第16話 エメラルドシティ防衛戦④ 混沌
オズ西方面は顕聖二郎真君の援軍によって事態は収束しつつあった。
天界軍が敵の残存兵力を次々と駆逐していく。
神兵が報告する。
「この区域の敵は掃討しました。敵戦力は北部に集中している模様です」
しかし、二郎真君とグリンダはそれを耳にしながらも一点を見つめていた。真君が止めを刺した人型が再びのたうち蠢きだしたのだ。
真君は弓矢を構えて放つ。
矢が刺さると不定形はどす黒い煙を噴出した。その中から出現する一人の男。
かの暗躍する黒い男が。
「これはどうもはじめまして。お騒がせしております」
二郎真君は三尖両刃刀を構える。
「貴様が天界とオズを騒がせている集団の首魁か」
「首魁ですって、まさか。そんな畏れ多い。私は万物の王の代行者に過ぎませんよ」
「ふん、玉帝陛下を差し置き万物の代行者を名乗るというだけでも畏れ多いぞ。
まぁ、そんなことはどうでもよろしい。何を企んでいる?」
「企んでいる……そんな大げさな。天界へは調べ物に行ったんです。三十六番目の経には世界の命運を決める大事な記述があるんだそうです。
釈迦如来を殺したのはついでです。本当は玉帝も殺したかったんですがね。オズの国へ来たのは経がこちらに移ったというからです。
オズを攻めているのは、その何と言うか奇麗な国は滅茶苦茶に壊したくなる――がはぁっ!?」
三尖両刃刀が黒い男の腹を貫いた。
「話が長い」
真君が両刃刀を引き抜くと、黒い男の腹と口か黒い液体が噴き出した。
笑っていた。
「さすが、観世音も認めたという戦いのプロ。一撃が重い!
しかし、宣言する。顕聖二郎真君、貴殿は絶対に私に勝てない」
「くだらん」
真君が両刃刀を振るう度に黒い男はずたずたに斬り裂かれていく。
オズの宮殿では観世音菩薩らによって経が読み解かれていた。巻き物にはびっしりと文字が書かれ読破するには、まだ時間が必要である。
観世音菩薩が『火の巻』を読みながら言う。
「この四巻の経は炎の神性によって書かれたようです。ほとんど前書きのような内容ですね。天界や地上を脅かす神々について書いたそうです」
恵岸も『水の巻』に書かれた内容を告げる。
「東勝神州よりさらに東の島について書かれています。
「小さいながらも四季豊かな島には多種多様の動植物が生息している」……日本のことについて書いてあるようです」
恵岸は『風の巻』にも手を伸ばした。
「こちらは「オズ西部ウィンキー国の歴史。かの国のシンボルカラーは黄色」……『水の巻』が日本について、『風の巻』がオズについて。
統一性がありません、どういうことでしょうか」
「もしかしたら、天界を脅かす神が日本やオズにいるということかも。とにかく読み進めてください。全て読み解かなくては答えも出せないでしょう。
玄奘法師、『土の巻』にはどのようなことが書かれていますか?」
観世音菩薩が三蔵法師を見やる。三蔵はほとんど経を読み進めていなかった。
ただ、一節を食い入るように見つめて、ぶつぶつ呟いて、顔を青くし額から脂汗を流していた。
『土の巻』を持つ手は震えている。
観世音菩薩は『土の巻』にこそ重大な秘密が書かれていると思い、三蔵を厳しく問い詰めた。
「そのように震えられても私たちには解りません。いったい何が書いてあったのです?」
三蔵ははっとして、菩薩を見上げた。
「いえ、あのその、この経はいつ頃に書かれたものなんでしょうか。書いてある事が、あまりに荒唐無稽で私には信じられません」
「この経は三十五部の経より以前に書かれたと言われています。そして、これが発見されたのは三十五部の経が書かれた後。
つまり三十六部目の経は、三十五部の経が書かれることを予言しているという見方もできるのです。
もし三十六部目の経が預言書であるならば荒唐無稽なことも書いてありましょう。玄奘よ、勇気を出して、その部分を読んではくれませんか」
三蔵法師はドロシーとカカシをちらりと見た。二人は何故三蔵が自分たちを見つめるのか理解できなかった。
三蔵法師が『土の巻』の一節を読み上げるまでは。
「「魔王の創世の儀式を妨げる希望の者らは武神まして全能の神にあらず、以下に名を連ねる十二冒険者である。
オオカムヅミの子である桃太郎とその家来戌酉申。
大唐帝国の玄奘三蔵と三人の弟子、孫悟空、猪八戒、沙悟浄。
オズの国の脳を持つカカシ、心臓を持つブリキの木こり、勇気のライオン。そして、彼らを束ねる人の子ドロシー・ゲイル。
彼ら一人でも欠けることあれば、たちまち世界は霧に呑まれ闇に沈み混沌に還る」と書いてあります。
ね、馬鹿馬鹿しいでしょ? 嘘だと思うなら読んでみてくださいよ」
誰も何も喋らなかった。
観世音菩薩は無言で『土の巻』を受け取り、その部分を黙読した。
「確かに、三蔵法師の言った通りのことがこれに書いてあります。そして、これに書かれている十二冒険者が集結していることも単なる偶然ではないのかもしれません」
カカシは腕組みをする。
「まぁ、親友のブリキとライオンそしてドロシーがいっしょなら、どんな困難でも乗り越えられる自信がある。
しかし、言っちゃあなんだけど、その他の方々と組んで何かを成し遂げられるとは思えませんね」
三蔵法師は頭をかかえてカカシを恨めしく睨む。
「そんな言い方はないでしょう、私だってあなたと同じ気持ちです。艱難辛苦の取経の旅がようやく終わったと思ったらこれです。
これ以上、私たちに何をさせようというんでしょ。だいたい魔王って何ですか。妖怪ですか? もう怖い思いをするのは嫌です、お断りです」
二人をドロシーがなだめる。
「止しなよ。ここで喧嘩しても愚痴言っても仕方が無いじゃない」
観世音菩薩も続く。
「ドロシーの言う通りです。ここで言い合っても何も解決はしません。四巻の経を読み解いてから見える物もありましょう」
こうして再び三蔵法師らは経を読み解く作業に戻った。
「うわーわ」
ずたすたになった黒い男は三文芝居のような悲鳴をあげた。余裕があるのだ。
「ぬぅ」
二郎真君は黒い男を足蹴にして距離をとる。
「何だこいつは? 確かに、確かに手応えはあるはずなのに」
ぼろぼろの黒い男。しかし、その声は疲れも苦痛も感じさせない。
「いやいや、そう焦りなさんな。案外、もうちょっと切り刻めば倒せるかもよ。うふふ」
「えぇい、叩き潰してくれる!」
真君が雄叫びを上げると、背丈は山ほど青肌赤髪の巨人となった。
一歩進めば大地が揺るぎ、腕を振るえば空気が唸りつむじ風を起こす。巨体そのものが絶対的武器である。足踏みでもって黒い男を粉砕する。
土埃が舞って辺りが静まり返る。
「駄目よ、まだ生きている!」
戦いを見守っていたグリンダが悲鳴を上げる。二郎真君の足下から黒い影が這い出す。
「あははははは、でかくなりゃあ俺を殺せると思ったか。愚愚愚、愚ぅー!」
真君の足から這い出た黒い影は矢のように目にも留まらぬ速さで四方に飛んだ。その禍々しい矢は天界軍や真君配下の犬鷹を次々と貫いていった。
グリンダは守りの魔法で難を逃れたが天界軍を守れるほど広範囲をカバーできるものではなかった。
真君は死の機織り機を見ていた。経糸の天界軍に黒い杼が緯糸を引く。それらの交差によって織り出される屍の織物。
織物が完成し、彼が率いた五万の兵は全滅した。
神々の血を吸った黒い矢は空中に集まって肉体を形作る。混沌の権化とも呼べる醜悪な姿。
「良かった、グリンダは無事だ。グリンダ、グリンダ!」
グリンダは呼ばれて振り返った。ライオンと沙悟浄がやって来たのだ。
とても頼りなく思えた。彼らが来たところで事態が好転するわけがないのだ。
グリンダは震える手で空に浮かぶ巨大な黒い影を指差した。
それを目の当たりにしたライオンと沙悟浄の顔を見て、グリンダはやはり絶望的状況にいることを思い知らされた。
空に浮かぶ暗黒の不定形。闇に浮かび蠢く三つの眼球はさながら赤い満月。
その巨大な魔物は先の怪獣猪八戒の数倍を超えていたのでエメラルドの宮殿からも見ることができた。
その醜さおぞましさに恐れ戦きドロシーは悲鳴を上げた。
「あいつよ、私を砂漠に落としたのは。やめて!」
カカシはドロシーを抱きしめた。
「大丈夫だよ、ドロシー。僕らがついてる。君は悪い魔女を二人も、やっつけたじゃないか。大丈夫さ」
ドロシーは肩を震わせて目を閉じた。
「ここは大丈夫なのか? くそ、あの怪物は何だ」
未との戦いで傷ついた桃太郎と三家来が部屋に入ってきた。窓から様子を確認すると真君と黒い怪物が争っている。
両者の会話を微かながら聞き取ることができる。
「真君、貴方は変化の術を心得ているそうだね」
真君は三尖両刃刀で斬りかかる。無数の黒い触手が斬り飛ばされるが次から次へと新しい触手が生え揃って真君にまとわりつく。
「化け物め!」
「そんなに怖い顔しないで。何通りくらい化けれるんだい? その術で孫悟空を追い詰めたこともあるんだろう」
暗黒の怪物は真君を挑発する。
真君の顔に怒りと焦り滲む。
地上にいるライオン、沙悟浄、グリンダ、そして北の空からは孫悟空、ブリキの木こり、哪吒太子と彼の率いる天界軍五万が進軍し真君を援護する。
ブリキの木こりは孫悟空の觔斗雲から飛び降りて暗黒の三赤眼に勇猛果敢に斬りかかる。が、大気を震わす笑い声。
それはグリンダが先刻戦った人型の不浄な鳴き声によく似ていた。
「私が一対一で真君を葬ろうというのに無粋。実に無粋だよ」
暗黒の塊がいくつもの影を砲弾のように飛ばす。その影一つ一つが暗躍した黒い男の姿となって援護を阻む。
孫悟空が叫ぶ。
「くっ、こいつも身外身の法を使えるのか」
飛び出した黒い男の一人が笑う。
「身外身の法だと? 見くびられたものだね」
黒い男たちが戯れる。
「一つ一つが同じ意思を共有し――」
「いかなる空間にも同時に存在できる」
「虚ろの分身を繰り出す――」
「身外身の法など児戯に等しい」
斬りかかったブリキの木こりも黒い男に自慢の斧を白刃取りされてしまった。
仙術をコケにされ孫悟空も怒りの燃えて如意棒を振るが黒い男が次々と現れ翻弄される。
「全部、これ全部が本体だと言うのか!」
大地すら呑みこまんと増殖する黒い男。
皆、懸命に戦うが黒の男は強く多く自身の身を守ることすら危うい。二郎真君の援護に入るなど不可能。
エメラルド城から様子を見ていた桃太郎は刀の鞘を握った。
「怪我がどうとか言っていられない。皆行くぞ、助けに行くんだ」
部屋を出ようとする桃太郎たちを観世音菩薩が遮る。
「おやめなさい。今、手負いの貴方がたが行ったところでこの状況は覆りません。ここで経を守ることこそ意味があります」
「しかし――」
部屋に待機していた捧珠竜女、守山大神、善財童子も桃太郎たちを止める。
竜女が訴える。
「相手は真君や悟空ですら攻めあぐねています。ここにいる者たちの腕前では残念ながら対抗できません。悟空と互角の腕前を持つ桃太郎様に守っていただかねばならないのです」
「ああぁー!」
突然、三蔵法師が叫び声を上げた。
「何ということだ。『土の巻』には黒い男の事が載っている。「かの黒き者、四方よりオズを襲いて経を狙う――」」
黒い塊が部屋の窓を突き破って飛び込んできた。
ついにエメラルド宮殿は黒い男の侵入を許してしまった。
黒い男が微笑む。
「ふふふ、待ちわびていました。とうとう三十六部目の経をいただくことができるわけですね」
経を持つ者が真っ先に狙われる。
それゆえ、三蔵法師は勇気を振り絞り『土の巻』を読み上げ黒い男の正体を暴露する。
「「暗躍する黒き者、それすなわち這い寄る混沌ニャルラトテップ。千の貌を持つ者」!」
千の貌。三蔵法師がそう言った同時に窓の外では一方的な殺戮が始まる。
真君と対峙する暗黒の塊がドロシーを襲った黒い影、翼の獅子、肥満怪女、不定形の人型。 すなわち闇を彷徨う者、貌の無いスフィンクス、膨れ女、闇に吠える者を、そして無数の這い寄る混沌の化身たちが飛び出した。
這い寄る混沌ニャルラトテップが解説する。
「兄ヨグ=ソトースが教えてくれたのですが、二郎真君は七十三通りの変化を心得ているそうですね。
たった七十三で千に勝てるわけありません。そう、私は千の貌を持つ者ニャルラトテップ」
ニャルラトテップの千の化身が二郎真君にまとわりつく。
五感を奪い、肉体を貪り、とうとう赤毛一本残さず葬り去った。
孫悟空を始め、真君を守ろうとした者たちはどうすることもできなかった。
混沌の前では無力であった。
その光景を前に観世音菩薩は力が抜け立っていられず膝をついた。
「二郎真君が死んだ」
ニャルラトテップが肩をすくめる。
「そんな悲観しないでください。どうせ皆、死ぬのだから遅いか早いかの違いでしょう。気分も良いし経を渡してくれたら今日は帰ります」
桃太郎と三家来そして観世音菩薩の四弟子がニャルラトテップを取り囲む。
「雑魚どもがぁ! 死に急ぐか」
守山大神が得意の槍を繰り出し先手を取る。 善財童子も同じ槍、火尖槍で後に続く。恵岸が棒を振るい竜女が手から水流を放つ。
槍に貫かれ棒で殴られ水圧で潰されても、ニャルラトテップに致命傷を与えるに至らない。
「その程度か、観世音。やはり弟子の教育がなってないようだな!」
善財の火尖槍を蹴飛ばし、恵岸から鉄棒をもぎ取り竜女に投げつけ転倒させる。守山大神が槍で再び突くが横にしりぞけ、腰を落としてからの掌底。
腹部に打撃を受けて口から泡を吹き守山大神は昏倒する。
ニャルラトテップの背後に回って頭部に飛びつく申。両手で目を塞ぐ。
「今だ!」
それを合図に戌と酉が襲い掛かる。が、正確に彼らの位置を掴み迎撃する。申は驚愕する。
「見えてないはずなのに! うわっ」
ニャルラトテップは頭部にくっついた申を引き剥がす。
「必ずしも顔の眼で見る必要はない」
答えるように体中に赤い眼球を出現させる。その赤い眼球群が襲いくる桃太郎を捉えた。彼は刀抜いて斬りかかる。
その振り下ろされた斬撃は奇麗にニャルラトテップの頭部に吸い込まれた。
「そんな刀で……、うへあぁ!?」
初めてニャルラトテップの顔が引きつり、黒い液体を撒き散らす傷口を押さえた。
「何だ、その刀は何だ!?」
ドロシーの傍らにいたトトが急にニャルラトテップに向かって駆け出し右足に噛み付いた。
「うぎゃあぁぁあ! ちくしょう、文明国の産まれだからって調子のりやがって!!」
刀傷よりトトの噛み傷が重症のようで、より大量の黒い血を流してよろめく。この光景はその場にいる者たちを困惑させた。
魔法や法力を以ってしても追い詰めることができなかった敵が小犬に噛まれただけで致命傷を負っているのだ。
申も理解が追いつかない。
「どういうことだ!? 戌の攻撃は防げるのに小犬の攻撃は防げない。文明国が関係しているのか?
それに主人の剣撃も手応えがあったようだ。出自不明の剣だが……」
現時点でそれ以上のことは分からなかった。だが結果としてニャルラトテップに打撃を与えている。
桃太郎が刀を構え、トトがにじり寄る。
「シット、シット、シイィット!! ここまで来て手ぶらで帰れるものか」
這い寄る混沌は蝙蝠の群れに姿を変えた。的を小さく増やし空を飛ぶことで桃太郎とトトの攻撃を回避しようとしたのだ。
カカシが叫ぶ。
「魔術書を奪われるな。敵も死に物狂いだ」
「私に任せて!」
竜女が天井に向けて放水する。その水が蝙蝠の翼の動きを僅かながら鈍らせた。水の重みで低く飛ぶ蝙蝠から桃太郎とトトが順次駆除していく。
が、一匹が天井にしがみついて三蔵法師に向かって急降下。
「わっ!」
三蔵は尻餅をつき『土の巻』を取り落としてしまった。床に落ちた巻物は広がってしまった。
それを拾おうと飛びつく蝙蝠を、カカシがステッキをゴルフクラブの要領で振って弾き飛ばす。飛ばされた先にはトトが待ち構えており、空中キャッチで噛み砕く。
残りの蝙蝠も桃太郎によって全て斬り倒された。
窓の外を見ると巨大なニャルラトテップは消えていた。
觔斗雲に乗って孫悟空がやってきた。
「あの黒い化け物は突然苦しみだして消えてしまった。それと……二郎真君が死んだ」
オズの国は守られた。
だが失ったものはあまりに多く大きかった。
オズ南部、猪八戒は一人で歩いていた。
辺りは桃太郎たちが退治した猟犬、ティンダロスの猟犬の死骸の山が青い血を流して腐臭を漂わせていた。
「静かだなぁ。ここでの戦闘は終わったのかな。ん、誰かいる?」
猪八戒は鼻が効く。たとえ悪臭にまみた環境であっても細かく嗅ぎ分けることができた。
岩陰に身を潜めて臭いの先を窺う。
片角の折れた羊が息を切らして歩いていた。
そして、もう一人黒い男がいた。
「未よ、手酷くやられたようだね」
「あぁ、負けた。それよりニャルラトテップ、目的の物は手に入ったか?」
「いや、盗み見るのが精一杯だった。まぁ、チャンスはまだあるさ」
猪八戒は息を殺す。
暗躍する黒い男はニャルラトテップというのね。これは良い情報が手に入ったわ。
更に情報は出ないかと耳を広げる。
「ところで未よ。どうして君はそんなにずぶ濡れなんだい」
「分からない。日本から唐まで海を泳いだんだが、それから毛が乾かない。
火に当たったり日に干したり試したが効果がない。湿るし重たいし困っている」
「ふぅん、やはり君はグレートオールドワンの素質がある」
「ぐれい……、何?」
ニャルラトテップは銀の鍵を未に差し出した。
「今さっき、六耳獼猴の死体から回収した銀の鍵だ。これを持って副王ヨグ=ソトースに謁見したまえ」
「待て待て、何の事だ?」
「君は生まれ変われるのだよ。より強く、より偉大に。さぁ、窮極の門を叩くか決断したまえよ」
未は毛で銀の鍵を受け取った。
「今より強く偉大になれるなら一寸の躊躇も無い!俺は窮極の門を叩き、あなたの兄ヨグ=ソトースに謁見しよう。俺は生まれ変わる!」
その宣言のともに未は消えた。影も形も。
そして、ニャルラトテップも。
二人の気配がなくなったことに気付き、猪八戒は岩陰から飛び出して急いでエメラルド宮殿に戻った。
謁見の間に辿り着くと既に全員が揃っていた。
「大変、大変! すっごい情報を入手したよ。黒い男の名前がわかったよ。奴の名前はニャルラトテップ!!」
特に誰も反応しなかった。
二郎真君と兵の半数以上を失い天界軍は大打撃を受けた。オズの美しい景観も破壊され皆が悲しみに暮れていた。
「ちょっとぉ、こんな凄い情報持って来て反応無しってどういう了見?」
孫悟空が優しく猪八戒の肩を叩いた。
「這い寄る混沌で千の貌を持つニャルラトテップだろ。皆、知ってるよ」
「えぇッ、なんですって!?」
「頼むから静かにしてくれよ」
そして、猪八戒は孫悟空より真君の死を聞かされ悲しみを分かち合った。
未は気付くと見知らぬ土地にいた。
「ここはどこだ?」
大地は緑色のコケで覆われ、空も同じ緑色。代わり映えのしない殺風景な景色が続いている。
自分の体を見る。相変わらず、ずぶ濡れの羊の姿のままである。
「生まれ変わったわけじゃないな。ん?」
体毛にしまった銀の鍵を無くしていた。途方に暮れているうちに夜になった。星空を眺めても見たことのない星座ばかりで現在地がわからない。
「ここはいったいどこなんだよ!?」
未は歩いた。何日も何ヶ月も。しかし続くのは緑の大地と空。何の変化も発見もなく気が狂いそうになる。
緑のコケを食らって飢えを凌ぐ、不味いが他に食べられるものはない。
「騙されたんだ、あのニャルラトテップに。腹いせに、こんな所に追放したんだ!」
怒りに燃えたが、コケばかりの誰もいない殺風景な土地では八つ当たりもできない。そうしているうちに一年が経った。
「そもそも桃太郎が悪いんだ。俺を邪険にしたせいで全てが狂いだした。あぁ、帰りたい。日本に帰りたいよ」
未は故郷の山や川を思い出し泣いた。怒りと悲しみに暮れて百年が経った。
「俺は、こんな所では終わらないぞ! 桃太郎とニャルラトテップに復讐してやる。俺は必ず帰る。絶対だ!」
一千年が経った、一万年が経った。途方もない年月が流れていった。
たとえ荒廃した空虚な土地であっても、未の心が虚無に潰されることはなかった。
常に憎悪が渦を巻き、恨みを晴らせと猛っていた。その意思は未の肉体にも変化をもたらした。もはや羊とは呼べない別の何かに。
力を蓄えた彼は故郷へ帰るのだろう。
惑星ゾスを巣立ち、地球にグレートオールドワンの名を轟かすのだ。