第3話 オズの魔法使い
オズの国南部クワドリング国の良い魔女グリンダの導きで、ドロシーは家族であるヘンリーおじさんとエムおばさんが待つ故郷カンザスに帰る方法を発見したのだ。
「あなたが、東の悪い魔女から手に入れた銀の靴。
その靴の魔力を使えば、自分が望むどこへでも行くことができます」
赤毛の女王の優しい微笑みにドロシーは大喜びし、彼女の飼い犬の黒ケアンテリアのトトも千切れんばかりに尻尾を振った。
しかし、ドロシーには最後の仕事が残っていた。ここまでいっしょに旅をした三人に別れを告げなくてはならない。
カカシ。緑色に輝くゴーグルのついた青いとんがり帽子を被り、同じく青い服を着ている。腰から金の装飾が施こされたスッテキを下げていた。彼は照れ臭そうに笑った。
ブリキの木こり。木こりと呼ぶよりは戦女神のほうが相応しい。胸には金の枠に縁取られた桃色の鋼がハート型になってはめ込まれている。彼女は別れの辛さから泣きじゃくっていた。
ライオン。首に金のチョーカー、上半身に紺のスーツ、下半身に獅子の着ぐるみのズボンを穿いている。まだ子供だが勇気が最大限に高まると立派なたてがみを持った獅子に変身する。オズの国に平和をもたらしたドロシーを送り出すことができて誇らしげだ。
「皆、今までありがとう。カンザスに帰っても皆の事は忘れないよ」
ドロシーは涙声で、それでいてにっこり微笑んだ。
「銀の靴、私をエムおばさんとヘンリーおじさんの所へ帰して」
するとドロシーは、瞬く間にその場から消えてしまった。
三人はドロシーが消えた場所をじっと見つめていた。
「行ってしまいましたね」
寂しそうに言うカカシをブリキは励ました。
「でも、私たちはいつまでもいっしょにはいられないわ。今ではそれぞれが一国を治める王になったのだし。国民たちは私たちの帰りを待っているわ」
ドロシーたちの旅でオズの国の勢力図は大きく変わった。
中心地エメラルドシティは偉大なるオズ大王の退位により、カカシが二代目オズ大王に任命された。
西のウインキー国は国民の総意によってブリキの木こりが王(皇帝)となった。
そして、ライオンは大森林の平和を脅かした化蜘蛛退治の功により動物たちの王となったのだ。
「ところで、何だか寒くない?」
ライオンは肩を震わせた。カカシとブリキは顔見合わせた。彼らの身体はワラやブリキでできているので気温を感じることができなかった。
女王グリンダも身体を震わせた。
「確かに冷えますね。クワドリングが、ここまで寒くなる事はないのですが」
四人が急な寒さについて話していると赤い軍服の女兵士がやって来た。
「陛下、エメラルドシティで降雪が観測されました。大森林では植物が枯れるといった被害も確認されています」
それを聞いてライオンは慌てた。
「それはいけない。すぐに森に帰らなくては」
グリンダはドロシーから受け取った金色の帽子で、翼の生えた猿たちを呼び出した。
「翼の猿よ。ライオンを動物たちの森林へ連れて行って――」
グリンダの命令が終わらないうちに、また偵察に出ていた別の兵士が謁見室に入ってきた。
「申し上げます! 寒気の原因がわかりました。少年です、白い肌の少年から冷気が出ているんです。少年の周りは凍りついて……」
女兵士はガタガタ震えていた。
寒さだけではなく、冷気を出すという白い少年を恐れていた。
「大森林で血の涙を流しながら……」
ブリキは兵士を寄り添った。
「ここまでくれば大丈夫。グリンダ様もいらっしゃるし。怖がることはないわ」
兵士は少し落ち着きを取り戻した。横で兵士の話を聞いていたライオンはますます不安がつのってきた。
「子供から冷気が出るとは思えないけれど、悪い魔法使いなのかもしれない。とにかく大森林にいるのであれば、調べなくちゃいけない」
グリンダは翼の猿たちにライオンを森へ連れていくように指示を出そうとしたが、カカシが進み出た。
「僕の治めるエメラルドシティも、その寒気の影響を受けています。私も連れて行ってください」
するとブリキも言った。
「もしその少年が悪い魔法使いであれば私の国にも被害が出ます。私も行きます」
こうして三人は翼の猿たちの背に乗って、ライオンが治める大森林へと飛び立った。
森の中を凍てついた空気が漂う。寒さに耐えかねて鳥や動物たちは右往左往したが森の中に逃げ場は無かった。
その中でも、とくに寒い一画は地面も木々も凍りつき逃げ遅れた者は凍死してしまった。
凍った地面を裸足で歩いていた少年はお腹をおさえた。
「ちくしょう、お腹すいた。このままじゃ飢え死にしちゃうよ」
「やぁ、オズの国はどうだい?」
黒い服の男が、にやにやしながら近寄ってきたので、少年は悪態をついた。
「この嘘つき野郎、騙しやがったな。何がオズは魔法使いが食べ放題の夢の国だ。魔法使いなんていやしないじゃないか。聞いてみたら、北の魔女は遠出して留守。西と東は既に殺されていた。オズ大王は旅に出て行方不明。頼みの綱は南の魔女だけだ」
黒い男は肩をすくめた。
「やれやれ、君こそ嘘つきだ。こんなに冷気を振りまいて、いったい誰から聞くんだい? ほら、小鳥がカチンコチンになってる。誰から聞けるというんだい?」
黒い服の男がへらへらしながら小鳥の死体を弄ぶものだから、少年は青筋を立てて麻のローブを巻くって腹をだした。マシュマロのような真っ白な肌に黒い刺し傷が痛々しく残っている。
「ここまで何とか気力で冷気を出さないでいたんだよ!
魔法使いの情報はそのときに仕入れた。けど傷は痛むし腹はすくし、我慢の限界だ!
傷を治すたって食料がなくちゃどうしようもない。こんな中途半端な状態で生き返らせてもらったって不自由でしかたがない。
やい、責任をとれ」
「嫌だね」
黒服の男はさっと姿を消してしまった。取り残された少年は地団駄踏んだ。
「ちきしょう! これでクワドリングにも魔法使いがいなかったら飢え死に確定だ」
そして南のクワドリング国を目指してとぼとぼと歩きだした。
「この空はあまりにも寒いのでこれ以上飛ぶことはできません」
ライオンたちを乗せて飛んでいる翼の猿たちは森の中に彼らを降ろすと、来た道を引き返すようにして飛び去ってしまった。
ブリキは言った。
「空から探せば、その少年とやらを見つけられたかもしれないけど。この広い森のどこを探せば良いんだろうか」
それにカカシは答える。
「いや、案外簡単だよ。冷気は少年から出ているという。それなら、寒い方寒い方へと進んでいけば見つけられるよ」
ライオンはうなずいた。
「わかった。こっちだ、こっちの方が寒い」
ライオンは寒い方に向かって走りだし、カカシとブリキはその後を追った。
しばらく進むと寒さは更に増していった。地面は既に土から氷に変わっていた。
「うぅ、もうこれ以上進みたくないよ」
ライオンが鼻水をぬぐって震えているのでブリキは心配した。
「このままじゃライオンが寒さで死んでしまうわ」
「と言って、引き返すわけにもいかない。ここは彼の国なんだから」
カカシは腕を組んで知恵を絞った。
「大丈夫、もう少しだけ進める。ライオン、僕を着るんだ」
カカシが自分の身体をばらしてワラになった。ブリキはそのワラをライオンに巻いてやった。
「ありがとう、だいぶマシになったよ」
こうして三人は更に森の奥へと進んだ。
「む、誰か来る」
ライオンは鼻を動かして警告した。
「鉢合わせしてしまうな。そこの木の影に隠れて様子を見よう」
カカシの指示に従ってブリキとカカシを着たライオンは凍った樹木の裏に隠れた。
「うぅ、ひもじいよぅ」
麻のボロを着た白い肌の男の子が脚を引きずっている。とても弱々しく見えたのでライオンは勢いづいた。
「ちょっと脅かして話しをしてみよう」
ブリキはそれに賛成した。ライオンは少年の後ろに回り込み、ブリキは正面からいっせいに飛び出した。ブリキは斧を振り上げた。
「やい、森を凍らせたのはお前……か……、え?」
ブリキは手に持っていた斧を取り落とし顔面を引きつらせた。
「ブリキ、どうした?」
ブリキはあわわと口を震わせて言葉にならない声を出している。背後からの声で少年はゆっくり振り返った。
雪のような白い肌。端正な顔立ちに可愛げすら感じる。
しかし眼が。クワドリング兵が血の涙と表現したそれ。遠くから見ただけではそれを正しく認識することができなかったのだ。
本来、眼があるべきはずの場所には、ぽっかりと穴が空き、その穴の中に赤いゼリー状の物体がぶるぶると震えていた。
あまりの異様さにライオンたちは先刻の勢いを失った。
少年はぶつぶつと言う。
「ブリキにライオンか。いくら王でもこいつらは食えないな」
ライオンは寒さと気味悪さに震えながらも勇気を振り絞った。
「君は何で森を凍らすような酷いことをするんだい?」
「僕だって好きでこんなことをしてるんじゃない。
空腹で力を制御できないんだ。
だから、食べ物を持ってきてくれたら冷気を抑えるよ」
「わかった。食べたいものはあるかい?」
少年ははっきりと答えた。
「南のクワドリングの女王グリンダ」
これにブリキが顔を赤らめた。
「ませた子供ね。ちゃんと答えなさいよ」
ブリキの言葉に少年はムスッとした。
「何だこの鉄くず女。ここまではっきり言ってやったのに失礼な奴。
僕が食べたいのは女王グリンダ。
カチコチに凍らせて丸呑みにするのが、一番美味しい食べ方なんだ」
淡々と話す少年に三人は冷気とは別の寒気を覚えた。この子は本気だ。カカシは少年には聞こえないようにライオンの耳元で囁いた。
「森を凍らすような危険な奴だ、刺激しないように。他の物で代用できないか聞いてみるんだ」
ライオンは少年に訊ねた。
「グリンダは用意できない。他に食べれるものはないのかい」
「強力な魔法使いなら何でも。弱い奴は駄目だよ、僕はグルメだからね」
少年は相変わらず目の穴の赤いゼリーを震わせていたが、ライオンも気味悪さに徐々に慣れてきていた。
そうして落ちついてみると森の動物たちの安否が気がかりになってきた。
「君の期待に沿えなくて申し訳ないが、魔法使いは用意できない。
だって、君に食べられたい者なんていやしないだろ。
ところで、こんなに寒いと森の動物たちのことが心配なんだ」
食事にありつけないと悟って、少年はぶっきらぼうな態度をとった。
「ちっ、使えない奴ら。さぁ、何匹か死んじまったけどいい気味……」
少年が言い終わらないうちにライオンは野獣の姿となり唸り声をあげて少年を押し倒した。
「貴様っ、森の生き物を殺してただで済むと思うな!」
馬乗りになって、爪で少年の喉を切り裂こうと腕を振り上げた。
だが、少年はすかさずライオンの腹に蹴りを入れる。
ひるんだすきに立ち上がりライオンの鼻を平手で打ち据えた。
その様を見て瞬時にブリキは加勢に入った。
斧を振り上げて走りこんだが、少年はそれを横にかわし手から氷の塊を出してブリキに投げつける。
それはブリキの後頭部に直撃する。彼女は怯むことなく振り返り再度攻撃を仕掛けた。
敵はブリキに痛覚が無いことを瞬時に悟り、次に足下に向かって氷塊を投げつけた。
思惑通りブリキは大きな音を立てて倒れこんだ。すでにライオンは体勢を立て直し白少年に飛び掛った。
その動きは完全に見切られ少年は両足を踏み込んだ。ライオンの爪が届こうとしたときには顎に膝蹴りを入れられていた。
そして、同時に少年の左目の部分にステッキが突き立てられた。そのステッキには金の装飾が施され、氷の反射できらきらと輝いていた。
「なっ……に?」
白少年が想定していた敵は、ライオンとブリキの二体。カカシの存在にはまったく気がついていなかった。
無理もなかった、カカシはライオンに着られていたのだ。まさか服に攻撃されるとは思うわけがない。
少年は状況が飲み込めないまま、ブリキの斧で首をはね飛ばされた。
どす黒い体液を撒き散らして少年は崩れ落ち息絶えた。不思議なことにその黒い体液は蒸気が立ち込めるほどの高熱を発していた。
周囲の氷も解け始め、犠牲は出たものの大森林の危機は一応は去ったのである。
「結局、こいつは何者だったんだろう?」
ブリキは木の枝で死体をつっつきながら言った。
大量の体液を垂れ流した少年だったが、その姿は生きていたときと少しも変わらず、純白の肌をさらしていた。
カカシは腕を組んだ。
「先にこの森を襲った化蜘蛛といい、どこからやって来たのだろうか。原因を突き止めないとまた厄介な怪物がやってくるかもしれない」
ライオンは頭を抱えた。
「これ以上わけわかんない奴らが大森林に来たら防ぎようがないよ。移住も考えなくちゃいけない」
三人が話していると翼の生えた猿の群れが飛んできた。
「寒さが解消されたので、ここまで来ることができました。
カカシ様とブリキ様はそれぞれの国にお連れします。
今までの経緯を話してください。
女王グリンダに報告しなければなりませんので」
カカシは森林を凍らせた白い少年のこと、そしてそれを退治したと告げた。ライオンは森に残り、ブリキの木こりは西のウィンキー国へ、カカシは中央のエメラルドシティに帰還するため翼の猿の背に乗って飛び去っていった。
銀の靴でドロシーと愛犬トトはオズの国を飛び立ち、空を越えて故郷カンザスへ帰還。するはずだった。
耳で風を切りながらクワドリングの上空に出た途端、ドロシーの目の前は真っ暗になった。
それは空間を越える銀の靴の魔力と思いかけたが、すぐにそれを否定した。
クワドリングを飛び立ったときの風の流れが止まったのだ。
ドロシーは闇に囚われ身動きがとれない。その闇の中で三つの赤い光の玉が輝いた。そして、
その三つの光から視線を感じたので、それらが眼球であるとすぐに理解した。心臓を汚泥で蝕まれるような感覚に襲われ、ドロシーは声の出ない悲鳴をあげて錯乱した。
闇の中で手足を振り回してもがいたがどうにもならなかった。
黒い手がドロシーの足から銀の靴を剥ぎ取ると赤い目玉は満足そうに闇の中を踊った。
そのときトトが赤い目玉の一つに噛みついた。不意の攻撃に闇はひるみ、その隙間から太陽の光が差し込んだ。
ドロシーはその光を頼りにトトを引き寄せると力強く抱きしめて心を静めた。
しかし、銀の靴を奪われてしまいクワドリングの外に広がる大砂漠に真っ逆さまに落ちていってしまった。
赤い三つの目をもつ闇はそれを見届けると、黒い男へと姿を変えた。
男は傷を負った右目を押さえた。
「忌々しい、あの犬は何だ?
私に挑むばかりか壊れかけた子供の心に正気を取り戻させるとは。
また私の前に現れるようならば注意しなくてはな」
それでも戦利品である銀の靴を握り締めて笑みをこぼす。
「だが、まぁいいさ。時と空間を司る神器が手に入ったのだ。これさえあればオズの国が滅んだも同然。ふふふ、ククククク、アッーハッハッハッハッ!」
男は高笑いすると陽光の中に溶けるよう消えた。