第14話 エメラルドシティ防衛戦② 猪八戒と眠り花畑
東の道を進む猪八戒と沙悟浄、そして孫悟空の分身たち。
辺り一面見わたすかぎり赤い花畑に囲まれていた。
「まじめなときに悪いけどさ」
猪八戒が切り出す。
「なんか、すごく良い香りがしない?」
赤く大きな花弁が風になびいた。沙悟浄は頷いた。
「ええ、確かに心が落ち着く香りね」
「敵も見えないし、ちょっとここらで一寝入りしましょうよ」
沙悟浄は呆れた。
「馬鹿言わないでよ。敵がこっちの方から攻めて来てるのは確かなのよ。それに、ここに敵がいないなら他へ援護に行くべきよ。それにこの――」
「わかった、わかったよ」
二人は黄色いレンガ道をさらに進んだ。
「ふわあぁ」
猪八戒は大きな欠伸をした。
真面目な悟浄のことだから文句の一つでも言われると身構えたが何も言ってこない。
不思議に思いふりかえると、悟浄はうとうと眠そうに足を引きずっている。
「悟浄起きて!」
「はっ、ごめんなさい。何だか眠くなってきて……、あれは何?」
悟浄が指差す先には犬人間や猟犬の敵軍勢がいたが、全て花の上に倒れて寝息をたてている。
八戒は九歯馬鍬を構えて高笑いをする。
「戦場で居眠りとは侮られたものね。寝てる方が悪いのよ。全滅させてやる」
いくらなんでも変だと悟浄が止める。
「違う、ここにいると眠くなるのよ。香り……、この赤い花だわ。これは眠り花なのよ!」
エメラルドシティ東側にはケシの花が群生している。
ここに迷い込むと睡魔に襲われ一度眠り込めば確実に死ぬという恐ろしい花畑である。
しかし、沙悟浄は捲簾大将を務めたことがある。捲簾大将は玉帝を護衛する役目のため、守護や防御に関して高い技能を要求される。
沙悟浄はすぐに守りの法力を使って、ケシの香りから自身と猪八戒を守った。
「よし、眠くなくなった。じゃ、ここにいる敵を片付けちゃいますか」
「待って!」
ケシの花を舞い上げながら何かが猛スピードで二人に向かってきた。
素早く身をかわす。
「見た?」
「見た。鎌よ、鎌が飛んできている」
「また来る!」
静寂に包まれた花畑の中を黒い鎌が次から次へと飛んでくる。自分たちの目だけを頼りに鎌の動きを見切って回避する。
猪八戒がわめく。
「卑怯者、飛び道具ばっかり使ってないで姿を見せろ!」
数十本の黒鎌が返事となって猪八戒を集中狙いで飛んできた。
「ひゃー!」
悲鳴をあげてかわす八戒に悟浄が言う。
「敵は遠くにいるから、音が出てるところを狙ってるのよ」
「なるほど。そりゃあいい」
猪八戒は考えが浮かび、分身たちに命令する。
「お前たちは散らばって大声を出すのよ」
これで敵の注意を引こうというのだ。
あほう、あほう、あほうの八戒
大飯食らいの食いしん坊
あほう、あほう、あほうの八戒
色情狂いの破戒僧
各所に散った分身たちが大声で猪八戒の悪口を歌うと、思惑通りに鎌が分身めがけて飛んでいった。分身は鎌をよけたり棒で打ち落として防ぐ。
しかし、もちろん八戒は納得がいかない。
「なんで私の悪口言ってんのよ! 孫兄、普段からそんなこと思ってたわけ?」
ドスッと音をたてて、鎌が八戒の足下に突き刺さる。
「ひゃー!」
「だから声だしちゃ駄目なんだって。あと、かがんで」
二人は口をつぐんで身をかがめると花畑の中に身を隠した。神経を尖らせて鎌の動きを探ると、鎌を投げている敵のおよその位置を掴むことができた。
沙悟浄は敵の正面で息を潜めて、猪八戒は敵の背後へと回る。その間に孫悟空の分身たちは大女の猛攻を防ぎきれず次々と撃破され全滅した。
分身たちが囮の役目は果たしたおかげで二人は配置につくことができた。
「そこだ!」
猪八戒は九歯馬鍬を振り上げて飛び掛った。三メートルの大女の背後を取った。頭めがけて馬鍬を振り下ろす。
しかし馬鍬は大女の頭に当たらず黒い扇子にぶち当たった。
「あっれ!?」
大女は猪八戒の動きを見切っており、振り向くことなく右手に持った扇子で頭を守ったのである。
沙悟浄も花畑から飛び出して降魔宝杖で突きをあびせる。が、後ろに飛びのいて左手で腹から鎌を引き出し投げつける。同時に右手の扇子も振って猪八戒を弾き飛ばす。
「あいたっ」
八戒は尻もちをつき、悟浄も鎌を防ぐので手一杯。大女はぐふぐふ笑って、隙の大きい猪八戒に狙いを定める。
巨体で押し潰そうとのしかかりを仕掛ける。悟浄はさせるまいと宝杖で大女の足を狙う。が、読まれ黒扇子で狙いを逸らされる。
悟浄の健闘むなしく押し潰されるか。いや、八戒は諦めない。九歯馬鍬を突き出す。馬鍬がつっかえ棒の役目をしてせまる肉布団を退ける。といっても馬鍬は所詮は棒。バランスを崩せばたちまち機能を失う。
そこで悟浄が援護に入る。何度の敵の動きを見ていれば大女の黒扇子の動きも見切れるというもの、振り回す腕をかいくぐり腹下に滑り込む。
九歯馬鍬に倣って、降魔宝杖もつっかえ棒として時間を稼ぐ。猪八戒の襟を掴んで肉布団から引きずり出した。
その瞬間、大女の肉圧に耐えかねて馬鍬と宝杖は均衡を失う。二人の自慢の武器は脂肪怪女の下敷きになってしまった。
大女は左手で馬鍬と宝杖を握りしめると、巨体とは思えぬ機敏さで立ち上がる。敵の武器は奪った、あとは丸腰の二人を絞め殺すだけ。
にやり
不敵に笑うのは猪八戒。丸腰のはずなのに、その両手には黒い鎌が握られていた。
「ごめんね。あなたの腹から抜け出す時に、くすねておいたの」
猪八戒は二刀の構えで正面から大女に挑む。
近付けまいと奪った九歯馬鍬と降魔宝杖を投げつける。しかし、これは大女の得物の鎌ではない。猪八戒と沙悟浄が長年苦楽を共にした身体の一部といっても過言ではない神器。
相手が守りの沙悟浄とくれば結果は決まっていた。沙悟浄は容易く二つの武器を受け止める。
猪八戒の一撃、これはまず黒扇子に防がれる。二撃目、大女の右腕を見事に叩き千切る。猪八戒はすぐに沙悟浄に場所をゆずる。
右腕を失った事で無防備になった右側面から徹底的に攻めるのだ。悟浄は左右に馬鍬と宝杖を構えての回転斬撃。
竜巻と見紛う連撃に、大女の腹肉はえぐれて黒い血しぶきをあげる。
「ぎゃおおおおお!」
大女は悲鳴をあげて体を丸めると、岩のように転がって逃げ出す。
「逃げるな!」
赤い花弁を撒き散らして逃げた先は犬人間や猟犬が昏倒している場所である。
大女は眠っている味方を片っ端から口に放り込んで貪りだした。食べれば食べるほど、その身体は大きく膨らんでいく。
追いついた猪八戒は悲鳴をあげる。
「ひゃあ! なにこれ!?」
大女の巨体はエメラルドの宮殿に匹敵するほど膨れあがった。顔には五つの口ができてオズの国の全てを食いつくさん勢いで歯をならす。その歯の音ですら落雷のような大音響である。
猪八戒は苦笑い。
「これはどうしようもない。負けですわ」
しかし、沙悟浄は許さない。
「姉さんも巨大化できるじゃない。あれぐらい、どうってことないでしょ」
「あのね、専門外が簡単に言わないで。巨大化って消耗が激しいの。下手をすれば巨大化したまま餓死することもあり得るんだから」
巨大怪女の巨大怪女の平手打ちで地響きが起きて地面が陥没する。それをかわして悟浄は説得を続ける。
「食べ物があればいいのね」
「そう。でも、ちょっとやそっとじゃ無理。蔵一つ分は頂かないと」
「調度良い物があるわ」
沙悟浄は赤いケシの花を摘み取って言った。
猪八戒は大声で怒鳴る。
「馬鹿、多けりゃいいってもんじゃないのよ。もはや食べ物でもないじゃない。だいたいケシって麻薬の原料でしょ、僧のやることじゃない」
巨大怪女は腹からでた棒状の肉を引っ張り出して空に投げた。すると破裂して何百何千もの黒鎌が雨のように降りそそいだ。
二人は黒い雨から逃げ回った。
走りながらも悟浄は食い下がる。
「吸うんじゃなくて胃袋に入れてしまうのだから平気よ」
そう言って猪八戒の口にケシの花を押し込んだ。
「悟浄あんた、孫兄から悪い影響を受けたみたいね」
とうとう猪八戒は観念して、巨大化しながらケシの花畑を土ごとえぐりながら飲み込んで更地にしていった。
そして、とうとうケシの花を全滅に追いやり巨大怪女に匹敵するほど巨大化した。
その姿は平時の豊満な姿とはかけ離れる。口から突き出した牙そして耳は、絶滅した太古の巨象のように肥大化。全身に鱗が生えて首周りはたくましいたてがみに覆われている。尻から伸びた尻尾は太く、天に昇る竜の如き威容を放っていた。
「さぁ、大口お化け。これで互角よ」
喋る声も嵐で荒れる海原のようである。
体躯は互角の二大怪獣は激突した。八戒は牙で突き殺そうと、怪女は五つの口で噛み殺そうと掴み合う。
怪女は腹の棒を破裂させ鎌の散弾を浴びせる。が、猪八戒の堅牢な鱗が弾く。
「この姿になればこっちは無敵。前進あるのみ!」
八戒の拳が五つある口の一つに叩き込まれる。歯を砕かれ敵は悲鳴をあげる。
「ようし、もういっちょう!」
同じように二つ目の口も破壊する。が、怪女とてやられっぱなしではない。口は三つ残っているのだ。
その一つで八戒の腕にかぶりつく。
「それで噛んでるつもり? その程度じゃ甘噛みにもなりゃしない!」
無事な手を第三の口に差しいれて力を込めて引き裂く。
「ぐげぇ」
怪女はうめいて、地響きたてて倒れる。
「これで終わり!」
間髪入れての追撃の突進。が、怪女の腹部の突起物が猪八戒の顔面に向かって爆ぜる。鎌の目つぶしである。
八戒はあっと言って目を押さえる。この一瞬の隙を敵は逃さない。
巨体での体当たりで八戒を転ばせる。顔の牙で刺されてはたまらないので大口で足から飲みこんでいく。
猪八戒も先程のように手を使って大口を引き裂こうとするが、足で踏ん張れないので思うように力が入らない。
猪八戒の最期か。
いや、沙悟浄のことを忘れてはならない。彼女は巨大化の術は心得ていないが傍観者ではないのだ。悟浄は降魔宝杖を地面に突き刺し雲に乗ると二大怪獣の周囲を猛スピードで旋回し始めた。
すると宝杖によって大地がかき回されて地質が変化。巨大なすり鉢状の流砂となった。
その中央に取り残された怪獣たちは重みで砂の中に沈んでいった。しかし、怪女が沈みかけたのは一瞬のことで、すぐに体勢を立て直し猪八戒を砂に沈めようと身体をひねる。
猪八戒は愕然とし口に入った砂を吐き出しながら文句を言う。
「阿呆、これじゃ私だけやられちゃうじゃない!」
沙悟浄の読み通りにはいかなかったが冷静さを欠くことなく状況を分析する。
「私の技が有効打にならない。やつは土属性の性質を持っている……? 姉さん、水よ。水を出して!」
猪八戒も生き埋めになりたくないので、鼻の穴から象のように高圧水流を噴射する。が、さして怪女は苦しむ様子もなく平然としている。
その防戦ですりばち地獄に変化が起きた。流砂が水を含んで濁流となったのだ、ここで形勢が逆転する。
三蔵法師の弟子の中で猪八戒は水中戦最強。それに比べて怪女は流砂をものともしなかったが、水中では勝手が違うようで動きが鈍る。八戒は好機とみて反撃にでる。
怪女に掴みかかって水中に引き倒した。溺れさせようと体重をかける。怪女もやられまいともがくが、水中戦において猪八戒の優位は動かず。破壊された三つの口に泥水が流れ込む。
猪八戒は自慢の牙を怪女に残された二つの口に押し込んで止めを刺し水の底に沈めた。
八戒が池から上がってみると周囲の景色は一変していた。美しくも危険なケシの花は全滅し、猪八戒の食事によって土が掘り返され荒れ果てている。そして沙悟浄と合作の池は泥で濁って渦を巻いていた。
「このままじゃ、まずいかも」
猪八戒の顔に脂汗がにじむ。
沙悟浄も不安になる。
「あのカカシ王って融通が効かなそうだから。花畑を荒らした罪で私たちを処刑するかもしれないわね」
「じょ、冗談じゃないわ。こちとらこんな田舎のために頑張ったのに、感謝されるどころか殺されるなんて。ここは、とんでもない蛮地よ!」
「まぁ、まだ処刑されると決まったわけではないし、できるだけ元通りにしてみたら?」
猪八戒は、それはそうだと四つん這いになって牙と鼻を器用に使って食い荒らした地面を耕していった。ケシの種があれば花畑を再建することも可能だろう。耕したときに余った土砂は池の埋め立てに使った。最後に巨獣猪八戒が地ならしをして元通りの地面とした。
一仕事を終えて猪八戒は元の姿に戻った。
「ふぅー、お腹すいたぁ」
「お疲れ様。作業見てて思ったのだけど」
「何?」
「こんなことしてるより、他の援軍に行ったほうが良かったんじゃないかな」
猪八戒は愕然とした。
「えー、ここまでやらせてそんなことを言うの? 北は孫兄が行っているから大丈夫か。となると南か西ね」
二人は雲に乗って猪八戒は南へ、沙悟浄は西へ援護に向かった。
十二冒険者の中で誰が最強なのか。候補として挙がるのが桃太郎、孫悟空、ブリキの木こりである。単純な戦闘能力でいえば、やはり孫悟空であろう。
武器は伸ばせば天から地獄まで届く如意金箍棒。一度宙返りをすれば音速で飛行する觔斗雲。実体のある分身を繰り出す身外身の法、他にも対象を眠らす居眠り虫や山をも動かすなど多数の仙術を会得している。
だから猪八戒も沙悟浄も孫悟空に救援は必要ないと考えたのだ。
とんでもない見当違い!
玉虫色の爆風が孫悟空を吹き飛ばす。悟空は成す術も無く地面に叩きつけられる。
「弱いよ、弱すぎるよ。僕は本気出してないのに。苦しいかい? ははっ、不老不死じゃなければ楽になれたのにね」
その陽気な声は、飛翔する翼の獅子の背中から発せられる虹色の後光の中から響いていた。