第27話 猿蟹合戦 月の陣
日本の童話『かちかち山』より白兎のカチカチ
同じく『猿蟹合戦』より蟹、栗、蜂、臼、牛糞が初登場
朝、柿猿は そわそわ落ち着き無く、月の警察署を訪れた。
受付に声をかける。
「すいません、昨夜のインスマス人の件で……」
「はい。……では、そちらの席でお待ちください」
指定された席に座り しばらく待っていると、赤い制服を着た白兎がやって来た。
その左胸にはたくさんの勲章が光り輝いていた。
柿猿は眩しそうに立ち上がった。
「これはカチカチさん、ご無沙汰しております。
まさか、いらしているとは思いませんでした」
白兎のカチカチは軽く会釈し答えた。
「本来であれば自分が出向くような案件ではないのですが、
何分にもインスマス人が絡んでおりますし……。
まぁ、こちらへ」
柿猿はカチカチに促されて廊下を進む。
「それにしても驚きました。まさかあの桃太郎の家来の方が月に来ていたとは」
「エッ、彼は偽物ではなかったのですか?」
「はい、偽物ではありません。彼は本物です、私が保証します。
私の裁きの炎も、自ら進んで受けられましたし火傷一つ負わなかった。
まこと英雄とは肝が据わっているものです。
私の炎を見てもまったく動じない。全て理解していたのでしょうね。
自分は正しいから絶対安全だと。
さてと、こちらです」
案内された一室には簡素な机と椅子があり、申がそこに座っていた。
申は警察の厄介になっていたのだ。
なぜ、こんなことになってしまったのか。
昨夜、インスマス人の襲撃を受けた申とチクタク。(第26話参照)
申は怪獣へと変身して臨戦態勢をとる。
怪獣化といっても仲間の戌や酉のように巨大にはならず、体格が一回り大きくなるだけである。
それでも鬼と戦えるほどの力は持ち合わせていた。
インスマス人たちは、申の肉体的変化に警戒し距離をとる。そして――
バァアンッ! ズバァーンッ!!
銃である。彼らはライフルやショットガンで武装していた。(インスマス人が使用する銃器は、西暦1930年頃に製造されたものとする説が有力)
申は自慢の瞬発力で弾丸を回避する。
「くっ、銃か! 市街地で!」
多勢に無勢。逃げようとチクタクの方を向く。
「NO!! Noooo!!!!」
チクタクは恐ろしさでその場にうずくまり悲鳴をあげていた。
バァン ブァアアンッ!!
がぁいぃぃぃぃいいん ぐわあぁぁん!
何発かの銃弾がチクタクを直撃したが、厚い装甲が全て弾いていた。
「……平気なのに怖いのか」
申は呆れたが、こうなっては逃げることもできない。
チクタクが恐怖で、「インスマス人の追跡は柿猿からの依頼」と白状してしまえば、柿猿にも危害がおよぶ可能性があった。
「ならば追い払うまで!」
申が正面から突っ込んでくるので、指揮官らしき一人が慌て叫ぶ。
「撃てぃ、撃ちまくれぇッ!!」
身をひるがえし弾丸を避け、砲火に身を投じる申。
で、あったが近距離から放たれる散弾には成すすべなく路地裏に逃げ隠れる始末。
「まいったな、進むも退くも銃弾豪雨か……」
そう言っているうちにも、インスマスの銃撃を続けながら包囲網をせばめる。
「あまり褒めれた手段じゃないが……」
申は壁から飛び出す。
飛び交う銃弾をすりぬけてチクタクへと走る。
「What!?」
申はチクタクを無理矢理立たせると、その後ろに隠れた。
「Oh crazy!! 私を盾にするなんて!!」
「君の装甲なら銃弾は通らない! 恐れるな!!」
そしてチクタクの背を押して前進する。
泣き叫ぶ銅のロボットの背中の陰で、
申は「戌がいたら叱られただろうな」と少し気がめいった。
そのときだった。
「待てい!」
銃声をもかき消す大喝。
その場にいた全員が声の方を見上げる。
住宅の屋根に立つ三人の人影。
「この世の悪を裁くため」と野太い声。
「家庭の平穏守るため」と艶かしい女の声。
「正義のため暴力執行!」と叫ぶ男の声は執行の行の部分で少し裏返った。
申もインスマス人までもが呆気にとられていた。
「臼でゴワス!」 筋骨隆々の巨漢。
「蜂でアリンス!」 頭に鋭いかんざしを挿した花魁。
「栗でヤンス!」 全身を緑のイガで包んだ武道家。
そして、三人で見得を切る。
「我ら月の守護者、蟹四人衆!」
誰も何も喋らなかった。
頭が追いつかない。意味がわからない。
「ワーォ! 蟹四人衆。Help!
凶悪な魚人に襲われているのです!」
「押忍、おいどんたちに任せるでゴワス!
天落肉餅圧ゥッ! トウリャアー!!」
臼は叫ぶと屋根から飛び降りた。
憐れ、インスマス人の一人がその下敷きになった。
突然の出来事に申はチクタクに尋ねる。
「あの人たちは何なの?
四人衆とか言ってるくせに三人しかいないし。月ではあーいうのが流行なの?」
「彼らは月の平和を守るHEROなんですよ。いわゆる自警団です。
あと、ちゃんと四人います。
四人目の方は……、その……、なんたって牛の――」
煮え切らない態度でチクタクが話す中、悪臭が申の鼻を襲った。
敵のインスマス人も相当な腐臭を放ってはいるが、それを上回る激臭である。
まさに文字通りの意味で〝名状し難い〟誰もが知っているアレの臭いである。
それ故に、四人目の存在は童話から葬り去られている。
四人目の忍は目にも留まらぬ速さで、次々とインスマス人に足払いをかけている。
その神業の前に、次々と地面に転ばされていく。
「くっそぉぉお!!」
倒れながらもショットガンを撃つインスマス人。
それに栗が襲い掛かる。
「そんなへなちょこ玉じゃ、オイラは止められないでヤンス」
散弾は栗に当たっている。といって栗はチクタクのように丈夫なわけではない。
我慢しているのである。
それが彼の強さである。
「いくぞ、外装自壊」
緑のイガが弾け飛び中から燃え上がる茶色い筋繊維が隆起する。
「くらえ、燃える炎の体当たり。囲炉裏灰散突!!」
「ぎゃあぁあ!! 熱い!」
インスマス人は悲鳴をあげてショットガンを投げ捨てた。
それは幸いした。栗の発した高温で、中の火薬が爆発したのだ。
乱戦の中、気の利いたインスマス人はすぐさま身をかがめて物陰に隠れた。
ライフルの引き金に指をかけて、隙のある獲物を探す。そして気付く。
蜂がいない!
振り向こうとした瞬間、首に鈍い痛みが走る。
蜂の毒かんざしが刺さったのだ。
「あっ、ああぁ」
神経系をやられ、引き金にかけた指が硬直を始める。
背後から伸びた白い手が銃身をあらぬ方へと誘導した。
味方のインスマス人の方へ。
「あ……、駄目」
意志に関係なく引き金を引く。引かざるをえない。
ズキュウゥゥゥン!!!
弾丸は栗を狙っていたインスマス人の頭を撃ち抜いた。
誤射してしまったライフルインスマス人も毒がまわりきり、後悔のうちに絶命。
「一刺し二殺でアリンス」
蜂は冷たく微笑した。
インスマス人は蟹四人衆に蹴散らされ かろうじて生き残った者たちはボロボロになって逃げていく。
「待つでゴワス! これ以上、お前らに月は荒させんでゴワス」
「そうでヤンス! この機に殲滅するでヤンス!」
四人衆が敵を追撃しようとしたそのときである。
眩い照明が辺りを照らす。赤い制服を着た兎や蛙の警官があたりを取り囲んでいた。
「貴様ら、騒ぎはそこまでだ! 全員逮捕だ!!」
茶肌のガマ刑事が号令をくだすと、警官隊は木製の警棒を振り回して次々と弱ったインスマス人に手錠をかけていった。
それは蟹四人衆にもおよんだ。
蜂は困惑して涙ぐみ、蛙刑事に懇願した。
「わっちらは、街の雰囲気を害する魚人をこらしめていただけでアリンス。
この手錠を外しておくんなせえ」
「何を言うか!
月では民間人のいかなる暴力も認めていない。何度言わせるつもりだ常習犯め!
それにとうとう死人まで出しやがった……。
これで貴様らも年貢の納め時だ。覚悟しろ」
ガマ刑事はゲコッと不機嫌そうに一声鳴いて、
部下の茶ぶちミニロップに不心得者たちを連行するようにと命令した。
ミニロップは敬礼すると忠実に上官の指示通りに業務をとり行なった。
ガマ刑事は自警団とインスマス人を一網打尽にできたことに上機嫌で
後ろで手を組んで満足そうにふんぞり返っていた。
そして、ふと見慣れない猿がいることに気がついた。
「ん、なんだ貴様は?」
申に後ろめたい気持ちは無かったので名を名乗り礼を述べた。
だが、ガマ刑事は喉を膨らませてうなった。
「ここは乱闘現場のど真ん中である。そこにいるということはこの件の関係者というわけだな?」
「……まぁ、襲われたのは私ですから、そういうことになります」
「つまり自警団かインスマス人どちらかの仲間というわけだな?
どちらにせよアウトローというわけだ」
ガマ刑事は何かひらめいたように申を睨んでいる。
申は嫌な予感がした。
「私は被害者です。どちらの仲間でもありません」
「そんなわけあるか! 逃げようたってそうはいかん。
俺の仕事に抜け目はないのだ。おい、こいつも連れて行け!」
「そんな理不尽だ!!」
申は話を聞いてもらえず、パロミノ兎の警官に連行されてしまった。
「まったく、手間をかけさせやがって……、
うおおっ、なんだお前は!?」
ガマ刑事は悲鳴をあげて飛び上がった。
目の前に銅製ロボットチクタクがぬっと立っていたのだ。
「私はスミス&ティンカー社製の全自動ゼンマイ式ロボットです。
Oh、不良品ですが」
「それがなんでここにいる? 所有者は誰だ?」
「私のmasterである申様は、あなたに連行されてしまいました。
私はこれからどうすればいいんでしょう?」
ガマ刑事はニコニコ笑って答えた。
「ゲコッコココッ、それなら話は簡単だ。お前を証拠品として押収する!」
「Oh、no……、そんな」
チクタクはがっくりと肩を落とした。
「――まぁ、というようなことがあったのだよ。
すまない、結局大騒ぎになってしまった」
申から事情を聞いた柿猿は怒りもせず、
そわそわと落ち着かず不安そうな表情をしている。
「……本当にすまない。インスマス人が報復に来るかもしれない。
しかし、私だって最弱とはいえ桃太郎の家来の一人。
責任を持って君を守る」
「違うの。魚人のことはいいの。それは本当にどうでもいいの」
「?」
柿猿は怯えたようにカチカチに視線を送った。
それに気付いてカチカチは何か察したようだった。
「四人衆ならもう帰ったよ」
「そうですか」
柿猿は少しほっとしたようで、申の腕を引っぱった。
「ほら、もう帰るよ」
「う、うん」
「おっと、帰るなら。押収品も持って帰ってくれよ」
カチカチが言うと、チクタクがやって来た。
「Foo、酷い目にあいました。もうこんなことはno thank youですよ」
三人は警察署を後にした。
彼らの後ろ姿をカチカチは自身の長官室の窓から見下ろしていた。
ノックの音がした。
「入れ」
入室したのは、昨晩インスマス人らを逮捕した茶ガマ刑事であった。
「自分は納得できません。インスマスの魚人どもはろくに取り調べもせずに月面永久追放。
それに四人衆は何のお咎めも無しで釈放。これでは我々の面目まる潰れではありませんか」
カチカチは深いため息をついた。
「君の言わんとしていることはわかる。しかし、これは月の総意だ。
ノーデンス派、ニャルラトテップ派、満場一致で決まったのだ。
申と四人衆を表彰しようと言う者もいたよ。……さすがにそれは却下されたが。
それにしても満場一致で物事が決まることがあるのだな。ルルイエはよほど嫌われているらしい」
「月の総意って……、だから自分たちは兎や蛙なのに犬呼ばわりされるんですよ!
自分たちの正義はどこにあるのですか!?」
「……言葉が過ぎるぞ」
「うっ……」
ガマ刑事はカチカチの赤い瞳に睨まれ まるで蛇に睨まれたような心地になった。
「用事がそれだけなら、業務に戻れ」
「うぐ……」
ガマ刑事は長官室から出て行くと荒々しく扉を閉めた。
無意味かつ相手の神経を逆なでしかねない無駄な抵抗であった。
一人部屋に残ったカチカチはしばらく目を細めて窓の外を眺めていたが、
「クソゥッ!!」
拳を握りしめ机を殴りつけた。
部下の怒りが痛いほどわかっていた。が、共感の意を示すことは彼の長官という立場が許さない。
そして政治の都合とはいえ法一つ遵守できなかった自分の無力さを呪った。
これは、そうしたカチカチのやり場のない怒りであった。
アパートへの帰り道。
「結局、暴力で解決するなんて。相手がインスマス人だったからお咎めなしだったけど。
月の善良な市民相手だったら数年は牢屋から出られないわよ」
ぷりぷりになって怒る柿猿に申
「私は暴力をふってない、ふろうとはしたが。
それに私だって納得していない。
カチカチさんのおかげで、私が桃太郎の家来であったということは証明してもらえたが、
私はインスマス人の目的を調べられたわけじゃない」
「ハァ? あんたの仕事より、カチカチさんの裁きの炎のほうがよっぽど信頼性は高いのよ」
「じゃあ、初めから彼に頼めばよかったんだ!」
「カチカチさんは、とても忙しくて立場のある方なの。
無職の相手なんて頼めるわけないじゃない!」
二人は言い争い、今にも噛みつきあい引っ掻きあいを始めようとしていた。
猿族同士は一度争いを始めるとなかなか納まらないのだ。
そこへチクタクが銅のボディで割って入る。
「Stop! No more 暴力。
それにmasterだって、手ぶらなわけじゃないでしょう?」
申は思い出したように言った。
「そうだ、奴らの目的はロジャーズ博物館の立体映像だ」
「あぁ、あれか」
「君もあんなゲテモノ博物館に出入りしてるのか」
「まさか。少し前に話題になったのよ。
まだホログラム装置は実用化されてなかったから。
よく彫刻家に複雑であろう機械が作れたなって」
「それとインスマス人に指示を出していたのは、モグという奴のようだ。
もっとも、会話の中身を全部聞き取れたわけじゃないが」
「モグ? そう言われてパッと浮かぶのがルルイエの三柱のゾス=オムモグだけど。
てっいうか、凄いじゃない、
一日でゾス=オムモグが手下を使って立体映像装置を探してることをつきとめたんだから。
仕事達成じゃない」
「いや、立体映像装置を使って何をしたいのかがわからない。
彼らは、あれでいったい何をしようっていうんだ?」
「うぅーん、でもいいんじゃない。
あいつらが何を企んでいたとしても月にはもういないんだし」
「それはそうかもしれないが……」
申はインスマス人の真の目的は何だったのだろうかと考えていたが、
結局、結論は出なかった。
三人が歩いていると、道に沿って川が流れていた。
川幅十メートルほどで流れは穏やか、水も奇麗なようで兎や猿が泳いで水遊びをしている。
鼻をつまんで飛び込みをしたり、鹿に乗って川渡りをしている兎もいた。
柿猿は川を指差す。
「そうだ。せっかくだし、泳いでいきましょうよ」
「なんでそんな。子供じゃないんだし」
「あんたね、折角 身元引き受け人になってあげた恩人にそういうこと言わないの。
そういうの恩知らずっていうのよ」
「それは感謝してるけど、そういうことじゃ……」
二人のやり取りを見てチクタクは、
「私は先に帰ってます。私のようなmachineは水が得意ではありませんから」
そう言って、二人を残してがしゃんがしゃん駆動音を鳴らしながら先に帰ってしまった。
「じゃあ、行こっか」
「やれやれ」
先程、兎が飛び込みをしていた岩場に来た。
「じゃあ、飛び込んで男見せてよ」
「なんでそんな無駄かつ無意味なことをしなくちゃならないんだ?」
「何言ってんの。無意味だから楽しんじゃない。
つーか、あんたモテないでしょ」
「……いや、モテていた。だが、ろくな女に会ったことがない。
モテればいいってものでも――」
「いいから早く行け」
ドンッ
ザッバーン!
申はそのまま川に突き落とされてしまった。
慌てて水面に上がって息を吸い込む。
「信じられん。ん?」
ザッパァァアン!!
柿猿も飛び込んで水しぶきがあがる。
申の口にはねた水が入りこむ。
「ゲホッ、(水が)肺に少し入った。
まったくなんて乱暴な」
申をよそに、柿猿はすいすいと水面を泳いでいる。
「ほら、気持ちいいよ」
「そう。そりゃけっこう」
バシャ
申の顔面に水がかけられる。
「何その態度。気に入らない」
「まったく。君は気難しすぎる」
「……」
バシャ
再び申の顔に水がかけられる。
さすがに彼も頭に来たきて低い声でうなる。
「おい」
柿猿は悪びれもせず申に近付いて返事をする。
「なぁに?」
バシャン!
今度は柿猿の顔に強く水があびせられた。
「お返しだ!」
「やったな!」
ざっぱん!
言いあいながら、二人で水をかけあった。
つまらなそうにしていた申も、いつしか顔がほころんでいた。
「ねぇ、あれ見てよ。グルーミングシロップだよ」
柿猿が指差した川の中腹から突き出た岩場だった。
その上に小さな屋台があった。
「グルーミングシロップ?」
申は聞き慣れない言葉に首をかしげた。
「行けばわかるって」
柿猿にうながされるまま岩場にあがって店に出る。
屋台のカウンターには、手に杵を持ち 鮮やかなオレンジ色の液体にまみれた白バニーガールの写真ポスターが貼ってあり、こう書かれていた。
〝玉兎印のグルーミングシロップ 一度かけたら世界が変わる! 提供 スミス&ティンカー社〟
「いらっしゃい」
白兎の店員が愛想よく笑う。
カウンターには色とりどりの瓶詰シロップが並んでいた。
バナナのような果物はもちろんニンジンといった野菜。
変わり種では油揚げ、トンボやバッタといった昆虫のシロップまで揃えてあった。
申は、油揚げシロップは狐族、昆虫シロップは蛙族が好んで注文するということを後で知った。
柿猿は物珍しそうに瓶を眺めている申をよそに注文を始める。
「おじさん、バナナシロップちょうだい」
「へい、毎度。で、どっちにかけるんだい?」
「私に」
「かしこまりやした」
店員は、バナナの瓶の蓋をあけて、柄杓でシロップをすくいあげると、
柿猿の頭からシロップをかけた。黄色い半透明のシロップが胸から足下へと流れていく。
申は驚いた。
「うわぁぁ!! なんだこの店は!?」
しかし、白兎の店員は意に介さず笑っている。
「お兄さん、グルーミングシロップは初めてかい?
一度やったら、やみつきになるよ。世界が変わる!」
柿猿は申に背を向けて岩の上に腰かける。
「じゃ、始めて」
「え、何を?」
「何をって、毛づくろいよ」
「えぇ!?」
申は、また驚いた。身体を清潔にするための毛づくろいなのに、
あえて身体を得体のしれない液体で汚してから行うというのだ。
「本末転倒じゃないか。だいたいバナナってなんだよ、気味が悪い」
日本にバナナが入るのは、申が鬼退治で活躍した時代よりずっと後のことである。
無理もない反応であった。
しかし、白兎の店員の顔から笑顔が消える。
もちろん、申の事情は知らない。別の事に腹を立てていた。
「おい 兄ちゃん、彼女に恥をかかせちゃいけねえな。
びしっと男らしいところを見せねえか!」
柿猿も便乗して文句を言う。
「おじさんの言う通りだよ。
鬼退治はできても、女の毛づくろい一つできないなんて本末転倒よ。
意気地無し腰抜けの極み」
申は、別に彼女じゃないと思いつつも、
やはり月の文化への好奇心もあったので柿猿に対して毛づくろいを始めた。
バナナシロップに溺れているシラミを見つけたので、指で摘みあげ口に持って行く。
バナナシロップのとろける口触り、プチュッと潰れるシラミの食感。
シロップの甘さとシラミの体液が口の中で混ざって、奥深く繊細な味が舌を刺激する。
「うまい! こんなうまいものがあったとは!!」 ※猿族の個人の感想です
申は夢中になって、柿猿の背中のバナナ風味シラミを追いまわした。
柿猿はそれを見て白けた。
兎の店主も「男として終わってやがる」と肩をすくめたが、申は気づかなかった。
すると、また別の客が来たようで店主は愛想よく笑った。
「へい、いらっしゃい。何にしやす?」
「梨味……、いや柿味で……」
「へい、柿味だね」
申は、柿猿の様子がおかしいことに気づいた。
何かに怯えているようである。警察署で見せた反応とよく似ていた。
「隣、失礼しますね」
柿猿の隣に、柿のシロップにまみれた蟹の娘が腰かけた。後ろには蜂栗臼もいる。
事情を知らない申は挨拶した。
「おや、蟹四人衆の方々じゃありませんか。昨夜は助かりました。
牛糞さんはいらしてないんですね」
臼蜂栗は会釈し、蟹は上品に微笑んだ。
「牛糞は水が苦手なもので来ていません。
こちらこそ、私の部下たちが大変お世話になったそうで恐縮です」
柿猿は青ざめ震えだした。
申は心配になった。
「おい、大丈夫か? 体調が悪いなら帰ろう」
それをよそに蟹は申に話しかける。
「ところで申様、今日はお話ししたいことがありますの」
「すまない、連れの体調が悪いんだ。またにしてくれませんか」
「いえ、お話ししたいことはその連れの方のことです。
聞くところによれば、あなたは かの英雄桃太郎様に仕え鬼を退治したとか」
「そんなのは昔の話です」
「なればこそです。救国の英雄が邪道に堕ちるのを見過ごすわけには参りません。
お話ししましょう。その女、柿猿は我が母を青い柿で撲殺した極悪人なのです」
「!?」
「やめて!!」
柿猿は目をギュッと閉じ両手で耳を塞いだ。
日本人なら誰でも知っている猿蟹合戦。
母を殺された娘の恨みは未だ晴れず、憎悪のみが膨れ続ける。
先日『西遊記はじまりのはじまり』を観てきました。
感想は「日本人の感性には合わないだろうなぁ」といったところです。
多分、孫悟空たちが凶悪凶暴極道過ぎて感情移入できないだろうと。徒弟たちの被害者のフォローが無いし。
まぁ、原作(?)を読んでれば取経の旅完遂で、殺された人たちの魂も救われるってわかるんですが(でないと釈迦如来が無能すぎるし、多数の堕天者を出した道教組が無責任すぎる)
その辺りは、邦訳された児童文庫あたりでなんとなく察することができるので、お暇があれば読んでみたらどうでしょうか。
そういえば『オズはじまりの戦い』も記憶に新しい。
いくらオズと西遊記が似てるからって はじまり の部分まで被せることないじゃないか。