第33話 桃と柿が結婚して、かれこれ五年
猪剛鬣は月のスミス&ティンカー本社ビルに勤めて三年になる。
アザトースとの戦いに敗れ、時空の狭間をさ迷い、月へと飛ばされたのだ。(第19話参照)
わけもわからず月をうろうろしている所を偶然にも旧知の玉兎と再会。
彼女の紹介でS&T社に就職、嫦娥の部下となったのである。
猪剛鬣は社命を受けて月の温泉街を訪れていた。
この街を取り仕切っている商工組合長に面会し挨拶することが目的である。
取経の旅の時は僧衣を着ていたが、今は大企業の社員ということもあってスーツ姿である。
「それにしても、このスーツというやつは窮屈だし肩こるなぁ」
猪剛鬣は歩き疲れたので茶店で一休みすることにした。
昼時で客席はほとんど埋まっていたが、空いている一席を案内してもらえた。
「えっと、お茶と何か名物ちょうだい。ただし肉はナシで」
「きび団子桃味と柿味が人気ですよ」
「じゃ、それで」
「はい、かしこまりました」
ツノガエルの娘は愛想よく返事をすると店の奥に引っ込んだ。
店内の客のほとんどは温泉やレジャー目的の観光客のようだった。
「本当、繁盛してるのね」
店内の様子を眺めながら、ぼんやりと本社での嫦娥とのやり取りを思い出す。
「猪剛鬣、我が社では今、社運……。いえ、月の命運をかけた一大プロジェクトが進行中よ」
「ほぉ、そりゃ凄いですね」
「プロジェクト成功のために、温泉街の商工組合長の所へ行って挨拶してきなさい」
「は?」
「は?じゃないわよ。あんた仕事なめてんの?」
「い、いえ、そんなつもりじゃ。
温泉街ってここ数年で急成長した地域ですよね。
地価も地元企業の株価も高騰したとか。
私みたいな平社員が一人で行ったら、先方が激怒しませんか?」
「その心配は無い」
「はぁ」
「なぜなら温泉街の商工組合長。すなわち桃柿温泉の社長はあなたと知り合いだからよ」
「え、そうなんですか?」
「桃太郎の家来だった申よ」
「あらまあ。無事だったのね」
「まず、知り合いのあなたが一人で挨拶に行って、昔話に花を咲かせて、
相手の心証を良くして、うちの社長と面会させる。
それがあなたの仕事。オーケー?」
「かしこまりました。それなら簡単です」
S&T本社と温泉街は離れているので日帰りはできず、数日間の出張という形になった。
猪剛鬣は旅慣れていたし、名産品を食べられるとあって遠足気分――。とはいかなかった。
「お師匠様や桃太郎の話題になったらどうしよう……」
彼女は現状に満足していた。
かつての仲間たちを懐かしむことはあったが、今更どうしようもないと諦めていた。三蔵法師や悟空たちを探しに行こうとは思わない。
もし、申に会えば、当時の仲間の消息を聞いてくるだろう。
他の者がどうなったか知らないし答えようもない。気まずくなるだけだ。
談笑している蛙のカップルに目がいった。仲良く肉料理を食べている。
それを見て溜息まじりに苦笑い。
「もう誰にも遠慮しないで肉食べちゃってもいいのにね」
取経の旅の時、肉を食べない習慣が続いたせいで、僧侶を辞めた今も肉類にはまったく口にしていなかった。
「お客様、申し訳ありません。大変混雑してまして相席でもよろしいですか?」
ツノガエルの娘はお茶ときび団子をテーブルに乗せながら申し訳なさそうな顔をした。
猪剛鬣は拒む理由も無かったので了承した。
案内されて来たのは一頭の猿だった。首から長い紐のついたつばの広い麦わら帽子をかけている。
「お譲さん、すまないねえ」
「いいですよ。私も食べたらすぐ出るんで」
猿は猪剛鬣に会釈し、次にツノガエルの娘に料理を注文した。
「お茶と……、この桃味のきび団子を」
「はい、かしこまりました」
猪剛鬣は、相席なった猿を横目で観察した。
田舎から出てきたみたいな風体だが、観光客といった様子でもない。
あちこちきょろきょろして物珍しそうに兎や蛙たちの食事の様子を見ている。
猪剛鬣は、この猿に興味がわいた。
「おじさん、ここには観光に来たの?」
「いえ、実はあっしの息子がこの先の温泉街に住んでるそうなんで」
「へぇ、息子さんに会いに来たの」
「ええ、まぁ……」
猿の返事には煮え切らないものがあった。
「違うんですか」
「えぇ、まぁ、会えたらいいかなって気持ちで。
あっしは元々は地上の猿でして。まぁ、お譲さんからすれば田舎者の世間知らずでさぁ。
そんな田舎親父がのこのこ会いに行ったら、立身出世した息子に迷惑がかかるんじゃないかと気がかりで」
猪剛鬣は、少し考えて答えた。
「……会いに行ったほうがいいんじゃないかな」
「へい?」
「息子さんにとって迷惑かどうかはここではわからないんだし。
会わないで決めるより、会って決めた方がいいと思いますよ」
猿は腕組みして、ぶつぶつああでもないこうでもないと悩みだした。
途中でツノガエルの店員がお茶ときび団子をもってきた。それを頬張りながら同じように考えこんでいる。
猪剛鬣は自分のきび団子を食べ終えて、
お茶をすすりながら、何の気も無しに訊ねてみた。
「おじさんの息子さんて何のお仕事されてるんですか?」
「へい、なんでも桃柿温泉の頭をやってるそうで。
月では社長というんでしたっけ」
「げふっ!!」
肺にお茶が入ってむせ返る。
「お譲さん、何もそんなに驚かなくても」
「いや、えっとごめん。
私、その社長と知り合いなの。申さんでしょ」
「え、あっしの息子をご存知で?」
「それどころか、これから会いに行くのよ」
猪剛鬣と申の父親は桃柿温泉の玄関前に到着した。
申の父親は温泉旅館を見て感嘆の声をあげる。
「おぉ、流石、我が息子! こんな立派で大きな屋敷に住んでいるとは」
「えっと、木落猿さん。ここは旅館だから宿泊のための客室がほとんどよ」
「あらま! すんません、これだから田舎者はいけねえ」
「いいってことよ」
申の父親は、ことわざ“猿も木から落ちる”のモデルとなった猿なので木落猿と呼ばれているのである。(木から落ちた経緯については第28話参照)
二人は玄関をくぐって旅館内に入る。
すると、銅製のロボットがガシャンガシャンと音を立ててやってきた。
「Welcome、ようこそいらっしゃいませ。ご予約のお客様ですか?」
「スミス&ティンカー社の猪剛鬣です。
社長と面会したく参りました」
「私は当旅館のconciergeのチクタクと申します。
ようこそおいでくださいました。こちらへどうぞ」
木板の廊下を進み、畳み張りの客間に猪剛鬣は案内された。
チクタクは座布団をすすめながら言った。
「Masterをお呼びしますので、しばらくお待ちください」
「はい、お願いします」
チクタクは部屋から出て行ったが、ガシャンガシャンと廊下を歩く音が響いてくる。
「あの人はどういう種族なんだろう。金属性かしら。
うるさすぎる。
それにしても、狭いけど綺麗な部屋ね。和室っていうのかしら。
……それにしても何か忘れているような。あっ!」
木落猿がいない。
「あのおじさん、申に会うのを少しためらってたし逃げ出したわね。
よし、この猪剛鬣様が旧友のためにも一肌脱ぎましょう」
猪剛鬣は障子を開けて廊下に出た。
「豚の鼻から逃げられるとは思わないことね」
鼻から大きく息を吸い込んで臭いを探る。
「……お、臭う臭う。猿の臭いが……。
まずいな、ここには猿がいっぱいいる」
月の人口比において猿族は兎族蛙族に次いで三番目に多い。
当然、旅館の従業員や宿泊客にも大勢の猿族がいた。
「あのおじさんの臭いは……、あぁ、余計な臭いが混じってる。
多分こっち!」
猪剛鬣は縁側から和風庭園に下りて木の陰を探す。
「おじさん、そんなところに隠れて何してる……、あ、あれれ?」
木の陰にいたのは両目を隠すように顔に包帯を巻いた子猿だった。
「あら、ごめんね。坊やは、かくれんぼしてるの?」
物が見えない子猿は言った。
「そうだよ。見つかっちゃうから、早くあっちに行っておくれ、おばちゃん」
「お、おばちゃん? 言ってくれるわね。
これでもまだいけてるほうよ」
猪剛鬣の顔にかすかに青すじが立ったが、子猿は目が見えないので気がつかない。
「見つけたぞ、見つけたぞ! 見猿を見つけたぞ」
突然の叫び声。その方向を見るとやはり顔に包帯を巻いた二匹の子猿が飛び跳ねている。
それぞれ口と耳を隠している。
猪剛鬣は、なんとなく、この三匹の子猿は兄弟だと気付いた。
「たまーに、こういう猿の三つ子が産まれるのよね。なんでかは知らないけど」
見猿は、声を出した猪剛鬣のほうを向いて言った。
「おばちゃんのせいで見つかっちゃったじゃないか。ばか」
「ばかですって!? いくら子供でも言って良い事と悪い事がある。
親はどこ? 文句言ってやる」
すると縁側から一頭の雌猿が下りてきた。
「見猿、言わ猿、聞か猿! あなたたち、またお客様に迷惑をかけてるの?」
「ママ、違うよぉ。このおばちゃんが僕らに迷惑かけたんだよぉ」
「見猿、そんなこと言わなくていいの!」
言い争う母子の間に猪剛鬣はスーツの襟を正しながら割って入り、
母猿に向って言った。
「えっと、あなたがこの子たちのお母さん?
躾はちゃんとしてくださいな。この子、私にばかって言ったんですよ」
「まっ、見猿そんなこと言ったの!?」
しかし、見猿は首を横にふる。
「知らないもん。そんなこと言ってないもん」
母猿は不機嫌そうに溜息をついて他の子猿にも訊ねる。
「言わ猿、聞か猿どうなの?」
言わ猿は無言で首を横にふり、聞か猿はきょとんとしている。
聞か猿は音が聞こえないのだ。
しかし、母猿は状況を飲みこんだようで、猪剛鬣に頭を下げる。
「お客様、うちの子たちが申し訳ございません」
そして三つ子をしかり飛ばす。
「ほら、あなたたちは部屋でおとなしくしてなさい!」
三つ子たちはしゅんとしながら縁側から旅館へ入って行った。
母猿はそれを見送り、また猪剛鬣に頭を下げた。
「ところで、お客様はどちらの部屋にお泊りですか。
お詫びに夕食に一品サービスさせていただきます」
「えっ、ホント!? やった!
……いやいや、私はここの宿泊客ではありません。
スミス&ティンカー社から参りました猪剛鬣です。申様にご面会を」
「あら、主人にご用でしたの?」
「え、主人?」
「どうも初めまして、申の妻の柿猿です。
それにしても、来客は客間に通すように言ってあるのですが……」
猪剛鬣は一度、申の家系図を整理することにした。
「えっと、あなたが申様の奥さんということは、今の三つ子は申様との子供よね」
「え、えぇ」
「木落猿は申のお父さん。ということは三つ子のお祖父ちゃん。
あ、そっか。だから木落猿に臭いを辿ったら血のつながりのある三つ子の所に来ちゃったのか!」
「あの猪剛鬣さん、さっきから何をおっしゃっているんですか?」
柿猿が怪訝そうに言うと猪剛鬣は目の色を変えて言い放った。
「あなたの義理のお父さんに会ったのよ。ついさっき!」
客間で申は一人座布団に座っていた。
「どうなってるんだ。スミス&ティンカー社の者が来たというから来たのに誰もいない。
トイレにしても長すぎる」
すると表からどたどたと物音が聞こえるので申は立ち上がり障子を開けた。
「何事か!……え」
木落猿が猪剛鬣にがっちりと腕をつかまれて引きずられていた。
木落猿はわめいている。
「お譲さん、放してくれ。これは俺の家庭の問題だ。あんたには関係ないだろう!」
「関係ないけどね。こそこそ隠れてないで現実を見なさいよ、大人でしょ!」
遠巻きに柿猿が心配そうに見ている。
「猪剛鬣さん、あんまり乱暴しないで! 私のお養父さんなのよ!」
これに木落猿は文句を言う。
「なんでい、お譲さん。あんたにお父さんだなんて言われるいわれはねえや!
おい、豚女! いい加減に放しやがれ。くっそう、なんて怪力だ」
「息子と感動の再会をはたしたら放してあげるわよ!」
「父さん!」
申の声に全員が黙った。
申は庭園に下りて、父親のところへ、よろよろ近付く。
「父さん、父さん。父さんなのか? 転生しちゃったんじゃなかったの?」
「……あ? あぁ、運が、運が悪くてな。
いざ転生しようというときに例の崩壊戦争のゴタゴタよ、流れちまった。
でまぁ、お前が商売をやってるって噂を聞いたから、心配して会いに来てやったんじゃねえか」
申は、急にハッとしたような顔をして旅館の中に駆け戻ってしまった。
これに猪剛鬣は唖然としてしまった。
「え、なに、逃げたの? 親子揃ってなんなの? なんなのこの親子?」
木落猿は「あー、あー」と大きな溜息をついて地面に座り込む。
「やっぱり怒ってんだよぉ、息子のやつぁ。
地獄で、俺があいつのことを卑怯とか小ずるいって言った事を怒ってるんだよぉ」(第8話参照)
しかし、猪剛鬣は腑に落ちない。
「怒ってるとか、そんな感じじゃないけどなぁ。
どっちかというと、何か思いついたような顔してたけど……。
あっ、もしかして……」
そして、柿猿を見る。彼女も気付いたようだった。
「えぇ、きっと」
程なくして申が自分の三つ子を連れてやって来た。
見猿が心配そうに言う。
「パパー、ママが部屋でおとなしくしてろって言ってたよ。
怒られちゃうよ?」
「いいんだよ。今はパパの言うことを聞きなさい。
父さん!」
大声で呼ぶので、木落猿は少しびくっとした。
「私の子供たちです。……あなたの孫たちです」
「え……」
木落猿は今日一番びっくりして、柿猿の方を見た。
「あ、お父さん……ってそういう。あぁ、お養父さんね」
「はい」
柿猿は微笑み丁寧におじぎをした。
それをよそに三つ子たちは言葉や仕草を使って何かを相談している。
そして、見猿が代表して父親に訊ねた。
「パパー、あのお猿は誰? パパの友達?」
「違うよ、あの方はパパのお父さんだ。
お前たちのお祖父ちゃんだ」
「おじいちゃん?」
「グランパだよ」
「グランパ!」
見猿とそれを聞いてた言わ猿は、耳が聞こえない聞か猿に仕草で説明した。
聞か猿は理解したようで、楽しそうに飛び跳ねた。
木落猿は孫たちが顔に包帯を巻いているので心配になった。
「息子よ、この子たちは怪我してるのか?」
「いいえ、生まれつきです」
「そうか、これからが大変だなぁ」
「あぁ、それなら大丈夫です。この子たちは人並み以上ですよ。
こういった三つ子は悪い物を見たり言ったり聞いたりしないと縁起が良いんです」
「そうなのか。……そうか、お前はもう本当に神様になっちまったんだなぁ」
木落猿は感慨深く、そして寂さを感じた。
見猿は父親の腕を引っぱった。
「パパー、ママー。グランパと遊んでいい?」
「え、それはもちろん。父さん、いいですか?」
木落猿は腕を組んだ。
「馬鹿野郎、祖父が孫と遊ぶのは自然なことだろうが。
だいたいなんだ。パパとかママとかグランパとかハイカラな呼び方しおってからに。
西洋かぶれというやつか!」
これに申と柿猿、そして猪剛鬣までもが声を揃えて反論した。
「月では普通です!」
庭園で木落猿と三つ子が遊んでいる中、
客間では申と柿猿、向かい合って猪剛鬣は本題に入っていた。
「ご存知の通り、月は今、ノーデンス派とニャルラトテップ派で真っ二つに別れている状態です。
申様、あなたにはノーデンス派にお力添えしていただきたいのです」
猪剛鬣の申し出に申は頷いた。
「私はノーデンス氏かニャルラトテップかと聞かれたら迷わずノーデンスにつきます。
私自身の過去のしがらみを差し引いてもね。この争いはグレイトアビスに分がある。
しかし、私がどういったことで、あなたがたの力になれるのかわかりません」
「月の政治は五人の理事が動かしていることはご存知ですよね?」
「もちろん。五人の芸術家を中心とした議会によって全てが決まる。
そちらの会社のCEOで発明家ティンカー、グレイトアビスから派遣された詩人オシーン、
ニャルラトテップの神官でもある音楽家アレグロ・ダ・カーポ、
ロジャーズ博物館館長の彫刻家オラボゥナ、そして建築家のイムホテプ」
「そうです。我が社の調査によると、オラボゥナとアレグロ・ダ・カーポは不仲。
イムホテプはどちらにつくか態度を決めかねています」
「その二人をニャルラトテップから引きはがすわけですか。
それを私にやれと」
「引き受けていただけますか。もし、受けていただけるならそれ相応の報酬をお約束します」
申は、アザトースによって仲間と引き裂かれたので、恨みのあるニャルラトテップではなくノーデンスに協力する。
それがティンカーをはじめてとしてスミス&ティンカー社役員会の出した答えだった。
彼らの思惑通り、申は引き受けようとした。しかし、柿猿が待ったをかけた。
「失礼じゃありませんか。
そんな月の行く末に関わる案件はティンカー氏が自らここに来て話すべきことなんじゃありませんの?
猪剛鬣さんはS&T社ではどのようなお立場なんですか」
猪剛鬣は役職も何も無い平社員である。
「お前、猪剛鬣さんと私は旧知の仲で。そんなトゲのある言い方をしなくても……」
申のたしなめにも柿猿は動じない。
「あなた、甘いのよ。だから日本出身者は交渉下手だとなめられる。
あなたはティンカーの舎弟かなにか? 違うでしょう、この温泉街の頭なのよ。
そりゃあ、向こうの方が市場規模が大きいけれど、それが何? 強気でいきなさいよ!」
しかし、猪剛鬣とて社命を受けてきたからには手ぶらでは帰れない。
内心焦ったが涼しい顔をして、この強敵を丸め込もうとする。
「お気持ちはご理解しますが、温泉街の今後のためにもこの話は受けたほうが良いと思いますよ」
「確かに、我が社としても御社とは良好な関係を築きたいと思っています。
それにこういった事案は準備万端整えて手際よく処理するものと心得ています。
こちらとしてもイムホテプ氏やオラボゥナ氏にコンタクトをとるつもりではいますが、
そちらの対応如何によってはニャルラトテップ派に有利に動くこともあるかもしれません」
ニャルラトテップ派に有利に動くと聞いて申も目を見開き唖然とする。
猪剛鬣は机に出されていた餡子の茶菓子を一つまみ口に入れてお茶で流し込み、
「では、とりあえずはニャルラトテップ派の瓦解工作に動いていただけるわけですね」
と、桃柿温泉の方針を確認した。
それに柿猿はうなずく。
「もちろんです。この件に関するリサーチとアクションは怠らないつもりです。
が、結果が伴うかどうかはティンカー氏の出方次第と思っていただきたい」
「わかりました。ティンカーにはその旨を伝えておきます」
すると柿猿は握手を求めて手を差し出した。
「御社との良好な関係を築けること願っています」
猪剛鬣は白々しく思いながらもそれを受けた。
「……こちらこそ、よろしくお願いします」
申そっちのけで進められた話だが、ここでようやく口を開いた。
「話は変わりますが、私の父を連れてきてくれてありがとうございます。
おかげで妻と子供たちに父を紹介することができた。
あなたがいなければ再会できなかったでしょう。
S&T社はここから遠い。長期出張でいらしたのなら、ぜひうちの旅館に泊まってください。
それに今晩、皆で夕食でも……。その昔の話でも……」
「え、あ……、そうですね。よろしくお願いします」
猪剛鬣は話を受けつつも内心の不安はぬぐえない。
どうしよう、昔の話とか言っている。やっぱり前の仲間……、桃太郎とかの話だよね。
けど、大丈夫。申は今や所帯持ちになって温泉宿の社長。
それらを捨ててまで生きてるか死んでるかわからない仲間を探す旅に出るなんてありえない。
大丈夫、絶対に大丈夫。きっと!
チクタクが客間に呼ばれ、申の指示で猪剛鬣を客室に案内した。
申は柿猿と二人きりになると、彼女を責めた。
「まさかあの話は本気で言ったんじゃないだろうな?」
「? なにが?」
「ティンカー氏の出方次第ではニャルラトテップ派に有利に動くという話だよ」
柿猿は怪訝そうに申を睨んで溜息をつく。
「……あきれた。私があなたを悲しませるようなことするわけないじゃない。
私だってニャルラトテップは嫌いよ。なんたって、これからはグレイトアビスの時代だしね。
そ ん な こ と よ り も!
これはS&T社と業務提携できるチャンス。
あそこの製薬部門と繋がりを持てれば、
桃柿温泉ブランドの入浴剤に化粧品、その他諸々売りだせるのよ。夢みたい!」
先刻とはうってかわっての、うきうきるんるん気分である。申は少し引いた。
「……」
「何?」
「え、じゃあなんでさっきは、あんな殺伐とした喧嘩腰で話してたの?」
「はぁ……、あきれた。本日、二回目のあきれた です。
浮かれてたら足元を見られるでしょうが。
相手は天下のスミス&ティンカー社。あの豚のバックには優秀な策士と潤沢な資本があるのよ。
ポーカーフェイスで牽制しとかないと、こっちが不利な条件をすまし顔して突きつけてくるわよ。
あなた、頭は良いのに駆け引きに関してはからきしね」
「……」
「まぁ、この件に関しては私に任せなさいな」
「……君が覚醒の世界にいた頃、柿の種をおにぎりに変えた錬金術のからくりがわかった気がする」
「えっへん! ようやくわかったか」
「……ほめてないよ」
申は、かつて柿猿が蟹に復讐されたように、
とんでもないしっぺ返しを食らうのではないかと頭が痛くなった。
お月様つながりで。
先日、金ローでジブリのかぐや姫観たけど……。
かぐや姫のキャラはなんとかならなかったのか。
飲み会で馬鹿にされたぐらいで全力疾走したり、アウトドア派の自然大好きっ子だったり、いちいち顔芸がうざかったし、記憶喪失だし。
私の中で、かぐや姫はもっとこう毅然とした女神なんだよ。
でも、五人の貴公子は上手に描けていたと思う。