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第35話 老イナバの英断と六人の理事

 昼食を終えて、猪剛鬣(ちょごうりょう)(さる)、そして三つ子はイムホテプ建築事務所へと向かう。


「お前たち、事務所の近くは遊ぶ場所もないから連れて行ってやるが。

 あんまり騒ぐんじゃないぞ」


 歩いていくには遠いのでシマウマが引く馬車、タクシーに乗る。

 幻夢境(げんむきょう)ではシマウマが生息数が多く、月のみならず至る所で見かけることができる。

ウルタールやイレク=ヴァドでは軍馬として重用されている。


 馬車は街を出てバナナ農園を進む。


 子供たちは窓から顔を出してバナナの木々を見つめていたが、昼食をとった直後なので、それほど食い気は起きていない様子である。

 しかし、猪剛鬣(ちょごうりょう)だけは物欲しそうに、木になったバナナの実を血走った目で睨んで腹を鳴らしている。

それに(さる)は気付いたが、馬車の窓から身を乗り出す子猿たちのほうが心配だった。


「おい、あまり窓から顔を出すな。危ないぞ」

「あ、あれ見て白い丘だよ」


 父親の言葉を無視して聞か猿が指差す先には、言葉通り白い丘があった。

猪剛鬣(ちょごうりょう)は、それを見てくすりと笑う。


「あぁ、あれは丘じゃないよ。あれがイムホテプ建築事務所」




 イムホテプ建築事務所は表面に花崗岩を貼り付けたピラミッドである。

底面が一ヘクタール、高さはおよそ六十メートル。遠くから見れば小高い丘にも見える。


 五人はタクシーから降りてピラミッドの内部に入る。

受付に行くと、エジプト人の男が蛙の受付嬢に何かを話していた。

男は(さる)たちに気がつくと声をかけた。


「これはようこそおいでくださいました。私がイムホテプです。

 おや……?」


 イムホテプは三つ子を見とめて、首をかしげた。

これから彼らが話すことは、子供には少し難しい話である。


 (さる)はすぐに気付いて頭を下げる。


「すいません。私の子供たちです。

 連れてきてしました。どこか別室で休ませてあげたいのですが」

「あぁ、それでしたら。展示室がいい。

 あそこには今まで当社が手がけた建築物の模型や、絵師による壁画が置いてある。

 退屈しないですむでしょう。

 君、案内さしあげて」


 蛙の受付嬢は「どうぞこちらです」と言って、三つ子を展示室へと連れて行った。

イムホテプは、それを見送ると(さる)たちに向き直る。


「では、私たちはこちらへ。

 私がティンカー氏の期待に沿えるとは思えませんが、

 話し合えば見えてくるものもあるでしょう」





 応接室に通される。窓からは先刻通ったバナナ農園が一望できた。


 イムホテプは静かに微笑み口を開いた。

「さて、猪剛鬣(ちょごうりょう)さん。

 スミス&ティンカー社からすれば、私は優柔不断な根無し草のように見えるのでしょうね」

「そうねぇ。日和見主義者なのかしら?」

「ははは、その認識で間違いではない。

 月の経済発展と軍事化を考えればノーデンス派が勝利したほうがいい。

 しかし、多くの種族の身の安全を保障し、芸術の多様性を推奨しているのはニャルラトテップ派」

「芸術の多様性?」

「いずれはティンカー氏かアレグロ・ダ・カーポ氏が月の政権を独占することになりますが、

 月政権統一の暁には、それを記念して総合美術館が建設される予定なのですよ」

「総合美術館!」

「その通り。月には大小様々な美術館、博物館、そしてコンサートホールがありますが、

 これら全てを包括する複合施設。完成すれば史上最大級の美術館となりましょう」


 (さる)は手で顎をさする。


「そういえば、聞いたことがある。賢者の海に建設予定の美術館。

 しかし、噂では設計に難航して建設が進まないとか」

「とんでもない。所詮は噂です、事実ではない。

 設計はとうに終わっている。そうこれです!」


 イムホテプは二枚の図面を机の上に置いた。

どちらも建設予定の美術館の図面である。


「一枚はティンカー氏の要望をもとに描いた図面。

 もう一枚は私が思うままに描いた図面です」


 前者のティンカーの図面は、賢者の海を水で満たして湖とし、その上に灰白色の石造の神殿が折り重なっている。

音楽や絵画といった異なるテーマごとに水路で区画されており、舟や橋を使って往来しするようである。

各所にケルト神族の像が立ち並び、優雅で勇壮な趣きをかもし出している。

 

 後者のイムホテプの図面は、幾何学的でまるでトリックアートのようなたたずまい。

統一性は無く、あちこちに意匠をこらしたスフィンクスや蛙の怪物の像が配置されている。

名状し難い禍々しさが図面からにじみ出ている。


 イムホテプの図面を見て猪剛鬣(ちょごうりょう)は目を回す。

「うひゃあ、ピラミッドを設計したイムホテプ氏とは思えぬ奇抜さですね!」

「あれを作ったのは、まだ人間だった頃ですから。

 神となり神力に目覚めれば、色んなことができるようになる。

 星の運行を利用した物質転移魔法で建物の構造や配置を容易に変更できる。

 展示物や催し物の規模によって建物の形を合わせることができる。

 私の持てる技術の全てをそそぎ、月の満ち欠けを表現すれば、このようになります」


 なるほどと(さる)はうなずいた。

「ニャルラトテップやダ・カーポ氏は、あなたの設計に口出しをしないというわけですね」

「その通りです。それに比べてティンカー氏は口を出す。

 彼は優れた発明家ではありますが、芸術を発展させる力量はありませんな。

 ほんと、このティンカー案。私が描いたとは思えない。

 小奇麗にまとまりすぎている。これが月を代表する建築物になったら世も末ですよ。

 水を張ったり、滝や噴水を配置すれば、どんな駄作も、それなりに見れるものになってしまうから始末に悪い」


 イムホテプをノーデンス派に引き入れるには、ティンカーの妥協が必要不可欠である。

稀代の名建築家は、ふふっと薄ら笑いを浮かべた。

「しかし、なにも私を無理に引き抜くことは無い。

 今後、ノーデンス派が有利に事を運ぶ方法が無いわけではない。

 それはティンカー氏にとっては一番の屈辱かもしれないが」

「屈辱? どういうことです」


 (さる)の問いかけにイムホテプはうなずく。

「ご存知の通り、月の住民たちの選挙によって決められる芸術家理事。

 私を含め五人の理事がその任を負っていますが。

 実は、六人目の席があるのですよ」

「なんですって!?」

 (さる)の驚き声をあげたが、猪剛鬣(ちょごうりょう)はバツの悪そうな顔をしている。


 それを瞬時に察して、彼女に問う。 

猪剛鬣(ちょごうりょう)さん、六人目の席とはどういうことです?

 それをニャルラトテップ派に取られては、勝ち目はありませんよ」

「あっと、それはそうなんだけど、その可能性は限りなく低くて……」


 その様子にイムホテプは応接ソファに深く腰を落とす。

「スミス&ティンカー社の社員が話すには荷が重いだろう。

 私から説明しましょう。六人目の席について――」


 月は元々、兎族の(おさ)イナバによって治められていた。

だが天冥崩壊戦争後、ノーデンスとニャルラトテップの争いは月にも飛び火した。

知恵者たちはノーデンスのグレイトアビスに参画すべき、ニャルラトテップの庇護を受けるべきと、連日 激論を戦わせ、矢継ぎ早に論文を出版した。

 そして市民たちも、ノーデンスだニャルラトテップだと論じるようになった。

「これからはケルト神族の時代。グレイトアビスに参画するべきだ」

「いや、ノーデンスは信用できん。ルビー交易をもたらしたニャルラトテップにこそ、我々の未来がある」

「でもニャルラトテップって黒くて名状し難くて気持ち悪いよね」

「そうよ。それに比べてケルト神族の殿方は逞しくて素敵。私、グレイトアビスに入る!」

 最初は、ご近所の井戸端会議程度のものだったが、日々論争はエスカレートしていった。

「聞いたか。ニャルラトテップが旧来の神々を擁護しているのは、(きた)る日にアザトースの生贄にするためらしい」

「ルビー交易が始まってからムーンビーストや土星猫が幅を利かせるようになった。治安も悪くなったぞ!」

「ちくしょう、最近全然もてないよ。全部ケルト神族のせいだ。あいつらに女たちを奪われた。ケルト神族なんて月から追い出しちまえ!」

「グレイトアビスじゃ血族と海神しか出世できないそうじゃないか。あいつら俺たちを奴隷にするつもりだ!」

 根拠のない噂がまことしやかにささやかれ、意見は暴言暴論となって住民たちの怒りを燃え上がらせた。各地で暴動や略奪が発生する。

 事態を収束させるためノーデンスはイナバに無許可でオシーンを騎士団長とするフィアナ騎士団を送り込んだ。

ニャルラトテップも負けじと、大量の武器兵器を密輸し自分を支持する住民たちに格安で提供した。


 一触即発。いつ、月が戦場になってもおかしくなかった。

このとき初めて、老イナバは声明を発表した。

「月に暮らす全ての民よ。私が至らぬばかりに月に争いの火種をつけてしまった。

 大変申し訳なく思っている。だが、聞いていただきたい。

 今、(みな)が武器をとって戦えば月は二度と立ち上がれぬほどに荒廃するであろう。

 たとえ、どちらかが勝利しても子々孫々までの禍根を残し、月に暮らす民の心は永久に二分されるであろう。

 我々は、そのような悲劇だけは避けなければならない。

 私は月の統治者を辞することにする。

 そして、その権力を六つに分けてノーデンスとニャルラトテップの代表者たちに任せようと思う」


 兎が訊ねた。

「そしたら、また争いになるんじゃないか?」

 イナバは答える。

「否、争いを起こさぬように代表者を決めるのじゃ。代表者は自身の派閥の同志を管理する責任を負ってもらう。

 最終的に、月はノーデンスかニャルラトテップの庇護下に入る」


 蛙が訊ねた。

「で、代表者は誰にするのです?」

 イナバは答える。

「月は賢者たちが集う場所。優れた芸術家も多く、彼らの繊細な感性に月の将来を委ねるのだ。

 新しい物を産み出す発明家、言葉に命を吹き込む詩人、躍動感を直感的に表現する彫刻家、心に喜怒哀楽を響かせる音楽家、雨露しのげる安らぎの場を提供する建築家、そしてこの世の写し鏡ともいえる画家。

 この六人じゃ」


 猿が訊ねた。

「芸術家なら誰でも良いのですか?」

 イナバは答える。

「否、条件がある。

 第一条、これは月の政治の問題であるがゆえ、月に土地を所有している者でなくてはならない。 

 第二条、代表者は理事職につける。つまり一定の額を新政府の運営資金として納めてもらう。

 第三条、理事は住民の選挙によって選出する。

 第四条、被選挙権は通常、芸術家にのみ与えられるが、特例として、芸術家を多く擁するパトロンや、各芸術分野において大きな功績を残した者にも与える。

 第五条、…………。

 第六条、……」


 イナバが各条件を言い終えた後に狐が訊ねた。

「第一条と第二条を聞く限り、貧しい芸術家には被選挙権が与えられない。

 これは不平等ではありませんか?」

「否、これは理にかなっている。

 優れた芸術家は、指一つで莫大な利益を生み、経済をも動かす。

 六人の理事に月の将来を委ねることが第一。隠れた才能を発掘することではない。

 今、無名で後世に認められる手腕があったとしても、今現在の月の民の支持を集められないようでは、この大任を任せるわけにはいかん」





 イムホテプは一息つく。

「――こうして、最初の選挙ではティンカー氏とアレグロ・ダ・カーポ氏が理事に就任しました。

 そのすぐ後にオシーン氏、次いで私。オラボゥナ氏はつい数年前ですね、アルテミス像事件のときに。

 さて、席はまだ一つある。もうお分かりですね」


 申はつぶやく。

「……画家の枠だ」

「そうです。画家は多いのですが、月にはまだこれといった才能を示した画家がおらんのです。

 いや、正確にはいたというべきです。ねぇ、猪剛鬣(ちょごうりょう)さん」

「ええと、それはもう。ええと……」

 猪剛鬣(ちょごうりょう)は冷や汗をハンカチでぬぐった。先刻から明らかに様子がおかしい。


イムホテプは冷笑を浮かべて語る。

「理事に就任したティンカー氏の最初の仕事。それは画家の枠に自身の親友でもある故スミス氏を就任させてしまったのです」


 この事実に(さる)は驚愕する。

「そんな馬鹿な! スミス氏は亡くなっている。理事の仕事などできるわけがない」

「自身が描いた川に落ちて溺死。自分の作品で事故死とは三流画家もいいとこですがね。

 ティンカー氏がどんな手を使ったかわかりませんが、これが通ってしまった。

 今、理事の画家枠に収まっているのは故スミス氏なのです。なんの発言も執行もできないので席を一つ無駄にしている。

 しかし、かの天才画家と呼ばれたスミス氏を上回る画力を持った画家がいないのも事実。

 おかげでティンカー氏は、画家席は他の誰にも渡さないと息巻いている」


 (さる)はようやく猪剛鬣(ちょごうりょう)の反応の意味を理解した。

ティンカーのエゴが状況を停滞させているのだ。スミス氏の席は一刻も早くノーデンス派の画家に明け渡すべきである。

それがノーデンス派が勝利する最速の道である。

しかも、オラボゥナもイムホテプも交渉の余地ありと見せている。全て、ティンカーが譲歩するかどうかにかかっている。


 



 桃柿温泉への帰りの馬車の中で(さる)は不機嫌に猪剛鬣(ちょごうりょう)を睨む。

猪剛鬣(ちょごうりょう)さんが悪いわけではないですが。

 ティンカー氏は妥協という言葉を知らんのですかね」

「いや、まぁ、あははぁ~」

「ティンカー氏とオシーン氏がロジャーズ博物館存続の保証。美術館のデザインにイムホテプ案を採用。六人目の理事にノーデンス派の画家を就任させる。

 これだけ言うと楽勝じゃないですか。あぁ、あと妻への挨拶も忘れないでくださいね」(第33話参照)


 (さる)猪剛鬣(ちょごうりょう)の反応を見たが、困ったようにもじもじするだけである。

「画家だって、なにも月の画家じゃなくてもいい。

 腕に覚えのある画家を連れてきてティンカー氏が援助すればいい。彼なら土地も資金も用意できるでしょう?」

「それはまあそうですけど……」

「まったく。彼が勝負に勝つ気があるのかどうか怪しくなってきた」

「と、とにかく上司には話しておきます。……まいったなぁ」

「妥協しないことはけっこうですがね。小事にこだわっていては大局を見誤りますよ」

「それは上司には言えませんよ」

「言うべきことも言えない組織で、ニャルラトテップとやり合おうなんて無謀ですね」


 そして、互いに溜息をついて黙り込んだ。


 朝の出発時に比べて空気が重い。三つ子たちはそれ敏感に感じ取った。

「ねぇ、(ちょ)ねえちゃん」

「ん、なに聞か猿?」

「メジェドビーム!」

 ぱこ!


 謎の光線技を叫んで猪剛鬣(ちょごうりょう)にパンチ。

もちろん百戦錬磨の彼女にとって子猿の拳など蚊に刺されたほどにも感じない。


 ぱこ!

「メジェドビーム!」

 今度は見猿が猪剛鬣(ちょごうりょう)にパンチ。


「え、なに? メジェド?」


 見猿が答える。

「さっきのピラミッドに壁画があったんだよ。エジプトっぽいやつ。

 そしたら壁画の中に凄い変なのがいて、カエルのお姉さんに教えてもらったんだ。

 メジェドっていってね。オシリスの敵をビームでやっつける神様なんだって」

「へー、そうなの。って、別に私はオシリスの敵じゃないし」

「メジェドビーム!」

 ぱこ!


 見猿に次いで言わ猿が無言で殴りかかる。

 ぱこ!


「もうそれ殴ってるだけだし」


 (さる)も見るに見かねる。

「いい加減にしないか。いったいなんのつもりだ?」


「メジェドビーム!」


 パンチという名の抗議は父親にも飛び火した。

大人の喧嘩は子供の喧嘩ほど単純ではないので不安になるのだ。


「メジェドビーム!」

 

 (さる)猪剛鬣(ちょごうりょう)はようやく子供たちの不安に気付いて降参することにした。

二人で声を合わせる。

「やられたぁ~」


 三つ子は、これに満足してメジェドパンチを打つのをやめた。







 その夜、ロジャーズ博物館。

 閉館時間はとうに過ぎている。兎の女性学芸員は燭台を片手に暗い石造りの廊下を進みアトリエの扉を開く。

中に入って燭台を作業台に置くと、その灯りをたよりに部屋の隅の緑のカーテンを開ける。

ガラスケースに入った少女の蝋人形がそこにあった。


「きれい……」

 学芸員は、うっとりと人形に見とれてつぶやいた。


「そんなに綺麗ですか?」

 他に誰もいないはずの部屋で、声をかけられて学芸員は心臓が止まる思い。

振り返ると、そこにはオラボゥナがいた。


「えぇと確か、あなたは新人の学芸員の。

 ここに私の許可無く立ち入ることは禁じています。まして、こんな夜更けに」

「す、すいません。館長こそ、どうして……?」

「夜な夜な、誰かがアトリエに忍び込んでいる。私が気がつかないとでも?」

「あぁ、えぇと、お気づきなっていらしたんですか」

「やはりあなたでしたか。当然です。

 ここは私の博物館です。気がつかないわけないでしょう。

 物を盗ったり壊しているわけではないので大目に見るつもりでしたが。

 毎晩、忍び込むようなら話は別です」


 学芸員は青ざめて涙ぐんだ。

「本当に申し訳ありません。でも、クビにはしないでください!」

「まぁまぁ、落ち着いて。わかっています。理由があるのでしょう。

 話を聞きましょう。まぁ、座って」


 兎の学芸員は促されるままに作業台の椅子に腰かける。

「私は、子供の頃から館長の作品のファンで。ここで働くことが夢だったんです。

 美術品のことはもちろん、グレートオールドワンについても、たくさん勉強しました。

 ……それで、館長の作品が創られるアトリエがどうしても見たくなって」

「でも、毎晩は必要ないでしょう。私も最近では館長や理事の業務のせいで作業ははかどっていません。

 そんなに見るものはないでしょう」

「私も最初はそう思っていました。ほんの出来心だったんです。

 でも……、あれです」


 そして、ガラスケースに収められた少女の蝋人形を指差す。


「衝撃でした。館長の作品は魔物やグレートオールドワンが有名ですが、こんな可愛らしい少女の像もお創りになるのですね。

 やはり館長は天才です。仕事中も家にいても思うのは、この像のことばかり。

 つい、ふらふらと()に来てしまうのです。この像にはそういった魔力のようなものがあるのです」

「……この少女の像は、そんなに素晴らしいですか?」


 学芸員はオラボゥナの声が少し低くなったことに気がつかなかった。


「自慢じゃないですけど、私は芸術仲間からも目が肥えていると言われています。

 そんな私が毎晩忍び込んで飽きることなく心奪われるのです。

 この少女の像は間違いなく館長の最高傑作です!」

「最高傑作? ……つまり、それはこの博物館のどの作品よりも優れているということですか?」

「はい、それはもう間違いなくナンバーワンです!

 ところで、この像にモデルはいるのですか?」


 オラボゥナは、ふうと一息ついて答えた。


「崩壊戦争によって失われた国オズ。

 その近隣国に、七つの谷からなるメリーランドという国がありました。その国の女王です。

 ところで、この像のことは誰かに話しましたか?」

「いえ、まだ誰にも。ここに忍び込んでいたことがばれてしまいますし」

「そう……、そうですか、まだ誰にも話していないのですね。そうですか」


 学芸員は身を乗り出す。

「館長、この像を展示しましょう! 間違いなく話題になりますよ。

 この像をずっとアトリエに置いて埃をかぶせておくなんてもったいない!」

「まぁ、落ち着いて。あなたは勘違いしている。まず、この像ですが、これは私の最高傑作ではない。

 なぜならこの像は作られたものではない。これはメリーランド女王ご本人だからです。

 女王の身体は蝋でできているのです。面白いでしょ?」

「……」

「あと、あなたは無意識で言ったのでしょうが、この女王像が最高傑作とすると、ラーン=テゴス様が女王に比べて劣っているということになる。

 あなたの発言は不敬罪に相当する」


 オラボゥナは兎の耳をつかんだ。


「痛い! 館長やめてください!」


 オラボゥナは耳をつかんだまま学芸員を引きずってアトリエを出る。


「館長、やめてください! 放してください!」


 兎は泣き叫んだが、オラボゥナは無視して特別展示室に向かって歩き続ける。


「メリーランド女王は強大な魔力を持っている。それは特別なことではない。

 しかし、体が蝋でできている。これは特別なことです。

 同じ蝋でできている我が(あるじ)ラーン=テゴスに恒久的に滋養を与える存在として最適です」


 オラボゥナは特別展示室の扉を開け放つ。

部屋の中央には『The Sacrifice to Rhan-Tegoth(ラーン=テゴスの犠牲(いけにえ))』が置かれている。


「たしかにメリーランド女王は強大な魔力を持っている。

 しかし、魔力のエネルギーを吸い取るだけでは味気ない。点滴やサプリメントを飲み続けているようなものなのだ。

 たまには健康で若い生き血を差し上げないと」


 生き血と聞いて兎は恐怖に震えあがる。

「いやっ、やめて……!」

「なにがやめてだ。ここまで秘密を知ってしまったお前を生かしておくわけないだろう。

 君は口が堅かったことを誇りに思うべきだ。うっかり家族や恋人に話していたら彼らも殺さねばならなかった」


 オラボゥナは学芸員を突き飛ばして、ラーン=テゴスの前にひざまずく。

「おぉ、我が(あるじ)ラーン=テゴスよ。今宵は最高の滋養をお持ちしました。

 若い兎の娘の血です。どうぞお納めください。

 うざ、いぇい、いぇい。うざ、いぇい、いぇい……」


 『The Sacrifice to Rhan-Tegoth』、つまりラーン=テゴスそのものは、三つ目玉を爛々と輝かせてストロー状の摂食器官をのたうたせた。


 館内に兎の悲鳴が響き渡たる、それが外に漏れることはない。

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