第15話 エメラルドシティ防衛戦③ 悟空が招いた災い
エメラルドシティ北部を進軍する孫悟空。
空から迫る馬の頭をした巨鳥の群れ。孫悟空が如意棒を振るえば喉を潰され、翼を折られて墜落していく。
「どけどけぇーい、貴様ら雑魚など俺の敵ではないわ!」
背に槍を持った犬人間を乗せた怪鳥もいたが、槍の長さで如意棒に張り合えるはずもなく撃ち落とされていく。
「思った以上に弱すぎる。こりゃあ俺一人でも十分だ。桃太郎殿や八戒が出るまでもなかった」
怪鳥の群れの中に一際目立つ者がいた。
獅子の身体に巨大な翼を持つ。頭部は金の布が巻かれ顔面は漆黒の闇に包まれその表情を窺うことはできない。
「てめえが、ここの大将か……。ん?」
孫悟空の火眼金晴が翼の獅子の正体を見抜いた。
黒く蠢く無数の触手、形容し難い不定形。
「菩薩が言っていた黒い男が化けたのか。調度良い、ここでお終いにしてやる!」
悟空は如意棒を振るって翼の獅子に襲い掛かる。
敵も素早く動き、頭上から襲いかかる孫悟空をひらりとかわす。
「伸びろ如意棒!」
獅子の腹下で如意棒での突き上げ。これで大抵の相手は腹に風穴が開くことなになる。
だが不発。孫悟空と翼の獅子との間に割って入り如意棒の軌道を逸らした者がいたのだ。
孫悟空は新手を見上げて驚愕する。六つの耳を持つ猿。
「お前は……、六耳獼猴!」
六耳獼猴。六つの耳を持つ怪猿。過去と未来を知り万物に通じている。変化の能力に長け、悟空の火眼金晴をもってしても正体を見破ることができなかった。
かつて孫悟空に化けて経文を横取りしようとしたが、如来に看破され正体を現したところを悟空によって打ち殺されたのである。
しかし、この六耳獼猴は悟空が倒した怪猿とは雰囲気が違っていた。身体は傷だらけでその傷口からは玉虫色の泡が輝きながら溢れ出ている。
悟空の火眼金晴が六耳獼猴の正体を暴く。傷口と同じように光り輝く泡がぶくぶくと発生と破裂を繰り返している。
「お前、六耳獼猴じゃないな」
孫悟空の言葉に、六耳獼猴の姿をかりた者が冷笑する。
「そう僕は六耳獼猴じゃない。こうしてここにいられるのは君のおかげだから、どうしてもお礼が言いたかったんだよ」
孫悟空は如意棒を振り回して尋ねる。
「意味が解からん、俺のおかげとはどういうことだ?」
如意棒をかい潜って六耳が答える。
「君が六耳獼猴を殺してくれたから、それを通ってこちら側に来ることができたんだ。
過去と未来を超越した者でないと僕のエネルギーに耐えられなくて壊れてしまうからね。貴重な器なんだよ。ありがとう」
孫悟空は考えるより先に手が出る性質なので如意棒で連撃を仕掛ける。
「お前の説明は説明になってない!」
例よって、悟空の攻撃はことごとく回避される。
「あははは。何が言いたいかというと、君の本質はやはり冷酷で残忍な妖仙。化け物だということだよ」
怪猿が叫ぶと空が虹色に輝いて、その光の中から馬面の怪鳥が次々と舞い降りた。
「今、エメラルドシティを攻撃している軍団は全て僕が召喚したのだよ」
孫悟空は六耳を守るように飛び交う馬面鳥の群れを叩き殺す。
「つまりね。君が六耳獼猴を許して見逃してやれば僕はここに来れなかったし、君の仲間はもっと有利に弟と戦えた。結果、君は仲間の足を引っ張ったんだ」
孫悟空は自分の判断力に自信を持っていた。
それゆえに、この言葉は彼に動揺を与えた。
「ち、違う。六耳獼猴は師匠を傷つけ荷物を奪った強盗だ。殺して何が悪い」
「あはは。それこそおかしいよ斉天大聖。君は以前、妖怪どもを率いて玉帝に反逆し力に任せて天界の仙薬を貪り食い、結果どうなった?
君の故郷は二郎真君の天界軍に焼かれて多くの猿族が苦しんだ」
「黙れ!」
六耳は孫悟空の如意棒をさっとかわして翼の獅子の背に飛び乗った。
「師匠が怪我をしたからなんだ、荷物が奪われたからなんだっていうんだい。六耳獼猴は殺されるほどの悪事を働いちゃいない。君の業に比べれば些細なことだ」
「俺は……、俺は罪を償った。貴様にあれこれ言われる筋合いは無い。知ったふうなことを言うな!」
六耳は微笑み、玉虫色に泡立つ傷口を撫でた。
「そうだね、君は罪を償えたのだから幸せだ。だが六耳獼猴はそれすら許されず殺された。ゆえに君は冷酷残忍で無慈悲なのだ。
そして、僕は全てを知っている。君のことも全て。僕は全ての時空間に並列して存在している。
全にして一、一にして全なる者。だから君が石の卵から産まれたことも、僕の申し出を断われば悲劇的な最期を迎えるということも知っている」
「申し出だと? 何だか知らんが、降伏以外は受ける気は無い」
孫悟空は一撃を振るったが、翼の獅子の前足でいなされてしまう。
「逆だよ、君が降伏するんだ。それが僕の申し出。釈迦如来が没し君らが成仏する道が閉ざされた今、仏の教えは衰退するだろう。
玉帝もそう、彼らも滅びる運命だ。泥舟なんて降りて僕の下においでよ。天界を滅ぼして永遠の繁栄と崇拝に享楽しようじゃないか」
孫悟空は一息ついた。そして六耳を睨む。
「分かったことが二つある。一つはテメエらのくだらねー目的。二つ目はテメエらの目的が昔の俺と同じで、昔の自分を見ているようで不愉快になるということだ」
「悲しいねー。たかが五百年封印されてただけで牙折られ爪切られ従順な飼い犬になったわけだ」
「分かったことがもう一つだ。テメエは神経を逆なでする天才だ」
言うやいなや、如意棒で再び殴りかかる。六耳は傷口から玉虫泡を飛ばして応戦する。
悟空が棒でなぎ払うと、泡は爆発した。
「ちっ、火薬か? 小細工を」
六耳は悟空を無視して両手を空にかざすと再び空が玉虫色に輝いて再び馬面鳥の群れが舞い降りてくる。
孫悟空は怒気を放つ。
「俺を相手に雑魚も物量も無意味だ!」
毛を抜いて身外身の法を使えば、たちまち分身たちが馬面鳥を叩き落していく。
「そうかい。しかし、君の分身は体毛を変化させたもの。体毛分しか分身は繰り出せないよね。ところが僕の召喚は無制限の無尽蔵」
孫悟空が群がる馬面巨鳥を駆除している隙に泡爆弾が次々に分身を破壊していく。
「ほらほら、分身を出し続けたら全身の毛が無くなってしまうよぅ」
空が虹色に輝き、馬面鳥の増援が襲来する。孫悟空は生まれて始めて、敵の物量に戦慄を覚えた。
エメラルドの宮殿にて、次々と戦況がカカシ王に届けられる。
街の避難状況についてジェリア・ジャムが報告。
「全住民の宮殿へ避難が完了しました」
次に各戦況について髭の兵士オンビー・アンビーが報告する
「各戦線、戦闘は継続中です。北の空は不気味に輝いて敵の増援がひっきりなしです。東は巨大な怪物同士が戦っています。ほら、東側の窓からも様子が見えます」
カカシの横にいたブリキの木こりは東の窓から外を見た。豚の怪獣と女巨人がとっくみあって戦っているが確認できる。
「じれったい。いつまでここにいなければいけない? すぐに助けにいくべきよ」
ブリキの木こりが援軍に出ようとするのをライオンが止める。
「まずいよ。僕らがここにいなくちゃ魔術書の封印は解けないんだよ」
「そんなことは敵を追い払ってから、ゆっくりやればいい。今優先させることじゃない」
だがカカシもブリキを止める。
「そうは言っても敵に攻め込まれたら魔術書の中身を確認できずに奪われてしまう」
「敵に攻め入れられる前に援軍に出るべきでは? いざとなれば魔術書を燃やしてしまうという手もある」
「それは止めた方が良いかもしれんのう」
オズがドロシーとトトを連れてやって来た。
「敵さんは問答無用で攻め込んできておる。こちらに魔術書を要求することもできたはず。
それをしないということは、こちらが焦って魔術書を破棄してしまうことを望んでいるのかもしれん。もちろん、わしの推測にすぎんが」
ここで動きがあった。善財童子が部屋に入って来る。
「経の封印を解く準備が整いました。皆様、中庭にお集まりください」
一同は善財童子の後に続いて中庭に出た。中庭の石畳には白い染料で五芒星が描かれていた。中央の目玉模様の上に経が封印された木箱が納められていた。
観世音菩薩がドロシーたちに説明する。
「知恵の者、心の者、勇気の者の順に五芒星の線の上を一筆書きに歩くのです。そして、最後にドロシー嬢が木箱を開けて下さい」
ドロシーたちはうなずき、早速指示通りの手順で封印解除の儀式を行った。
カカシ、ブリキの木こり、ライオンの順番に五芒星の上を歩き、最後にドロシーが箱の蓋を開けた。
箱の中には火水風土の四巻の巻物が納められていた。
善財童子が首をかしげる。
「火水土は分かるとして風って何だよ。これを書いた奴は何を考えて分類したんだか」
ドロシーは風の巻を手に取って広げてみた。
「これは……、何が書いてあるか読めないわ」
それは古い中国語で書かれていたのでドロシーは理解できなかったのだ。
観世音菩薩が言う。
「封印が解けたので誰でも触れることも読むこともできます。これは天界で使う文字で書かれていますね。私と恵岸、そして玄奘法師で読んでみましょう」
菩薩は火の巻、恵岸は水の巻、三蔵法師は土の巻の巻物をそれぞれ広げて読み始めた。
ブリキの木こりは言う。
「ここでの私たちの役目は終わった。今度こそ援軍に行かせてもらうわ。私は敵の増援がもっとも多い北側に行きます」
ライオンも援軍に出ると名乗り出る。
「西に向かったグリンダが心配なので西に行きます。カカシはどうするんだい?」
「僕はここに残るよ。僕は王として、ここを守る義務と責任があるからね」
こうしてブリキの木こりとライオンはエメラルドの宮殿を後にした。
玉虫色の爆風が孫悟空を地面に叩きつける。
「弱いよ、弱すぎるよ。僕は本気出してないのに。苦しいかい? ははっ、不老不死じゃなければ楽になれたのにね」
飛翔する翼の獅子の背中の上で六耳獼猴の姿をした者が高らかに笑う。
孫悟空は釈迦如来に敗北したとき以来の絶望を味わった。
圧倒的無力感を。
そして、同時にどうしても確かめたいことがあった。
「仏にもなれず、ここで何もできず負けるのか。ならば、せめて教えてくれ。俺の悲劇的な最後って何なんだ?」
「あ? そうか、そうだね。君が妖仙になったきっかけは死への恐怖心からだったね。いいよ教えたげる。
そう遠くない将来に天界は崩壊する。崩壊すれば天界で作れた物や法則は権威を失い全ての効力を失う。
君の食べた仙桃や仙丹も天界で作られた物だから例外じゃない。すぐに死ぬわけじゃないけど地球の終りとともに死ぬことになる」
この説明には孫悟空には理解できない部分があった。
「地球って何だ?」
孫悟空は地球を知らなかった。
相手は溜息をつく。
「地球のことを一から説明するのは面倒だね。生きていればそのうち解かるよ。何にせよ君がどう足掻こうとも死の運命から逃れることはできない。君は死の恐怖に永遠に怯え続ける!」
悟空は自分の死のことより天界が崩壊するなど信じられなかった。天界が崩壊すればどうなるのか、まったく考えがおよばない。
すると六耳が手を差し伸べた。
「だから降参しなよ。僕の家来になれば天界や地球が滅んでも永遠の命を手にすることができる。手始めにオズの国を滅ぼし次に玉帝を殺そう。
なぁに、僕らが全面的にバックアップする。昔、君とつるんでた妖怪どもとは質が違う、絶対勝てるよ」
「お断りだ。今のあんたはまるでインチキ宗教の教祖みたいだぜ。口車に乗せられるほど、俺は馬鹿じゃあない」
「愚かな判断だね」
地面に這いつくばる孫悟空に止めの泡爆弾を投げつける。
それで悟空は動かなくなった。
「ほんと死ねばいいのに。全てが終わるまでそこで寝てなよ」
六耳は翼の獅子に命令してエメラルドシティへ進軍した。
「太くなれ如意棒!」
叫び声とともに大地に赤く巨大な柱がそびえ立った。突然、目の前に巨大な鉄柱が現れては翼の獅子はかわすことができず激突。
衝撃で六耳も勢いよく前へ投げ出され柱に激突し、身体は傷口からばらばらに裂けて地面に落下した。
全ては孫悟空の思惑通り。
地面に倒れたまま大笑い。
「やはりな、過去と未来を知っている奴を謀るには油断させるしかない。お喋り好きが仇になったな」
首だけになった六耳は叫ぶ。
「なんだって!?」
「俺はずっと納得がいかないことがあった。俺が弱いのは結構、しかし何故テメエは本気で戦わない? 本気を出さないんじゃない出せなかったんだ!」
孫悟空が確かめたかったこと、それは自分の最期ではなかった。
六耳が本気を出さない本当の理由である。
「これは東西南北の攻防戦、他方位の戦局に関わらず手を抜いて良いはずがない。
そして、もう一つ。お前、俺の鉄棒をよけてたろ。攻撃をよけるということは当たると困るからだ。単純だな」
六耳の首が地面に落ちて転がる。悟空は続ける。
「テメエが憑依すると、大抵の奴は負荷に耐えられないとも言ってたな。
たとえ憑依できてもその対象は……、この場合は六耳獼猴だが脆くなるんじゃないかと俺は踏んだ。実際、俺がばらばらにして殺した奴の死体だしな」
「そこまで見抜いたのか」
「本気出したら六耳獼猴の身体が壊れちまうというわけだ。実際、如意棒に激突しただけでその有様だからな。如意棒を仕込む時間は十分あったぜ。お前の話が長すぎて」
如意金箍棒は伸縮自在で太さも自由に変えることができ、普段は針のように細く小さくして耳の中にしまっている。
悟空は敵が気持ちよく喋っている隙に、毛の一本を蜂に変じて糸にした如意棒を運ばせた。敵の進行方向を予測して糸のように細く長くした如意棒を空から地面に垂らす。
後は敵が近づいてくるのを待つだけ。
「こっちこそお礼を言わなくちゃな。この作戦を思いついたの、全部お前のお喋りのおかげなんだぜ」
しかし六耳は慌てない。
「なるほどー。もう君とは口をきかないことにする。それに僕一人を除いたところで弟の分身は健在。でも悔しいから君をもっと痛めつけることにするよ」
黒い男の分身であるという翼の獅子が、そして馬面鳥の群れが動けなくなった孫悟空に襲い掛かる。
ひゅるるるる
どこからか飛んできた斧が翼の獅子の胴体を真っ二つに切り裂いた。斧はそのまま弧を描くように飛んで馬面鳥も次々と屠って全滅させる。
六耳はあっけにとられていたが、顔に冷たい金属があてられる感触がした。
「弼馬温、何を寝ている。敵がまだいるじゃないか」
援軍に駆けつけたブリキの木こりが六耳の頭を踏みつけていた。
「俺のことを弼馬温と呼ぶな阿呆。お前が踏んでいる奴をばらばらにするのに、どれだけ手間取ったと思ってるんだ」
「踏んでる? おやまぁ」
ブリキの木こりは六耳の頭を踏んでいることにようやく気付き、そのまま踏み潰した。
「立てるか?」
ブリキの木こりは弱った孫悟空を立たせてやった。
そしてそびえ立つ如意棒を指差して言う。
「あの赤い柱を早く片付けて。オズの美しい景観が台無しなんだけど」
孫悟空は絶句して如意棒柱を針にして耳にしまった。
程なくして哪吒太子が軍勢を引き連れてやって来た。
「む、もう戦いが終わっている。さすが斉天大聖というべきか」
ブリキの木こりが微笑んだ。
「違います。弼馬温様は地面に這いつくばっていたので私が残りの敵を始末しました」
ブリキの態度が面白くないので悟空も反撃する。
「だから俺のことを弼馬温と呼ぶな。この金物女」
「なんですって!?」
あわや取っ組み合いが始めようとする二人に、哪吒は唖然とするばかりであった。
西方面の援軍に向かったライオンと沙悟浄は合流し道を進んだ。途中、怪物の死骸がいくつも転がっていたが先に進めば進むほど天界軍の死骸も目立つようになっていった。
ライオンが言う。
「これはあなたの国の軍隊?」
悟浄が答える。
「そうです、倒れている旗を見て下さい。二郎真君の配下のものです。ほら、あれを見て!」
悟浄が示した先では、赤髪の青い巨人が何かと戦っている。巨人は山ほど大きいので遠くからでもよく確認できた。
「あれは敵?」
「いえ、あれは二郎真君です。彼が力を解放したとなると、相手はかなりの強敵です」
二人は更に進む。魔物の死体はなくなり天界軍の神兵や犬鷹の死体が山と積まれていた。
それを見て沙悟浄は青ざめ、ライオンは恐怖で震えだした。沙悟浄からすればライオンは子供のように見えたので心配になった。
「引き返す?」
ライオンは首を横に振る。
「僕にはオズから貰った勇気があるからね。これくらいへっちゃらさ」
しかし、その声は震えていた。
二人は先へ急ぎグリンダの後ろ姿を捉えた。ライオンはほっとした。
「良かった、グリンダは無事だ。グリンダ、グリンダ!」
呼ばれてグリンダは振り返った。
顔面蒼白
唇は紫色に変色し目の下にくまを作っていた。そして震える手で、自分が見ていたものを指差した。
その先を見て沙悟浄とライオンは言葉を失った。