすいでしょう」

「ほっほっほっ、確かに。

 ノーデンス派のティンカーがいなくなれば我らの勝利は確定。

 ですが、そうなっては私のすることが、ほとんど無くなってしまいますなぁ」


 暗黒の中で混沌が蠢く。

「土星猫、ティンカーを殺してくれたまえよ。

 方法は任せる。もし、首尾よくいったらご褒美をあげる」

「かしこまりました。お任せを」

「うふふふ、頼んだよ」


 混沌は気配を消し、下僕たちも同様に消えていく。


 アレグロ・ダ・カーポは、輝くトラペゾヘドロンの蓋を開く。

ランプの灯りが再び部屋を照らす。オルガンも吹奏楽器もまた変わらず元の場所にある。


「それにしても、ニャルラトテップ様はティンカーの動きも把握しておられるのか。

 柿猿がスパイなのか? 確かにS&T社より桃柿温泉の方が情報は引き出しやすいだろうが……。

 いや、それは私が考えることではないか」


 音楽家は再びペンをとり、曲作りに(いそ)しむ。


 まるで最初から、誰と話しているわけでもなく、一人きりで部屋にこもっているかのように。









イレク=ヴァド精鋭部隊によるムーンビースト黒ガレー船襲撃の関連資料



『インクアノク沖調査報告書』


月警察カチカチ長官殿

貴殿からの情報提供、およびイレク=ヴァドの喰屍鬼(グール)隊の証言を基に戦闘海域での調査を行いました。

結論から申し上げますと、発見されたのはムーンビーストが使用するガレー船の残骸の一部のみとなります。

何せ、五年も前のことですので積荷は海流に流されたか、すでに回収されてしまったものと思われます。

また同海域にクトゥルフやチャウグナー=フォーンの痕跡は皆無であり、

提供いただいた航海日誌の写しにあるように、奴隷兵の虚偽報告あるいは誤認であるというのが我々の共通認識です。

この件に関しては引き続き調査を継続し、進展があり次第、追ってご報告致します。


キツネの月3日 グレイトアビス 深海同盟(アビスユニオン)筆頭海神トリトーン


追伸

日誌に記述のあったアルハザードのランプは覚醒の世界では有名なアーティファクトだそうで、

ランドルフ・カーター氏は大変興味を示されていました。








『館内改装工事による休館のお報せ』


ロジャーズ博物館にお越しいただきまことに有難うございます。

施設の修繕および展示内容充実のため下記日程で改装工事を行います。

お客様には大変ご迷惑をおかけしますが、工事期間中は休館とさせていただきますのでご了承ください。


リニューアルオープンに際しましては、

極寒の北極を背景に更なる魅力を増した無窮にして無敵のラーン=テゴス、

また、名状し難き宇宙的恐怖の代弁者たるクトゥルフやチャウグナー=フォーンといったグレートオールドワンの数々をご覧いただけます。

これからもロジャーズ博物館は、より多くの方々に生命力溢れる神々の素晴らしさ伝え続けることを目標に邁進し続けます。

皆様の温かいご支援を今後ともよろしくお願い申し上げます。


工事期間 ヨタカの月5日から21日


営業再開日 ヨタカの月22日



サルの月2日 ロジャーズ博物館 館長オラボゥナ



NEWS! リニューアルオープン日、先着100名様に『生贄ロジャーズくんキーホルダー』プレゼント!

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