第29話 絶望の果てに
父親の仇の首級を手に入れ申は意気揚々と故郷へ凱旋した。
「私は、かつての頭の子である。
今日は、このとおり父の仇を討ちとって首級とした。
そして裏切り者についた手下どもも人間の糧にした。
私は父の跡を継いで、この山の新たな頭となる。
文句のある者はここから去れ!」
すると子供をつれた女たちは、ぞろぞろとその場から去って行った。
予想外のことに申は面食らった。
「ややっ、本当に去るとは驚いた。意外にも、あの裏切り者は人望だけはあったらしい」
さらに予想外のことは続いた。
女たちは、かつて申が転げ落ちた崖の所まで行くと、次々に自分たち赤ん坊を投げ捨てたのだ。
力強く投げ捨てているので、赤ん坊たちは助からないだろう。
申は困惑し、思わず叫んだ。
「うわぁぁああ、お前たち何してるんだ!?」
女の一人が不思議そうに首をかしげた。
「何をって?
お頭に殺されるような雑魚の子供なんて育てたくないし。
弱い奴に生きる価値なんて無いし」
「いや、しかし……」
申は何か言おうとしたが、
女はかまわず、肩に両手をまわす。
「なっ、なにを!?」
女は強引に申の唇を奪った。
「そんなことより、私と子作りしてよ?
きっと強くていい子が産まれるわ」
すると別の女がやってきて申から引き離し文句を言った。
「なによ! 私が一番最初に子供を投げ捨てたのよ!
私が先よ、どきなさいよ」
雌猿たちはギャーギャーわめいて噛みつきあい引っ掻きあいをして
誰が一番最初に申の子種にあずかれるか醜く争った。
その有様を見て申は腕で口をぬぐいつぶやいた。
「こいつら狂ってやがる。こいつらは猿じゃない。獣だ」
そして、乱闘のどさくさにまぎれてその場から離れた。
地面にうずくまってぶつぶつと妊婦が何か言っている。
「なんで、なんでよ。お腹に前の頭の子供がいるから、新しい頭の子が産めないじゃない。
最悪、最悪。お腹の子、流れちゃえばいいのに」
申は、かつて母親に捨てられた事を思い出して震えた。
「いや、狂ってるんじゃない。この山は昔からそうだったんだ。
ここの猿は何も変わりはしない。昔からそうだったんだ。
そして、これからもずっとそうなんだ。
私が変わったんだ。あのとき食べた桃のせいで……。
私は、もうここでは死んだと同じなんだ」
よろよろ歩いていると、若い猿の群れがこちら睨んでいる。
申が殺した頭の子たちである。
彼らは自立できる程度に成長していたので、投げ殺されないで済んだのだ。
「そうか、俺はこいつらに復讐されるのか。
こいつらに殺されるんだ。
恐ろしい、恐ろしい。この山は呪われている」
申は、知恵を得たことで猿山の猿たちとは別次元の存在となっていた。
同じ猿族であっても、もはや互いの価値観を理解することは不可能だった。
野蛮な猿山の宿命からはじき出されたが、行く当てがなかった。
「こわい、こわいよ、こわい。こんな山にはいられない。
せっかく復讐が終わったのに、また一人なんて。
どうしてこんなことに、どうしてこんなことに……。
どうすれば……、どうすれば良かったんだよ」
申は猿山から逃げ出し各地をさまよった。
どんなに考えても知恵を絞っても納得いく答えは得られず、彼の心がやすらぐことはなかった。
嫦娥は首をかしげた。
「私には、この申の考えがよくわかりませんわ。
少なくとも野蛮な猿族の中では知恵も力も最強。
復讐など恐れることはないのでは?」
ティンカーは『苦通我経 水の巻』を読み進めながら言う。
「申は、復讐者が自分と同じように仙桃を食べる可能性を考えていたようだ。
自分に起きたことは、他人にも起こりうるというわけさ。
また、強さからの奢りは慢心をうみ、敵をあなどり油断する。
自分も、そうなってしまう自覚もあったのだろう。
結局、彼は賢くなりすぎたのだ。
賢くなったら阿呆どもと同じ空気を吸えなくなった。それだけのことだ」
「それで故郷を捨てたと。なかなか薄情ですわね」
「いや、私は彼に共感できるよ。
馬鹿は死んでも直らない。
更生や駆除に手間暇をかけるくらいなら放っておいて、距離を置いたほうがいい。
それが賢者のやり方というものだ。私は好きだ」
「あら、気に入ったのね。
どうする 彼をヘッドハンディングしちゃう?」
ティンカーは、窓から街を見下ろし薄ら笑いを浮かべた。
「そうねぇ。仲間にするより、うまく利用して動かしたほうが良さそうだ。
たとえば……、ニャルラトテップ派の排除とかね」
一方、川の岩場では、
蟹率いる栗、蜂、臼の自警団と 申、柿猿の間では空気が重く張り詰めていた。
蟹娘は岩の上に仰向けに寝そべり臼の膝に頭を乗せた。
栗と蜂はグルーミングシロップ柿味を丁寧に主人の身体に擦りこんでいく。
「柿猿、あなたに申様は高嶺の花。
軽々しくグルーミングをしてもらえる相手ではないの。
身の程をわきまえなさい」
「――っ」
申は、ふと生じた疑問をぶつけてみた。
「しかし、わからない。蟹娘さん、親の仇と怨むのはいいが、その仇は怯えきっている。
報復を恐れるのは当然だが、これは少し異常だ」
「それは簡単なこと――」
「まずオイラが囲炉裏灰散突で火傷を負わせ――」と栗、
「次にわっちが籠女決壊刺で毒を負わせ――」と蜂、
「牛糞どんが足払いで動きをとめたところを、
おいどんの必殺、天落肉餅圧で止めを刺したでゴワス」と臼は誇らしげに腕を組んだ。
申は蟹とその仲間を睨んだ。
「復讐は済んでるのに、死んでも尚つきまとって嫌がらせをしているのか」
「母は騙され撲殺された。この恨み忘れようと思って忘れられるものじゃない。
この私の視界に入る限り永遠に苦しめ続けてやる」
「呪われているな。
幻夢境なら、現世での死者ならば再会できる。
それでもまだ怨みを溜めこんでいるとろくなことにはならない」
「そんなことは、もとより承知している。
お前にはわかるまい。
破滅がわかっていても、親の仇への憎しみを消すことはできない」
「わかるさ」
「なに?」
蟹は申を見据えた。震えていた柿猿も顔を上げ申を見た。
「私も父親を殺された。鬼でもなく他の種族でもなく、同じ猿族にだ」
「そう」
「私も復讐したよ。父の仇を罠にはめて殺してやった」
「ならば――」
「いい気分になれたのは最初の一瞬だけだ。
女たちは強者を求めて愛情を捨てて凶行に走り、男たちは復讐の炎をたぎらす。
そして次は自分が復讐される番ということに気付く。
いつ、どこで、誰に? わかるはずがない。わかるのなら報復で殺される者などいないはずだ。
一度この恐怖を知ってしまえば、もう誰も信用できなくなる。見えない敵に怯え続けることになる」
栗が口を挟む。
「それは変でヤンス。申のだんなは鬼退治をしたじゃあないですか。
鬼からの復讐は怖くないんでヤンスか?」
「仇討ちは一人でかつ私怨だ。鬼退治は私一人でやったことではない、あのときは仲間がいた。
私には無い物を持った仲間たちがいた。彼らといれば大事は無い」
臼はウンウン頷いた。
「わかるでゴワス。おいどんも栗どん、蜂どん、そして牛糞どんがいれば、
どんな悪党にも負ける気がしないでゴワス」
「戌も酉も私の弱さを補ってくれる。そして私も彼らの弱さを補える。
だが、所詮私たちは獣だ。力に任せて破壊をもたらすこともある。
我々の力を正しく使ってくれたのが主人桃太郎なのだ」
蟹は苛立ちがつのり、声を荒げる。
「さっきから何が言いたい!? 自分語りは結構だが、お前の身の上話なんてこれっぽちも興味が無い」
申は心から訴えた。
「もうこれ以上、柿猿を追いつめるのはやめてくれ。
もし彼女が恐怖を克服したら、今度はあなたたちに復讐する。
そうすればまた恨みつらみの殺し合いだ」
「私たちが負けることなどありえませんよ。だいたい、先に仕掛けたのはその猿。
申様だって同じ猿族だから その女に肩入れしているのではなくて?
これが兎族や蛙族でも同じ態度でいれるのでしょうか」
「いれるさ。
だって、あなたたちは自警団。月の守護者ではないか」
守護者と言われて蟹は激しくまばたきし息をつまらせた。
「月の子兎やオタマジャクシは、倒した敵を執拗になぶる復讐鬼が好みなのか?
そんなものを見せて恥ずかしくはないのか!?
おい、栗どうなんだよ?」
申は怪獣化こそしないものの毛を逆立てて激昂した。
彼の中で何かがはじけたのだ。
栗は飛び上がった。
「いやっ……、でもオイラたちの戦いはそもそも仇討ちから始まってるわけで、
悪い猿を見たら懲らしめるのは義務みたいなもので……」
「そんなことは聞いてない!
だいたい正義を執行したいなら、なぜカチカチ殿の下で働かない。
そこんとこどうなんだ。おい、蜂!」
「ふぇっ! えっとそもそも わっちらは蟹の母様とは家族みたいなもので、
仲間がつらいときには助け合うもので――」
「つらい? つらいだと!? 柿猿を苛めてる蟹の姿がつらそうに見えるのか?
てめぇの複眼はどこ見てやがる!? 目の数なんてあてにならないな!
おい、次はお前だよ臼。なんで牛糞がいねぇんだよ。逃げたのか!?」
「いやぁ、牛糞どんは水が苦手で……」
「チクタクみたいなこと言ってんじゃねえよ!
まぁ、とにかくだ。……守護者らしくしてくれ、子供の手本になるような――」
しかし、手下をやりくるめられて蟹娘も黙ってはいない。
心引き締めて、荒れ狂う化猿に向かっていた。
「守護者だの、子供の手本など、知ったふうなことを言わないで!
私たちは己の信じるところの正義に則って行動しているの。
法律や他人の顔色をうかがって悪党と戦えるもんですか!」
「あんたたちが戦っている相手が悪党じゃないから言ってるんだよ。
そりゃあ狡猾で冷たいところもあるかも知れないが柿猿は悪党じゃない。
昔のことは知らないが、少なくとも今は違う。
それでも、まだ柿猿につきまとうなら――、
あんたたちを倒してでも、俺が彼女を守る!」
蟹娘は大層驚き黒い瞳を見開いて後ずさる、あやうく岩場から転げ落ちそうになった。
蟹の手下、栗、蜂、臼も目を丸くしている。
蟹娘はようやく口を開いた。
「本気なんですの? 本気で彼女を守ると?」
「あぁ、そう言った」
そして、申は柿猿のほうを向く。
「だいたい、原因は全部お前なんだぞ。
他人様の母親を殺すなんて恥知らずもいいとこ。
恥じらいを知れ! そして反省しろ!!
もう二度と悪さをするな。他人を欺くな!」
柿猿は目を白黒させて、あわあわと言う。
「はっ、はい。それはもちろん。
あなた様にお守りいただけるなら。
これだけ心強いことはございません。
心から反省して、もう二度と悪さはいたしません」
蟹娘は、おろおろして申に言う。
「あの、そのなんというか。もっと考えた方がよろしいのでは?
冷静に理性的に、後で後悔しないように。
衝動的になるのは知恵者のするところではございませんよ?」
「あ? なんだ脅しか? 言っておくが私は鬼を退治できるほどの腕前はある。
魚人や猿を苛めてはしゃいでいるような奴らに屈すると思うなよ!」
申は興奮して喋ったが、何か違和感を感じる。相手が変なのだ。
冷めている。二者の間に急激な温度差が生じている。
蟹は動揺しながらも努めて冷静に静かに言った。
「もう一度聞きますが守るんですね? そこの女を。柿猿を」
「しつこいな。あんたたちが嫌がらせするならそうするしかないだろ!」
ぱちぱちぱち
「ん?」
グルーミングシロップ屋の兎店主が拍手していた。
「兄ちゃん、やるときゃやるんだな。見なおしたぜ」
「はぁ?」
ぱちぱちぱちぱち
鹿にのって川渡りをしていた兎も、いつの間にか岩場にあがって拍手をしている。
「どこのどなたか存じあげませんが、とても素敵なものを拝見させていただきました。
今日はとてもおめでたい日です」
そして鹿から降りると申に握手を求めた。申はされるがままにそれに応えた。
「ど、どうも?」
第三者たちによる不可思議な行動に申は怒りも消沈する。
ただただ意味がわからないことに戸惑う。
ぱちぱちぱちぱちぱちぱち
飛び込みをしていた兎や別の猿も岩場にあがって拍手に参加する。
彼らは一様に笑って「お幸せに!」「おめでとうございます!」と、申だけにとっては場違いの賛辞を送っていた。
栗、蜂、臼も両膝を地に付けて深々と頭を下げて行った。
「この度は、ご結婚おめでとうございます」
「ご結婚、誰が?」
この状況を理解していないのは申ただ一人。
桃太郎三家来一の知恵者といわれる申も、この場においては唯一無二の阿呆であった。
蟹娘は笑って答える。さっきまで言い争っていたのが嘘のようである。
「またまた、お戯れを。申様と柿猿様以外の誰がいるというんです?」
「待て、何でそうなった」
「私、確認しましたよね。柿猿を守るのですか?と。すると申様はそうだとおっしゃった。
私が、そしてここにいる全員が証人です。
私どもは、日本救国の英雄の奥様に害することはいたしません」
「嫌がらせをやめてくれるのはなによりだが……。
別に結婚とかそんなつもりじゃ……」
「つもりがあろうとなかろうと、一度言ってしまったことは引っ込みませんわよ。ほら」
蟹に促された先にでは、バナナ味のグルーミングシロップにまみれた柿猿が、頬を赤らめて正座していた。
もともと赤ら顔のニホンザルが顔を赤くしているので、これはよっぽどのことである。
「私を蟹からお守りしてくださいね。よろしくお願い致します」
そう言って三つ指ついて深々と頭を下げるので、申もとうとう引くに引けなくなってしまい、
同じように正座して三つ指ついて頭を下げ、過去に誰もが言ったであろう同じことを口にした。
「こちらこそ、よろしくお願い致します」
新しい夫婦の誕生に歓声があがった。
こうして月の住人たちが見守る中『桃太郎』の猿と『猿蟹合戦』の猿が結ばれることとなったのだ。
次回更新は二月中旬以降を予定しています。
話は沙悟浄視点に戻り、月行きのゴンドラの乗り込みます。