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第2話 西遊記

 大唐帝国の高僧、玄奘三蔵(げんじょうさんぞう)

彼は三人の弟子、孫悟空、猪八戒、沙悟浄を供に天竺へ取経の旅に出た。

 彼らは見事、八十一の試練を乗り越え、釈迦如来より三蔵真経を授かり大唐へ帰還した。

 この帰還を大唐の太宗皇帝は大変喜び四人を歓待した。

数日間、彼らは都に滞在していたが日を追うごとに様子がおかしくなっていった。

 孫悟空は常にいらいらと怒気を発し燃える火山のごとくで、宮廷の兵や女官たちを震え上がらせた。

 猪八戒は、そわそわと落ち着きが無く独り言をぶつぶつ喋り、目の下に大きなくまを作って不気味な雰囲気を垂れ流していた。


 そして、玄奘三蔵も西の空を見上げて涙する姿が頻繁に見られた。

太宗皇帝(たいそうこうてい)は心配して三蔵を呼び出した。


義弟(おとうと)よ。そなたらは西天から経を取って帰ってくるという偉業を成し遂げたのだ。それなのにどうして君と、その弟子たちは怒ったり悲しんだりするのか?」


 三蔵は悲しそうに返事をした。


「はい。実は我々は今回の旅で証果を得て仏に転生することを許されたのでございます」

「おぉ、それは尚のことめでたいではないか。まさに僧侶の最終目標と言える。しかし、何故そんなに悲しそうな顔を? 今更心変わりしたわけでもあるまい」


 三蔵は目を腫らして訴えた。


「如来様はこうおっしゃいました。大唐に経典を届けて天界に戻って来るには八日間は必要だろうと」


 だが、三蔵たちが大唐帝国に入ってから既に十日は経っている。


「酷いじゃないですか。西天からの迎えが来るとか言っておきながら便りの一つも来ない。もしかしたら我々は忘れられてしまったのかもしれません」


 泣き散らす三蔵に太宗は閉口したが無下にもできず励ました。


「朕としてはだな。そなたらに天に昇られてしまうよりかは、都でずっと高僧として仏法を説いてほしいという気持ちもある」


 三蔵は鼻水を垂らしてぜいぜい言っているので更になだめた。


「どうだろうか、そなたの弟子の孫悟空。あれに觔斗雲の術とかいうのがあっただろう。一跳びで十万八千里も移動できる技。彼を天界へ使いに出して事情を聞いてくれば良かろう」

「そんな、如来様に催促するようなことはできません。もし深い考えでもあったら大変な事になるじゃないですか。私の魂が消し飛んでしまいます!」


 ほとんど錯乱状態の三蔵法師を前に、早く天界からの迎えは来ないかなと太宗は思うのであった。




 一方、別室でも三蔵法師の二人の弟子が今後の事について話し合っていた。


「だからさぁ、俺が觔斗雲(きんとうん)でちゃちゃっと西天に行ってきて如来様から事情を聞いてくれば済むことなんだよ」


 孫悟空、身長は百二十センチメートルと小柄だが三人の弟子の中では最強の武勇を誇る。天界の軍勢を持ってしても御することができず、釈迦如来の法力を持ってして初めて封印することのできた剛の者である。


「よしなよ、孫兄(そんにい)。そんなことしたら、お師匠様にしかれるよ」


 猪八戒、身長は百八十センチメートルある大柄でふくよかな女性。黒い長髪から象のような大きな耳が突き出している。僧にしては、やや自堕落で色を好み食欲旺盛だがどの弟子よりも信心深かった。


「あーあ忌々しい。よいよもってこの緊箍児(きんこじ)を外してもらえると思ったのに」


 孫悟空は頭にハマっている金の輪をこつこつ叩いた。


「そりゃあさぁ、皆同じ気持ちだよ。あたしだって何度も殺されかけたしもう何度も諦めかけたよ。正直、この旅が無駄に終わったら人喰いに戻って色欲にふける」


 猪八戒が投げ槍に言うので孫悟空は赤い瞳で睨みつけた。


阿呆(あほう)がやってみろよ。そのときは俺の如意金箍棒(にょいきんこぼう)が物を言うぜ」

「やめてよ、そんな棒で殴られたら死んじゃうから。まぁいいよね、孫兄は故郷に帰れば何千何万の子分が迎えてくれるから」


 彼女の言葉に、孫悟空は故郷を思い出す。

東勝神州傲来国(とうしょうしんしゅうごうらいこく)の沖合に浮かぶ島、花果山(かかざん)。その山頂の滝壺には水簾洞(すいれんどう)という猿たちの楽園があった。

 しかし、それは孫悟空の武力と法力によって作られた楽園であり、彼が去るとたちまち妖怪や人間たちの侵略を受け悲惨なことになっていた。


「たしかに、俺も故郷に帰った方がいいのかもしれない。俺が水簾洞にいれば誰かに襲われることも無い、皆無事でいられる」

「帰っちゃう?」


 悟空は首を横に振った。


「やっぱり、それは駄目だ。この旅は俺たちだけの問題じゃない。お師匠様がいなかったら俺たちはただの化け物で終わっていただろう。お師匠様は臆病で我儘で人の話も全然聞かないが俺たちの恩人だ。裏切ることなんてできない」


 それを聞いて八戒も、ふふっと笑う。


「そうだよねぇ。色々あったけどこの旅は楽しかったよ。それにね、この旅を一番成功させたがっていたのは沙悟浄だしね」


 悟空も頷く。


「あぁ、あいつがいたから、お師匠様を連れて西天まで行く事が出来た」

「あたしは怠け者だし、孫兄は短気だし」

「お前が怠け者なのは解るが俺は短気じゃないだろ」


 猪八戒はニヤリと笑うとぼそりと言った。


「やい、弼馬温(ひつばおん)……いたい、いたい、いたい!」


 悟空は、八戒の長い耳を千切れんばかりに引っ張り出した。


「この阿呆(あほう)が死にたいようだな」

「やめて、やめてよ。信じらんない、耳が千切れちゃう」


 猪八戒があまりに大声で騒ぐので三蔵法師が飛んできた。


「やかましい! 私が陛下と大事な話をしているのにお前たちは何を騒いでいるのだ」


 耳を引っ張られながらも、すかさず猪八戒は返事をした。


「お師匠様聞いてください。孫兄ったら酷いんですよ。お師匠様を侮辱しました」


 三蔵は目を見開き。悟空は八戒の耳をねじり上げた。


「なんだと! 俺がいつお師匠様を侮辱した。デタラメ言うんじゃない!」


 激痛に八戒は悲鳴をあげて涙ながらに訴えた。


「ひっーん! 天界から迎えが来ないことを催促できないお師匠様は腰ぬけの臆病者とののしったんです。あたしがそれを注意したら逆上してこの有様」


 三蔵はまっと声をあげて孫悟空を睨みつけた。悟空は八戒を怒鳴りつけて三蔵に訴えた。


「どうしてそんな嘘を平然とつけるんだ。

 お師匠様、騙されちゃいけません。こいつの口車に乗せられては駄目です」


 三蔵はわなわなと震えだした。


「悟空、お前はすぐそうやって猪八戒を嘘つき呼ばわりする。

 その悪癖とうとう最後まで直らなかったな」


 三蔵はぶつぶつと緊箍呪(きんこじゅ)を唱え出した。

これは孫悟空の頭の緊箍児(きんこじ)を絞めつける呪文である。


「痛い痛い痛い。そんな馬鹿な。どうしてこなった。お許しください。私の言い分も少しは聞いてください」


 孫悟空が両手で頭を押さえてのたうちまわるので、とりあえず三蔵は緊箍呪(きんこじゅ)を唱えることを止めた。


「お前の言い分なんぞ聞きとうない。何があったか知らぬが。あそこまで妹弟子を痛めつける道理などあるものか」


 猪八戒は引っ張られて赤く腫れた耳を押さえて、ぐすぐす泣いていたが悟空に止めを刺しに来た。


「我儘で人の話を聞かないと言ってました」


 三蔵の眉間にしわがよった。


「緊箍呪、追加二十片じゃ」


 悟空の絶叫が城中に響き渡った。

その様子を横から見ていた太宗皇帝は、この滅茶苦茶な一行がよく経を持って帰ったと、如来の導きにただただ感心するばかりであった。

 そしてやはり、さっさとこの騒々しい面々を引き取ってくれないかなと思うのであった。




 何故彼らに迎えが来ないのか。それどころではないからである。

 天竺大雷音寺(てんじくだいらいおんじ)にて一大事。


 釈迦如来暗殺される。


「いい加減な報告をするものではない。如来殿を殺せる者などいるはずがない」


 天宮にて神兵より報告を受けた天界の最高神玉帝(ぎょくてい)はより正確な報告を求めた。


「目撃証言によりますと、琵琶精(びわせい)の毒針に刺されて消滅してしまったと。あとかたもなく消えてしまったそうです」

「琵琶精? 

 あのサソリ女怪は昴日星官(ぼうじつせいかん)によって退治されたと聞いていたが」


 不審に思っていると、もう一人の神兵がやって来た


「琵琶精は雷音寺に立てこもっております」


 玉帝は事態を収拾すべく、哪吒太子(なたたいし)昴日星官(ぼうじつせいかん)を呼び出し彼らに琵琶精の討伐を命じた。


 彼らは軍勢を引き連れて大雷音寺に向かった。

 赤い衣の少年神哪吒太子は昴日星官に訊ねた。


「以前、如来様は琵琶精に親指を刺された事があったと聞いていますが、刺した相手を消滅させる術があるのでしょうか」

「古より様々な法術がありますが、如来様のような偉大な方を消滅させる術は存在しないはず。

 仮に存在したとしても琵琶精ごときがそのような術を使えるはずがありません」


 途中、雷音寺から避難してきた神仙たちの無事を確認した。一人の神仙が証言した。


「あれは確かに琵琶精でしたが、おぞましい姿でした。

 我々の言葉には耳も貸さず、高笑いをして罵詈雑言(ばりぞうごん)を吐いておりました」


 哪吒太子はおぞましい姿について訊ねた。


「全身が赤く錆びた鉄のようでした。胴体に琵琶(びわ)のような器具を取り付けていました。

 なんとも禍々しい姿でとても言葉で言い表せるようなものではございません」


 以前とは姿が著しく変貌してるようである。

 哪吒太子は、とにもかくにも対峙しなければどうにもならないと悟り軍勢をもって雷音寺を包囲した。

 すると正門に琵琶精が姿を現した。


「ふふふ。ほほほほほ」


 顔の神経が引きつっておりけらけらと笑っている。

肩まで伸ばした髪は乱れ目も死んだ魚のようである。

胴体は証言通りに琵琶のような器具が取り付けられていた。

その器具からは数本の管が伸びており心臓や尻尾の毒針に繋がっている。

なるほど全身が錆びた鉄のように赤黒い。


「哪吒殿、ここは私が」


 昴日星官が進み出た。それに気付くと琵琶精はより一層高笑いをした。


「たかが鶏が私を殺せるものか。下がれ、この世の深淵に潜り世の(ことわり)を知った私を害することなど不可能」


 昴日星官は二メートルの雄鶏に姿を変えた。これが彼の真の姿である。以前、この雄鶏の鳴き声で琵琶精は絶命した。

 今回も、それが再現されるはずだった。昴日星官の鳴き声が辺りに響き渡り、琵琶精の尾針が星官の胸を貫いた。翼で胸を押さえて昴日星官は呻いた。


「な、なぜ……」


 琵琶精はそれに答えるように髪をたくしあげた。両耳が無かった。琵琶精は昴日星官の法術を防ぐため自ら両耳を削ぎ落としたのだ。星官が全て悟ったとき彼の身にも異変がおきた。みるみる身体が縮んでいくのだ。


「コケー」

「無様よのぉ、何度も同じ手が通じるかい」


 昴日星官は普通の雄鶏になってしまった。

 哪吒太子は斬妖剣を構えて対峙したが仕掛けることができない。

琵琶精はこの事件以前にも如来の親指と孫悟空の頭に毒針を突き立てた手練であった。一瞬の隙が死を招く。

 攻勢に出れない哪吒太子に琵琶精が先手を打つ。毒針が正面から哪吒を狙う。すかさず斬妖剣で弾くが顔面めがけて琵琶精の両腕の鋏が迫る。絶体絶命。

 鈍い金属音が響く。哪吒太子は叫んだ。


「兄上!」


 白い法衣を纏った青年神が黒鉄棒で割って入り鋏を封じる。鋏が駄目でも毒針があると尾を構える


「そうはいくかよ!」


 雄叫びとともに赤肌の童子が飛び出した。手に持った火尖槍(かえんそう)を地面に叩きつけ毒尾の動きを封じる。


「この小童が!」


 琵琶精は怒鳴り散らしたが技を封じられ三方から攻めたてられては勝機は無い。


「哪吒の兄貴、今だ!」


 赤肌の童子の言葉に応じ斬妖刀でなぎ払う。琵琶精の首をはね飛ばした。飛ばされた首はごろごろと転がって泣きだした。


「申し訳ございません、申し訳ございません」

「ふん、謝るくらいなら。最初からこんな大それたことしなきゃいいんだよ!」


 聴覚を失った琵琶精を赤肌の童子は罵った。


「あぁ、再び蘇り力を授かったのに玉帝を始末することができませんでした。悔しい悔しい」


 白法衣の青年はいきり立つ童子を制した。このまま敵に喋らせて情報を得ようとしたのだ。


「あぁあぁ、許されるのであれば、あなたのお傍に……」


 そこまで喋ると琵琶精は絶命した。


「黒幕が他にいるということは解ったが、いったいこのような法術を使うのは何者だ」


 哪吒が困惑していると後光は放つ女神が雲に乗ってやってきた。


「よくやりました。恵岸行者(えがんぎょうじゃ)善財童子(ぜんざいどうじ)


 恵岸行者、棒術を得意とする観世音菩薩の一番弟子。哪吒太子の兄である。

 善財童子、以前は紅孩児(こうがいじ)という妖怪で火炎槍を振り回し地上で暴れまわっていた。

だが、観世音菩薩の導きで証果を得て 神仙として生まれ変った。

 まだ妖怪時代の粗暴さが抜け切っていないので、戒めのため頭と両手首足首に金箍児(きんこじ)をはめられている。


「菩薩様、あなたが援軍を送ってくれたおかげで琵琶精を討ち取ることができました」


 哪吒太子は観世音菩薩の前で手を重ね深々と頭を下げた。

菩薩も一礼して情報を提供する。


「琵琶精を送り込んだと思われる者と会いました。禍々しい法術を使う黒い服の男です」

「何ですって、どこで?」

「ここより遠方の国です。恵岸が一戦交えました」


 恵岸行者は悔しそうに目を伏せた。


「奴は……、手加減していた。もし本気を出されたら殺されていた」

「手加減? 兄上を相手に手加減していたのか」


 哪吒は武術で兄恵岸より秀でているが、手抜きして勝てるほどの実力差は無い。

即ち、敵は哪吒太子の武術を持ってしても退けないということを意味していた。


「変異した琵琶精の死体を調べることで、何か解る事があるかもしれません。それに昴日星官を鶏のままにしおくわけにもいきませんし」

「コケーコッコ」 


 菩薩はそう言うと、善財童子に太上老君(たいじょうろうくん)を呼んでくるように言いつけた。

 太上老君は仙丹や神器に精通しているので、謎の器具で変異した琵琶精の調査に適任と考えたのだ。

そして死体に直接触れぬように厚手の布で覆うと神兵たちに雷音寺の中へ運ばせた。


 やがて太上老君が雷音寺に到着し寝台に横たわる琵琶精の解剖が始まった。

老君の施術に観世音菩薩、恵岸行者、哪吒太子、善財童子、他数名の神仙らが立ち会った。

 老君は琵琶精の尾を持ち上げ、次に胸に取り付けられた器具を棒で数回軽く叩いてみた。


「ふぅむ、かのサソリの持つ毒は倒馬毒(とうばどく)という猛毒なのじゃが。毒気は抜けてしまっているようじゃ。

 先の戦いで毒を使いきったか、それとも……。むっ」


 太上老君の持っていた尾が付け根からひび割れて折れてしまった。

折れた部分から目には見えない何かが出てきたので、老君は慌てて寝台に折れた尾を置いて距離をとった。


「何だこれは?」


 善財童子はその物質に恐怖を感じ、哪吒は不快感、恵岸は寒気を覚えた。

 その見えない物体に浸食されて琵琶精の亡骸はただのサソリ死骸になった。

尚もその物体は浸食をつづけ寝台と溶かし床に椅子ほどの穴をあけた。それは天上界に穴を開けて地上に降り注いだ。


「あんなものが地上に降り注いだらどうなるんだ?」


 善財童子が息をのんでいると菩薩が、


「恵岸、善財、私たちは地上に行き何が起こったのか調べるのです」


 と言うので、三人は人間の僧侶に変装して地上に降りた。

地上には土地神といって、それぞれの土地を管理する神がいる。

菩薩は呼び出したが誰も出てこなかった。物体を浴びて消えてしまったのかもしれなかった。

 その場に留まっていても仕方が無いので、三人は草原を川沿いに下流に向かって歩き町に辿り着いた。

 町は大勢の大工で溢れていた。善財童子は、そのうちの一人に訊ねた。


「おっさんたちは何の工事をしているんだい?」

「ん、態度の悪いガキだな。まぁいいや、子どもは生意気なぐらいが調度いいからな。

 俺たちは、この先で堤防や用水路を造ってる。

 何せ、ここの川は大雨の度に氾濫して人や家を流しちまうからな。

 この工事が終われば町の人たちは水害の心配がなくなる。

 給料も良いし、やりがいのある仕事だよ」

「おっさん、そんな手間なことしなくても、祭壇を作って御供えをして竜王に祈ればいいじゃないか」


 善財童子の言葉に大工は吹きだした。


「おいおい、そんなんで水害が無くなりゃ苦労しないって。

 あんたら余所者みたいだが。ここじゃ、そんな迷信を信じてる奴はいないよ。

 おっと、そろそろ行かないとな。親方にしかられちまう。

 小僧、元気でな」


 大工は笑顔で手を振ると立ち去ってしまった。その後ろ姿を観世音菩薩は見送り二人の弟子に言い付けた。


「この町の家々を訪ねて(とき)(精進料理)を乞うてきなさい」


 二人はただちに民家を訪ねて斎を求めたが、どの家も金品を求め斎を得ることができなかった。

 善財童子は町から受けた疎外感に憤りをあらわにした。


「まったく、この町は仏を何だと思ってるんだ。ここの連中に信心のある奴なんていやしませんよ」


 菩薩は頭を抑え悲しそうな表情を浮かべた。


「やはり文明化……」

「ぶんめいか? お師匠、それは何なのですか」


 善財童子は菩薩に訊ねたが、彼女は首を横に振った。


「解からぬなら聞かぬ方が良い。知らぬなら知らぬままのほうが良い」

「そんな。解からなければ、お力になれません。お話し下さい」


 菩薩は、ただただ首を横に振るだけで答えない。

 童子がしつこいので、恵岸が止めに入ったが納まらない。


「兄貴は気にならないのか。それとも、ぶんめいかの意味を知っているのか」

「知らぬ。だが、お師匠様があのように悲しまれたお姿を見たことがない。

 知らぬ方が良いと言うなら知らぬ方が良いのだ。

 我々が口を挟めることではない」


 兄弟子の言葉に童子は納得いかなかったが、従うことにした。


「天界に戻りましょう。皆、私たちの報告を待っています。

 ここにいると疲れます」


 天界へ戻る途中、菩薩は涙を流した。


「何者かが……、明確な悪意を持った何者かが私たちを攻撃しているのです。

 人と神仏との結びつきを断ち切るもっとも凶悪な方法で。

 琵琶精はそれに利用されたに過ぎないのです」


 雷音寺に着くと菩薩は太上老君に地上で起きたこと話した。

 善財童子は側で耳を傾けたが、ところどころ彼の知らない言葉が使われ理解することはできなかった。


 老君は溜息をついた。


「なるほど。琵琶精に付けられた器械は、文明の気を溜める容器だったのですな。

 だとすれば、その気に当てられた者を救うことは絶望的ですぞ」


 それは釈迦如来が戻らぬことを意味していた。


「コケーケッケッ」


 雄鶏になった昴日星官が悲しそうに鳴いた。




 雷音寺の宝物庫の中を黒い服の男が歩いていた。


「琵琶精って強いから、玉帝も殺してくれると思ったけど案外と役立たずだったね。まぁ、時間稼ぎにはなったけど」


 黒い男は棚にある書物をあさりだした。


「ふうん、無いなぁ。あの書を唐僧に渡したとは思えないけど」


 男は、書の捜索を断念し宝物庫から出た。調度良く童子が歩いてきたので訪ねた。


「先日、如来が唐僧に経を授けたが、三十六部目の全四巻の経も授けたかどうか知らないかい?」


 童子はきょとんとして言った。


「三蔵の経のことですか。あれは全部で三十五部だと聞いていますが」

「君はつまらないことを言うね。仕方が無い他をあたってみるか」


 そう言ってすごすご立ち去ろうとするので童子は不快な気持ちを抑えて言った。


「ところで、あなた様は初めてお見かけしますが、どちらの神仙でいらっしゃいますか?」


 廊下の角に消えようとする男はこう答えた。


「未来、文明後の神仙」


 童子は、はっとして後を追ったが、黒い服の男は消え失せていた。

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